103話:5章 吸血鬼

「グオォォォォッ!」


 ズズン、と地響きを立てて地に沈む魔獣。

 九百九十五層の番人ベヘモスの最期です。


「つ、疲れ……た……」

「お疲れです、アレクさん」


 倒したと同時に、腰を抜かしたように座り込んだアレクを気遣うマールちゃん。

 ですが彼女の声も疲労の色が濃いですね。

 九百九十五層に居たベヘモスは、とにかく硬い、分厚い、しぶといと三拍子揃ったとても嫌らしい敵でした。

 しかも精神抵抗値が高いのか、魔術はほぼ効果を減じられ、電撃系に至ってはアースされてダメージが通らない始末。

 熱球や熱閃で外皮を融かしても、部屋に敷き詰められた砂をドンドン取り込み再生してしまうのです。

 結果として、わたしは足止め系の魔術を主体にサポートして、前衛三人が力尽くでゴリ押ししました。


「ハァ、こういうスマートじゃない戦いは苦手なのです」


 アレクと同じ様にへたり込んだのは、わたしとレヴィさん。

 続けざまの大型魔術の使用で増槽用マントの予備魔力の半分が消し飛んでしまいました。

 レヴィさんは魔剣を使用してるので、魔力の減少自体は少ないのですが、スピード重視の彼女に長期戦は大きな負担になったでしょう。


「しかもコイツ、何にも出さないのな。宝箱くらい隠してあってもいいじゃないか」

「ハスタール君は意外とがめついなぁ」

「寄り道する余裕はもうないからな。手っ取り早く強化できるものがあれば、咽から手が出るほど欲しい」


 エリクサーを入手して二日。まだ魔王たちには追いつけていないのです。

 世界樹の若芽が摘まれると世界樹全体が淡く発光して反応するので、まだ入手してはいないはずなのですが……

 もはや猶予は一刻も残っていないはずです。

 迷宮は八百層を越えた辺りから、目に見えて狭くなっています。

 これは頂上に近づき、幹の太さが細くなってきているからだと推測されます。

 九百五十層を越えた辺りでは、もはや四部屋程度しか存在しない小規模ダンジョンと化し、九百九十五層ではついに番人部屋だけになってしまいました。

 おそらくこの先は同じく番人の部屋だけなのでしょう。


「戻る余裕も、もはや無い。番人との戦闘だけしか存在しないなら、メリットはむしろ魔王たちの側にある」


 ここから先がボス五連戦だとすれば……出てくるのがベヘモスの様な神話級魔獣だと仮定すると、有利になるのは魔王たちです。

 迷宮の罠や迷路という、わたしたちにあったメリットが消えたのですから。

 とはいえ、戦闘すれば消耗するのも当然なわけで、そこを『世界樹の水』で短縮できる点、わたしたちが完全に不利というほどでもありません。


「すぐ休息を取って次の層に向かおう。迷宮を今日中に踏破するぞ。何時あいつ等と出会ってもいいように、覚悟だけはしておけよ?」

「任せといてや、今度こそブチノメシたるで」

「借りは返すよ。ついでにセンチネルも返してもらう」

「ついにアルマの仇を討てる時が……」

「マリィ、落ち着いて。作戦、忘れちゃダメだよ?」

「忘れませんわよ」


 連中と会った際の対応策を、わたしはいくつか考えてあります。

 ここのところ、休憩時間はほぼその話ばかりです。対策を考え、アクシデントに備え、それでもなお最悪の事態が起こった時の対処まで。

 おかげでわたしたちのテンションは、最高潮を維持できているといってもいいでしょう。作戦前の軍隊みたいなのです。


「十分休憩。その間に『水』を飲んでおけ。そしたらすぐに次の層に突入するぞ」

「了解」


 勢い込んで返事をするわたしたち。

 そして十分後……わたし達はあの女に再会したのです。



 九百九十六層。真っ暗闇の中、その女は佇んでいました。

 番人を倒した彼女がいるせいでしょうか、わたしたちが部屋に入っても、この階の番人は現れません。

 わたしの維持する光球に照らし出されたのは……吸血鬼。五年前、わたしを散々翻弄してくれたあいつです。


「あら、下の騒ぎからまだ十分そこそこよ? 意外と消耗してなかったのね?」

「お前一人か?」

