第18話 戦場

 そこからの旅は過酷だった。

 樹海がどんなに険しくなろうと、アイシャさんは平地を歩くのと変わらない歩調で、しかも休みなく進む。

 寝る時間も切り詰め、食事は歩きながら干した木の実とナッツを食べる。

 とんだ強行軍だ。


「どうしました、ペースが遅れてますよ?」

「アイシャさんが早いんです!」

「?」


 私はいつも通りですけど?

 みたいな顔をする。

 身体能力に優れたハイエルフで、その上樹海は彼女らのテリトリー。

 むしろ、ごく普通以下の身体能力しかない元ヒキコモリが、どうにか付いてこられているだけでも褒めてほしい。


「クマ五郎、ちゃんといるか?」


 俺たちより少し後ろを付いてきていた熊型ゴーレムのクマ五郎は、手を振って答えた。

 そんな調子で険しい樹海を行く事、なんと五日間。

 しんどいとか辛いとかそんな感情を意識する事さえしんどくなり、さすがのアイシャさんにも疲労の色が見え始めた。


「……ルルイェ様ぁ……はぁはぁ……抱きしめたい……あの小さな体を抱っこして、一緒にお風呂に入りたい……私の事を、お姉ちゃんって呼んでほしい……はぁはぁ」

「アイシャさん……口から漏らしちゃダメなものを垂れ流してますよ……」


 アイシャさんが普段、心の闇を理性で覆い隠して暮らしているのがよく分かる独り言だった。


「あとどのくらいですか」

「もうここはハイエルフの里ですよ」


 そう言われても、周りは樹ばかりだ。


「上です」


 見上げると、ちょっとしたビルくらいの高さまで育った木々の上に、小屋のようなものがくっついているのを見つけた。

 小学生が作った鳥の巣箱みたいに見えるが、距離があるせいだろう。

 よく見ると、そういうものが沢山あり、さらに吊り橋で繋がれている部分もある。


「ハイエルフって樹の上で暮らしてるんだ」


 大木の上に築かれた集落。

 不思議な光景だった。


「私が里を出る前は、まだここは戦闘地域でした」

「すでに無人……って事は、攻撃を抑えきれず、ハイエルフたちは後退を余儀なくされたというわけか」


 戦況はやはり芳しくないようだ。

 などと思いつつ、物珍しくて、つい上を向いて歩いていると、急にアイシャさんに腕を引かれて、茂みに押し倒された。


「なっ、なんですか、ナニするんですか!? ぼくまだ心の準備がっ!」

「シッ、静かに」


 しばらく待っていると、俺たちがいた獣道を、鎧を着た集団が歩いてきた。

 人間じゃない。エルフでもない。

 醜い豚のような頭の、ずんぐりと大きな人型をした魔物。


「オーク兵です」


 オーク。定番の雑魚モンスター。

 だが、実際に見ると恐い!

 身長は人間とあまり変わらないが、太っているせいか一回り大きく見える。

 そして、雰囲気がやばい。話せば分かる、って感じが全くしない。

「やぁ、こんにちは!」ってにこやかに挨拶したら、手に持ってる斧で、問答無用でブッ殺されそうだ。

 あれを雑魚扱いできるって、RPGの主人公どんだけ強いんだよ。


「……じゃあ、あれが」

「魔王軍です」


 いつになく真剣な表情でアイシャさんが答えた。


「こんなとこで何してるんでしょう」

「偵察ではないでしょうか」


 やり過ごそうと茂みで息を潜めていると、一匹のオークが足を止めた。

 豚鼻をフンフンさせている。


「あそこに残っている私たちの匂いを嗅いでいるんでしょう……。汚らわしいブタめ」


 憎しみというより見下し感を込めて言う。

 押し倒されてそんな事言われると、ゾクゾクしてしまう。何だろうこの感覚。今まで知らなかった自分に出会えた気分だ。

 また一つ大人になった俺を放置して、アイシャさんは弓に矢をつがえた。

 豚鼻をひくつかせていたオークが、こちらを向いた。


 と同時に――ヒュンッ!


 アイシャさんの放った矢が、オークの眉間を正確に射貫いた。

 続け様に矢が放たれ、瞬く間に二匹のオークが倒れる。


「タケル殿!」

「なんですか?」


 なんですかじゃねーよ、戦えよ!


