後編

【5 露 命】


 藤近の病について、大学への復帰は厳しいこと、それ所か命そのものが危険な状態であること。由良は水谷に伝えることができなかった。水谷が藤近の不在に疑問を感じ、不快感を胸に秘めていることは誰の目にも明らかだった。それを一番近くで見てきた由良。水谷の想いは痛い程に伝わってきた。でも、話せなかった。藤近のことも、由良自身のことも。由良だって薄々は感付いていた。水谷は知っている。由良が全てを知っていることを。藤近に関して、由良に聞けば、問い詰めれば情報は入ってくる。けれども水谷は聞かなかった。由良に対する優しさの為か、返ってくる事実への恐怖か。それとも待っていたのだろうか、由良の勇気と藤近の姿を。水谷は藤近の居場所を無理矢理に聞き出そうとすることはなかったし、由良とは何一つ変わることなく友人でい続けた。由良は水谷に深く感謝し、また藤近にも水谷にも秘密を話すことのできなかった自分を恥じた。話そう、伝えようという心の葛藤が無かったわけではないが、切り出すことはほぼ100パーセント無理だと諦めていた。自分が嫌になるほど情けない、殺してしまいたい。それを掻き消すよう、毎晩のように手首から血を流した。汗とアリアと涎を流しながら。

 「由良さん、大丈夫?顔色、良くないぞ。」という水谷の気配りにも

 「ちょっと整理痛がヒドくて・・・」と、それ以上水谷が踏み込めぬよう壁を気付いていた。

 一方で水谷も、由良に対して近況報告はしていない。自身と生武との関係を。尤も、生武と言っても誰だか分かりはしまいが。ただしこちらは吉左右(きっそう)ばかりなので、嫌味になりかねない。水谷はどこかで心付いていた。


 「藤近君、りんご擦れたよ。ヨーグルトに混ぜようか。」

 「うん・・・」

 「はちみつは?」

 「うん・・・」

 既に夏の気配は消失して、季節は冬を見据える。どうにか殺人的な暑さを乗り越え、過ごし易い、読書と食欲の時節を迎える。いつの頃からか、秋という季節が短くなった。あまりに猛々しい夏の支配力に押された結果なのだろうか、ようやく暑さがひと段落したと思ったら冬支度の遅れに慌てる始末。朝晩の気温の低さに心底驚く愚かしさ。気付いた時には消えそうで、いずれは消え逝く季節なのだろうか。

 10月も終わるとある週末の病室。そこでは病院に似つかわしくない幸福な時間が流れていた。日常とは一線を画すこの建物内でのみ生じる幸せ。日常では取り戻せない幸せ。由良も藤近も、独りの時は死を意識しながら時を費やす。お互い独りの時は死と隣り合わせ。

 一方は死に追われるもの。以前の余裕や精神的なゆとりはもはや兎の毛もない。病に抗う気力も体力も尽きていた。自分の体だもの、自分が一番よく分かっている。お医者さんに言われるまでもない。もう一方は死を追い求めるもの。2人でいるこの時だけは生を求め、希い、永遠を願った。死が恐怖の対象なのではなく、独りで生きることこそが恐れであった。支え合うことで互いの命の火を灯していた。すなわち、片方の支えがなくなることは、両の炎(ほむら)の絶命を意味するのだ。


 父が発見されたのは『ユリの木公園』だった。変わり果てた姿とは言い難い、けれども確実に命は絶たれているであろう姿で。外傷はない。布団の上であれば寝ているだけと言われても誰も疑うまい。ユリの木にネクタイを3本引っ掛けて首を吊っていた。風に揺られて枝が律動、プラーン、プラーン。その頃父は忙しくて、帰宅するのは夜遅く。日付が変わってからというのも日常茶飯事だった。母も私も心配していた。大丈夫、もう少し早く帰れないの、手伝ってくれる人はいないの、休みは取れないの。父の返答はいつも決まっていて、もうすぐひと段落つくから、だった。だから今日も遅いのかなと。今日は大好きなとんかつだぞ、と。