「怖い顔しないで、ボウヤ。それと、私の名前はクラウディアよ」

「……一人なのかと聞いている」


 ハスタールは完全に警戒態勢。アレクやレヴィさんも無論です。


「ツレないこと……そうよ、私一人。あなたたちの足止めに待っててあげたの」

「オレたちが追いついてきてるのに、気付いてたのか?」

「あれだけカンカン煩く音を鳴らしてたら、そりゃ気付くわよ?」


 探信の難点がここで響いてきたようです。反響を聞き取るという術の特性上、仕方の無いことではありますが。

 コウモリのように、可聴域外の音波を出せるように改変すれば良かったでしょうけど……時間の無さが恨めしいです。


「私たちに追いつける連中がいるなんてオカシイと思ったけど、あなたたちなら納得だわ。死んでなかったのね。それに姿も変わってないのが何名か?」

「お前だって変わってないだろう。それで、マサヨシたちはどれくらい先にいる?」

「ふぅん、人間もそういうのが居るのかしらね? それに陛下がどこかは答える義理は無い、と言いたいところだけど……そうね、別れたのはこの二層ほど先ね」

「九百九十八層か。サービスがいいんだな?」

「どうせ、わたしがここで殺すんだもの。教えても問題ないじゃない?」


 豪奢な金髪と妖艶な身体を揺らして、クスクスと笑う彼女。

 吸血鬼と言う種族独特の、妖艶でありながらも、恐怖と戦慄を孕む気配を漂わせています。


「今のわたしたちを、たった一人で足止め出来るとは思わないことですね」


 一斉に掛かれば、彼女とて短時間で制圧できるはず!


「もちろん、無理でしょうね。でもその時間があれば陛下は不死を手に入れるわよ? それにわたしは吸血鬼。しぶとさは折り紙付きなのよ」


 ニタニタと、こちらを試すような表情。

 これはつまりあれですか? 一人が彼女を抑えて残りが先に進む的なシチュエーション?

 彼女の表情は、わたしたちに仲間を置いていくことができるかを試している、と?


「いいだろう、その挑発に乗ってやる。ここは私が引き受けよう」

「ハスタール!?」


 わたしと同じ結論に達したのでしょうが、なぜあなたが残るんですか!?


「ユーリの立てた作戦では俺が彼女を抑えれば何とかなったんだろう? ならばここで俺が残るのが最適なはずだ」

「ですが……」

「運よく向こうから戦力を分断してくれたんだ。ここは乗らない手は無いだろう」

「うぐ、でも……あ~ぅ~、死なないで、くださいね?」

「俺は『死なない』んだろう? 大丈夫だから、先を急げ」

「師匠、任せます」

「そっちこそ、ユーリを任せたぞ」


 こうして、わたしたちはハスタールを置いてクラウディアを回り込み、階段を上りました。



  ◇◆◇◆◇



「一人で残るなんて勇気があるわね、ボウヤ? 顔も悪くないし、なんだったら眷族にしてあげてもいいわよ?」

「年増は遠慮する」


 俺の発言に驚いた表情をする彼女。そしてすぐに納得した顔で返してきた。


「あら失礼ね。それとも幼女趣味なのかしら? そういえば前に、あのお嬢ちゃんを嫁って言ってたわね」

「子供が好きなわけじゃない、『ユーリ』が好きなだけだ」

「それ、本人に言ってあげたら喜ぶでしょうに」

「言ってるさ。毎晩、何度も、繰り返しな」


 本気で言ってるんだが、どうも最近、定型文的な取られ方しかして無い気がする。

 やはり女には、言葉だけでなくプレゼントも必要か?


「そ? ならもう思い残すことは無いわね」

「そうだな、そっちは言い残す言葉は無いのか?」

「あら、私に勝てるつもりなのかしら」


 心底驚いたという表情。自分の勝ちを信じて疑わない顔だ。

 それならそれで、付け入る隙はありそうだ。『慢心、ダメ、絶対』ってユーリが言ってたしな。

 ならば慢心から怒りへと、余裕を無くさせてもらおうか。


「無論、吸血鬼風情に遅れを取るつもりは無いさ」

「本当に惜しいわね。度胸もあるし顔もいい。そうね、力尽くで叩き伏せて、無理矢理眷族に入れちゃうのも面白いかな?」


 あー、まずいか? 俺は不死ではあるが、吸血鬼の眷族化って無効にできたかな?

