第5話 結局俺は二晩ほど眠ってしまった

 結局俺は二晩ほど眠ってしまった。

 不覚だ。何事もなく、末の姫様が無事だったからよかったものの、なにかあったとなれば俺は後悔だけは済まなかった。

 腹を切ったところで自己満にもならない。


「すっかり世話になってしまった」


 俺が眠っていた間に庵主は旅の支度まで調えてくれた。

 ここに俺たちを匿った事だけでも危ういというのにこの人はわかっているのだろうか?


 だが、俺ではここまでの用意は出来なかった。


 子供に、いや女が必要とするものなんて俺にはわからないし、人相書きが回っているであろう俺では、市中で自由に動き回ることすらままならなかったはずだ。


「道中お気を付け下さい。おひぃさまはどんな格好をされてもやんごとなき身分の方と見えてしまいます」


 今、末の姫様は市中のどこにでもいる童女と変わらない格好をしてはいるが、どうしても末の姫様にしか見えないんだ。

 紫水晶の瞳がそう見せるだけかと思えば、後ろ姿だけで末の姫様なのだとわかってしまうのだ。

 子供の無邪気さがないというわけでもない。

 変に大人びているわけでもないんだ。

 こんなにも変装が難儀では先が思いやられるが、仕方がない。


「姫様の事はまぁ……それよりも庵主殿は大丈夫なのか?」


 俺たちのせいで庵主が犠牲になったとなればこんなにも後味悪く、末の姫様も気に病まれてしまう。


「私なら大丈夫です。お二人が旅立たれた後に脅されたと番所へ知らせますから」


 気にすることないと微笑まれる庵主は母神のようだ。

 末の姫様は庵主に抱きつき、別れを惜しんでいた。

 子が、いや、孫が祖母との一時の別れを惜しむようだ。

 再び会えるかどうかもわからない別れになってしまうだろうが、これを今生の別れとはしたくないと思う。

 末の姫様の身が安全だと落ち着き……お命を狙われることもなくなれば再会したいと、させたいと思っている。

 その時までの別れだ。


「さぁ、おひぃさま。そろそろ……棋士様、この握り飯は道中お腹の足しにしてください」


 本当に何から何まで有り難い。


「姫様、もう……」


 名残惜しそうに末の姫様は庵主から離れた。


「庵主様。本当にありがとうございます」


 末の姫様は笑顔を庵主に向けすぐに俯いた。

 随分と庵主に懐いたものだ。

 荷を乗せた馬に末の姫様を乗せ、俺も跨る。


「さぁ、もうお行きなさい。私はここでおひぃさま達の無事を願っております」


 馬まで用意してくれたお陰で都からすぐに離れることが出来そうだ。

 ただの庵主に馬まで用意するツテがあることに疑問が過ぎるが、そんな疑問すら吹き飛ばすほど、良くしてくれた。


 都を出てから末の姫様は名残惜しそうずっと後ろを気にしており、なにかを話したそうに俺に視線を向ける。


「馬上ではあまり喋らない方がいいです。舌を噛みますよ」


「都を出てからずっと後ろから付いて来て……」


 末の姫様に言われるまで俺は追っ手に気がつかなかった。

 馬が三頭一定の距離を取っている。

 これは、あの庵主が? いや、そんなことは考えたくない。

 これは気が付かれてしまったと思いたい。

 どう撒けばいいだろうか?

 これは……迎え撃つか、獣道に逸れるべきか。

 末の姫様は不安を顔に浮かべ俺に縋るように見上げる。


 ――末の姫様にこれ以上血生臭いものを見せたくない。

 

 馬の手綱を引き、獣道に逸れる。後ろから付いてくる者も当たり前のように後を追ってくる。

 まあ、当たり前だな。道を逸れただけで撒けるはずがない。 

 獣道を行くんだ。馬も走り難そうだ。


「姫様、今しばらくの辛抱をお願いします」


 茂る枝を馬はそのまま突き抜けようと走り、向こうもそれに倣って走ってくる。

 拓けた道では馬は風のように走り、幾ら浅いといっても川も気にせずに進むこの馬はなんと凄いのだろう。

 戦場駆ける伝説の赤兎馬のようだ。

 庵主はいい馬を用意してくれた。

 崖のような道を下り、茂みの中に馬は倒れ込んでしまった。

 こんな荒い走りをさせれば馬が潰れてしまって当然だ。

 馬から持てるだけの荷を担ぎ、末の姫様に歩むよう促す。


「待って! ここに残して行くの?」


 ここまで頑張ってくれたこの馬をここに残し……手放すことは惜しいが、馬の回復を待つ時間も先に進みたい。


「はい。馬には悪いが、今のこの時ですら先に進み、追っ手から逃れたいのです」


 馬にまで気遣いを見せる末の姫様には感服する。

 だけど、末の姫様を守るには犠牲になって貰うしかないんだ。

 紫水晶の瞳は責めるように俺に向けられているが、それは次第に揺れ、悲しげに伏せられた。

 馬の顔に近づき、頬ずりをすると小さな声で馬に謝罪をしていた。

 畜生にまで涙を、別れを惜しまれる。


 このような子供が精霊の加護がないとはどういうことなのだろうか?

