第11話 魔王

「古き者たちの手で秩序が整えられていく一方で、世界には歪みも生まれていました。魔物です」


 おお、きた。


「我らが光の存在ならば、魔物はいわば闇。未だ整いきっていない世界の淀みが、秩序ある世界を壊そうと狙っているのです」

「そいつらをべるのが魔王なわけですね!」


 興奮して握り拳を作る俺。

 引くアイシャさん。


「は、はい、そうです」

「すいません、俺も元の世界にいた頃は、日夜魔王的なのと戦っていたもので」


 ネトゲの世界で戦い続けた、あの辛く苦しくも充実した日々が蘇ってきて、胸が熱くなる。


「やはりそうでしたか! あの棒術は、魔王軍との戦いの中で磨かれたものなのですね」


 アイシャさんは、まるで異世界からやってきた勇者だとでも言いたげに、希望に満ちた笑顔で俺の手を握る。

 ノリでついた嘘が、雪だるま式に膨れあがってきているぞ。


「光と闇の戦いは、すでに数百年に及んでいます。その間に、人間世界は互いに争うようになり、衰弱していきました。我らハイエルフを始めとする他種族が手を貸す事で、どうにか魔王軍の侵攻を食い止めている状況……だったんです」


 アイシャさんは、悔しげに言う。


「そういえば、アイシャさんは援軍を求めてイルファーレンに来てたんですよね」

「……我ら大樹海のハイエルフは、リーン王国と盟約を結んでいました。どちらかが魔王軍の攻勢に晒された場合、援軍を差し向けると。しかし、裏切られました」


 アイシャさんは唇を噛む。


「魔王軍の包囲を突破し、使者としてやって来た私に、盟約など知らぬ存ぜぬの一点張り……これだから寿命がある種族は」


 指に摘まんでいたナッツが、ペキペキッと割れて粉々になった。

 よほどムカついたらしい……。


「私は途方に暮れていました。里のハイエルフたちは、一人一人が強力な魔法戦士であり、外敵への備えもあります。しかし、数が少ない。我々は、ほとんど繁殖行為をしませんので」

「繁殖行為?」


 つい、敏感に反応して聞き返す。


「ええ……」


 頷いてから、アイシャさんはちょっと赤くなって目を逸らした。

 やばい。今の反応だけで、ごはん三杯いける。


「そんな時、市場での騒ぎに遭遇しました」


 繁殖行為について掘り下げたかったのに、アイシャさんは話を進めてしまった。


「それでルルたんが、沈黙の魔女だと分かり、声をかけてきたと。なるほどねぇ。でも、あいつがすごい魔法使いなんだとしても、一人じゃどうにもできないでしょ」


 なにせ、奴隷商人に凄まれて、びびって魔法が使えなくなるようなポンコツだぞ。


「とんでもない!」


 アイシャさんは首を振る。


「たしかに、そのお力は未知数です。ルルイェ様は、戦乱の歴史の中にあって、一切外界に干渉せず、さりとて去るわけでもなく、ただ黙って見守って参られました。記録にあるだけでも、千年以上の間……。ゆえに、沈黙の魔女と呼ばれるようになったのです」

「……千年以上、ここに」


 それはすごい。

 引きこもりとしてのレベルが違いすぎる。

 それだけ暇があれば、ワイバーン型ゴーレムの産毛に、こだわりたくもなるのかもしれない。あれ一体造るのに、何年費やしたのやら。


「今、世界は魔王の手に落ちようとしています。その流れは、最早抗いようもなく……運命の日が訪れるのを遅らせる事くらいしか、我々にはできません」

「……ハイエルフが頑張って繁殖行動してみればいいのに」


 ぼそりと言った俺の言葉をスルーして、アイシャさんは力強く言った。


「ですが、沈黙の魔女がひとたび沈黙を破れば、運命の流れは変わる!」


 干した果物を握りしめるアイシャさん。

 しかし、すぐに脱力する。


「……そう言われ続けて、数百年が経ちました。沈黙の魔女は不干渉を崩さず、ついに魔王は大攻勢に打って出ました」


 魔王も、ルルイェはもう動かないと判断したのだろう。

 それで、手始めにハイエルフの里を襲ったと。

 俺は腕組みして考える。


「……ハイエルフは強力な力を持つ種族だが、数が少ない。主戦力たる人間族と連携してこそ、その力を発揮する事ができる。逆を言えば、人間と連携される前に潰してしまえばいい」

「そうです、その通りです。よくお解りですね……」

「言ったでしょう。俺も元の世界では、魔王みたいなのと戦っていたって」


 戦力の各個撃破は戦いの基本だ。潰しやすいところから狙っていく。


「おお……」


 アイシャさんが、心酔するように俺を見つめる。

 美人にそんな目で見られるのは、超気分がいい。もしかして、惚れられちゃったんじゃないだろうかと、明らかな勘違いをしそうになる。


「ですが、やつらの狙いはそれだけではありません」

「竜のアギト、ですね?」


 俺は、渋い声でカッコつけて言った。

 アイシャさんはまた驚いた顔をしてから、頷いた。

 一度聞いているから知っていても不思議はないのだが、ここですんなり出てきた事で、アイシャさんは「やはりただ者ではない!」と思ったようだ。

 気分よく嘘を重ねすぎて、もう取り返しがつかない。


「我々ハイエルフが大樹海に集落を作ったのは、星映しの泉に眠る竜のアギトを護るため。もしあの遺産が魔王の手に落ちれば、ルルイェ様のお力をもってしても、世界の破滅を止められはしないでしょう……」


 くっ……。

 アイシャさんは、沈痛げに表情を曇らせる。


「お願いです、タケル殿。どうかルルイェ様を説得するのに、お力をお貸しください!」


 俺の手をアイシャさんが握る。

 すべすべで、この世のものとは思えぬなめらかさだ。


「わかりました」

「ありがとうございます!」


 思わず立ち上がって身を乗り出すアイシャさん。

 たわわな胸が、ぷるるんと弾んだのを、俺は見逃さなかった。


「説得するには、まず屋根裏部屋から引っ張り出さなければいけませんが、今夜はもう遅い。休みましょう」

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