第7話 おまえの生を願ったこの男の思い以上におまえが愛し、愛されるそのときまで

 黒装束の男達が松明を手に家の外にいた。

 一体何人いるのだろうか?

 目の前にいる男達だけということはないだろう。


「ここに白の姫君末の姫様が匿われていると聞いた。件の者はこの国を荒らす悪しき者だ」


 なにが国を荒らすだ。

 国を荒らしているのは革命を扇動した藤の一族を筆頭とした貴族共じゃないか。

 革命前と革命後、民の生活なにが変わったというのだ。

 変わったのは貴族院と言われる五つの一族が国を治め、貴族達の権威が増したということくらいじゃないか。


「白の姫君ですか? それは革命の日に死んだのではないのですか?」


 紫苑末の姫様は、白の一族は革命によって処刑されたということになっていたはずだ。

 年端のいかない子供まで手に掛けたと一時期革命に対する避難を向けられていたじゃないか。

 この山奥に逃げてきた俺たちにだって聞こえてきた話しだ。

 俺が助けられたのは紫苑だけだった。

 なにも出来なかった自分をどれだけ責めたと、悔いたことだろうか。


「惚けるな。ここに白の姫君がいることは明らかなんだ」


 今までなんの音沙汰もなかったくせにどうして今更……だからといって紫苑を渡すわけもない。

 いつでもすぐに行動できるように用意はしていた。

 裏から逃げられるようにここで気を惹かなくては……


「惚けるもなにも、何のことをおっしゃっているのかわかりません、ね」


 目の前にいる男を斬り伏せ、家の周りを囲む連中をこちらに引き寄せる為に火球を爆ぜさせる。

 山火事にならぬよう音だけは立派な爆発……上手くいった。

 何人いるんだ? 向かってくる黒装束の数に驚かずにはいられないが、紫苑を守るためには何人でも斬り伏せるだけだ。

 横から斬り掛かってくる奴を払い斬り、正面から向かってくる男を袈裟懸けに、背後の男には刀を突き刺す。

 真上からって、屋根の上にもいたのか。

 この場所が見つかった以上ここで暮らすことはもうない。

 家に火を放ち、屋根の上にいる黒装束をから一掃する。

 向こうから鍔競り合う音が聞こえる。


 紫苑が見つかった?


 俺は敵の足止めも出来ないのか、情けない。

 このまま紫苑を一人にする意味もなく、俺は助けに向かう。

 こんな手の届くような距離で紫苑に追っ手がつくとは……本当に俺は平和ボケしていた。


 紫苑は束ねている黒髪を揺らし、鈴の音を囃子に刀を振るう姿は舞のようだ。

 周りに飛び散る血飛沫さえ彼女を彩り、生死のやりとりをしていることさえ忘れてしまう。


「紫苑!」


 俺の呼びかけに紫苑はこちらに視線を向け、斬り掛かってくる黒装束を払う。


「兄様、無事でよかった」


 こんな俺になんともったいない言葉だろうか。

 紫苑を守る棋士として役に立っていないこの状況において、俺の心配をしてくれるとは本当にお優しい方だ。


「もうここには居られない。紫苑には苦労をかけて」


 飛んでくる氷を炎で解かす。


「悪いが、今一度の辛抱頼む」


 紫苑はなんでもないと微笑まれこの俺をねぎらってくれる。


「さあ、その白の姫君をこちらに」


 誰がおまえらの言葉を聞くか。

 俺の仕えるべき方は今はもう紫苑、この末の姫様だけ。

 火球を投げ返事とし、この包囲網を抜けるために走り出し、立ち塞がる敵を斬り倒して、術により足止めする。

 紫苑の刀捌きは見事なもので敵の追随を許さない。


 本当に俺が紫苑に指南したのだろうか?

 ここまでの使い手になっているとは思わなかった。

 敵の太刀が命を奪おうと向かってくる中、紫苑は決して弱音を、涙を見せる素振りすらなかった。

 女らしくなったとはいえ、まだ少女ともいえる年齢であり、大人の庇護の元に暮らしていたっておかしくない年齢だ。

 こんな命のやりとりをする必要などないはずであった立場なのに……革命などなければ宮の奥で大切にされていたはず。

 この人の命を奪う所行に恐怖はないのだろうか? いや、今は余計な事を考えてなどいられない。


「紫苑!?」


 紫苑の攻撃を潜り抜け、捕らえる者がいた。

 なんと無礼な奴だ!

