第9話 蛍光色の「糸」であることの怖さ
どうしたものか、と皇帝が居るはずの太公主の館へぶらぶらと歩きながらアリカは腕を組んで考えていた。
あの発光色は「知識」の中にあったものだ。
闇の中で蛍光色を発する。
それが「糸に現れている」ことが恐ろしい、とアリカは思った。
彼女の知識の中では、その発光させるものは一種の毒である。その毒を吸い上げた植物の葉を食べた蚕の一種が変異して別の糸蛾になった?
だとしたら、その糸蛾の有る地帯自体がその毒に強く冒されていないか?
推測はできる。あくまで推測だ。
だがそれを理解できるのはおそらく皇帝だけだ。残念ながら。
今の時期、空の色をうつした様な鮮やかな色の花が一斉に花壇を埋めている。その向こう側に太公主ヤンサシャフェイの館がある。
皇帝はここ数年ずっと職務が無い限りはその館に基本的に住まう形で居着いている。アリカは皇帝に用事がある時には頭に焼き付かせている予定と照らし合わせて本宮か館のどちらかに行く。
現在後宮には住人が本当に少なくなっているのだ。
あと十年もすれば、次々に息子の夫人達がやってくるだろう。だがそれまでは、実に静かな環境である。
そしてそれは、皇帝がずっと待ち望んでいた時間なのだ。
アリカはそれを邪魔するべきではない、と思っている。彼女にとって皇帝は自分に自由と力をくれた人物だ。敬愛する心はあれ、それ以上の感情は無い。
その敬愛する皇帝の邪魔はできるだけしたくないのだが―――
「陛下にお取り次ぎを」
「皇后様!」
さすがに館の方ではアリカがどんな格好であろうが、既に見知った仲であり、どんな時でもきちんと取り次いでくれる。
「まあまあまたそんな格好をなさって……」
そのくらいは言われるが。
「急ぎの用がございまして」
いや、現実的に即座に彼を動かす必要は無いのかもしれない。
だが彼女にとって、この件を考え、処理するためにはどうしても皇帝の考えと、そしてこちらの行動の許可が必要だった。皇帝は常に「其方の好きな様に」と言う。
だがそれは普通の案件だ。それが食事のことから何かしらの宴、大臣の罷免に関する案件までは彼女の自由に、と言うことも多い。
だが今回は。
「どうした?」
通された居間には太公主が長椅子に楽な格好で横たわっていた。最近疲れが酷い、とのことだった。皇帝はその横に椅子を置いて何かと話していたらしい。
「ご相談が」
「私は席を外した方が?」
太公主はアリカの方に顔を向ける。
「いえ、こちらが移動します。少々この部屋は今回の話には明るすぎますので」
そう、と太公主は柔らかな笑みをアリカに向けた。
「明るいとまずいのか?」
「明るいと見づらいものなので。それと厨房から離れた方が」
皇帝は思うところがあったのか、軽くうなずくと、館の中でも北向きの、厨房から遠い部屋に茶を持ってくる様に指示した。
「このくらいなら大丈夫か?」
アリカは部屋の端にあった小さな卓を自分達の前に移動させると、黙ってカーテンを閉めた。
「これなんです」
そして例の包みを開く。ぼんやりとそれ自身から光を放つ襟飾りは、何処か彼等の目には禍々しく見えた。
「これはどうした」
「元縫製方の女官が嫁いだ店が仕入れたものだそうです。とある地方の糸蛾から取れる糸で作った編み飾りだとか」
「この色か……」
皇帝も顔をしかめた。
「広まっているのか?」
「少なくとも、案外大きな問屋であるその店にはやってきていて、元女官の彼女は綺麗だから売れる、と見ていた様です」
「広まりかねない」
「はい。糸質が固いことからこの様に凝縮した形になり、袖飾りや襟飾りにされることが多いと思われます」
「……良くないな」
「良くないです。ですので、まずこの地が何処で、現在どういう状況でこの糸が生産されているのか、調べさせます」
「問題は、それを突き止めた後だ」
皇帝は軽く目を伏せる。
「俺達はそれが何か判っている。おそらくその近くにその発光する元の鉱物がそれなりに存在している。そしてそれが決して人体にいい影響をもたらさないことも知っている…… が、それが一旦『綺麗だ』『売れる』と思ってしまい、生産に精を出している民に説明は無理だ」
アリカも軽く唇を噛んだ。
「私も正直それがはがゆいのです。禁止するには理由が必要ですが、上手く禁止する理由が見つからない。毒性があると言っても、それが『すぐ』ではないことも、ほんの少しなら薬の様な効果ももたらすことがあるのも、難しいところです」
ふぅん、と皇帝は大きくため息をついた。
「……とりあえず、場所と規模は確かめておくとしよう。そしてそれがあまりに広範囲で、広がって行くならばまたその時手を打たねばならないし、あくまで限定された地域でだったら、―――今止めるのは無理だろう。やがて製作する側に無理が出るまでは」
「それまでは放っておかねばならないのですか」
「時間が必要なことというものは、常にあるんだ」
皇帝はぐっ、と拳を握りこんだ。
「ともかく調査だ。地域は『あれ』に近いのか?」
「そこよりは南です。砂漠に近いのは確かな様ですが」
「ではまずともかくその糸蛾が出現する範囲をきっちり調べることだな。そしてそれをどの地区のどの村が育て、どう流通しているか、その間に何か変わったことはないか―――手の者をともかく飛ばして探らせるといい」
「判りました」
その会話は酷く速いものだった。合図をして茶を持ってくるまでの間に交わされ、全てがそこで完結している。
茶を呑み、菓子を味わったところでアリカはもう一つの頼みのことを口にした。
「ところでラテが陛下に会いたがってます」
「いつでも来るがいいと言ってやってくれ」
「わかりました。ところで陛下」
「何だ?」
「……お加減が悪いのですか?」
誰が、とは聞かない。
「先日、庭で足をくじいてな。それ自体は大したことではないんだが、どうも元気を無くしてしまって」
「タボーと相談してみましょう。少しでも元気を出してくれる様な食事を、と」
「頼む」
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