第6話。理沙の思惑

 今日も変わらない一日が終わるはずだった。


大鳳おおとり。お前、白石しらいしと付き合ってるのか?」


 教室で声をかけてきたのは、見知らぬ男。明るい髪の色と表情から、自分とは違う生き方をしている人間だと裕秋ひろあきはすぐにわかった。


「付き合ってないですよ」


 白石 理沙りさに関する話を問いかけられたのは今回が初めてじゃない。以前は女子がヘラヘラ笑いながら聞いてきたが、今回の男は言葉の感じから怒っているようだ。


「じゃあ、なんで白石が告白を断るんだよ」


「何を言って……」


「お前から断るように言われたそうだ」


 あの女。いったい何を考えているのか。助言が間違って伝わった可能性もあるが、どう考えても理沙が余計なことを言っている。


 今すぐ理沙を呼び出そうにも、これ以上何かをすれば余計にややこしくなる。このまま理沙が現れる可能性を待つくらいなら、自分で問題を解決するべきだ。


「だからって、なんで自分に文句言うんですか?」


「お前が余計なこと言ったからだろ」


「じゃあ、白石理沙にアンタと付き合うように言った方がいいですか?」


「それは違うだろ」


 まったく話にならない。落とし所を見つけたいところだが、理沙がいない場で決まるような話でもなさそうだ。


「結局、どうしてほしいんですか?」


「白石と別れろ」


 付き合ってると思われてたのか。


「付き合ってないですってば。自分みたいな人間を白石さんが選ぶわけないじゃないですか」


「なら、二度と白石には近づくな」


「はいはい。わかりました」


 理沙との関係なんて重要視していない。このまま関係を断てるなら、別にそれでもよかった。


 意外にも冷静な話し合いが出来て良かった。暴力なんて振るわれた日には泣きながら家に帰り、時雨に慰めてもらっていたことだろう。


「はぁ、疲れた……」


 男がいなくなったところで、気が抜けた。


 理沙に文句の一つでも言いたいが、また新しい問題が発生しても困る。今日のこともふまえて、今後のことを考えることにした。




 それから理沙と連絡を取らなくなった。


 今朝の登校の時間をズラし、学校に居る時も避けるようにした。一番酷い時には声をかけられても無視をして、徹底的に理沙とは関わらなくした。


 このままくだらない関係も終わると思っていた。


「裕秋くん」


 しかし、その日は少し違っていた。


 突然、理沙が廊下で声をかけてきた。


 無視をして通り過ぎようとしたが。腕を掴まれてしまう。理沙に掴まれたところで、振り払うことは容易だったが、次の瞬間には腕を抱え込むようにガッチリと掴まれてしまう。


「ごめんね。裕秋くん」


 何故、謝るのか。


「でも、もう大丈夫だから」


「大丈夫……?」


 思わず、裕秋は声を出してしまった。


 理沙は相変わらず、笑顔を見せている。


「私達、付き合おうよ」


「は……?」


 予想外に事態に理解が追いつかない。


「私、思ったんだ。誰とも付き合ってないから、色んな人に告白されるんだって。だから、裕秋くんと付き合えば問題解決だよね」


「お前、俺のこと好きなのか?」


「うーん。それはどうだろ」


 理沙がわざとらしく笑う。


「でも、付き合ってくれるなら。裕秋くんのこと好きになれるかも」


「……っ」


 急に理沙の態度が変わったことに強烈な違和感があった。理沙は問題の解決する為なら、他の何かを犠牲するような人間だとは思えない。


 誰かに入れ知恵されたと考える程だ。


「付き合うって……じゃあ、お前は俺とキス出来るのか?」


「やっぱり、男の子って。そんなことばっかり考えるんだ。やらしー」


 言葉の割に理沙の笑顔は崩れない。


「裕秋くんなら、いいよ」


 理沙の顔が近づいてくる。視線は理沙の潤んだ唇に向けられる。自分から求めれば、理沙が避けたとしても、触れることは出来る距離。


 何処まで本気なのか分からない。ただ、理沙の思惑通りになるのは、よくない気がした。理沙を強引に引き離して、突き放した。


「それは、俺じゃなくていいはずだ」


 理沙が驚いた顔をしている。


「裕秋くん以外はダメだよ」


 突然、理沙が大きく動いた。予想外の動きに裕秋は対応が出来ず、そのまま理沙に抱きつかれる。


「お前、何やって……」


 また突き放せばいいだけだ。ただ、今度の理沙は腕に力は入れていない。なのに、先程よりも密着しているような気がする。


