第4話 月が細くか弱い明かりを溢していた。
月が細くか弱い明かりを溢していた。
追っ手を撒くことに手間を取られ戻りがが遅くなってしまったが、末の姫様は大丈夫だろうか?
一人で古寺に残されて心細かっただろう。
宮の中しか知らない末の姫様に酷な事を強いてしまったな。
昨夜俺たちがここに逃げ込んだ時と変わらない様子の古寺の中から笑い声が漏れてくる。
この声は末の姫様? なぜに末の姫様は笑っているんだ?
今は笑っていられるような時ではないだろうに、昨日から笑えるような事など一つもなかったはずだ。
それともここにもう末の姫様は……いや、それは考えたくない。
こんな古寺に誰がいるというんだ。
昼間ならともかく、夜も更けた時間に子供の声があることがおかしいだろう。
不信に思いながらも、この声が末の姫様であることを祈り、明かりが漏れないように締め切られた戸を引くと、市中で見かける童女の格好をした末の姫様が楽しそうに笑われていた。
なにが、誰かがいる?
これは末の姫様、大丈夫だと思っていいのだろうか。
「あ! 戻ってきました」
末の姫様は笑顔で俺を迎えてくれるが、その笑顔もすぐに俺の様子に曇ってしまう。
「その怪我はどうしたのですか? なにか無茶を、私のせいで……」
濃い色の着物からでも体に滲む
末の姫様の顔を見て気が緩んだのか、痛みがのし掛かってくる。
刀傷がこんなにも重く感じたことは初めてだ。
血を流しすぎたのだろう。体を支える事がままならなくなり膝をつく俺を末の姫様がその小さな体で支えてくれる。
吐血が末の姫様の白い肌にかかる。
気にすることもなく心配そうに俺の顔を覗き込む。
「さあ、こちらへ。手当をしなくてはいけませんね」
声に視線を向ければ尼僧がいる。
誰だと擦れる声に末の姫様は厳しい口調で俺を諌める。
尼僧の言うままにされるままに怪我の手当を受けるしかなかった。
この尼僧は一体何者だろうか。
この古寺に隠れていた末の姫様の相手をしていたのは彼女だろう。
得体の知れない者でも気にせずに相手をするのが尼僧なのか?
俺の怪訝な視線を感じたのか尼僧は手を止めることなく俺に話しかける。
「私はここの庵主です。昨夜からお二人がここに隠れていたことも、市中での騒ぎも知っております」
それは、ここを今すぐにでも離れなくてはいけないのではないか?
末の姫様のようにこの庵主に俺は笑顔を向けることは出来ない。いや、そんなことよりも早くここから去らなくては……
「大人しくなさい! これだけの怪我を負ってよく意識を保っていられるものです」
逃れようとする俺を庵主は押さえつけ、晒を巻いていく。
「その子の格好、物腰に市井の子でないことは明白です。そんな子がこの寺に隠れるように居たのですから正体などすぐに分かります」
バレていた?
わかっていながらこの庵主は末の姫様の相手をしていたというのか?
今にも泣き出しそうな末の姫様の顔が胸に刺さる。
「一通りの手当ては終わりました。よくぞ生きてこの子の元まで戻って参りました」
手当てで今すぐ怪我が治るわけでもないのに幾分か楽になった。
庵主の塗り薬? ……的確な手当てのおかげだろう。
「さあ、おひぃさまもその汚れてしまった着物を替えなくてはいけませんね」
俺を支えたせいで血に汚れてしまった着物を末の姫様はなんの恥じらいもなく帯を解く。
まだまだ末の姫様は子供だな。
子供に恥らわれてもこちらが困るというものだが、それでも相手は末の姫様だ。
その幼い肌を見るわけにいかないと視線を背ける。
「上手に出来ましたね。帯が曲がってしまうのはご愛嬌というとこかしら」
「また、曲がってしまったの? これからは一人で着られるようにならなくてはいけないのでしょう?」
「そうですよ。もうおひぃさまの側に仕える小姓はいないのです。棋士様もいずれ側を離れるのですから……」
「俺はずっと姫様をお守りします!」
庵主の今の言葉は聞き捨てならない。
俺は末の姫様を守ると死んだ
勝手なことを言うな。
睨み付ける俺に庵主は目尻に皺を寄せ
「よい棋士様をお持ちですね。ですが、おひぃさま。ここはもう城の外。貴女を守っていたものはもうなにもありません」
