第7話。裕秋の土曜
土曜日。
いつもなら
思い返せば、初めて理沙と会話をした時から違和感があった。二人の間で起きる事象が、まるで誰かの思惑通りに進んでいるかのようだ。
「……考えすぎか」
目が覚めてから、ずっとよくないことを考えていた。気晴らしする為に裕秋は柚子と時雨の部屋に行くことにした。
「あ、お兄」
裕秋が廊下に出ると、柚子の部屋から時雨が出てくるところだった。時間的にも時雨が起きたばかりだとわかった。
「柚子の部屋で寝てたのか?」
「うん。昨日は寒かったし」
そのまま時雨は一階の方に向かっていた。洗面所で顔を洗う為か。特に気にすることなく、裕秋は柚子の部屋に近づいた。
なるべく、音を立てないように部屋の扉を開けてみるが、ベッドの上の布団が小さく動いていた。
「まだ寝てるか……」
土曜日なのに朝から柚子を起こすのは可哀想だと裕秋は考えた。しかし、自分が起こさなくとも、後で母親が起こしに来るだろう。朝食を抜きにするなんて、母親が許したりしない。
とりあえず、裕秋は一階に降りることにした。
「裕秋」
リビングの扉を開けようとした時、背後から伸びてきた腕が首にかかる。咄嗟に離れるが、それほど驚いてはいない。
「母さん。朝からやめてくれ」
「夜ならいいの?」
「悪い冗談もやめてくれ」
母親。いつもにこにこしているが、時々不気味に笑っているように見える。もしも、自分達の母親でなければ、関わりたいとは思わないような人間だ。
しかし、この世で裕秋が最も信頼しているのは母親だった。一部、性格の悪さを除けば、母親に対して不満はなかった。
「もう、ご飯は出来てるのか?」
「うーん。もう少しかしら」
「わかった」
もうしばらく柚子を寝せておくことは出来るようだ。裕秋がリビングに続く扉を開けようとするが、思いっきり首を引っ張られた。
「裕秋。顔、洗ってきたら?」
「そんなに酷い顔してるか」
「自分の声に驚いたインコみたいな顔してる」
具体的なのに、まったく想像が出来なかった。ただ、母親に言われて、洗面所には行くことにした。
昨日はあまり眠れなかったが、顔に出ているのだろうか。洗面所に入ろうとした時、向こうから扉が開いて時雨が出て来た。
「珍しい」
「別に普通だ」
朝から歯磨きをする為に洗面所に行くことくらいある。ただ、面倒くさくなって、忘れる時もあるが。
時雨と入れ替わって、洗面所に入るが。あまり鏡を見る気分にはなれない。それでも、鏡を覗き込んでみたが、いつもと変わらないように見えた。
「母さんに騙されたか……」
別に母親を怒ったりはしない。ただ、自分が引っかかっただけだ。裕秋は用を済ませて、さっさとリビングに行くことにした。
洗面所からリビングに戻ると、テレビの音が聞こえてくる。時雨が朝からやっている番組を見ており、母親の方はキッチンで朝食を作っていた。
「母さん。手伝った方がいいか?」
「んーじゃあ、代わりに作って」
随分と無茶なことを言ってくれる。
「無理に決まってるだろ」
「裕秋。料理は出来た方がいいわ」
「俺は母さんの手料理が好きなんだよ」
「ふふ。母親を褒めてどうするの」
包丁を持った手で、照れるのはやめてほしい。お世辞のつもりで言ったが、実際に母親の料理が好きだった。
「でも。一人暮らしを始めたり、二人暮しを始めたり。そんな時に作りたくなるはずよ」
「一人暮らしか……」
母親に言われるまで、あまり裕秋は一人暮らしについて考えてこなかった。学校を卒業した後、この家を離れる予定はない。しかし、場合によっては選択肢として加えるべきだった。
柚子や時雨と離れられる。傍にいられないようにすれば、自分が二人に手を出すことはなくなる。単純で最も効果的な方法。
「なあ、母さん」