 という顔だ。

 あ、もしかして俺、頭数に入ってる?

 しかし、マル秘ポーションを飲んでいない状態で、あんなモンスターと戦うのは無理だ。死ぬ。

 じゃあ飲むか?

 でも一本しかないし……。

 アイシャさんが三本目の矢を放つ間に、残りの敵が迫ってきた。やばい!


 その時だ。


 頭上から矢が放たれ、オークたちに降り注いだ。

 叫びながら逃げ惑うオーク。

 だが、矢は彼らを正確無比に射貫いていく。

 気づくと、最後の一匹に三本の矢が突き刺さり、倒れるところだった。


「……お、俺の出る幕はなかったようだな!」


 強がりつつ、内心でホッとする。

 だが、戦闘はまだ終わっていなかった。


 ゴォォォォォーーーーーーーーーン!!!!!


 どこからか響いた凄まじい轟音が、俺の耳を貫く。


「な、なんだっ!?」


 振り返ると、オークの三倍はありそうな巨体を揺らした怪物が、丸太のような棍棒で大樹の幹を叩いていた。


「なんです、あの化け物!?」

「トロールです!」


 すると、打たれて揺さぶられた樹から、人が落ちてくる。

 俺たちを助けてくれたハイエルフの戦士たちだ。

 地面に落ちたハイエルフを攻撃しようとするトロールへ、アイシャさんが矢を放つ。

 その矢はトロールの胸に突き刺さるが、心臓まで届いていないのか、そもそも心臓なんてないのか、軽く怯んだだけで巨体は止まらない。


 グォオオオオオ!!!!


 よだれまみれの鳴き声をあげて、トロールが棍棒を振り上げた。


「危ない、逃げて!」


 アイシャさんが仲間へ叫んだその時、俺たちの背後から黒い影が飛び出し――


 ガォオオオオオオオオオオオオオオ!!!!!!


 トロールを上回る咆哮をあげながら、振り下ろされた棍棒を拳で弾き飛ばした。


「クマ五郎!」


 さらにクマ五郎は鋭い爪を……使うわけでもなく、拳でトロールに殴りかかる。


 ジャブ、ジャブ、フック!


 トロールの大ぶりなパンチをダッキングでかわし、アッパー!

 ……と見せかけて、フェイントからの心臓を打ち抜くコークスクリューブロー。

 突き刺さっていたアイシャさんの矢を、拳で深々と打ち込んだ。

 トロールの体がくの字に曲がったところで、ぐっと身を屈め、あごめがけて――


「あれは、ショーリューケン!」


 巨体が一瞬浮き上がり、ドゥゥンと地響きをたてて沈んだ。


「つ……強いぞ、クマ五郎!」


 ガウウ。


 決まったぜ、って感じで拳を突き上げていたクマ五郎は、ちょっと照れくさそうに爪で後頭部を掻いた。

 なんでその爪を戦いに使わないのかは分からないが、勝ったからいいだろう。

 敵がいなくなり安全が確認されると、いつの間に集まっていたのか、樹の上や陰からハイエルフたちが姿を現した。


「みんな!」

「おぉ、アイシャ、戻ったか!」


 アイシャさんの姿を見て、ハイエルフたちが喜び合う。


「他のみんなは?」

「まだどうにか持ちこたえている。砦にもって敵の本体を迎え撃ちつつ、こうしてゲリラ戦法で戦っているんだ」

「それもいつまで持つか分からない状態だったが、おまえが戻ったのなら安心だ。連れてきてくれたんだろう、援軍を」

「はい、頼もしい援軍です!」


 アイシャさんが、ジャジャーンって感じで俺を紹介する。


「何者なんだ、この……人間は」


 俺に対する素直な感想を口にしそうになったハイエルフの戦士は、寸前で飲み込みはしたものの、うさんくさそうに俺を見る。


「異世界から来た救世主、タケル殿です!」

「おお、異世界から……!」


 急にみなさん「期待できそう」って顔をする。やっぱ肩書きって大事だな。

 にしても、いつ救世主にランクアップしたんだ?


「ど、どうも、救世主です」


 とりあえずそう答えてしまう俺も俺だった。

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