第26話 契約解除

「……………………」


 テレポートの魔法によってタケルがいずこかへ転送された直後から、沈黙の魔女ことルルイェは、杖を突きだしたポーズのまま固まっていた。

 その様子を見つめるボスコンは、生きた心地がしない。

 魔女の従者を、姫の身代わりにしたのだ。ただ殺されるだけでは済まないだろう。

 だが、彼とて歴戦の古強者であり、成り行きでつかえる事になったとはいえ、ライリスに騎士として忠誠を誓っている。

 少々子供っぽいあるじだが、心根の優しい真っ直ぐなお方だ。

 そして、実のところさといところもある。野心家の兄に害される事を恐れ、わざと幼く振る舞っている。ライリス騎士団は姫のママゴトだと宮廷では揶揄やゆされているが、それはあえての事だった。

 今回の沈黙の魔女との一件を利用して、王子はライリス姫を暗殺する気でいる。もしあの時テレポートで送られていたら、その場で殺されていただろう。

 だが、ボスコンが魔女の従者を身代わりにしたのには、別の計算もあった。

 ボスコンの目から見て、タケルは、ルルイェと大変親しい仲に見えた。その人物を、あちら側の人質に取らせる事で、魔女と王子を対立させようという腹だったのだ。


「…………………………ハッ」


 ルルイェが、息を吹き返したように動いた。

 ほうけた顔でキョロキョロする。


「タケタケ……どこいった?」

「……おそらく、イルファーレンにいる王子のところではないかと」

「……」

「申し訳ございませぬ! お怒りは、我が老体に全てお向けくだされ!」


 ボスコンは、額で床を打ち抜かんばかりに身を屈めた。


「ですが、その前に話を聞いてくだされ、魔女殿! 王子は怪しげな魔法使いと手を組み、恐ろしい計画を企てております。竜のアギトを奪ったのも、その計画のため……」

「……」

「王子は伝説のクリスタルドラゴンを蘇らせるつもりなのです!」


 クリスタルドラゴン。


 それは王国の、いやこの世界の歴史に暗い影を落とす伝説の怪物だった。

 ドラゴンとは、古き者たちと同様の、最も古き種族であり、強大な力を持つ魔物だ。

 性質は極めて邪悪であり、その力はあらゆる種族の頂点に君臨する。間違っても、人の手で操る事などできない神に等しい存在だった。

 そのドラゴンを、神聖魔法の秘技を駆使して人の手で創り上げたのがクリスタルドラゴンだ。


「あなた様も古き者のお一人なれば、ご存じでしょう。クリスタルドラゴンが引き起こした厄災を」


 クリスタルドラゴンは、いわば超強力な兵器。

 しかし、その力はやがて制御不能となり、世界を滅ぼしかけた。

 ボスコンが生まれるよりもずっと以前の出来事だが、沈黙の魔女はその時代も見守ってきたはずだ。


「クリス……もう一度言って」

「クリスタルドラゴンです」

「クリ……クリ……」


 ルルイェは首を捻る。

 その仕草は、なにやらわざとらしい。

 知っているのにとぼけようとしている?

 ボスコンにはそう見えた。

 だが、もしここにタケルがいれば、まったく逆の考察をしただろう。

 ほんとはまったく知らないくせに、「もしかしたら知ってるかも? ちょっとど忘れしちゃったなぁ」みたいな雰囲気を出そうとしていると。


「……なんだっけそれ?」

「クリスタルドラゴンです!」

「……」


 とぼけていると考えているボスコンは、つい口調を荒げてしまう。

 すると、ルルイェの表情がくもった。

 あからさまに不快そうな様子に、ボスコンの背筋が冷える。この魔女がその気になれば、吐息一つで自分を殺せる。


「と、とにかく、竜のアギトを手にした王子ら一派は、クリスタルドラゴンを蘇らせるはずです。そうなれば、王国は……いいえ、世界は再び火の海に呑まれます! 沈黙の魔女よ、どうかお力をお貸しくだされ!」


 もし魔女に、一欠片でも情があれば、手を貸してくれるかもしれない。

 そしてボスコンは、魔女の中にそれがあると思っていた。

 タケルとのやりとりを目の当たりにして、そう感じたのだ。


 沈黙の魔女。


 その存在は伝説であり、誰もが知っているが、実際の姿を見た者はほとんどいない。ある意味、クリスタルドラゴン以上に恐れられている。

 ボスコンがまだ子供だった頃、いたずらをした彼を叱る母がよく言ったものだ。


 ――悪い子は、沈黙の森の魔女にさらわれちまうよ!


 幼心にすり込まれた恐怖の対象。

 だが、実際のルルイェは、そうではないように見える。


「……」


 ルルイェがボスコンを見つめた。

 その瞳には、強い気持ちが込められているように見える。


 心が通じた!


 ボスコンはそう思い、感極まって叫んだ。


「魔女殿!」

「……オシッコ」


 その一言を残して、沈黙の魔女はどこかへ行ってしまった。



   × × ×



「君は転生者だね」


 何も無い殺風景な部屋に連れてこられ、ふたりだけになると、謎の美少年は俺にそう言った。


「さっきから、なんで分かっちゃうんだ?」


 どこかに書いてあるのかと、自分の身体を見る。

 小学校の時、「ぼくはバカです」と書かれた紙を、こっそり背中に貼り付けるイタズラが流行ったが、似た状況なんじゃないだろうか。道行く人に指さされて、くすくす笑われるのは嫌だ。


「ははは、そんなの見ればわかるよ。オーラの色が全然違う」

「オーラ?」

「魂の色、とでも言えば理解できるかな?」


 なんかスピリチュアルな話を始めたぞ。

 さっきから、うさんくさいな、この美少年。

 だが、美少年というのは、そういうものだとも思う。


「ところで、沈黙の魔女は、君を迎えにきてくれそうかい?」


 ギクッ。


「くくく、そんな顔しないでよ。奴隷は主人の傍を離れてはいけない。君の命は、あと一日ってところか」


 ボスコンのせいで、俺がライリス姫の身代わりになってしまったのは、もちろんルルイェにも分かっているはず。

 ……だからって、来てくれるだろうか。

 あいつは生粋のヒキコモリだ。

 一人で街へ買い物にも出かけられないほどのコミュ症だ。

 おまけにここへ来る直前、ニンジンを食べる食べないで、「でてけ!」「やだね!」というやりとりをしたばかり。


「こんな事なら、ニンジンくらいで文句言うんじゃなかったーー!」


 俺は、頭を抱えてうずくまる。

 ワンチャンあるとすればハンバーグ。まだルルイェに食べさせてない。

 あの食いしん坊なら、ハンバーグ食べたさにここまで来る可能性は、無きにしも…………いや、ないな。


「あのぅ……姫さん連れてくるんで、一度帰らせていただけませんか?」

「それよりも、君が助かるために、もっと確実な手があるよ」

「……確実な手?」


 美少年が優しく微笑んだ。


「奴隷契約を解除すればいいんだ」

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