第3話 -Revenge-

「ねえ芹くん、リベンジしたくない?」

 そう言って笑った彼の顔が、脳に焼き付いて離れなかった。



 *



 最近、クラスの一部で休み時間でのババ抜き大会が流行している。きっかけはおそらく、というか確実に――テレビ番組の影響だろう。ここ数年、芸能人が一堂に集まり、ババ抜きでビリを争う番組があるのだ。俺自身も見ているし、クラスの中でも見ている人は多い。相手の反応の変化や、巡っていくババを追っていくのは、見ていて面白いものだ。そして、人がやっている姿を見ると、自分たちもやりたくなるのが、人の性なのだろう。誰かが持ち込んだトランプを片手に、立候補と寄せ集めたメンバーで、俺たちは今日も教室の一角でババ抜きを行っていた。


 今回俺がカードを引く相手は、同じクラスのすなお――本名は須田川直だが、ほとんど名前で呼ぶ奴はいない――だった。俺も、例にもれずコイツのことはあだ名で呼んでいる。元々はクラスの誰かが気まぐれに呼んだ名前由来のあだ名ではあったが、コイツ自身の素直な性格も、そのあだ名の由来に起因しているのだろう。すなおはそのあだ名の通り、素直で嘘が吐くのが下手なクラスメイトだ。だから、ババ抜きのような心理戦が伴うゲームは圧倒的に向いていない。なんでいるのかはよく分からない。単純にゲームが好きだから参加しているのだろう。クラスでババ抜きを始めた序盤の方からすなおは参加しているが、勝っているという覚えは正直なかった。

 そして、もう一人。有り合わせで集めたメンバーの中に、すなおと同レベル、いやそれ以上かもしれないほど心理戦が不得意な同級生がいた。


 ――芹京平。

 この二人がいる限り、俺たちは負けることはないというのが、二人以外のメンバーでの暗黙の了解だった。



 どうやら今回、俺のカード運はあまり良くなかったらしい。カードを引く相手がすなおだから、ジョーカーが回ってきたとしても、それが顔に出るだろうから分かるため、ジョーカー自体を引くことはなかったが、引いても中々手札が揃わず、気付けば残りは俺とすなお、芹の三人になっていた。


 早々に抜けた他のメンバーは、いつものように別の机でジェンガを行っている。下に誰かのハンカチを敷いているから、崩してもそれほど音が立たないようにしてある。その配慮がどこまで生きているのかは分からないが、うるさいなどの苦情は今のところ来ていないので、少しでも音量を下げることには役立っているのだろう。一本ずつ引かれていくジェンガから視線を外し、俺は未だいるババ抜きの現在の状態について整理してみることにした。


 残りのカードの枚数は俺が二枚、芹が一枚、そしてすなおが二枚。俺の手元にはクラブのジャックとダイヤの4。ジョーカーは持っていない。現在のジョーカーの位置については、芹の表情を見たら分かった。目にした芹の表情は、ジョーカーを持っていない顔だった。だから、すなおの持つ二枚のカードの内の一枚がジョーカーなのだろう。引いたカードがジョーカーでさえなければ、俺のカードのどちらかと数字が揃うはずだ。そして、残ったカードは芹に引かれて、俺は上がることができる。


 すなおのカードに手をかける。左のカードに手を近づけると、すなおは少しだけ眉を寄せたように見えた。右のカードにも手を近づける。そっちでは、ほんの少し口角が上がったように見えた。


 ――本当に分かりやすい。


 俺は確信を持って左のカードを引いて、そのまま上がるつもりだった。



 しかし。



「……は?」


 思わず、間抜けな声が出る。

 カードにプリントされていたのは、滑稽なピエロのイラスト。トランプの四種のマークのどれも書かれていない、初めて目にしたそれは、間違いなくジョーカーのカードだった。

 おかしい、だってこっちのカードは、すなおが悲しそうな表情を見せたカードのはずで、つまり数字の書かれたカードであるべきなのに。驚きのあまりすなおの方に目をやると、丸く大きなすなおの目とちょうど視線がぶつかった。その目が俺を映した後、してやったりとでも言いたげに細まっていく。


 ――コイツ、まさか。


「ほら、次は芹くんの番だよ。早く引かないと」

 すなおが俺から芹に視線を移して促した。慌てて、俺は揃わなかったカード三枚をシャッフルし、芹の方へ突き出す。しかし、無情にも芹はジョーカーではない、数字の書かれたカードを引いていった。


