第13話 味のあるごはん

「くんくん、くんくん…………はぁ~~ルルイェ様ぁぁ~~」


 ごろんごろん。


 朝、なかなか起きてこないアイシャさんの様子を見に上がってきた俺が最初に目にした光景が、これだった。

 塔の四階。

 リビングと寝室を兼ねた部屋のベッドで、陸に上がったウナギみたいに、くねくねとのたうち回るアイシャさんがいた。


「すぅ、はぁ、すぅ、はぁ…………幼女の香り…………むはぁ~…………」


 声をかけるタイミングを完全に逸した。

 かといって、一度引き返すにも、足音で気づかれたらなおさら気まずい。


「ルルイェさまぁ、よしよし。ワイバーンを壊されたくらいで泣かないで。お姉ちゃんが抱っこしてあげまちゅからね~~むぎゅぎゅ~~」


 俺は昨晩、アイシャさんが湯浴ゆあみする音に耳をそばだて、めくるめく空想の世界に翼を広げた。

 後から、ちょっとキモかったかな俺、と反省したのだが、今目にしている光景よりはだいぶマシだ。


「すぅ、はぁ、すぅ、はぁ……この……すぅ、はぁ……布を切り取って……すぅ、はぁ、すぅ、はぁ……マスクを作れない……すぅ、はぁ……かしら。そうすれば四六時中ルルイェ様の香りを……すぅはぁすぅはぁすぅはぁすぅはぁ」

「あいつがそのベッドを使ってたのって、たぶん数百年レベルで昔ですよ。さすがに匂いは残ってないんじゃないですかね」

「――――」


 シーツとまぐわう勢いでくねくねしていたアイシャさんが、ピタリと止まった。


「ルルたん、ずっと屋根裏に引きこもってるみたいなんで。だから、あんまり吸わない方がいいですよ。健康に悪そうだから」

「うわぁぁぁあああああああああああああ~~~~~~~~~~~!!!!!!!????」


 絶叫をあげながら、アイシャさんはシーツを頭から被った。

 昨晩、アイシャさんの寝床に困り、この部屋を軽く掃除した。

 まだだいぶ埃っぽいけど、旅でしばらく野宿が続いたアイシャさん的には、屋根があって安全で、しかもベッドがあるというだけで、高級な宿に匹敵する快適さだという。

 それでもあまり清潔とは言えないので、やっぱりやめといた方が、と言う俺に、


 ――いいえ、ここに眠らせていただきます。このベッドに!


