第3話 魔女の棲み処

 目を覚ますと、見知らぬ部屋にいた。

 石造りの建物の内部で、調度品のない殺風景な部屋には階段が二つ。上りと下り。


「どこだここ……。俺、なんでこんな場所にいるんだっけ」


 頭がずきずき痛んで、記憶の混濁が激しい。

 起こった出来事がファンタジックすぎて、全部夢だった気がするが、両手と両足を鎖で拘束されたままなので、転生詐欺に引っかかって売られたのは現実のようだ。

 俺は少し考えてから、上へ向かう階段を登っていった。

 途中、壁をくり抜いたような窓があったので外を見る。

 どこまでも広がる森と青空しか見えない。


「……マジでどこだよここ」


 この建物が、ジャングルみたいな森の中にぽつんと建っているらしい事は分かった。

 上の階が近づいてきた。

 天井に穴が空いていて、階段を登っていけば、そこから上の階に出られる構造だ。

 俺は足音を忍ばせて、穴から頭を出した。

 白いバスタブが見えた。


「風呂場か」


 さらに登ると、バスタブの上に、ほんのりピンクがかった肌色をした、つるんと丸い桃みたいな物が見えた。


「お尻か」


 さらに登る。

 背中が見えた。濡れた艶やかな黒髪に覆われている。

 お尻の持ち主は、バスタブから身を乗り出し、窓の外の景色を楽しんでいるようだった。

 気分がいいのだろう、鼻歌なんか歌いながら、お尻をふりふりしている。

 ふと、歌がやんだ。

 お尻の主が、こっちを振り返る。


「ぴっ!?」


 変な悲鳴をあげると、尻の主はお尻を両手で押さえて、くるりとこちらを向いた。

 そうなると、必然的に前が見える事になる。


「おおっ!」

「っっっ――」


 思わずグッと握り拳を作った俺を涙目で睨むと、尻の主は両手を振り上げた。

 その動作に釣られるように、バスタブの水が空中へ浮かび上がる。

 ちなみに、ほぼ真っ平らな胸の方は、水と違ってまったくと言っていいほど微動だにせず、一切釣られる事はなかった。

 失礼な観察をした報いか、手が振り下ろされると同時に、水の塊が俺めがけて飛んできた。


「うわっぷ」


 声を出せたのはそこまでだった。

 水の塊が頭をすっぽり覆い、息ができなくなる。

 俺はもがき、引き剥がそうとするが、水なので指の間をすり抜けてしまう。


(し……死ぬっ……!?)


 ごぽぉ。

 肺の空気を吐き出すのと同時に、俺は意識を失った。

 これで何度目だよ、と思いながら――。




 ツンツン……。

 ツンツンツンツン……。

 …………。

 ………………ドシュッ。


「はうあっ!?」

「っ――!?」


 脇腹に激痛が走って跳ね起きると、杖の先で俺の脇腹をつついていたトンガリ帽子の魔女っ子は、慌てて手桶を顔の前に掲げて隠れるようにした。


「俺、生きてる……」


 嬉しくて、ちょっと泣いた。


「ここ、どこだ?」

「わたしの……お家……」


 手桶から、顔を三分の一だけ出して答えるトンガリ帽子。

 服ももう着ている。


「君、誰?」

「……」

「俺はタケル。シノノメ・タケルだ。ここはファンタジー世界っぽいし、タケル・シノノメの方が正しいのか?」


 魔女っ子は困った顔を崩さない。


「……ルルイェ」


 やっとぼそりと言った。

 それがこの子の名前らしい。


「俺、買われたんだよね。君に」

「……」


 うんともすんとも言わず、困った顔をする魔女っ子。

 そろそろ別の表情も見たい。


「風呂を覗いたのは悪かったよ。だから、手桶に隠れるのやめてくんない? それから、困った顔するのもやめてくれ」

「……ぅぅ」


 困り顔を通り越して、涙ぐむ。

 くそっ、ちゃんとした会話がしたいだけなのに、なんで俺がイジメてるみたいになってるんだ。


「どういったご入り用で、俺を買ったんだ? 奴隷って、何をするものなの? 俺、そういう知識なくてさ……」


 言ってから、「あぁ、俺、ほんとに奴隷になっちゃったんだ」と実感がこみ上げてきて、また泣きそうになった。


「……人が大勢いて、ほしいって言えなくて、気がつくと、みんな売れてしまった」


 言ってから、しゅんとするルルイェ。

 奴隷市場のあの雰囲気の中、小さな女の子が声をあげるのは、相当な勇気が必要だろう。まごまごしているうちに、全部売れてしまったと。……俺以外。


「それで、代わりに俺を買ったと」


 ふるふる。ルルイェが首を振る。


「……何も買わずに帰るのが、気まずかったから」


 …………。

 思い出した。

 そういやこの子、あの時「やべぇ、うっかり買うって言っちゃったよ」って顔してたな。

 じゃあ何か?