 早朝まだ暗い内にウォーキングしていたお婆さんが発見、警察に通報した。やじうまも集まらぬ早業で遺体は回収され、何事もなかったように朝日が昇った。幸か不幸か事実を知っている、もしくは知らされたのはごく一部の人間だった。新聞にも単なる訃報として小さく扱われた。自殺という文字はどこにもなかった。死因は不明、急死と書かれていた。私達が頼んだということは一切ない。むしろ家族としては過労が原因の自殺だということを知って欲しかった。けれども・・・

 そして予定通り、ユリの木は姿を消した。


 世間口を止める術はなく、親族には辛い時間が待っていた。その内容は死因どうこうではなく、無論同情などもなく。地元の議員が謎の死を遂げたというだけで話題としては十分なのだろうが、旧きを捨て去り何でも新しく造り変えていった天罰だと。父は反対していたのに。けれども決定事項を覆すことはできず、説明係の父はいわゆる貧乏くじで、悪者に仕立て上げられた。父が天罰を受ける筋合いなど無いのだ。無関係の人間にとって神罰という響きがおもしろおかしく愉快で仕様がなかったのだろう。

 「生武さんの所の旦那さん。急に亡くなったそうよ。」

 「まだ若いのに。気の毒ね~。」

 「死因は何なのかしらね~。ガンとか心臓とかかしら。新聞にも載っていなかったわよ。」

 「娘さんもいらっしゃるんでしょう。奥さんこれから大変じゃない。」

 「でもさ、死んだ人のことを悪く言ったらいけないけど、何でもかんでも新しくしなくてもねぇ。古くからいる人間のことも少しは考えて欲しいわ。」

 「梶山さんのお店を潰したのも生武さんらしいわよ。そうそう、駄菓子屋さん。うちの子供ががっかりしちゃって。こんなこと言ったらあれだけど、天罰よ、天罰。」

 許さない。いつか、必ず。


 予報は外れ、最後の日は雨。今日は一日を通して断続的に降るそうだ。あまりに良い天気だと未練が残っていたかもしれないから、考えようによっては悪天候で良かったのかもしれない。晴天よりも曇天の方が落ち着きを保てる気がする。降り始めたらば分からないが。とにかく計画は不変。絵にはラップを巻いておいた。

 極力、いつもと変わらない生活を心掛ける。とはいえここは生家だから、その時点で普段とは環境が異なるのだけれども。起きたらまず布団の上でストレッチをする。朝にあまり強くない私はこれでどうにか体を起こす。動けるようになったらカーテンを開けて窓を全開。外の空気をひと息肺に入れてから朝食を食べる。メニューは毎朝同じでクロワッサンとゆで卵。飲み物はコーンスープ。デザートは個装包装されたチョコレートをひとつ。正味15分程で朝ご飯を終える。その後は簡単に身支度を整え、作業を始めたり出かけたりする。

 今日はまず、両親の墓参りだ。


 藤近くんが亡くなった。苦しむ様子も見せず、安らかに逝った。ご家族との連絡は取れないらしい。亡くなった時刻は19時23分。

 大学の講義を終えてお見舞いに行くと、いつもの病室に藤近君の姿がなかった。ベッドが片付けられているわけでもなく、雑誌や文庫など藤近くんの私物はそのままだったので、お手洗いかなと椅子に座って待っていたが、待てど暮らせど戻ってこない。受付で状況を尋ねるのが怖くて30分間待っていた。意地でも戻ってくるのを待ったやると。極めて的中する可能性の高い不安に負けて重い腰をあげ、受付の看護婦に聞いてみた。

 「こちらへどうぞ。」

 集中治療室前へ連れて行かれた。

 「かけてお待ち下さい。」

 そう言うと受付の看護婦は去っていった。

 数分後、藤近君の担当医が現れた。黙って互いに一礼した後、容態について説明してくれたのだが、話の内容はほとんど頭に入ってこなかった。それでも、駄目だということだけは理解できてしまった。私が病室について2時間後、藤近君が亡くなった。10月25日のことだった。