「なーに?」
母親の顔が迫ってくる。
「もし、俺が卒業した後に一人暮らししたいって言ったら……」
「私が寂しくて死んでしまうわ」
この人、ほんと言ってることがめちゃくちゃだと裕秋は思った。母親が寂しがるなんて嘘に聞こえるが、母親の家族に対する感情に偽りはなかった。
「何か不満があるの?私の手料理?それとも裕秋にベタベタするから?あ、お小遣いが足りない?」
近づいてくる母親の肩を掴んで止めた。
「全部、違うって」
「ずっと、ここに居てもいいのよ」
「だったら、どうして一人暮らしの話なんてしたんだ?」
母親の考えてることを知りたかった。
「裕秋には必要になると思ったから」
すべてを見透かされてるとは思わない。それでも母親が恐ろしいと感じるのは、自分が必要としているモノを知っているからだ。
「まだ先の話だろ……」
「さあ。でも、本当に裕秋が一人暮らしがしたいのなら。私の知り合いに頼んであげてもいいわよ」
「そんな知り合いがいるのか?」
「私と同級生の子。ちっちゃくて可愛いし、仕事に関してはちゃんとしてる」
家に関する仕事をしているのだろうか。もし、一人暮らしをするとなったら、母親を頼るのが間違いなさそうだ。
「母さん。友達いたんだな」
母親に軽く叩かれた。痛くはない。
「裕秋だって、友達いないくせに」
「なんでわかるんだ?」
「だって、家に友達を呼んだことないから」
「それは……」
別に友達だから、家に呼ぶとはかぎらない。しかし、母親の言っていることが図星で、裕秋は言い返せなくなった。
「そろそろ、作るから。手伝って」
「ああ。わかった」
このまま話し続けたら、いつまでも朝食が出来ない。裕秋は自分の出来る範囲で母親のことを手伝ったが、ほとんどの料理を母親が作ってしまった。
「裕秋。あの子、起こしてきて」
「わかった」
裕秋がキッチンから離れようとした時、時雨が近づいてくる。だいたい何を言われるか予想は出来ているが。
「ボクが起こしてこようか?」
「いや、時雨は待っててくれ」
「うん。わかった」
リビングから、二階に上がって柚子の部屋に向かった。まだ寝ているであろう柚子を起こすのは一苦労だが、母親と時雨を待たせるわけにはいかない。
部屋の扉を開けると、裕秋は驚いた。
ベッドの上、柚子が目を閉じたまま上半身だけを起こしていた。上下にふらふらと揺れているが、起きるつもりなのか。
「柚子」
裕秋が声をかけると、柚子のまぶたが開く。
「お兄ちゃん……」
今にも寝てしまいそうな柚子。それでも、柚子は体を動かして、目を覚まそうとしていた。
「朝ごはん、出来てるぞ」
「お兄ちゃん。だっこ」
「頼むから、普通に起きてくれ」
なんとか、柚子が起き上がってきた。まだふらついている柚子の手を裕秋は掴んで、リビングに連れて行くことにした。
「お兄ちゃん。今日も遊んで」
「わかった」
「明日も明後日も……ずっと、ずっと……」
「……そうだな」
まだ柚子は寝ぼけている。それでも、ハッキリと裕秋が返事をしなかったのは、柚子に嘘をつくことになりそうだったからだ。
このまま、柚子達と一緒に暮らすことで、こんな幸せな時間すら壊すことになる。だからこそ、母親の言っていた、一人暮らしという選択肢が現実味を帯びてしまう。
もし、別れの時が来たら、柚子を悲しませるだろうか。容易に想像が出来てしまうからこそ、生半可な気持ちで選ぶことは出来ない。
「柚子。今日は何して遊ぶんだ」
「うーん。時雨と決める」
ただ、今は後悔のないように柚子や時雨と大切な時間を過ごそうと裕秋は決めた。それが二人に出来る、裕秋なりの償いだった。
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