末の姫様は真っ直ぐとその紫水晶の瞳を庵主に向けていた。
「棋士様が居ようと居まいと関係なく一人で生きられる強さを身に付けなくてはいけませんよ」
厳しい言葉にも関わらず末の姫様は庵主の言わんとしていることを理解いているようだった。
「なぜそこまで良くしてくれるのだ?」
厳しい言葉の裏にある優しさを疑ってしまう俺はなんと卑しいのだろう。
「それは……」
言いにくそうな庵主に俺は訝かしむ。
この親切が庵主自らの想いであれば問題もない。
これが謀反と繋がりがあることが怖いのだ。
末の姫様を守る者は俺しか居ないから懐疑的になるのも仕方がないと言い訳を刻む。
庵主は視線を上下に動かし思案を重ね
「昔、おひぃさまと同じくらいの歳の我が子を手放してしまったことがあるのです」
聞くものではなかった。
なんと声を掛けていいのか困る話しだ。
「あの子の事はもう仕方がないことと思ってはおりますが、生活苦で手放した子が幸せに生きられる世でないことをわかっていても、子供の幸せを願わずにはいられないのです。想わずにはいられません。お二人には関係のないことです。それでも」
末の姫様を見る庵主の視線は母のように暖かい。
「今しばらく子を想う母のようにおひぃさまに接したいのです」
寂しそうに顔を伏せる庵主の刻まれた皺にその苦悩の一端を見せられた。
末の姫様を我が子のように想ってくれる者にこれ以上の迷惑を掛けてもいいのだろうか?
ここだって早く去らなくてはいつ追っ手が来るともわからない。
怪我の手当ても、末の姫様の相手をしてくれたこともこれ以上なく有り難い。
「棋士様。この寺を預かる庵主とし申しますが、どうぞ遠慮なくここに留まりください。私を怪しんでおいででしょうが、おひぃさまがいる間は誠心誠意お仕えさせて頂きます」
信じてもいいのだろうか?
この一両日中この庵主は末の姫様の正体に気がつきながらも匿ってくれた人だ。
いつから俺はこんなにも疑り深くなったのだろうか。
末の姫様はなにも言わずに俺の顔を見ている。
今、彼女が頼れるのは俺だけなんだ。
俺がしっかりとしなくては。
深く息を吐き、居住まいを正す。
「その申し出、大変有り難く思います。俺も身寄りをなくした立場であり、縋り付きたくお言葉です」
父上は礼儀に大変厳しい人だった。
なぜ今父上の顔が浮かぶんだろうな。
「ですが、これは貴方の命にも関わり、ご迷惑をおかけすることになる。甘んじて受ける訳には参りません」
末の姫様は寂しそうに庵主に顔を向ける。
「庵主様、ありがとうございます。優しい庵主様の気持ちはしっかりとこの姫の中に伝わっております」
末の姫様はどうしてこうも物わかりがいいのだろうか?
懐いている庵主との別れをこうも簡単に受け入れられるのは、精霊の加護のない不憫な姫と蔑まれてきたせいか、幼いながらに死に触れすぎたせいか、末の姫様のお心が心配になる。
梶だって実家では妾腹の子と不遇な扱いをされてきたが、もう少し子供らしく我が儘を言っていたと思う。
今は末の姫様のその物わかりの良さに助かってはいるが……
「そうですか。いつまでも都にいるわけにもいかないのでしょう。行く当てはあるのですか?」
「姫様を市井に紛れ込ませて時期を見ようかと思っていたのですが」
あの市中の様子ではそれは厳しそうだ。
この謀反に市中は沸いているんだ。なんとも嘆かわしい。
幼い末の姫様のお命など気にすることもなく謀反人どもに引き渡しそうだ。
「今の都の様子ではそれは難しいでしょう。棋士様、当てがないのであれば昔私がお世話になった村へ向かうといいでしょう。とんでもなく田舎なので不便はありますが、身を隠すにはいいはずです」
この庵主には頭が上がらないな。
どこまで俺たちに親切にしてくれるのか、本当に末の姫様をご自身の子に重ねているだけなのだろうか。
……頭が朦朧としてくる。
怪我のせいか?
このまま寝ても大丈夫……か?
「庵主様……」
末の姫様の俺を心配し、庵主に縋る声が遠くの方で聞こえた。
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