 と、断固言い張ったのには、快適さの他にも理由があったんだな。

 薄々気づいてたけど。

 ちなみに俺は、アイシャさんの寝袋を借りて、二階の硬い床で寝た。エルフのお姉さんの爽やかな香りがした。


「お……おお…………おはようございます…………タケル殿」

「おはようございます、アイシャさん。もう目は覚めました? まだ寝ぼけてます?」

「ね、寝ぼけてるかなー……」

「ですよね。旅のストレスじゃないですか? 悪い夢にうなされていたみたいでしたよ」

「ぅぅ……死なせてっ」


 シーツの中から漏れてくる悲痛な声。


「起きたら、キッチン作るの手伝ってもらってもいいですか」


 シーツに潜り込んだまま、アイシャさんは、こくこくと頷いた。




 二階で待っていると、さらさらの金髪を揺らして、表情も凜々しいハイエルフが降りてきた。


「昨晩は、ありがとうございました。ベッドを使わせていただいて」

「いえいえ。俺もぐっすり眠れましたので。あんなに快眠したのは、何年かぶりです」

「……そちらの世界の魔王と長年戦っておられたのでしたね」


 アイシャさんの目に、哀れみが浮かぶ。

 魔王的なものと戦っていた時代、布団に潜り込んでも熟睡できず、数時間おきに目を覚ましていた。

 そして、また戦って、少し眠る。

 課金に費やせる額が限られている以上、効率でカバーするしかなかった。

 そんなギリギリの戦いの日々から解放され、心置きなく熟睡し、今朝は憑き物が落ちたように清々しい気分だった。


「それじゃ、始めますか」

「はい、タケル殿」


 俺はアイシャさんの手を借りて、この部屋をキッチンに作り替えるリフォームに取りかかった。

 と言っても、俺にそんな技術あるわけがない。

 鍋に火をかけられればいいや、くらいに思っていたのだが、アイシャさんがハイエルフの里の台所作りを教えてくれる事になった。

 黙々と作業する事、しばらく。かまどができた。


「ふぅ、こんなところかな」

「試しに火を付けてみましょう」


 アイシャさんが、できたばかりのかまどの縁を、トントンと触る。

 すると、ひとりでに火がついた。

 もう一度トントンとやると、火が消える。


「すげー、薪もくべてないのに」

「火の精霊のおかげです」


 かまどには、アイシャさんが召喚した火の精霊が宿っていた。

 長時間火を使うなら薪は必要だが、発火させるのはワンタッチでできる。ハイテクだ。


「おっしゃ、これで温かい飯が食える! ありがとうございますアイシャさん!」

「いえいえ、お役に立ててよかったです」


 アイシャさん、本当にいい人だな。

 時折、他種族をナチュラルに見下すのと、幼女に対しての愛でるという言葉を超えた何かを除けば。


「じゃあルルたんをおびき出すために、次の作戦に移りましょうか」


 ルルイェは昨日屋根裏部屋に閉じこもった後、入り口を塞いでしまった。

 魔法で閉じられていて、俺には手も足も出せない。


「昨日から気になっていたのですが、そのルルたん、とは何ですか?」

「ニックネームですよ」

「ニックネーム……」

「ルルイェのイェって、日本人的に言いづらいんですよ。滅多に使わない発音なので。ボンバイェくらいじゃないですかね、日常的に使うとしたら」


 俺の短い人生で、ボンバイェって口に出して言ったの、今が初めてだけど。


「はぁ、それで……」

「別にルル子でもルルっぺでもルンルンでもいいんですが、萌えキャラブーム以降の日本では、擬人化キャラやマスコットに安易に『〇〇たん』とネーミングされる事が多く、俺もそれに倣ってみたわけです」


 まったく伝わらない説明をされて、アイシャさんは困惑を深めるばかりだった。




「幸い、下位魔法のようですから、私でも解除はできそうです」


 屋根裏部屋へ上がる入り口を塞ぐ魔法の壁を調べて、アイシャさんが言った。


「では、作戦通りに」


 声を低めて俺が言うと、アイシャさんが頭上に手をかざした。

 呪文を唱え始めるが、ハイエルフの言葉なのか、何を言っているかは解らない。

 ふいに、目には見えない力が働いた。

 見えない壁を形成していた魔力がほどけ、光が弾けた。


「今だ!」


 その光が収まるや、俺は梯子はしごを駆け上がった。

 新しい壁を作られてしまう前に頭を突っ込んで、手にしていた物をそこに置いた。

 できたてのクリームシチュー。

 湯気を立ち上らせるシチューからは、得も言われぬ芳しい香りが漂い、狭い屋根裏部屋を満たしていく。


「さぁルルたん、ごはんですよ。味のあるごはん。食べたかったら、下に降りてらっしゃい」


 なぜかママ口調になって言ってから、俺は梯子はしごを下りる。ここでシチューだけ奪われてしまっては意味がないからだ。


「こんな方法で、本当に出てくるのでしょうか……」

「シッ。……ほら、出てきた」


 屋根裏の入り口から、ルルイェがそっと顔を出していた。

 口から垂れたよだれが、ぽたりと床に落ちる。


「こ、こっち見てますよ、タケル殿っ」

「落ち着いて。驚かさないように」


 まるで野生動物の観察だ。

 巣穴から頭を出したルルイェを刺激しないよう、静かに見守る。


「……味のあるごはん」

「ここにあるよ。たんとおあがり」

「……」


 ルルイェが、アイシャさんを見る。


「こ、こんにちは」


 アイシャさんが声をかけると、ルルイェはおどおどと視線を逸らし、頭を引っ込めた。


「待ってルルたん! 大丈夫だから、この人、恐くないから」

「……やだ」

「アイシャさん、下で待っててもらっていいですか」

「はい、わかりました」


 アイシャさんは急いで階段を降りていった。


「ほら、もう恐くないぞ~。ルルた~ん」

「……」


 ルルイェが顔を出して、俺を手招きした。

 俺は梯子はしごを登って、耳を近づける。


「なんだ?」


 ごにょごにょ。ルルイェの要求を聞いた俺は頷いた。


「……オーケー、わかった」

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