 翌日から私も大学に行けなくなった。

 最後の会話は、最後の一言は、最後の表情は、香りは、仕草は、冗談は。何も覚えていなかった。記憶に残っていなかった。終わりが近いことは重々承知していとのに、だから全てを刻み込もうと気張っていたはずなのに、驚き戸惑う程私には何も残っていなかった。


 とうとう、由良まで大学に来なくなった。何がどうなっているんだか。遅刻したり欠席したりというのは癖になりやすい。癖になるとその悪習慣を取り除くのには下らない精神的疲労が必要、と教えてくれたのは藤近だった。由良までサボり癖が抜けなくなったんじゃないだろうな。罪悪感はあったが事務所で確認させてもらった。退学も休学の手続きもされていない。由良の方までは聞いていないが。入れ替わりで藤近が復活すれば冗談でも言い合いながらまだ笑っていられたが、2人共いない。俺独りだ。仲間外れにしやがって、みたいな下衆な勘繰りは生まれてこない。むしろ2人で小旅行なり逃避行なりしていてくれればどれほど安心か。由良と藤近には感謝しかない、だからこそ嫌な予感が頭を離れなかった。不吉な影を自分勝手に想像しながら数日間、大学生活を送った。下手したらその間、一言も喋っていない。仕方なかろうて、話す相手も必要性も見当たらないのだから。

 3人で過ごす日常に慣れてしまった俺はいつの間にやら他人の目を気にする性格に変わっていた。いつも3人一緒なのに最近は違うな、そんな視線を感じるようになった。それが耐えられず、昼食をカフェテリアで摂るのもやめてしまった。ずっと独り。藤近とも由良とも知り合うことなく孤独に、家と学校を往復するだけならば何と味気ない学校生活。何と代わり映えのしない日々。何の感情も生まれない人間関係。だから言葉には出さないし行動にも現れていないはずだが、感謝している。だから心配だし、怒っているんだぞ。何で黙っている。黙って消えてしまうのだ。どこへ行った。何をしている。大丈夫なのか。無事なのか。飲み会、できないじゃないか。


 大学に行かないと生活のリズムが崩れて仕方ない。起きる時刻も食事の時間も回数までもがまちまち。眠たくなったら横になって昼寝だって自由。さらに明るい時間から風呂場に籠っていては命がいくつあっても足りない。その命も今日で尽きてしまう。これで最後にしよう。

 いつもより5メモリ音量を上げてアリアを流した。聞納めだから旋律の細部まで聞き逃したくないということではなくて、涙と鼻水が止まらなくなったから。藤近君が亡くなってから初めて泣いた。慟哭というのだろうか。私の好きな歌とは状況が異なるが咽(む)せ返り、大声を出していなければ窒息してしまいそう。だからボリュームを上げて、シャワーを出しっ放しにして、少しでも外に声がもれないようにした。雄叫びが聞こえるよりは『G線上のアリア』の方がご近所様にも迷惑はかかるまい。

 気が済むまで2~30分はかかったろうか。シャワーの音は雨に似ていてどこか心が落ち着いた。いや、ようやく喚きやんでからそう感じただけか。取り乱している時は雨の音色もバッハの名曲もまるで役に立ってはくれない。

 さて・・・と。着ているものはそのまま、刃物の刃先を指先でつまみながらシャワーのお湯に当たる。鏡に映った顔、涙こそ流れる水で隠れていたが、両の目と鼻の頭が真っ赤、見るも無残な容姿だった。顔だけじゃない。腕も足も脇も全くの手付かず。死ぬ前に処理しても良かったが、どうせ死ぬんだし、の気持ちが勝ってしまった。

