第8話 昨夜の騒ぎに村の男達は
昨夜の騒ぎに村の男達はどうしたものかと思案していた。
病弱な妹を連れた浪人の
村人達が対処に困るのも道理で、長閑でなにもない村での出来事だ。
村を治める村長も長老も今までにない事に傍観しか出来ずにいる。
幸いに山火事の心配はなく、朝方に降った雨に火はすっかりなりを潜めていた。
その中、
稀に体の調子がいいのだと村に下りてくる紫苑が気になって仕方がないのだ。
うねりのない真っ直ぐで黒い髪、新雪のように白く滑らかな肌、いつも静かに和やかに微笑むその出で立ちに昔話に出てくる姫君のように感じていた。
浪人の言うように病弱だとは思えなかったが、なかなか村に下りてくることもないことからそうなのだろうと思うしかなかった。
口を交わしたことなど殆ど無いにも関わらず、紫苑の事を気にしていることは村では知れ渡っていた。
隠し事などが苦手なのだ。
己の心内まで晒してしまうようなうぶな若者にとって彼女は愛しむ花ような存在である。
本当に病弱なのであれば火事に困っているのではないか、この騒ぎに不安になって体の調子を崩しているのではないだろうかと居ても立ってもいられず、朮は人知れず山小屋へ向かった。
「どこへ行くんだ?」
幼馴染の
誰に気づかれることなく村を出たはずなのに、兄弟のように育ってきた薇だけは朮の行動を先読みしていたかのように待ち伏せしていた。
答えなんか聞かなくてもわかっている癖にと朮は薇の前を通り過ぎようとするも、肩を引かれ留まるしかない。
「心配なんだ。なにかあったことは確かなのに向こうからはなんの沙汰もなくて……」
長閑な村で何事もなく育ってきた自分に出来ることなどたかが知れてはいるが、なにか力になりたい。
その一心だけで朮は動いていた。
「一人で行ってなにが出来るんだよ? 家が燃えてしまっているならお前一人が行ったところで焼け石に水だろう」
薇は足元に隠すように置いてあった荷を担ぎ、前を歩き出す。
てっきり止められるものだと思っていた朮は幼馴染みの行動に顔を綻ばせる。
山の中腹あたりにある山小屋までそう距離があるわけでもない。
山の空気が重く足がなかなか進まなかった。
村の子供が遊び場にしているくらい慣れ親しんだ山だ。
山に拒絶されているような……こんなことは朮も薇も初めての感覚だ。
「おい、あれ!」
薇の指さす方向に人が倒れていた。
倒れている人がいれば、何事かと介抱するのが人としての性であろうと迷い無く二人は駆け寄り、息を詰まらせた。
人が倒れている。
成人の男性だろうか?
黒ずくめの格好に、刀を手にしていることから武士であろうと推測された。
武士、侍の類いなど殆ど見たことも関わったことがない二人にわかるくらいにその人は武装していた。
――それは人であったものだ。
首がないそれは人であったとしかいえないだろう。
骸となったそれは血溜まりを作るわけでもなく、生臭い腐臭を放つでもなくそこにただあった。
人の死にそう多く触れてきたこともない若者には些か刺激が強かった。
青ざめた顔をお互いに見合わせ、どうしたものかと思案するにも上手く頭が働かない。
一呼吸置き、落ち着けと周囲を見回す。
あまりのことに薇は腰を抜かし尻餅を着く。
それも仕方がない。同じような死体がそこいら中に転がっている異様な光景が広がっていた。
「……なにがあったんだよ……」
どちらが呟いたのだろうか。
それに答えられる者などここにはいなかった。
それでも朮は山小屋へ足を向ける。
この異常事態に紫苑が心配で気になって仕方がなかった。
無事であって欲しい。
巻き込まれていなければいい。
願うしか出来ない状況を打破しようと歩き出す。
地獄とはこういう景色なのだろうかと、こみ上げてくる吐き気を押さえながら先に進む。
そしてそれは見つけたくなかった。
――血溜まりの中に横たわるそれは山小屋に住み着いた浪人――楓――
見間違えるはずもない。
昨日だって彼は人のいい笑みを浮かべながら村に下りて来ていたのだ。
畑に悪さをする猪をどうにかして欲しいという村人の願いを難なくこなし、紫苑の様子を聞く朮に怪訝な表情を向けながらも答えていた。
浪人に落ちた己など大したことはないと言いながらも盗賊達をあっという間に殲滅した手腕に子供達は憧れを抱き、村の娘達は顔を赤く染めた。
朮と薇の二人だって男としての矜恃を感じていたんだ。
その楓が血溜まりの、自身の体から流れたであろう血溜まりの中に倒れていることが信じられなかった。
無敵のように思っていた男がこうもあっけなく死ぬものなのだろうかと、なにかの間違いではないかと、近づくもそれは見間違いではない。
突然のことに、人の死が、知人の死を目の当たりにしているにも関わらず涙の一つも零れないことになんと自分は冷酷なのだろうかと無情なのだろうと自身を責めずにはいられない。
先に目を背けたのは薇だった。
楓に対する憧れは村の誰よりも強く抱き、武士に侍になりたいなど思ったことはなくとも彼のような強い男になるなのだと豪語し、木の棒を振り回し、今だって腰にその棒はある。
憧れを踏みにじられたような思いをそこに感じていた。
「……紫苑は大丈夫だよ……ね?」
朮の希望にも似た言葉に薇が答えられるわけもない。
目の前の事実を受け入れるしかないのだ。
――その真っ白な髪は二人の目を惹いた。
首のない死体の中で茫然と虚な瞳に焦点はなく、座り込み、
その真っ白な髪をした者だけに息遣いを感じた。
突然の風に舞う白く長い髪が幻想的で紫水晶の瞳から零れた涙に地獄のようなこの光景を忘れさせる。
「……娘さん? 動けるか?」
恐る恐るといった様子で朮は声を掛ける。
自身に声が掛けられていると思っていないのか、その者になんの反応もなく涙だけを流す。
朮はその者の肩に手を置いた。
首振り人形のようになんの情緒もなく振り向きその瞳が朮を捉え、なんの表情もなかった顔を泣き顔に歪めたかと思えばそのまま糸の切れた人形のように倒れた。
「あ……おい? 大丈夫か? おい!」
どこか大きな怪我でもしているんじゃないかと心配しても、目に見える外傷もないことから起こそうと体を揺すっても意識を戻さない。
その手の中にある鈴に朮は見覚えがあった。
紫苑がいつも帯の付け根に下げているものだ。
どうしてこの者が手にしているのだろうと疑問が過ぎるが、意識のない者をこのまま置いておくことも出来ず、二人は村へ戻る事を選択した。
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