93話:4章 脅威

 救護室の中の寝台では、マールちゃんとマリエールさんが並んで寝かされていました。

 マールちゃんはアレクを見て、震える足で駆け寄り、盛大に泣き出してしまいました。


「アレ……ひぐっ、うぁ……うわぁぁぁぁぁん!」

「マールちゃん、無事で、よかった」


 感動の再会ですが、わたしとしてはマリエールさんの表情の方が気になります。

 ……あからさまに思いつめた表情。


「マリエール、さんでしたっけ? その、あまり思い詰めない方が」

「無理よ」

「ですが――」

「アルマが殺されたのよ? このわたくしの目の前で。許さない……アイツら」


 まだ幼い彼女の口から漏れる、低い、押し殺した声。

 その声も、セリフも、彼女の様な年代の子が出していい物じゃ無いです。

 ですが、なんといって声を掛ければいいのでしょう?

 わたしだってハスタールやマールちゃんが同じ目に遭わされれば、あんな目で、あんな声で、殺意を漲らせるでしょう。


「何があったか、聞いてもいいか?」


 ハスタールが彼女に問いかけます。

 マールちゃんの方は話せる状態じゃないでしょう。

 復讐心に溢れているとはいえ、彼女の方がまだ会話はできる状態です。


「あの日は……いつものように五層を探索していたわ。わたくしたちは番人と戦うことを禁止されていますので、ここが潜れる最深部。わたくしたちは実力も上がり、物足りなさも感じていましたわね」


 彼女たちの実力ならば、確かに五層では物足りないでしょう。

 特にマリエールさんの魔術は初級レベルでも充分通用します。


「余裕がハンスを調子に乗らせていましたわ。いえ、わたくしたち全員がそうだったのかもしれません。彼は番人を攻略しようと言い出しました」


 その気持ちもわからなくはありません。少年特有の英雄願望。それも、実行可能な戦力が配下についているのですから。


「マールとトーニ先輩は反対しましたわ。ですが、わたくしもアルマも……勝てると思っていましたから、特に反対はしませんでした。

 その余裕がいけなかったのですわね。わたくしたちも反対票を入れていれば、口喧嘩もすぐ終わり、あいつらと出会うことは無かったのに」


 あいつら……マサヨシと名乗る者は、おそらくはわたしと同じ転生者ですね。


「あいつらはわたくしたちの前にやってきて、『揉めてるんなら先に行かせろ』と言ってきましたわ」

「まあ、そこは当然だろうな。どんな連中だったか覚えているか?」

「リーダーは鎧も武器も着けていない異様な風体でしたわ。まるで散歩でもしているかのような。他にも五人。

 二人は皮鎧だけを身に着けた軽装の戦士。と言っても、こちらも武器は見当たりませんでした。

 二人はローブを目深に被った術師風。詳細はよくわかりませんでしたわ。

 最後の一人は露出の多い衣装を着た女でしたわね。コイツは明らかに人じゃありませんでしたわ」

「何か目立つ差異があったのか?」

「いえ、ですがコイツがトーニ先輩の生き血を吸い尽くしたのですわ」

「吸血種、か……」


 人以外のバケモノを従える? ああ、なるほど。つまりコイツらが……


 ――魔王一派、というわけですか。


「あいつらはわたくしたちの答えを待たずに無視し……まあ、ハンスがスルーしていたからですけど、番人の部屋に入ろうとしましたわ。

 それがハンスの癇に障ったのでしょうね。彼は例によって火弾の魔術をリーダーの男に放ちました。もちろん威力は大きく弱めていましたが。

 その直後ですわ。彼らの様子が一変したのは。

 最初にハンスがバラバラに吹き飛びましたわ。魔術を放った直後、その構えすら解かないうちに。

 軽装の戦士の一人が、いつの間にかハンスの目の前にいて、長く伸びた爪の付いた腕を振りぬいていました。

 そこでアルマが反応しました。剣を抜き、男を迎え撃ち――その瞬間にトーニ先輩が『喰われ』ました。

 まるで影に沈むように移動した女に背後を取られ、首筋に噛み付かれ、逃げることも出来ず、逃げようとすらせず」


 逃げなかった? それは魅了の能力でしょうか?

 吸血種ならば、常態で持っていると聞きます。


「最後にリーダーの男が、アルマの頭を、殴り……うぐっ!?」

「だ、大丈夫ですか? 無理しなくていいんですよ?」

「大丈夫、ですわ……アルマは最後の瞬間、わたくしたちに『逃げろ』と……ですが――」

「ごめんなさい、わたしは、その時にはもう、怖くて、震えて……逃げるなんてできる状態じゃなかったの」


 マールちゃんが嗚咽を堪えながら後を継ぎました。

 子供の彼女が、突然そんな惨劇に巻き込まれたら、硬直しても仕方ないでしょう。


「リーダーの男はわたくしの首を掴み、『お前ら、迷宮内に巣食う野盗って奴か? いきなり攻撃とか躾がなってねぇなぁ』と」

「その人はわたしたちに、『奴隷になるなら、命だけは見逃してやってもいいぜ』って。わたしは何がなんだかわからなくて……」

「わたくしは『奴隷』と言う言葉だけ理解できましたわ。

 アルマを殺したくせに……わたくしに奴隷になれと……それで頭に来て、顔に唾を吐きかけてやったんです。

 そしたら、その男は『これがツンデレって奴か?』というわけのわからないことを口走り、わたしを殴り飛ばそうとしましたわ。

 その時、マールがわたくしを突き飛ばしてかばってくれて……」


 親友を殺された直後にそれでは、無理もありません。

 それにしても、魔王マサヨシ。舐めきった言動と、最低の態度ですね。わたしでも許せません。


「その時は無我夢中で、なにがなんだかわからなかったもの。だからギリギリで動けたんだと思う」

「あなたは命の恩人ですわ。でもあんな無茶はもうしないで。自分の身体がどうなったかわかってまして?