 始めよう。今行くね。藤近君。


 墓前での決意表明。いつも同じで最後の日でもそれは変わらない。

 「幸せを勘違いしている人間を見返してやる。」

 時刻は15時を少し回ったところ。まずはA小学校の裏門だ。ここは給食センターの車が出入りする為の門で、普段はほとんど人の出入りはない。昼間の搬入が済んでしまえば門が開閉されることもなし。まずはこの裏門の片隅に旧きA小学校の絵を立て掛けた。もちろんA小学校の絵ではあるが、さすがに裏門ではなく旧校舎のもの。その姿を知っているものは少なくないはずだが、覚えている人間は果たしてどれだけいることか。思い出して欲しいなんて言わない。ただ、知るべきだ。知ってもらわないと報われない。納得がいかない。罪の意識ぐらいは持ってもらわないと。

 続いては梶山商店。こう言っては何だが、幸か不幸か廃れた商店街。人通りは少なく、人の流れすら作られない。それはそうだ、これだけシャッターの降りた商店街に人を呼ぶ魅力はない。まだ死んではいない、死んではいないが、新しい店舗ができる数倍のスピードでお店が潰れていく。改めて見回してみても、利益を追求して経営するお店ではなく店主の趣味で運営しているお店の方が多いと思う。だから人目につかないようコソコソする必要はなかった。堂々と、シャッターの閉められた梶山商店の入口に絵を置いた。風景画というか、人物がというか、肖像画というか。そこには看板とおばあちゃんがいた。

 雨が落ちてきた。

 それとなく分かったことはラップの巻いてある訳。要は雨けか。万年筆のインクが水性か油性なのかは知らないが、せっかくの絵がそぼ濡れてしまっては台無しだ。要件を済ませた生武さんがA小学校を後にする。次の目的地へ向けて歩き出した。水谷の予想は半分、当たっていたのだが。

 距離を取るべく物陰に身をひそめながら移動すると、どうしても立ち止まりながらということになる。言うまでもなく生武さんの背中を確認しているのだが、無意識の内に視線を外す。その方がバレない気がするから。公園の『かくれんぼ』で学んだ心理学だろうか。下を見る。足元を凝視する。その時、視界に入ってくるのは自分の靴だ。先週、新しく買った。生武さんと同じエンブレム。そう、藤近の真似をしてみた。独りで店に入った時、自分に似つかわしくない商品を購入するみたいで緊張してしまった。結局の所、試し履きもしないで買ってしまった。藤近が大学に来ていれば・・・そう、アイツいれば付き合ってくれるよう頼んでいたのに。喜んで一緒に靴を選んでくれただろう。俺よりもずっと張り切って。張り切りすぎて靴紐とか靴下とかまで引っ張ってきそうだな。全く・・・どこに行ってしまったんだか。何をしているんだか、藤近の奴。


 手首を掻っ切るのに今更なんの躊躇いがあるだろう。ルーチンワークと言ってもいいだろう。慣れたものだ。ただ今日は珍しく痛みを感じた。普段よりも力が入っていたかもしれない。環境が違うから、というのが大きいだろうか。だからといって辞めるという選択肢はない。今日、今、この場で終わりにするのだから。CDも持ってきて、既にセットしてある。さぁ、最期のアリアだ。

 最後の晩餐に何を食べたいか、明日地球が滅びるとしたら何を食べたいか、なんて質問があるが、特別なものは食べなかった。驚くなかれその献立は、ツナマヨネーズのおにぎり、温泉たまご、シーザーサラダ。デザートはりんごとヨーグルト。とりあえず好きなものを食べたのは確かなのだが、普段よりも安上がりになるという結末。奮発して然るべきなのに。

 何を差し置いても朝食は食べなさい。父が口を酸っぱくして言っていた。ウチでは朝食を抜くことは許されなかった。学校に遅刻しようが胃腸の具合がおかしかろうが、この点だけはとても厳しかった。そして朝食のメニューもしっかりした物というか、例えば『コーンフレーク』みたいなお菓子に近い代替品は朝食として認められなかった。トーストでもあまりいい顔をしていなかったから、母は大変だったろうといつも思っていた。白米、味噌汁、玉子を使ったおかずにデザートは果物。がっついたり掻き込んだりすることは厳禁。ゆっくりと時間をかけて行儀良く。体に染み付いたはずのそんな教えもいつの間にか抜けてしまった。