 末の姫様に手を触れるなど……


 俺は紫苑に気を取られていた。


 背中を走る鋭い痛みに膝をつく。


「兄様!」


 紫苑の悲鳴とも取れる呼びかけが聞こえるも、次々に斬り付けられる痛みに動きを制限される。

 

 ダメだ。今ここで俺が倒れてしまえば紫苑が無事では済まない!

 立て! 俺は末の姫様を守らなくては! こんなところで尽きいいはずがない!

 吐き出した血に比例するように寒気が襲う。


 寒い……


 斬り付けられた箇所の痛みは麻痺したのかもう何も感じない。

 その変わりにもの凄く寒い。

 寒さなんて気にしている場合か? 今は紫苑をここから逃し、生きて貰わなくては!

 誰でもいい。

 今この状況を打破する力を、手を貸してはくれないだろうか?

 ここに居るのは敵ばかり……


「助けてやろうか?」


 誰だ? 紫苑を助けてくれるなら誰でもいい。


「邪神でも?」


 邪神? そんなものが実在するならそれでも構わない。

 紫苑さえ生きてくれたら……

 俺はどうなろうとも、紫苑を守らなくてはいけないんだ。

 国への、今は亡き王への忠誠だけではない。

 紫苑だから生きて欲しいんだ。

 この国など、どうでもいい。


「この娘が生きればいいんだな?」


 そうだ。今この場を逃げ切り、未来を生きて欲しい。


「わかった。この邪神がお前の願い聞き届けよう」


 目が霞む。


「おまえの魂はこれで邪神のものだ」


 ――邪神の声を信じてもいいのだろうか?


 今紫苑の首を落とそうとしていた男の首が消えた。

 目が霞むせいで首が消えたように見えたのだろうか?

 男はそのまま倒れ、紫苑を拘束する男の首も消え、力なく崩れる。

 誰もが呆然とする中、邪神の声だけが紫苑に語りかける。


「その男がお前の生を願った」


 紫苑が俯いていた顔を上げる。


「兄様が……?」


 紫苑の視線は邪神を探して彷徨い、邪神の声は心底楽しそうだ。


「兄様を助けて」


 紫苑、なんともったいない言葉を……


「無理だな。死んだ者は生き返らない」


 紫苑は俯き刀を握り締め、斬り払うも虚空をなぞるだけ。


「こいつの願いはおまえの生だ。おまえはどうしたい?」


 紫苑を助けてくれるのではなかったのか?

 約束が違う!


「……兄様も願ってくれた」


 俺の為に泣いてくださるのか?


「私は死にたくない。姫として産まれたそれだけでどうして殺されなくてはいけないの?」


 紫苑は顔を上げ、紫水晶の澄んだ瞳に迷いはなにも見えない。


「不死を願うか?」


 紫苑の声が遠のいてく。


「違う! この世に生を受けた誇りを胸に、精一杯生きた己の選択の先に死があるなら受け入れる」


 紫苑に斬り掛かろうと、命を狙い精霊の加護を向ける者は邪神に首を消される。


「では、復讐か?」


 邪神の声に戸惑いが混じる。


「違う。そもそも邪神に請う願いなどない。私の生は兄様が願った。復讐など誰が望むか。邪神などに用はない」


 紫苑は強い。

 邪神の誘惑に縋るしかなかった俺とは比べものにならない強い方だ。


「じゃあ、どうしたらいい? ……」


 邪神の声まで遠くなって、なにを話しているんだ?


「我は邪神『月読尊ツクヨミノミコト』。邪神を必要としないおまえに呪いを授けよう」


 紫苑を呪うなど、ふざけるな!

 紫苑の体が光に包まれ、どうすることも出来ない俺は見ているしか出来ない。


「おまえの生を願ったこの男の思い以上におまえが愛し、愛されるそのときまでその体は我のものだ」


 光が止み、紫苑の美しかった黒髪は真っ白に……それが俺の見た紫苑の最後の姿だ。

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