第27話 享楽の魔女

「それができれば苦労しないっての」

「たしかに、魂の奴隷契約を、主の許諾なく解除するのは難しい。でも、ぼくならできるよ」

「マジで?」


 手品みたいに、いつの間にか手に持っていた用紙を、謎の美少年は俺に渡す。


「契約の解除通知書だ。そこにサインするだけでいい」

「そんな簡単に? ルルたんのサインは必要ないのか?」

「いらない。これは偽造書類で、彼女のサインがすでに入っている。君が縛られている奴隷契約は、呪いの一種でね。理屈で言えば、解呪の魔法と同じやり方で、解約可能なのさ」


 難しくてさっぱり分からんが、こいつは詐欺の被害者を助ける弁護士みたいなものなんだろうか。

 しかし、安易に信用するほど俺はバカじゃない。

 黒服に騙され、さんざんな目に遭って、成長したのだ。


「そんな事言って、ほんとはもっとやばい詐欺なんだろう、これ」


 詐欺の被害者を、さらに他の詐欺師が狙うというのは、よくある話だ。

 親切ぶって弱みにつけ込むわけだ。


「だいたい、なんでおまえみたいな子供に、そんな事ができるんだよ」

「人を見た目で判断しない方がいいよ。ぼくは君よりずっと年上だ」

「嘘つけ。せいぜい中坊だろ」


 美少年は、やれやれとため息をつく。


「ぼくはいくつもの名前を持っている。でも、そのどれもが古すぎて、忘れられてしまった。だから皆、こう呼ぶんだ。古き者とね」


 古き者だと?


「もう一つの名も名乗っておこうか。享楽の魔女。いつしかそう呼ばれるようになっていた」

「魔女……」


 俺は少年の姿を、頭の上から足のつま先まで舐めるように見る。


「……こっちの世界でも、流行ってるのか。男の娘」

「なんだいそれは?」

「俺、そっちの趣味ないから。性癖は至ってノーマルな、巨乳のメイドさん好きなんだ」


 間違っても、黒服サングラスではない。

 ほんと、なんだったんだよあいつ。


「よく分からないけど、失礼な発言をしているようだね。オーラを見れば分かるよ。言っておくが、ぼくは女だよ? まあ、君たち人間と違って、性別にあまり意味はないけどね」


 女だったか。


「……ぼくっ子か。それならありだな」

「……」


 俺の視線に一瞬混じった何かを避けるように、ぼくっ子魔女は横へ回り込んだ。


「さあ、サインしたまえ」

「うーむ」

「何を悩む必要がある?」

「いや、なんでそんなに親切なんだろうと思ってさ。なんにも得がないじゃん、おまえに」


 こちとら、他人の親切を素直に受け止められるほど、幸せな人生を送ってきちゃいないんだ。そもそも騙されて、こっちの世界に来たし。

 すると、ぼくっ子魔女はニヤリと笑った。


「沈黙の魔女を黙らせておくためさ」

「ルルたんを?」


 ぼくっ子魔女は、俺の周囲をゆっくりと歩いて回りながら、話を続ける。


「ぼくたち古き者は、それぞれにタブーを持っている。それと引き替えに、大いなる力を得ているのさ。ルルイェのタブーは、世界の趨勢すうせいに関わる事」

「すうせい……」


 意味の分からない難しい言葉を、こんな時に使わないでほしい。

 シリアスな空気の中、「すうせいって何?」って質問するの、すっごくバカみたいじゃないか。

 しかし、そんな俺の心理まで、オーラに出てたようだ。


「時代の流れの事さ。彼女はとてつもない力を持つ魔女だ。それこそ、世界をどうにでもしてしまえるほどのね」

「マジで?」

「だができない。タブーだから。自分で流れを変えるどころか、流れを変える動きに干渉するだけで、力を失う事になる。彼女が沈黙の魔女になった本当の理由さ」


 それで千年以上も塔に引きこもって暮らしているのか……。

 なんだか、ちょっと哀れに思えてきた。


「だから彼女は、今、ここで行われている戦争に干渉できない。ただ、もしかすると、禁忌きんきを破らずに力を使う口実があるかもしれない」


 ぼくっ子魔女が、黙って俺を見つめる。


「……俺?」

「自分の奴隷を迎えにくる、なんて理由で、あとは降りかかる火の粉を払うだけなら、沈黙の魔女はこの戦争に干渉できるかもしれない」

「いやいや、こないって。来るわけないじゃん、あのヒキコモリが」


 言ってて寂しい気持ちになるものの、下手な期待を持って裏切られたくないので、現実を直視する。


「ぼくもそう思うよ。たかが奴隷一人のために動かないだろうね。でも、ぼくとしてはほんのわずかな可能性でも潰しておきたい。それが、君なんかに親切にする理由さ」


 すごく納得がいった。

 とくに「君なんかに」の部分が。

 こいつは嫌なやつだけど、そういうやつほど周到に計画する。

 俺みたいなのも、必要なら利用する。


「納得したなら、サインをどうぞ」


 俺は、ペンを手に取る。

 こいつにサインすれば、奴隷契約は解除される。

 それは嘘じゃないだろう。

 そうすれば、魂が地獄の炎で焼かれ、この世で最も恐るべき苦しみを味わって死ぬ、という普通に死ぬよりだいぶ辛そうな死に方をする危険から、解放される。

 ルルイェはたぶん、契約が破棄された事に、気づきもしないだろう。

 もし、気づかないまま迎えにきてくれたら、何も言わずしれっと塔へ戻ればいい。それで丸く収まる。

 左手のひらを開いて見た。

『7』と、数字がアザのように記されている。


「こいつに怯える必要がなくなるんなら、サインしない理由はないな」


 それに、この数字がカウントされなくても、あと一日足らずで死ぬんだし。


「あ、じゃあ、もう一つお願い聞いてもらってもいいか?」

「なんだい?」

「こっちの世界で、しばらく遊んで暮らせるだけのお金がほしいんだけど。ルルたんの奴隷を辞めたら、俺、行くとこなくってさ」

「いいよ、そのくらいお安いご用だ」

「よっしゃ、商談成立」


 俺は、書類にさらさらとサインを書き込んだ。

 それを受け取り、ぼくっ子魔女は満足そうに頷く。


「なあ、金くれよ」

「汚らわしい口でぼくにしゃべりかけるな。クソが」

「へ?」


 ぼくっ子魔女がパチンと指を鳴らすと、いきなり床がパカッと開いた。


「騙したなぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーーーーーっ!!!!!!!」


 自分の声が反響するのを聞きながら、俺は暗い穴に落ちていった。

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