「……やった! 上がりだ!」

「おめでとー芹くん」


 芹はこれ以上ないほど喜び、すなおも笑顔で祝福している。芹の喜びぶりに気付き、周りもなんだなんだとジェンガを中断してこちらに目を向け始めた。そんな中、俺の方へ顔を向けたすなおはにこりと笑ってこちらに身を乗り出した。


「――あとは二人だけだね。だから、僕がジョーカーを引かなければ勝ちだね」


 ほとんど無意識に、持っていた二枚のカードを握りしめた。どうせすなおだから無理だろう、なんて甘い考えは、もう頭に残っていなかった。



 *



「芹くん、はっきり言ってポーカーフェイス下手だよね。というか出来てない。ジョーカー持っている時とかバレバレだよ」


 僕の顔を見て、すなおくんははっきりそう告げた。

 いつもの優しげでふわふわした彼とは違う様子に、僕は驚きながらも心のどこかで納得してしまっていた。あの時、彼に見事に騙された時の顔に、とてもよく似ていたからだ。


「でも、ポーカーフェイスが下手だからって他の人に馬鹿にされるいわれはないし、負け戦なんてずっとしたくないでしょ、だから――――ねえ芹くん、リベンジしたくない?」


 初めて見た彼の不敵な笑みに、僕はどうしてだか目が離せなかった。


「残りが三人になった時、僕、誰か、芹くんの順番が一番いい。持っているカードの枚数にもよるけど、これが最適の順番かな」


 人差し指を口元に持っていき、すなおくんは内緒ごとをするみたいに目を細めて笑う。


「芹くん。僕はこの前芹くんにしたように、相手にジョーカーを引かせてみせるから」


 だから、引いた相手のカードの動きをよく見ていて。二、三枚なら、目で追えばどれがさっき相手が引いたジョーカーか、きっと分かるはずだから。そうしたら、ジョーカーでないものを引けばいいよ。だからちゃんと、カードの動きを見ていてね。



 すなおくんの提案に、僕は素直に従うことにした。

 だから、僕はさっきまで彼が持っていた方のカードを引くことが出来た。動揺からか、彼は見える位置でカードをシャッフルし、僕にカードを差し出していた。 スピード自体は速かったけど、それでも三枚くらいなら、どれがさっきすなおくんから引いたジョーカーかは明白だった。



 だから、僕は。

 そして、すなおくんは。



 すなおくんが上がったことでジョーカーを一枚持って残されてしまった彼の動揺も、周りが「番狂わせ」だと次々口にしていたことも、何かのはずみで崩れてしまったジェンガの音ですらも。色んなことをどこ吹く風みたいにして、たった一人僕にブイサインを送ってくれた彼に向けて、僕もこっそりと小さくブイサインを返して笑った。



 *



 後日、廊下でたまたま会ったすなおくんに、僕はリベンジを提案されてから、ずっと疑問に思っていたことを口にした。


「ねえ、どうして僕にリベンジを提案してきたの」

 僕の言葉に、すなおくんはうーんと唸ってから笑う。


「……芹くんってさ、自分が相手に『どうせコイツよりは上だろう、コイツには勝てるだろう』見くびられているって、そんなことを感じたことはある?」


「……どういうこと?」

 僕が首を傾げると、「やっぱり分かんないか」とすなおくんは何とも言えない表情を浮かべていた。


「ほら、僕って『すなお』って呼ばれているでしょ? 『すなお』っていうのは、僕の名前から付けられたあだ名であって、僕の性格を表したものではなかったはずだ。……でも、周りはきっと僕の性格も素直だと思っているし、僕もそう振舞っている。名は体を表すってよく言ったものだね。僕の場合は、名前から身体にうつっていったわけだけど……。多分、周りから怖がられるよりはいいんだ。でも、たまにあるんだよね。僕を素直で馬鹿な奴だと思って見くびっている誰かを、見返したいって気持ちが」


 そう言って、すなおくんは寂しそうに笑った。

 僕にはよく分からない。「すなお」と呼ばれ続けた彼が、今までどんな思いでいたかなんて。


 でも、彼が「すなお」でいたくないと思うのなら。


「あのさ、すなおくん」

「なあに、芹くん」

「――直くんって、呼んでもいいかな」


 僕の申し出に、しばらく彼は固まっていた。

 やっぱり駄目、だったのだろうか。

 しかし、バツが悪くなった僕が「やっぱり忘れて」と言おうとした時だった。



「これで僕も、『すなお』じゃなくなるんだね?」



 そう言って僕に笑いかけたすなお――須田川直くんは、とても晴れやかな顔をしていた。

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