「端っこで見てたら奴隷商人に見つかってしまい、声までかけられてしまったものだから、冷やかしだと思われるのが嫌で、別にほしくもないのに売れ残りを買っちゃったと?」


 こくん。肯定。


「コンビニでトイレ借りたついでに買う、缶コーヒーみたいな扱いかよっ!?」


 俺が勢いよくつっこんだせいで、ルルイェがあわあわと目を回して、手桶を頭から被ろうとした。帽子脱いでからにしろ。

 だが俺に、彼女を気遣う精神的ゆとりはない。


「……なんだよ、みんなして俺をいらん子扱いしやがって。俺だって好きでこっちの世界に来たわけじゃねえぞ。こんな事なら、部屋から出るんじゃなかった。外の世界は、いつだって俺に異常に厳しい」


 パソコンの前の座椅子から手の届く範囲にだけ、俺の安らげる空間はあったんだ。

 いじける俺を、ルルイェは困っているような、申し訳なさそうな顔で見ている。その同情が、余計に俺を傷つけるとも知らずに。


「……これ、外してくれない? 暴れたりしないから。もし何かしようとしたら、その杖でボコボコにしてくれていい」


 ルルイェは少し悩んでから、俺を昏倒させた杖で、俺の手首と足首をトントンと叩いた。

 すると、拘束していた鎖がひとりでに外れていく。


「すげー、それ魔法? 手品みたいだ。動画アップしたらアクセス数稼げるんじゃない?」

「あぅぅ」


 思わず感心すると、ルルイェは少し赤くなってもじもじした。

 なんだ、可愛いところもあるじゃないか。

 ちょっと和んだ俺に、ルルイェは折りたたまれた紙を差し出した。


「? これ、俺がサインした書類じゃないか」


 魂の契約書とか言っていたな。ようするに、奴隷契約書だ。


「いいのか、これ返しちまって」


 こくん。肯定。


「……いらないから」

「いらないって言うなぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!」

「ぴぃっ!?」


 ビクッと跳び上がって、ルルイェは空っぽのバスタブに飛び込んで隠れた。


「人としての尊厳を傷つけられて、思わず大声を出してしまっただけです、びっくりさせてごめんなさい」


 ルルイェが、バスタブから目だけ出して俺を見る。


「……どうぞお引き取りを」

「どこに帰れと。俺、騙されて異世界から連れてこられたから、帰るとこなんかない」

「……。お引き取りください」

「買ったんだろ? 責任持って世話しろ! おまえみたいに、飼いきれなくなったからって捨てたりする奴がいるから、名古屋城のお堀に1メートルを超えるアリゲーターガーが泳いでたり、多摩川が通称タマゾンなんて呼ばれるようになるんだ!」

「あううっ」


 ぴょこっ。

 バスタブの中に頭が引っ込み、トンガリ帽子のさきっぽだけが見えている。


「すまん。ちょっとあまりにひどい状況に、気が動転している。まあ、せっかく買ったんだし、使ってみないか? ついで買いの缶コーヒーよりはマシな働きするからさ」


 自分で“使える奴隷”アピールするのは、自ら人としての尊厳を貶める行為な気がしたが、生きるためにはしょうがない。

 だいたい、さっき窓から覗いた感じだと、この周辺は見渡す限りの森だった。放り出されたら、野垂れ死にする。


「……マシな使い道。魔法の実験台……」

「やめてっ!?」


 俺は、バスタブの縁にみっともなくすがりついた。


「それだけはやめて、お願いですからっ! 掃除でも炊事でもパシリでも、なんだってしますからっ!」

「ぅぅ……」


 ルルイェは、嫌そうに後ずさって俺から離れた。

 そのままそっとバスタブを出て、俺を迂回するように上り階段へ向かう。


「ま、魔法の実験台か……お引き取りか……どっちか選んで」


 一方的に言い捨てると、階段を登ってすたこらと上の階へ逃げ込んでしまった。

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