 さすがに、これは実験したことはなかったな。


「それは勝ってから言うセリフだな」


 詰まるところ……これは久し振りに負けられない戦いになったというわけだだ。

 俺は覚悟を決めて、吸血鬼に踊りかかった。


「行くぞ!」


 大声をかけて大きく踏み込む一歩。あからさまな開戦の合図。

 その声に反応して吸血鬼は影に沈む。

 予想した通りの反応。この後、吸血鬼は――


「そこ!」


 右腕で首元を庇い、左腕を大きく後ろへ振り回した。

 吸血鬼の性だろうか、彼女が影に沈むと必ず左後方へ転移してくる。

 おそらく動脈に噛み付くためだろうが、そんな見え見えの奇襲に掛かってやる義理は無い。

 ガキンと首に巻き付けるようにガードした右腕に噛み付いたせいで動きがとれ無くなった彼女は、振り回した左の攻撃をモロに受ける。

 ドスンという、重い手応え。そして吹き飛ぶように後ろに下がる彼女。


「やってくれるじゃない……ガキが!」


 腹部を獣王の爪で大きく抉られていたが、見る間に傷が塞がっていく。これが吸血鬼の回復力か。

 先手を取られ、不意打ちを防がれただけでなく、反撃まで受けた。

 その醜態が彼女のプライドを傷付けたのだろう、妖艶な美貌は見るも無残に崩れ、鬼哭の面も顔負けな狂貌へと変わる。


「ハッ、それが本性ってわけか。俺の嫁はどんな窮地でも、可愛いままだったぞ?」

「ほざけ!」

「そうやって挑発にすぐ乗るところも、飼い主そっくりだ」

「陛下を侮辱するか、この『負け犬』が!」

「――負け犬にも、牙はあることを思い出させてやろう」


 負け犬――五年前の敗戦以来、俺をさいなんできた一言だ。

 今の俺に対して、もっとも言ってはならない一言。

 一瞬で頭が沸騰しかけたが、すぐに冷静さを取り戻す。前はユーリを馬鹿にされて、そのせいで冷静さを欠いてしまったからな。

 ユーリには聞かせられないほど殺意を含んだ声で挑発に応え、反撃に出る。

 吸血鬼はその身体能力と魔力の桁が、人間のソレを大きく上回る。

 大魔術の撃ち合いでは、いくら『竜の血』と『心臓』を取り込んだとしても、不利は否めない。


「ガキが、死ねぇ!」

「だが断る!」


 ユーリがよく使うセリフを口にしながら、吸血鬼の爪を受け止める。

 重い一撃に腕ごと持って行かれそうになりながら、かろうじて受け流す。


 ――ギリギリ対応できる範囲か?


 相手の攻撃を流し、体勢が崩れた所に反撃。これも決まるが、全く意に介さずに続けざまに爪を振り回してくる。

 吸血鬼の再生力によほど自信があるのだろう。

 俺は攻撃の勢いを利用し、相手を投げた。そのまま地面に叩きつけ、顔面に一撃。


「ガハッ!?」


 大きく頬を削られ、のけぞったところに蹴りを撃ち込む。

 肉は抉れるが、ダメージは全く効いてる風には見えない。だが、攻撃を続ければ相手も消耗するはず。

 ボールのように地面を跳ね飛び、転がり、埃に塗れる吸血鬼。

 接近戦ならば力を受け流し、反撃する手段は幾らでもある。持久戦ならば、このままこの間合いで……


「しまっ――!?」


 そこで互いの距離を見て愕然とした。

 蹴りを入れたことで吸血鬼は地面を転がり、間合いが大きく外れてしまったのだ。

 追撃の一打が、明らかな悪手と化してしまった。そして驚愕の声を上げたことが、ミスを相手に知らせる。二つのミスを立て続けに犯した。

 俺の狼狽を見て、その意図を見抜いたのだろう。抉れた顔で吸血鬼がニィと嗤う。


穿うがて、炎よ――炎弾!」


 吸血鬼が使ったのは、もっとも単純な攻撃魔術の炎弾。

 単純で、改造しやすく、もっともポピュラーな攻撃魔術の一つ。だがヤツの作り出したそれは、まったくの無改造。

 ただし、そこに込められた魔力は俺の全力すら、遥かに超える。

 地を抉るほどの威力が放たれ、迷宮を大きく揺らした。



  ◇◆◇◆◇

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