第16話。理沙の正体

 家を飛び出して裕秋ひろあきが向かっているのは、ネカフェのある場所だった。夜でも明るい通り。人の流れが少なくなってはいるが、まだ歩いている人間も見かける。


 ゲームセンターやカラオケ店。アミューズメント関連の施設が建ち並ぶ中で、宿泊施設や飲食店があるような場所でもある。


 ネカフェには何度か足を運んだことがあった。家に居ると自分一人の時間があまりなく、息抜き程度に行くとことがあった。


「……っ」


 目的地に着きそうになった時、裕秋は少し前を並んで歩いている男女が妙に気になった。


 後ろからでも分かる、一人は若い女。もう一人は三十か四十代の男。見た目だけで言うなら、父親と娘くらいは歳が離れているだろうか。


 裕秋が気になったのは女の方だった。髪を束ねているが、その後ろ姿には見覚えがあった。人違いだった時のことも考え、裕秋は斜め後ろから相手に気づかれないように顔を確認する。


「紗奈……」


 間違いない。女の方は紗奈さなだった。


 化粧や服装で紗奈は実際の年齢よりも大人に見えるが、見間違えはありえない。あの独特な雰囲気を持つ人間が何人もいるとは裕秋には思えなかった。


 しかし、相手が紗奈だから何だと言うのか。


 もし、あの男が紗奈の父親だった場合、声をかければ厄介なことになる。紗奈に迷惑をかけない為にも、見なかったことにして立ち去った方がいい。


 そう裕秋が考えた時。紗奈と男が一つの建物の前で立ち止まった。こんな場所にあっても不思議ではない建物。


 二人はホテルの中に入っていこうとした。


 それを見た時。裕秋は言い表せない感情を抱きながら、紗奈に向かって駆け出していた。


「何やってんだよ」


 裕秋が紗奈の腕を掴んだ時、隣に居た男は驚いた顔をしていた。普通なら紗奈も驚くところだが、特に変わった様子も見せなかった。


「アキ。どうして、ここにいるの?」


「それは……」


 答えられずにいると、男が口を開いた。


「キミ、いったい誰だね」


 誰と聞かれ、裕秋は戸惑った。ただの親戚。今の紗奈との関係を一言で言い表すなら、それが最も正しいとわかっていたのに、裕秋は何も言えなかった。


「この人は、私の兄です」


 代わりに答えたのは紗奈だった。


「そ、そうか……」


「申し訳ありません。今日は無かったことにしてください」


 紗奈が頭を下げた。そんな紗奈を見て、男は不満そうな顔をしているが、隣に兄がいる状況で余計なことは口には出来ないのだろう。すぐに男は一人で歩き出し、人混みの中に姿を消した。


