第17話 大樹海に潜む獣

 北の大樹海は、鬱蒼とした森だった。

 ルルイェの塔のあった沈黙の森は、生き物がひっそりと息を潜めているような不気味さがあったが、大樹海は、そこかしこに生き物の気配を感じる。

 ……こちらを取って食おうと、暗がりから常に狙われているような。


「そんなに警戒しなくても大丈夫ですよ、タケル殿」

「ですよね。危険な動物とか、そうそう出くわしませんよね」

「危険な動物は沢山いますよ?」


 沢山いるのかよ!


「例えば……?」

「うーん、オロチとか」

「オロチ……」

「胴体の直径がタケル殿と私の身長を足したくらいある大蛇です。私一人だと丸呑みにされておしまいですが、心配いりません。タケル殿の腕前を持ってすれば楽勝です」

「今すぐもっと警戒しましょう!」


 アイシャさんは、マル秘ポーションを飲んでいない俺が、ただのひ弱なもやしっ子だとは知らない。

 いや、だからと言って俺の事を信頼しすぎな気もするが。


「まあ、オロチは樹海の主なんで、まず遭遇する事はありませんが」


 ほっ。


「あとやばいのは、虎とかでしょうか」


 あー、それは分かりやすくやばい。


「大樹海の虎は、鋼鉄の鎧を紙みたいに引き裂く爪を持ち、火の玉を吐きます。その戦闘力の高さもさることながら、忍び足で獲物に接近し襲う生粋のハンターで、大抵存在に気づいた時には、もう襲われています」

「あの……アイシャさん? もうちょっと慎重に進みません?」

「大丈夫ですよ。タケル殿の実力なら樹海虎じゅかいとらの一匹や二匹」

「無理ですって!」


 怯える俺を、アイシャさんが急に真顔になって見つめる。


「ガイオーガは樹海虎じゅかいとらどころじゃありませんよ?」


 何その、「やる気あるんですか?」みたいな態度! あんたが半ば無理矢理俺を巻き込んだのにっ!


「一ガイオーガで、何虎分ですかね……?」

「百樹海虎……いや、五百樹海虎で一ガイオーガくらいでしょうか。実際、虎百匹くらいなら、素手で殴り殺して行きますよきっと」


 ガイオーガつええ……。

 でも、マル秘ポーションさえ飲めば、どうにかできる!

 かもしれない。

 そう信じよう。じゃないと俺、ここから一歩も進めなくなる。

 それより、飲んでない今の心配をしないと。


「いつでも飲めるようにしとこう……でも、ここで飲んじまったら、ガイオーガとご対面した時に、小指一本で捻り殺される……」


 ビクビクしながら歩いていると、ふいに暗がりで、ガサリと音がした。


「ひっ!? 今、音がしましたよ! しましたよね!?」

「ええ、私も聞きました……。シッ、何か潜んでいます!」

樹海虎じゅかいとらでしょうか……」

「かもしれません……大きいですよ」


 アイシャさんは、弓に矢をつがえて構える。

 ハイエルフは目がいい。俺には暗がりにしか見えないが、アイシャさんには、そこに潜む巨大な生き物の輪郭まで視認できているようだ。

 その時、暗がりの獣が立ち上がった!

 アイシャさんが矢を放つ。

 ハイエルフの矢には魔法がかかっている。

 ライフルの弾丸のように速く、空気を貫きながら一直線に獣の額に突き刺さった――かに見えた。


 ガキンッ!


 獣に当たった矢は、鈍い音とともに弾かれて落ちた。


「矢が通じない!?」


 避けられたのならともかく、当たったのに弾かれるなんて予想していなかったんだろう。この樹海に長年暮らし、狩りの腕も備えているアイシャさんが慌てている。

 その隙を突いて、獣が暗がりから躍り出てきた。


 ガゥウウウウ!!!!


「く、くるなぁ~~!!!!」


 杖を振り回す俺の目の前に、巨大な獣が迫り来る。

 しかし、虎ではない。

 そいつは二本の足で直立していた。

 体長はおよそ3メートル。

 俺は尻餅をついて、おしっこちびりそうになりながら、巨大なそいつを見上げた。


「く…………熊ぁぁぁぁあああああああああ!!!!!!!」

「どうして大樹海に熊が!?」


 アイシャさんも驚いている。普段はいないらしい。

 しかし、実際に今ここにいる!


「くっ、ここで飲むしかない!」


 俺がポーションに手をかけた時――熊が急にごろんと寝転がった。


 ごろんごろん。


 動物園のパンダのように、草地を転がって遊んでいる。


「な、なんだ……? 獲物を前に興奮しているのか?」

「いえ、違います! よく見てください」


 そう言ってアイシャさんが熊に近づいていく。

 そして、そっと手を伸ばして、


「危ないですって、噛まれますって!」

「大丈夫です。……やっぱりそうだ」


 熊の毛を撫でていたアイシャさんが、納得したようにつぶやいた。


「この熊、石でできています」

「え?」


 石でできた熊?


「もしかして、ゴーレム?」

「そのようです……」


 熊はごろんと一回転して起き上がり、こくこくと頷いた。

 ゴーレムだって言いたいらしい。


「野良ゴーレムとかもいるんですか?」

「いませんよ。ゴーレムは魔法使いが吹き込んだ、何らかの単純な命令を守るだけですから」

「それにしても、無駄によくできてるな、この熊……」


 毛の一本一本までリアルに作り込まれている。

 そのせいで、ハイエルフの視力をもってしても、すぐには見破れなかった。


「…………ルルたんだろ、これ作ったの!」

「私たちに、護衛として付けてくれたんじゃないでしょうか」


 俺は、安堵と喜びが混じり合った温かい気持ちになり、目尻に涙を浮かべる。


「ハンバーグ……」

「なんですかそれ? この子の名前ですか?」

「俺の命を守ってくれたものです」


 そうか。ルルイェはハンバーグが食べたいって思ってくれたんだな。

 そうと分かれば、なんと頼もしい熊だろう。


「よろしくな、クマ五郎!」


 勝手に名前を付けて、俺はクマ五郎の背中をドンドンと叩いた。


 ガゥウウウウウウ!!!


 クマ五郎は、雄叫びをあげてそれに応えた。

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