第16話 出発

 森の木を薙ぎ倒して進む塔の屋上で、アイシャさんは一人、風に吹かれて遠くの景色を見つめていた。


「……沈黙の魔女が動いた」


 シリアスにつぶやく。


「千年の沈黙が、ついに破られた……」


 それを聞いていた俺は、余計なお世話かと思いつつも、老婆心から声をかける。


「どうしたんですか、アイシャさん。中二病患者みたいな事言って。後から思い出して死にたくなるから、やめた方がいいですよ?」


 俺も経験があるが、あれは辛いものだ。

 人生のあらゆる局面で、ふいに蘇ってきて責め苛むのだ。

 ハイエルフの永遠に続く人生で、それはあまりに残酷だ。


「……私が助力を求めたせいで、沈黙の魔女の塔の封印が破られてしまったんです。私は、誤った選択をしてしまったんじゃないかって不安で」


 俺は、俺が思っている事を言った。


「封印してたんじゃなくて、ただ単に、動かす用事がなかっただけじゃないですかね」

「どういう事です?」

「コミュ症をこじらせて、部屋に引きこもっていただけで、特に何か意味があって封印してたわけじゃないんじゃないかなと。いや、勝手な想像ですけどね」


 アイシャさんは「まさかそんな」って顔だ。

 しかし、塔ごと動かそうという無茶な発想からして、そんな気がする。

 これなら、引きこもりながら移動もできる。

 一見、すごい事のようだが、移動手段として見た時のメリットはそれほどでもない。あの足だと、いける場所は限られているし、沼地に足を取られようものなら、塔ごと転倒して大惨事だ。


「本人に聞いてみたらどうです?」


 屋根裏から屋上へ上がる出入り口から、トンガリ帽子が見えている。

 屋上へ出てこようとしたところで、俺とアイシャさんの会話が聞こえてしまい、出るに出られなくなったようだ。

 俺とアイシャさんが、答えを待っていると、ぽつりと一言。


「……オシッコ」


 トンガリ帽子は引っ込んでいった。


「ありゃ、図星だな」




 数日間歩き続けた後、大樹海の手前で、塔は前進を止めた。

 樹海を壊して進むわけにはいかないと、アイシャさんがルルイェに訴えたためだ。

 そこはハイエルフの棲み処であり、天然の要塞でもあるのだ。

 ちなみに、沈黙の森を出た辺りから、ルルイェは屋根裏部屋に籠もりきりだ。住み慣れたテリトリーを出て、一日中そわそわしていた。


「おーい、ルルたーん」


 下から呼んでも出てこない。

 梯子はしごを登って顔を出し、呼びかける。


「テーブルにおやつ出しておいたから。シチューは一日一回火を入れて、温めて食べるんだぞ。すっぱい匂いがしてたら、食べちゃダメだからな」


 本に埋もれていて、ルルイェの顔は見えない。


「おーい、聞いてるかー」


 返事もない。

 出発前に顔を見ておきたかったんだが。

 と思っていたら、本の山の向こうでのそのそと影が動いた。


「……本、貰ってきて」


 影が言う。


「了解」

「……」

「どうした、ルルたん? お腹痛いのか?」


 俺も夏休み明けの授業初日とか、学校に行くのが憂鬱で、よくお腹が痛くなったもんだ。でも、サボると余計に行きづらくなるから、我慢して登校したのを覚えてる。

 ルルイェが、暗がりから言う。


「どうして行くの?」

「おまえが許可したんだろうが。俺はおまえの奴隷だから、命令には逆らえないんだよ」


 小首をかしげる気配がした。


「頼むから主人としての自覚を持ってくれ」


 と、俺は預かっていた奴隷契約書を差し出した。

 契約書は、誰が持っているかに関係なく効果を発揮するのは、すでに体験済みだ。


「もし俺の事、もういらないってんなら、契約を解除してくれ。じゃないと、許可なく五キロ以上離れる事もできん」


 字が沢山かかれた契約書を開いて、ルルイェは「うっ……」とうなる。

 本に埋もれて暮らしてるくせに、ルルイェは活字が苦手なのだった。読んでると、すぐ眠くなるらしい。

 奇遇だが俺もそうだ。

 ちなみに、今回、ルルイェから五キロメートル以上離れる事になるが、契約書には、『主人の許可を得ている場合は死なない』と記されていた。

 なんだよ、死なないって。


「ていうかさ、ルルたんはなんで、奴隷を買おうと思ったんだ?」


 俺は気になっていた事を尋ねた。

 魔法の実験台がほしかったわけじゃない。

 それは、後付けの奴隷活用法だ。

 コミュ症のこの子は、奴隷が家にいると、わずらわしくてしょうがないはず。

 街で買い物も一人でできないくせに、いったい何を目的に、奴隷市場まで足を運んだんだろう?


「……」


 言いたくないようで、ルルイェは黙っている。

 代わりに、別の事を口にした。


「わたしが行かなくていいって言ったら、いかない?」


 意外な質問だったので、俺はしばし返答に悩む。


「……行くかな」

「どうして?」

「まあ、こっちの世界の戦争の事なんか俺には関係ないって思うけど、でもアイシャさんはいい人だからな。助けてあげたいじゃないか」

「なんの力もないのに?」

「ズバッと言うなっ! 自己暗示かけて恐怖と必死に戦ってるんだぞぉ!」

「……そう」


 ルルイェは、なんだか傷ついたような様子で、もぞもぞと屋根裏部屋の奥の定位置へと戻っていった。

 結局、顔は見えなかった。


「ほんじゃ、行ってきます」


 俺は梯子はしごを下り、階段を降りていった。

 一階で待っていたアイシャさんと合流し、塔を出る。


「忘れ物はございませんか」

「大丈夫です」


 ルルイェに土下座して作ってもらった、マル秘ポーションをしっかり持っているのを確認する。

 こいつは、飲むとチート能力が手に入る。

 ただし、効果は十五分だけ。ガイオーガと戦う時に飲もう。

 あと、魔法の杖も借りた。

 魔法の剣とか槍とかもあったんだけど、


「やだよ、こないだまで普通のヒキコモリだった俺に、斬ったり刺したりできるわけねーじゃん!」


 と、実に人間的な理由で俺はそれらを拒絶し、比較的ストレスなく振り回す事のできる杖を借りた。

 武器としてはともかく、樹海を歩くのに便利そうだ。

 それから、ルルイェに、置き土産もしてきた。

 テーブルの上のおやつのパンケーキと、鍋いっぱいのシチュー。

 そして、心をこめた手紙だ。


『絶対ここで待っててね。約束だよ。約束破ったら、ぼく死んじゃうからね。(契約的な意味で)ちなみにぼくの頭の中には、あと十三種類の味のあるごはんのレシピがあるよ。食べたいよね? ハンバーグ美味しいよ?』


 ルルイェがハンバーグをどれだけ食べたがってくれるかに、俺の命がかかっている。


「さあ、出発しましょう」


 アイシャさんに言われ、やけくそな気分で塔を後にした。

 いい事と言えば、美人でエッチな体つきをしたエルフのお姉さんと、一緒に旅ができるという事だけだった。

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