「アキ。どういうつもり?」


 紗奈は呆れたように、裕秋を問い詰めた。


「俺はお前を……」


「助けたかったなんて言うの?」


「お前、自分が何をしてるか、わかってるのか」


 紗奈は、ゆっくりと動き出し、裕秋に体を寄せてくる。その時、いつもと違う、紗奈の匂いに裕秋はぞくりとした。


「別に今回が初めてじゃない」


「……っ」


 紗奈を突き放そうとするが、一度組まれた腕を外すのは難しい。紗奈は、裕秋が逃げないように初めから捕まえていたのだ。


「ねぇ、アキ」


 裕秋が力づくで引き離すことが出来ないのは、相手が紗奈だったからだ。どれだけ拒絶しても、紗奈は裕秋にとっては初めて肌を重ねた人間。


「アキが私の心を満たしてくれるの?」


「……っ」


 恐る恐る、裕秋は紗奈の体を抱きしめ返す。


「アキが私を愛してくれるなら。もう、こんなことはしない」


 紗奈を愛す。


 それが裕秋にとって、どれだけ難しいことだったか。再会した二人が一緒に過ごした時間が、すべてを証明していた。


「俺は……」


 答えなんて思いつかない。


 ここで適当な言葉を口にして紗奈を引き止めたとしても、すぐに嘘だと見抜かれる。しかし、何も言い返せないのなら、初めから紗奈に声なんてかけなければよかった。


「なっ……」


 突然、裕秋の体から紗奈が引き離される。紗奈が苦しそうな顔をしており、強引に引っ張られたことはわかった。


「お前……」


 裕秋と紗奈の間に割って入ってきたのは、理沙りさだった。


「久しぶり。紗奈」


「理沙……どうして、私の邪魔をしたの?」


 紗奈は理沙に引っ張られた服を整えながらも、理沙に向かって質問をする。二人には元々から面識があったのか、互いに名前を知っているようだった。


「紗奈に裕秋くんは似合わないよ」


「似合わない?理沙。アナタ、何様のつもりかしら」


「別に何様でもないよ」


 二人の会話を聞いていれば、裕秋が疑問を抱くのは当然だった。裕秋は紗奈ではなく理沙から聞き出すことにした。


「理沙。紗奈とお前はどういう関係なんだ?」


「紗奈は……私の友達だよ」


 友達。つまり、元から知り合いだったのか。


「アキ。この際だから言っておくけど、理沙がアキと同じ学校だって知った時。アキに声をかけるように私が指示したの」


「どうして、そんなこと……」


「私なりの償い」


 その言葉を聞いた時、裕秋は紗奈の肩を掴んでいた。感情的になったわけじゃない。ただ、紗奈に告げる多くの言葉が裕秋の頭には浮かんでいた。


「お前のせいで俺の人生はめちゃくちゃになってんだよ。それが今さら償い?理沙と無理やりくっ付けて、俺が馬鹿みたいに好きになるとでも思ったのか」


「そうね……私はやり方を間違えたようね」


 紗奈の言葉を聞いて、裕秋は理沙の顔を見た。


「ごめんね。私は紗奈にお願いされたから」


 これまで理沙が積極的だった理由がわかった。


 すべては、紗奈の仕込んだことだ。


「アキ。理沙のことは怒らないであげて」


「……どうでもいい」


 もう理沙を怒る気にはなれなかった。ただ、紗奈に対しては少し苛立ちがあったのかもしれない。これまでの理沙との喧嘩の原因が紗奈にあったのだから。


「アキ。理沙は悪気があったわけじゃない」


「だったら、なんだよ。このまま仲良しごっこを続けろって言うのか?」


「その様子だと無理そうね」


 紗奈が裕秋の腕を掴む。


「アキは初めから、誰も愛せない」


 冷たく吐き出される紗奈の言葉。それが事実であるからこそ、裕秋は受け入れられた。愛なんてものを理解することは出来ない。


「ねぇ、聞きたいんだけどさ」


 二人で黙っていると、理沙が割り込んできた。


「紗奈。裕秋くんに何したの?」


 理沙は紗奈から事情を聞いていると思ったが、何も聞かずに従っていたのか。そもそも過去の話をしたところで、今が変わることもないだろう。紗奈が話すつもりなら、止める気はなかった。


「私は昔、アキと肌を重ねたの。それも、今よりもずっと子供だった時に」


「うわぁ。理沙のソレって昔からだったの?」


 理沙は呆れるような顔をしている。どうやら理沙は紗奈の本性を知っているようだ。


「初めての相手はアキよ。私が今の私になったのは、その後のこと」


「それで、なんで裕秋くんが怒るわけ?」


「私がアキの前から黙って立ち去ったから」


 もし、ずっと紗奈が傍に居てくれたら。狂わずに済んだかもしれない。過去、紗奈との経験が裕秋の性癖を歪ませ、柚子や時雨に手を出す結果を招いた。


 紗奈は過去の罪滅ぼしをすることで問題が解決をすると思っていたのだろう。だが、既に過去の出来事ではなく、現在進行形で問題が大きくなっていた。


「なんか、紗奈の言ってること間違ってる気がするけど……」


「そう?」


 紗奈が顔を見てくる。


「理沙の言う通りだ。別に俺はお前がいなくなったことで怒ってるわけじゃない」


 どうにもならない問題から目を背けたくて、紗奈に八つ当たりをしているだけ。それは薄々気づいていことだ。


「アキ。私は今でもアキの味方のつもりよ」


「だったら……」


 紗奈に助けて欲しいと願うことは出来ない。


 何故、他人を傷つけた人間が自分だけが救われようとするのか。本当の救いを求めるなら、すべての罪を償ってからではないのか。


「今は……放っておいてくれ……」


 紗奈が手を出し、裕秋の頬に触れた。


「アキ。私でもいいし、理沙でもいい。もし、どうしようもなくなった時は私達を頼ってほしい」


「紗奈……」


 裕秋は紗奈の手を握り、顔から離した。


「きっと、俺はお前達を頼らない」


「そう。それは。とても残念ね」


 紗奈が裕秋から離れて、理沙の腕を掴む。


「理沙。私達は行きましょうか」


「でも、裕秋くんは?」


「はぁ……空気を読みなさい」


 引っ張るように紗奈が理沙を連れて行く。もしも、理沙をこの場に残されたら、行き先を詮索される可能性があった。


 結局、最後まで紗奈の考えは理解出来なかったが。以前よりも少しだけ、距離が縮まったように感じていた。

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