 俺のように刀を振り回すしか能のない者や、兄上のように非道な男にだって精霊の加護はあるというのに……

 世の中とはなんと不公平なのだろう。


 ……いや、それはただの噂だ。


 末の姫様の紫水晶の瞳を見た誰かが言い出したことで精霊の加護がないということはあり得ない。

 精霊の加護がなければ産まれたその時に命を落とすというじゃないか。

 ここまで末の姫様は生きてきたんだ。

 噂に振り回されては末の姫様を守れない。

 

「行きましょう。ここを離れなきゃいけないでしょう?」


 馬との別れを終えた姫様は先導をきって歩き始める。

 覚悟が決まれば末の姫様は真っ直ぐに前だけを見据える。

 このお方を子共だと侮ること出来ないな。


 馬に無茶をしてもらったお陰で、今日の予定してした分はとうに越えていた。

 追っ手を撒くことも上手くいったようで一安心というとこだろうか?

 昼飯を抜くことになってしまったが、これからの旅の中で決まった時間に、決まった飯を食べることは難しいと一日目にして思い知らされる。

 俺はそんなこと慣れっこだが、末の姫様はそうではない。

 大丈夫だろうか?

 険しい顔をしてはいるが、弱音を吐かずに俺に従っている。


 ――日が落ちそうだ。


 「初日から野宿となってしまい、申し訳ありません」


 末の姫様は疲れを滲ませながらも気丈に振る舞う。

 怪我をしている俺を気遣い、薪拾いを率先して俺を休ませようとしてくれる。

 本当に心優しい方だ。


 火の精霊の加護を薪に移す俺の手元を、興味深そうに覗く姿は年相応の子共だ。

 宮中の生活では、野宿など、たき火など見ることなどなかっただろう。


「今の聞こえた?」


 消え入りそうな小さな声で恥ずかしそうに顔を赤らめている。

 末の姫様はなにか聞こえたのだろうか?

 小さな手をお腹に当て……ああ、腹の虫か!

 俺には聞こえなかったが、そんなものを恥ずかしがるとは微笑ましい。


「火の用意も出来ましたし、庵主殿に頂いた握り飯を食べましょう」


 齧り付くことが恥ずかしいのかじっと握り飯を見つめている。

 宮中ではそんな食べ方はしないから躊躇われるのだろう。

 意を決したのか小さく齧り付き、その後は気にすることもなく旨そうに食べていた。

 なんの変哲もない塩握りが旨い。

 包みの中から白い物がはらりと落ちる。

 手紙だろうか。

 小さく畳まれたそれは二つ。


 ――お二人が向かわれるそこは、我が家の領地にある村です。

 大した特産もない村ではありますが、人の良さだけは自慢出来ます。

 貧乏貴族であっても私は対面の為に領地を手放すことが出来ませんでした。

 娘を有力者に売り渡すような方法で養子に出すことしか出来ず、今でも後悔で苛まれます。

 娘は王の寵愛を受けるようになったと人伝に聞きました。

 もう会うこともことの叶わぬ娘のそれが、幸せであったと願い、信じるしか出来ないのです。

 末の姫様に私の悔いなど関係ないのですが、子の手を放す罪を償わせて戴きたく思っております。

 山の奥に入ったとこにある山小屋なら人目を気にすることなく過ごせるかと思います。

 不便もあるかと思いますが、自由に使って構いません。

 未来があることを祈っております。――


 もう一つはこれから向かう村への手紙だった。

 俺たちの正体を隠し、身元を証明するためのものだ。


 あの庵主は末の姫様の祖母に当たる方になるのだろうか?

 いや、王には御正室の他に御側室は何人かいた。

 一夜の寵愛だけの方もいれば御腹様もいる。

 その中のお一人があの庵主の娘御なのだろう。


 気がつけば末の姫様は船を漕ぐようにうつらうつらとされていた。


「姫様。眠かったら横になっていいのですよ」


 末の姫様は小さく頷き、体を猫のように丸めて寝息を立て始めた。

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