108話:5章 竜王
階段を駆け上がるマールちゃんたちを見て、ホッと一息吐く。
しかし、その余裕すら与えず、ティアマトーの尻尾がオレを薙ぎ払いにかかった。
「くっそ、仕切りなおす暇くらいくれよ!」
グラムを立てて、襲い掛かる尻尾を受け止める。
オレの身長ほどもある太さ、そしてまるでノコギリの様に逆立った鋭い鱗。
この尻尾で撫でられたら、それだけで肉が抉れ、皮膚が削り取られるだろう。
ドズン、と尻尾の一撃を受け、身体中の骨が軋む。
受け止めたグラムでさえ、ミシミシと嫌な音を立てている。
「こりゃ……師匠やレヴィじゃ、荷が重かったよなぁ。残ってたのがオレでよかったよ」
体捌きからのカウンターを主とする師匠じゃ、この尻尾は避けきれない。
レヴィだって、これだけの大質量を避け続けるのは、苦労するはず。
「まあ、オレも余裕があるわけじゃ、ない、けどなっ!」
受け止めたグラムを上に跳ね上げ、頭上へと受け流す。
尻尾をやり過ごして開いた懐に踏み込み、本体……と思しき人間風の身体に斬りかかった。
だがその剣撃は鋭い爪によって防がれる。
「尻尾をやり過ごしても爪があるのかよ。反則だろ、それ」
反撃に繰り出される爪を躱し、受け止めていると、今度は背後に気配を感じた。
咄嗟に背中に向けてグラムを突き立てる。
ゴリュッと骨を削るような音を立てて、背後に迫った尻尾に刃が刺さる。
ティアマトーは不快気な唸りを上げて尻尾を振り回した。
尻尾はグラムを突き立てたまま振り回され、オレもまた武器を手放すわけにいかないので、一緒くたにぶん回される。
「うわ、わわわわっ!?」
地面に、天井に、壁に……尻尾ごと叩きつけられ、ようやくグラムが抜ける。
地面に落下し、転がるように間合いを取ると、オレの落ちた場所に尻尾が叩きつけられた。
与えたダメージがどれ程のものか観察してみるも、棘が刺さった程度にしか思っていないらしい。
「不味いな。グラムじゃ相性わりぃや」
グラムもいい剣だが、この相手には相性が悪い。
コイツは分厚い敵やでかい敵を『斬る』分には優秀なのだけど、この敵のように『鱗が刃に食い込んで止めてしまう』敵だと切れ味を発揮できない。
ティアマトーを相手にするにはセンチネルやクリーヴァの様な、鱗ごと叩き壊す武器が必要だ。
「とはいえ、アグニは師匠に渡しちゃったし、オレは有る物でガンバルしかないんだけどな!」
鱗が刃を止めるなら、鱗のない所を斬ればいい。
周囲を取り巻く尻尾を躱し、本体に直接攻撃できれば、あるいはダメージを与えられるかもしれない。
幸いにしてコイツは余り小回りの効く敵じゃない。懐に潜り込むのは、それほど難しくは無いはず。
「だあぁぁっらあぁぁぁ!」
接近に邪魔になる尻尾をグラムで撃ち払い、頭上から襲い来る尻尾は飛び退いて避ける。
何度もそれを繰り返し、ようやく懐に潜りこむことに成功。
「喰ら……えっ!?」
襲い来る爪を撃ち落し、大きく剣を振りかぶったところで違和感を覚えた。
――尻尾は来ない、爪は払った。だが、なぜ戻ってこない?