 食べるとは生を持続するための行為。今日の活力であり、あすへの動力。死ぬことが分かっている人間はお腹なんか空かない。死ぬことを決めている人間は食を必要としない。食事を摂ることすら億劫になってしまったようだ。食欲がないというよりも、食事に興味がないと言った方が正しいだろうか。それだけこの世に未練がないということ。明日はいらないと。


 意識が遠退いてきた。ぼーっとしてきたのに死ぬんだなという実感が湧いてきたという矛盾に、一瞬顔が綻(ほころ)びてしまった。生に執着のない私に恐怖心は無し。染色されていく湯船も見慣れたものだし、申し訳ないと思い浮かぶ顔も少ないし、やり残したこともない。何もかもを諦めたから死を目前にして苦笑いが出てきたのだろう。そんな私でも、体の異変に動揺はあった。首、脇、お尻の汗が止まらない。加えて粗相。下着を通り抜けてスカートとの間を通ってあっという間に床が黄色に染まってしまった。誰かに見られているわけではないし、シャワーの水を流しっぱなしにしていたので、いずれ洗い流されるはずだが、匂いは気になった。人間、最後まで敏感なのは嗅覚なのかもしれないな、なんて変な発見をしたりして。悔いが残っているとすれば綺麗に亡くなりたかったということか。せっかく一番のお気に入りの服を着てきたのに。

 『G線上のアリア』が薄らいできた。藤近君、ゴメンネ。お風呂場汚しちゃって。この世に生きる皆さんへ。藤近君を殺したのは私です。私と貴方しか知らない秘密です。最初で最後の旅行先で、もらった毒薬をお茶の中に入れた。君の手で、と言われた時、断れなかった。むしろ、喜びを感じた。


 雨降りの『ユリの木公園』で遊んでいる子供は誰もいなかった。つい先程までは幾らかの賑わいがあったのかもしれないが、俺の眼前に広がる景色は自身の心情と同じ、雨天の薄暗さも手伝ったうら寂しい別世界だった。色彩を強め硬化する砂場、常に水滴を垂らし続ける鉄棒に、水を流し続ける滑り台。何者の入園も拒むかのようだ。公園とは異世界で特別な空間だというのは俺の持論だ。

 ひとつ。公園は無垢で平和な国でなくてはならない。他ならぬ子供にとって。大人は裏方。大地も遊具も木も水も、全てが子供達の為のものである。大人の血と汗と涙によって作られる子供の世界。

 ふたつ。ある時期を境に子供の視界や記憶、外出先の選択肢から消える宿命。公園という単語を発することはおろか、脳裏をかすめることもなくなる。それがいつ何時かは分からない。それが大人になった時、とは言えない。けれども必ず、少年少女は、一度公園を巣立っていくのだ。

 みっつ。帰ってくる。どのような形でどのような目的で、どのような感情で。それは人それぞれ。懐かしさを持ってか、フラフラと立ち寄っただけか、憎しみと一緒か。

 生武さんは殺意と、命をかけて戻ってきた。公園を忘れることなく、離れることなく。否、忘れられず、離れられず、心を整えられず。とても悲しい形で帰ってきた。



○A小学校

町が年をとり、住みづらくなれば人は去る

人の住まなくなった町は輝きを失い、やがて死んでいく

誰の望むところではないでしょう



○梶山商店

父は悪くない

悪いのは区であり、都であり、国である

父は被害者だ

そしてあろうことか、結末はこうだ

道路拡張工事の計画は白紙に戻され、現在に至る

無論、店と人は戻らない

区民に殺された人間、町に殺された人間

その無念さを推して知りなさい

強引にでも知らしめてやる



○ユリの木公園

苦しかった日々も終わる

病院での光景は忘れません

辛い人生だったと思い返しています

理屈抜きで

自業自得だと言われるかもしれない

サヨナラは言いません

強がるつもりもありません



 終曲は誰の口も借りずに語ろうか。

 藤近は全てを知っていた。把握した上で由良が自ら明かす時を待っていた。願っていた。祈っていた。何よりも大切な由良を包み込むように守っていた。ずっと守り抜き、いずれは克服するつもりだった。けれども、先に折れたのは藤近の方だった。藤近の命だった。自分の体は自分が一番よく分かっている。けれども病気には殺されない。藤近は病気による敗北を拒んだ。そして崩壊した思考回路は恋人である由良を道連れにした。

