第9話 異様な光景が広がり浪人が死んだ今

 異様な光景が広がり、かえでが死んだ今、紫苑しおんがどうなっているのかおけらは気になって仕方がなかった。

 後ろ髪を引かれる思いで娘を村に連れ戻った朮はその足で紫苑がいるであろう山小屋へ走った。

 火事ですっかり焼け落ちたその場に人の姿などなく、日が暮れるまで周辺を探すも生きている者はいなかった。


 意気消沈と項垂れる朮を慰められる者など村にはいない。

 ぜんまいだって朮の気落ちした様子に声を掛けられずにいるのだ。

 それだけではなく、村では山に点在する死者の埋葬で人の気を汲んでやる余裕などなかった。

 二人が連れてきた娘も布団に寝かせてあるだけで、誰かが付いているわけでもない。


 すっかり日も落ち、村人たちも一段落をつけた頃朮は娘の様子を伺った。

 娘は目を覚まし、空に浮かぶ月をじっと見つめていた。

 それは月を焦がれているかのように見え、また月を憎んでいるかのようにも見えた。

 どこから来たのか白い猫が娘の傍らに行儀よく座っている。

 声を掛けられずにいる朮気がついた娘は静かに微笑んだ。


「助けてくれたって……ありがとう」


 和やかな声にあの異様な光景の中にいたことなど嘘のようだ。

 猫に視線を落とした娘は声を震わせ


「……あの、兄様は?」


 娘が誰を兄と呼んでいるのかわからなかった。

 だが、あの惨状だ。あの場に居たのであれば、彼女の兄が生きているとは思えない。

 どう答えたらと言葉を探すそんな様子の朮に娘は


「助からなかった……やっぱり死んだんですね」


 兄の死を当たり前に受け止める娘に朮は不穏さを感じずにはいられない。

 俯いた娘は自身の肩に流れる白い髪を一房手に取り鈴を括り、娘は居住まいを正し朮に向き直った。


「どうか私の事、兄様の事は忘れてください」


 娘が何を言っているのか朮に理解することは出来ずなんと返したらいいのかと迷っていると、どこからか悲鳴が聞こえてくる。


「もう、私のせいで人が死ぬのは嫌」


 今にも飛び出していきそうな娘の手を引き、朮は引き止め


「人が死ぬってなんだ? この悲鳴は?」


 朮の問いに娘は答えることなくその手を振り解く。


「私は……私が何時までもここにいたらこの村の人が殺されてしまう。あの声聞こえるでしょう?」


 それは白の姫末の姫様を探す武士の声だ。

 彼らは白の姫を殺すためにこの山奥の村に来たのだ。

 どんな無粋な真似も畜生に落ちようとも彼らは白の姫を見つけ殺すまでその所業を止めることはないだろう。


「でも、白の一族はみんな処刑されたって……」


 楓たち兄妹が山小屋に住み着いた頃に世間を騒がせ、この山奥の村にまでその報が届いたものだ。

 白の姫が生きているなんて思っている者はいない。少なくともこの村の者は誰も思っていないだろう。


「大変だ! 村に武士達が、襲ってきた!」


 部屋に飛び込むように息を切らせた薇が現われると、娘は白い猫を伴うように外へ向かった。

 娘をこのまま行かせては危険なのではと朮は後を追う。

 村の外れにある家の外へ出てすぐ目に入るのは燃える家屋だ。

 何が起こっているのか、どうして村が燃えているのか、薇が言っていたことはなにか、娘が言っていたことを理解する間もなく目の前に広がる光景に朮は足をくすませた。


「朮! ここも危ない。逃げよう! 長老も村長も逃げろって!」


「だけど、あの娘が……」


 後ろ髪を引かれるような思いで娘が走っていった方に視線を向ける。


「何言ってんだ! どこの誰かわからない奴の事より自分の事だろ!」


 薇の言うことは尤もだと朮もわかってはいる。

 それでもあの娘が気になるのだ。

 正確ににはあの娘の言葉だ。

 彼女の言葉を信じるならば、娘はこの騒動の元になっている白の姫ではないだろうか?

 楓たち兄妹はあの娘の縁者だったのでは?

