第7話 息子は母親の異質さを微妙に感じ取ってはいた。
その翌日、エガナは帝都へ行ってくる、と子供達に言った。
「僕も行くのじゃないの?」
「いいえ」
乳母は首を横に振った。
「今日の用事はラテ様の予定とは別なのですよ。それともラテ様は母上様にお会いになりたいですか?」
「会いたいと言えば会いたい」
「何だか歯にものが挟まった様な言い方だなあ」
フェルリは訝しげに母の外出姿を眺めながらそう言った。
「けど突然なんでしょ? だとしたら、あまり母様は僕が来るのを喜ばないと思うんだ」
「ラテ様」
エガナも嘘はつけない。
確かに皇后アリカはラテが来ればそれなりに相手をするし、「大きくなった」と頭を撫でたりはする。
だが、離れていて辛かったという仕草をエガナが見たことはない。
*
「それは仕方が無いわ」
疑問をサボンに告げたこともある。すると彼女はそう言った。
「あの方はそういう部分が欠けてらっしゃる。だからこそ貴女というたっぶりと母親の愛情が有り余っている程ありそうなひとを雇い入れたのだから」
「欠けている?」
「ほら、サヘ家ではあの方の母君は産後すぐにお亡くなりになったから」
ああ、とエガナはサヘ家の第二夫人が出産で亡くなったことを思い出した。
「その時ついた乳母は親切だったけど、何処か違ったみたい。だからこそ、貴女の様な存在が必要なの」
手をぐっと握られてサボンにそう言われたらエガナには皇后の奇妙さをそれ以上問えなかった。
サボンはサボンで、常にその辺りは答える言葉を用意していた。
本当の自分の乳母は実の母が亡いことも気にさせない程よくしてくれた。エガナに言ったことは嘘になる。
だがアリカの気質は彼女の出から来ているものだから、口にすることはできない。「体質」というのは、なかなか理解されないものなのだ。
何年も宮中で彼女と共に仕事をしてきたら、サボンとて判ってくる。少女の頃は薄ぼんやりと賢いなあ、と思っていたことが「体質」であり、感情もその「体質」から来ているものだとは。
幼い頃は比較できる人間が少なかった。だが今は多くの女官と付き合う立場だ。どう考えてもアリカは異質だった。
「だからね、あの方の分もラテ様を感情豊かな御子にお育てして差し上げて」
これは本心なのだ。
本心だからこそ、それは通じる。
*
「御母君はきっと人そのものがさほどお好きでは無いのですよ」
「サボンのことは好きでしょ?」
「ええ、とても少ないのだと思います。でもラテ様のことはその少ない中に確実に入っていますよ」
「うん、それは僕も思う」
「だから仕事を空けている時に会いに行きましょう。その話もつけてきます」
「わかった」
ラテは大きくうなづいた。
*
「本当は格別母上と一緒に暮らしたい、ということじゃないんだ」
エガナを見送った後、窓の外を眺めながらラテはぽつりと言った。
「フェルリはあまり見たこと無いだろうけど、母上ってのは、人形みたいなひとなんだ」
「人形かい」
確かに滅多に見たことはない。アリカとサボンはお忍びでやってくる時に、フェルリは用を作られ、席を外している。
「僕はどんどん育って行くだろ? 去年より背も伸びたし。でも今でもあのひとはまるで学問所の先輩のお姉さんくらいにしか見えないんだ。僕の記憶にあるあのひとと同じくらい」
「ラテ……」
「サボンは違うんだ。最初の記憶にあるサボンは、まだそのお姉さんみたいだったけど、今はもうすっかり大人のひとだもの。リョセンと結婚しないのが不思議だな、と思うくらい」
「でも、そういう方なんだろ?」
「うん。そういう方なんだ、と聞いてはいるし、僕もいずれそういうことになるらしいよ。父上から譲られる時には。だから父上にその辺りの話も色々聞きたいのに、疑問を持てる歳になったとたん、こっちに越したから」
ラテは黙った。色々思うことはあるのだ。
そんな彼の様子を眺めるフェルリは、そういう時の乳兄弟に告げられる言葉が無いことに無力さを感じる。
「……でも今はそれを考えても仕方ないよ。会えた時に色々、困るくらいに陛下に聞きまくって差し上げればいいよ。それより僕らは、まず宿題をしよう」
「あー」
そのことを忘れてた、とラテは肩をすくめた。
*
宮中に知らせ無しで行くのはエガナも久しぶりだった。
「どうしたの本当に」
迎えてくれたのは普段からいつの間にか自分の姿を見つけてくれるフヨウだった。
「実はちょっと陛下にお見せして判断を仰ぎたいものがございまして」
そう言って、蓋のついた手提げ籠の中から小さな包みを取り出す。それは先日カリョンの店で見せられた袖飾りだった。
「縫製方ではなくて?」
「陛下の方なのです。……気になることがありまして」
判ったわ、とフヨウはちら、と側の木に視線を移した。
「連絡はすぐに行くと思うわ。貴女は滅多にこういうことをしないから。ともかくそれは閉まって。……ちなみにそれは何処で求めた籠?」
「あ、これは市場で最近よく使われているものよ。この蓋で、買い物したものを盗まれる危険を少しでも防ごうって」
歩きながら二人は籠の素材や編み方、売っている場所などについてつらつらと話し込んだ。
やがて懐かしい場所まで来た時、ああやっぱり今日は連れてこなくてよかった、とエガナは思った。
「久しいなエガナ」
そういうアリカの姿は、あまりにも簡素過ぎて息子に見せる訳にはいかないものだったのだ。
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