 いつしかの飲み会の帰り道。いつも通り水谷とは駅で別れ、藤近が由良を送っていく。別に手をつないだりすることはないし、キスだってしたことはない。酔っ払った藤近に注意を払いながら歩く様子は、由良が藤近を送っている風だ。前を歩く藤近を数歩離れて由良が追う。由良が最も幸せを感じるひと時だった。ただこの日は、突然に藤近が振り返った。その時の表情は忘れられない。少し赤らんだ顔にはにかんだ笑顔、から一転して真剣な眼差しに切り替わった。そして、耳元で2項目、3項目の説明をする。由良には戸惑いしかなかったが、断ることはしなかった。藤近が目薬のようなものを由良に手渡した。藤近にとっての、致命的な劇薬を。


 生武も水谷も傘を持っていなかった。だからなのか単に歩き疲れただけなのか、もしくは目的地まで距離があるのか、生武は通りかかったタクシーに乗り込んでしまった。焦る水谷。運命のいたずらというか、不条理な偶然を恨んだ。追いかけないわけにはいかなかった。頼れるのは己の脚のみ。とにかく全力疾走を、目的は生武邸。タクシーの行き先に確信はなかったが、そうあってもらわねばお手上げだった。水谷は祈りながら走り出した。

 A小学校、梶山商店、そしてユリの木公園と尾行を行い、絵とその色紙に残された意思表示を読む度に不安が募っていった水谷。さらに彼を苦しめたのは全くの初耳であったこと。夏休み頃からあれだけ一緒にいたにもかかわらず、話のひとかけらも明かされなかった。何故だ、と自問を繰り返した所で不毛に違いない。けれども、思考がネガティヴな方向に大きく流れたことが閃きに結びついた可能性は否定しない。そうでなければ最後の色紙に書かれた生武の遺言を読み取ることに時間がかかっていたかもしれない。それは手遅れを意味していた。負の直感が生武の思いを読み解いた。


 タクシーの車中、生武は死後の世界を空想していた。ただし死後の世界といってもあっちの世界ではない。自分の存在が消えた後の世界最初に見つけてくれるのは水谷君がいいな。それが生武び祈りであり、願いであり、断片的には未練として残っていた。

 偶然通りかかったタクシーに乗ってから10分程でアトリエに到着した。料金を支払いお釣りを断り、鍵を開けっ放しにしたままの扉を引いた。準備は整っている。アトリエの天井からは既に幾本か結ばれたネクタイが垂れていて、あとはその下の椅子に上がって首を通し、椅子を蹴り飛ばせばお終いだ。こだわりなぞがあるわけではないのだが、生武は椅子に上がる際に靴を脱いだ。橋の上、道路の端、駅のホーム、崖の先端、踏み台の手前には靴を揃えて並べておくのが定番で至当かのように。かかとのエンブレムが揃えられた。今まで描いた白黒の絵に囲まれるように配置したことで、旧き良き郷国に囲まれて天に召されるかと期待した由良であったが、聖なる感情は生まれなかった。思い出されたのは家族との楽しかった日々ではなく、水谷との夏休みでもなく、結局は地域社会への憎しみだった。怨み死にを免れることはできなかった。終幕へ向けて一段昇り、首を掛け、踏み台を蹴り飛ばした。