 あの娘と紫苑は髪の色さえ違えどよく似ている。

 紫水晶の瞳なんて珍しいものじゃないか。

 縁者なのであれば彼女を助けることになんの躊躇いが必要だというのだ。


「ごめん。薇は先に逃げろ。やっぱ彼女を放っておけない」


 引き留める薇を振り切って朮は駈け出して行く。

 逃げる村人を黒ずくめの格好をした武士達は容赦なく斬り殺す。

 老若男女関係なくだ。

 なんと酷いことをするのだろうと思うもその凶刃は朮をも狙う。

 どうにか避けても息をする間もなく次がくる。

 なんの力も持たない只の村の若者にどんな脅威があるというのだ。

 こんな山奥の村が御上に逆らう力があるとでも思っているのだろうか、武士達の所業に怒りがこみ上げるが、朮はそれに対抗する力などなかった。

 精霊の加護だってないに等しく、術を起こすことだって叶わない。

 振り下ろされた刀に為す術もなく命を刈られると目を瞑った。


 ――ちろりん


 鈴の音に目を開けば白い髪が目の前で揺れていた。

 朮に向けられた刀を受け止めていた娘の刀が一閃すると武士は胸から血を吹き出し倒れた。


「ここは危ないから逃げて」


 娘は朮と視線を交わすことなく次の武士へと刀を振りにいく。


「娘さんは、白の姫様なのか?」


 朮の呟きなど聞こえるはずもなく黒ずくめの格好をした武士達を次々と倒していく。

 火も水も風も全ての術を駆使する様は不思議な光景だ。

 通常であれば精霊の加護は一つだけで使える術は一種類のはずだ。

 それを娘は全てを使っていた。

 精霊の加護は瞳の色に表れ、紫水晶の瞳自体珍しい。

 朮が出会ったことのある紫水晶の瞳はもう一人、紫苑だけ。

 娘が持っていた鈴、尋ねられた彼女の兄の事、そして紫水晶の瞳、それは紫苑と繋がるものだ。

 あの娘が紫苑だというならあの髪の色はどうしたのだろうかと、兄が死んだことをどうして当たり前のように受け止められるのだろうかと、疑問はある。

 だけどそれはこの武士の襲撃を逃げ延びて聞けばいいことと朮は頭を振り、今に目を向ける。

 今にも炎弾に焼かれそうな娘の姿が目に入った。


「危ない!」


 朮はその身を顧みることもなく娘を突き飛ばす。

 背中を擦れるように逸れた炎弾に肝を冷やした。

 娘は感謝を表すどころか朮に叱責を浴びせる。

 

「だけど……」


 朮だって感謝が欲しかったわけではなく目の前で娘が傷つく姿を見たくなかっただけだ。


「だけどじゃない。私のことはいいから逃げて!」


 飛んでくる氷弾を風を起こすことで躱す。

 この場において朮が娘の側に居ることは邪魔でしかないことは火を見るより明らかだ。

 朮は目の前で刀を振る娘を助けたい。

 紫苑であれば尚のことその力になりたいと思っていた。

 うぶな若者である朮に起きたこの日の出来事は日常とはかけ離れ、二度と遇いたくはない出来事ばかりではある。

 こんなにも人の死に多く触れる日がもう来ないことを祈り、こんなにも己の安全を危惧することがないことを願い、娘を助けようと無茶をする。

 落ちていた刀を拾い武士に向かって振り下ろす。

 持ち方も知らない素人の適当に振るわれる刀に武士が当たるわけもなく簡単に弾かれる。

 それでもめげることなく朮は向かう。

 嘲笑うかのように武士は朮の刀を躱していく。

 朮の様子に気が付いた娘が援護にまわりその武士を斬り倒す。


「そんな危ないことしてないで逃げて!」


 娘は朮を睨み付け


「逃げてよ。もう、私のせいで誰かが死ぬなんて嫌だ!」


 娘の言葉を耳に残しながら、それでも側で朮は慣れない刀を振るう。


「君が逃げないなら……」


 朮は言葉を全て紡ぐことなく膝を着いた。

 その胸には鋭い氷槍が貫かれていた。 

 氷の冷たさを感じることもなく、己の血の熱を感じることもなく、娘の驚愕に満ちた表情だけが脳裏に焼き付き、その悲鳴が遠くに聞こえた。

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