尻尾も爪も、引き戻し体勢を立て直すには充分な時間が経ってるはず。
そう思い至った瞬間、違和感は危機感に変わった。
嫌な予感だけに従い、反射的に左へ大きく跳躍。
「ゴアァァァァ!!」
地響きの様な、ティアマトーの咆哮。大きく開かれた口……そして、オレの居た空間をティアマトーのブレスが吹き抜けて行った。
「っぶねぇ……」
オレの居た場所の地面が大きく抉れ、焦げ付いている。
世界樹の木そのもので出来た床が、だ。
「こりゃユーリ姉の『もう殺す』レベルの魔術に匹敵するな」
だが向こうは手札を一枚切った。ティアマトーの攻撃手段は尻尾、爪、そしてブレス。
いずれも高威力だが、攻撃前の『初動』は見抜きやすい。避けるのは充分に可能だ。
「いい加減、こっちに手番寄越せよ!」
飛び退った場所から回り込むように本体へ接近。
胴から続く尻尾の捻じれと逆方向に動き、尻尾の動きを封じる。
これで残るは爪とブレスのみ。
「今度こそ……喰らえ!」
一撃で勝利する為には、首を落とすのがもっとも単純だ。
オレはその常識に従って首元へグラムの刀身を落とす。
勝利とはいかないまでも、大きなダメージを確信したオレの手に帰ってきたのは、再び鉄を叩くような感触。
「なん――っ!?」
その原因は……髪だ。
一本一本が細い蛇の様になっていて、表面はやはり鋼の様な鱗が見て取れる。
それが頭部から首元までを覆っていた。
「ち、くっそぉ!」
コイツ、幾つ隠し玉を持ってるんだ? なかなか攻撃の切り口が見つけられない。
オレの驚愕の隙をついて、体を向き直すティアマトー。懐には残れているが、これでまた元の木阿弥だ。
上下左右から降り注ぐ爪を捌き、背後から襲い掛かる尻尾をいなす。
重い攻撃に次第に体力が尽きてくる。そこらの戦士だったら最初の一撃で死亡してるところだ。
「しつ、こいん、だよっ!」
爪を弾き返し、身体へ切り込む。その一撃も頭部から纏わりつく蛇が受け止める。
今度は弾いた手とは逆の爪が落ちてくる。それをグラムで受け止め――
「ぐぁあぁぁ!?」
足首に鋭い痛み。見ると髪から抜け落ちた蛇が、足首に噛み付いていた。
次第に痺れてくる身体。毒も持っているのか!
「斬り、おとしても……生きてんの、かよ……」
急激に鈍る動きが尻尾の一撃を避け損ねた。
打撃だけじゃない、棘の様な鱗が右腕の肉を抉る。
「あがぁぁぁああぁぁぁぁっ!!」
幸いと言っていいのか……胴体はファブニールの鱗鎧に守られて無事だったが、また片腕に逆戻りだ。しかも今度は利き腕が動かない。
足も無傷だったのは
「くっ……だが、まだ……まだ動ける!」
だが強がってみても、状況は悪化するばかりだ。
身体がまだ動くうちに、こっちの『切り札』を使用するべきか。
思案する隙も与えないつもりか、ティアマトーは爪で大きく薙ぎ払ってくる。
左手一本のグラムでそれを受け……受けきれずに弾き飛ばされた。
グラムと鱗鎧の頑強さが無ければ致命傷を受けているところだった。
「ごほっ……でも、その攻撃……失敗だった、な……」
一瞬でズタボロにされたが、距離を取ることができた。これなら使用する暇もある。
オレはユーリ姉から預かっていた布を取り出し、広げる。
そこに描かれたのは、転移の魔法陣。
増槽用マントと同じ構造で、転移用の魔力はすでに蓄えられている。その分、本家より耐久度に劣るけど。
「使えるのは一度きり……頼むから……
祈るような気持ちで式を起動。
続いて転移独特の発光。
光が静まった後には……床に寝そべって寛いでる一人の少年の姿があった。
「んぁ? やあ、アレク君。お仕事かい?」
「ああ、悪いけど頼む……ちぃとばかり手に余る……」
まるで街角でばったり出会ったかのような態度で軽口を叩く、バハムート。
「こりゃまた随分派手にやられたモンだ……痛そうだね」
「超、痛いよ」
本来、彼は迷宮には入れない。
世界樹は彼を異物として認識し、迷宮の入り口や外周で弾き出してしまうからだ。
――ならば、直接内部に転移させればどうだろう?