 水谷は走った。日頃の運動不足で酸素の運搬機能は著しく低下し、準備体操をしてないからか、すぐに膝が悲鳴を上げた。イライラしながら目ではタクシーを探しているのだが、都合よく走っていてはくれない。強くなってきた雨が邪魔者以外の何者でもなかったが、傘がないのは返って良かったのかもしれない。持っていたらその辺りに投げ捨てていたことだろう。背負っているサックの中身は揺さぶられてグシャグシャ、髪はボサボサ、上着はヨレヨレ。どう見ても彼女の家に向かう男の格好ではない。しかし今は緊急事態、致し方あるまい。生武のアトリエに着いて、

「あれ、どうしたの?すごい格好。」と笑われるのであれば願ったり叶ったりだ。けれどもそれは厳しいという現実を、だからこそ鈍ったカラダに鞭打っているのだが、踏まえざるを得なかった。悪い予感ばかりよく当たる。水谷の願いはあれもこれも。水谷は頭の良い人間である。冷静な判断、個人の願望を排除して極めて外からの考察に近い決断ができる人間である。藤近と由良にはもう会えないだろうと分かっていた。何も聞いていないし調べていないが、恐らくは。

 いずれ知ることになる真実を受け止める際、独りでは乗り越える自信がなかった。情けない話ではあるが、生武び存在が必要だった。生武のことが心底心配で駆けていることに嘘、偽りはなかったが、心の支えを求めている事も拭いきれない事実だった。

 あわよくばタクシーに追いつければと思っていたが、後ろ姿を見かけることもできなかった。生武の自宅は目の前。すれ違う人間に白い目で見られるごとに殺意が膨れ上がったが、押し殺すしかなかった。恥じらいの感情はそのせいもあって生じなかった。無論、恥ずかしがっている場合ではない。一刻を争う。だから水谷は設計図を描いた。まず玄関の戸の鍵が開いているかどうか。掛かっていたらベランダへと回り込む。扉をガチャガチャやっていいる暇はない。鉄製の扉を蹴り破ることは不可能だが、ガラス戸ならばどうにかなる。意地でもどうにかする。

 水谷が生武邸に到着した。息は切れ〃。両の掌を膝に当てて濡れた地面を見つめる。垂れる前髪が鬱陶しかった。その姿勢のままドアノブに手を伸ばす。指先が触れた。位置を確認、握り込む。ゆっくりと回してみる。すんなりと動いた。止まるまで捻り、戸を引く。開いた。刹那、力いっぱい引っ張り、大声で名前を怒鳴りながらアトリエに駆け込んだ。

 目の前の光景を現実のものとして受け入れるのに寸刻も要さなかった。困惑はなし。まず目に入ったのは倒れた椅子。と、宙に浮いた脚。予感は当たった。視線を上げれば首を吊った女性。息をしているかどうかは分からない。とにかく助けなければ。

 生武は生きていた。この時は―




【エピローグ】


 これより2日後、この部屋で男性と女性の遺体が発見された。2人並んで首を吊っていた。手を繋いでいた。部屋の中から遺書のの様なものは見つからず、また争った形跡もない為、心中という見方が強まった。後の調査では2人が仲睦まじく歩いている姿が確認されている。

 現場は風変わりな家で生活感はなく、2人を見送るかの如く白黒の風景画が沢山並んでいた。女性に家族はいない。父親、母親とも既に亡くなっていた。男性の方も父親は亡くなっていて、母親はほとんど家にいない。妙な共通点として両者の父親共区議会議員だったようだが―

 この前日、場所は随分と異なるが、自殺未遂の女性が発見された。亡くなった男性と同じ大学に通っていて、親交もあったようだ。手首を切って自殺を図ったが、住居人のいないはずの部屋から水の音がすることに気付いた管理人が合鍵で部屋に入り、浴室で発見された。一時は危険な状態だったが、現在は意識も戻り、命には別状がないという。会話をすることもできるが、精神状態は不安定で、

「独りになってしまいました。死なせて欲しい。もう生きていけない。」と繰り返しており、施設への入所も検討されている。

 彼女はこの後、されなる孤独を知ることになった。友人の男性が自殺した、と。


                                                    【露命 終】

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露命 遥風 悠 @amedamalemon

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