「……っ」


 背後から人の話し声が聞こえてくる。


「裕秋くん、こんなところでダメだってば」


 理沙は今までよりも大きな声を出した。その言葉は、背後の方にいる人間に聞かせる為だと理解する。


 すぐに理沙を引き離すが、既に手遅れだった。


「あーあ。明日から大変だね」


 理沙と抱き合っている現場を見られて、学校で噂にならない方が奇跡だった。


「お前、なんてことを……」


「大丈夫。本当に付き合ってあげるから」


 理沙の提案を断れば、また余計な面倒事が増えてしまう。しかし、理沙と付き合うなんて、絶対に無理だ。


「いい加減にしてくれ!」


 感情的になり、理沙を突き飛ばした。


「痛っ……」


 床に倒れる理沙。周りの視線が集まり、事態の収拾が難しくなっていく。これが理沙の狙いだとしたら、裕秋の中で明確な拒絶が始まってしまう。


「裕秋くん、ひどーい」


「……っ!」


 頭に血が上って冷静な判断が出来なくなる。理沙に飛びかかり、その細い首に手を伸ばした。両腕で理沙の首を握り潰そうと、力を入れたのは一瞬のことだ。


 すぐに周りにいた生徒に体を掴まれ、理沙から引き離される。それでも暴れようとすれば、地面に押さえつけられ、抵抗が出来なくなってしまう。


「みんな離れてほしいな」


 理沙の言葉が騒ぎを静寂に変える。誰かの叫び声を聞きつけたのか、教師の声が聞こえてきた。


「あ、先生」


「いったい何が……」


「ちょっとした痴話喧嘩でーす」


 あれだけのことをして、まだ理沙は庇うつもりなのか。周りにいた生徒は何が起きたのか目撃していたはずだ。


「ほら、裕秋くん。立って」


 理沙に腕を掴まれると、背中の重みが離れて行った。おかげで体を起こすことが出来るが、そのまま白石理沙に体を支えられる。


「裕秋くん」


 耳元で囁かられる理沙の声。


「付き合うよね?」


「……っ」


 また理沙を突き飛ばしそうになったが、これ以上暴れたら本当に取り返しがつかなくなる。


「悪いけど……お前は好みじゃない」


 理沙が体から離れた。


「先生、もう仲直りしたので大丈夫です」


 理沙に腕を引っ張られ、騒ぎで集まった生徒の間を抜けていく。あのまま騒ぎの中心にいれば、まともに話も出来ないだろう。


「ちょっと待ってくれ」


 しばらく歩いたところで、理沙の腕を払った。


「お前と喧嘩した覚えはないが」


「裕秋くん。私のこと無視したでしょ」


 理沙が少し怒っているように見えた。


「それは……元はと言えば、お前のせいだろ」


「私、何かしたかな?」


 素で言っているのか。


「お前。告白を断る時に俺の名前出しただろ」


「裕秋くんにアドバイスもらったことは話した」


「だから、それが余計なことだろ……」


 理沙の悪意を感じる部分。それがすべて素だとしたら、やはり理沙とは話が合わない。


「あ、もしかして、何か言われた?」


「そうだ。告白を断られた男が教室に来たぞ」


「うわーそれは最悪だね」


 他人ごとのように理沙は言葉を口にする。


「男の子の話を出したら、諦めてくれると思ったんだけど。裕秋くんに迷惑かけたのなら、謝るよ。ごめんね」


 理沙の頭を下げてきた。これ以上、理沙を責めても問題は解決しないし。先程、理沙に暴力をふるったことを裕秋は反省していた。


「もういい」


 理沙の相手をするのは、心底疲れる。


「裕秋くん?」


「もう話しかけないでくれ」


 また同じような喧嘩を理沙と繰り広げる可能性があると、考えるだけで憂鬱な気分になる。だからこそ、理沙との関係を断ち切りたかった。


「それはダメだよ」


 理沙が裕秋の腕を掴んだ。


「まだ、何も終わってない」


 その言葉を聞いた瞬間、裕秋は理沙の腕を振り払った。焦りと、恐怖、そして、鼻を塞ぎたくなるような感覚的な臭い。


「お前……誰だ?」


 重なる。目を背けている過去と理沙が。


「私だよ」


「……っ」


 心臓の鼓動が激しい。一刻も早く、目の前にいる白石理沙から逃げ出したい。裕秋は理沙の腕をはらって後退りをする。


 後は駆け出して、逃げるだけ。


「またね。裕秋くん」


 最後に、そんな声が聞こえた気がした。

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