ユーリ姉はそう考えて、この魔法陣を作り上げた。
バハムートは自宅地下で、水や食料の転移陣を整理してくれている。
食料を転移すれば補充しておいてくれるし、空の水瓶を送り返せば、そこに足しておいてくれる。
逆に言えばそれしかしていない。することが無い。
竜王である彼は、その気になれば年単位で水も食事も必要としない。
巣を守るドラゴンそのものに、ただひたすら惰眠を貪り続けることができる。
だが、百パーセントそこにいるというわけじゃない。
食料は傷むし、水だって汲みに行かねばならない。オレたちが使っているのは『世界樹の水』だ。
水壁や水流の魔術で生み出す水とは、わけが違う。いちいち水道のある場所まで汲みに行かねばならない。
それに来客だってある。
レミィさんは頻繁に訪れて、家中を掃除してくれてる。
食料の宅配もある。
オークションに出品した結果の報告や、入金した金貨を運び込まれることもある。
そして、その資産を狙って盗賊が潜り込もうとすることも少なくない。
それらの対応を、全てバハムートは引き受けてくれてる。
彼にとって、ユーリ姉の出す食事はそれだけの価値があるらしい。
そしてオレや師匠とじゃれ合うのも、結構気に入ってるんだそうだ。
だからできる限りで手伝ってくれる。
逆に言えば手伝ってくれる分、転移陣から離れるというわけで……居るかどうかは本当に賭けだった。
「ふむ、ティアマトー、か。キミ、まだ九百九十九層の守護者なんてやってたんだ? あ、ここ九百九十九層でいいよね?」
「そうだよ」
「世界樹に縛られたままだなんて、キミも代わり映えしないなぁ」
新たに登場した脅威に……大きすぎる脅威に、ティアマトーがブレスを放つ。
その大熱量をあっさりと障壁を出して防ぐバハムート。
「そういえば、ユーリ君たち見ないね? どこ行ったの?」
「別行動中だよ。ユーリ姉は上、師匠は下」
「上……ついに千層到達か。感慨深いな」
とんでもない威力のブレスを世間話交じりに防ぎきるバハムート。やはりコイツはとんでもない。
ティアマトーはブレスが効かないと知るや、尻尾の攻撃に切り替える。
鞭の様に先端を
ユーリ姉が言うには、破裂音は先端が音速を超えた証だとか?
――この野郎、こんな手まで残してたのか。
だが、それすらもバハムートが片手で封じてのけた。
叩きつけられた尻尾を、片手で掴み取る。
「悪いね、ちょっと時間もないしさ。キミ退場してくれるかな?」
そう言って掴んだ尻尾を、虫でも払うかのように放り投げた。
ブチリ、と気味の悪い音を残して、尻尾が千切れる。
「ガァアアァァァァ!」
今度こそ、ティアマトーが苦痛の悲鳴をあげる。
それを聞いてバハムートは一つ頷いた後、その姿を急激に膨張させる。
変異が終わった後、そこには『バケモノ』が存在した。
黒光りする鱗。口元から漏れる煙。炯々とした眼光。そしてティアマトーすら軽々と超える巨体。
そこには『神聖』だとか『邪悪』だとかいう括りを超越した……『力の象徴』が居た。
その威容に、恐怖に押し潰されるたティアマトーが攻撃を仕掛けた。
ブレスは鱗に弾かれた。
爪は弾かれ、折れ飛んだ。
尻尾を振ろうにも、千切れて存在しなかった。
蛇神の表情に絶望が浮かぶ
その気持ちは……今ならオレもわかる。
コイツには――勝てない。
「全く、貴様は変わらぬな。樹に縛られていることも、攻撃する手段も、今の自分に疑問を持たぬところも」
バハムートが腹に響くような低い声で呟く。
姿が変わった瞬間、その声も威厳に満ちている。
「
宣告と共にバハムートがブレスを放つ。
その閃光は目を焼き視界を奪い……再び目を開いた時はティアマトーは跡形も無くなっていた。
世界樹の、強固な外壁と共に。
「ということで、もういいかな?」
「あ、ああ……」
人の姿に戻った彼は、再び軽口口調に戻っていた。
とはいえ、あんなのを見せ付けられて、いつも通り返せるはず無いし。
「なに? 怖かった?」
「あ、当たり前だろ!」
嘘をついてもしょうがない。心底から恐怖した。
あれが敵に回ると思ったら絶望するしかない。小便を漏らさなかったのが不思議なくらいだ。
「ま、君はいつも『ボクを越える』って息巻いてたからね。大人しいのはちょっと違和感あるなぁ。わりとそういうの、好きだったんだよ?」
「無茶言うなって」
「それにさ……制限時間だし?」
バハムートがそういった直後、世界樹から蔦が伸び、その身体を拘束しに掛かる。
「この蔦くらい、軽く破れるんだけど……しつこくてね。何度毟っても絡み付いてくるんだ。メンドくさいから、事が終わったら迎えに来てよ?」
「おい、魔王がこの上にいるんだよ! ユーリ姉たちが抑えているんだ、せめてそっちを――」
「それはきっと大丈夫だよ。キミはもっと姉を信じてあげなさい」
「だから無茶言うなって!」
その言葉を最後に、彼は世界樹の中に取り込まれてしまった。
◇◆◇◆◇
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