 右胸部貫通、肋骨から肺に至るまで全部位損壊。自発呼吸できずに、放って置けば五分も持たずに死んでしまうところでしたのよ」

「うん、生きてるのが不思議だった。ありがとう、マリエールちゃん」

「お礼を言うのはまだ早いですわね……その、申し訳ないのですが、あなたの傷、完全に治す事ができませんでしたわ。ごめんなさい」


 後で確認したのですが、マールちゃんの右胸と背中には、大きな傷跡が残っていました。

 人体を貫通するほどの打撃を受けたのだから、仕方ないかもしれません。

 むしろ破損し、消失した臓器や皮膚を再生してのけたのですから、その技量は素晴らしいものでしょう。

 深々と頭を下げるマリエールさんを、彼女は抱きしめて受け止めます。


「いいの、生きてるだけ儲けものだもの。マリエールちゃんには感謝してるよ? その、アレクさんには申し訳ない気分だけど」

「俺は! そんな傷なんて気にしないから!」

「でも……」

「それに俺だって、片方腕が無いし」

「あは、わたしたち、傷だらけだね。ねえ、アレクさん」


 彼女はそこで、泣きそうな表情をして……


「なに?」

「村に……帰ろう? あんなの、相手にしちゃダメだよ……」

「え、でも……」

「マリエールちゃんが捕まった時ね。彼女も抵抗したんだよ? 火とか氷とかの魔術で。でも全然通じなかった。傷一つ負わなかった。あんなのは異常だよ」


 魔術が通じなかった? 魔術無効か何かのギフトでも持っているのでしょうか?

 いや、いくらなんでもそれは桁違いすぎる。でもわたしのギフトを考えれば、それくらいあり得るかも知れません。


「すまないが、そこは詳しく教えてくれないか?」

「わたくしが使用したのは火弾、氷剣、風刃、光矢の四つですわ。それぞれトロールにだって致命傷を負わせられると、自負してましたのに」

「それが全く効かなかった?」

「そう、なのでしょうか? 効かないと言うより、通じないと言った感触だったのですが」


 抵抗値が異様に高いのでしょうか。それでも傷一つないのは異常です。


「バケモノ、だよ。あんなの反則だよ……あ、アルマさんだって……やだ、わたし、もうやだぁ!」

「マールちゃん!」


 アレクは片腕で、彼女を抱きしめます。

 あの惨劇の光景がフラッシュバックしたのでしょう。ガタガタと、いえ、そんな表現すら生温い。まるで発作のように身体を痙攣させています。


「あの光景を目にしたのですから、無理もありませんわ。でも、わたくしは諦めませんわよ」

「復讐するつもりですか?」

「ええ、だから……あなたたちのパーティにわたくしを入れてください。こう見えても治癒術は一通り修めてますわ」


 水の聖者の弟子。

 その彼女を仲間に引き入れることができるのなら、わたしたちにとっても、これ以上のことはありません。

 ですが彼女の目的は復讐。わたしたちのそれとは微妙に異なります。

 そんな彼女を迎えていいものでしょうか?


「こちらの目的は復讐じゃない。だからそれが目的な以上、君を仲間にはしたくない」

「そう? あなたがここ最近では一番有能な冒険者と聞いて、期待していたのですけど。まあ、いいわ。他にもパーティはあります」

「言っておくが、次はおそらく無いぞ? 連中は次に出会ったら、間違いなく君を殺すだろう」

「望むところですわ、返り討ちにしてやります」

「無理だと言って――」

「ハスタール」


 わたしは彼の腕を引き、首を振って無駄の意思を伝えます。

 今の彼女には、どんな言葉も通じないでしょう。

 もう少し落ち着いてから『交渉』すればいいのです。


「この話は後日としよう。君たちも今は身体を休めるべきだ」

「そうですわね、少し疲れましたわ」

「アレク、彼女に付いててやれ」

「わかりました」


 わたしたちはアレクを置いて、休憩室へと戻りました。



 ギルドの休憩室には様々な身分の人が集まっていました。

 ハンスが貴族だったことが問題になっていたのでしょう。明らかに平民でない者まで混じっています。

 議論を行っているものもいましたが、その様は正に喧々囂々けんけんごうごう。それぞれの主張が行き違い、まるでまとまりがありません。


「それも仕方ないですかね」


 なにせ、事の発端はハンスが先制攻撃を仕掛けたことです。

 たとえ殺意が無かったとはいえ、魔王側としては自衛しただけという題目が立っているのです。

 処罰されるべきはマールちゃんの側であり、彼らは無罪となるべき、なのでしょうか。

 ですが、明らかに過剰。しかも未成年を殺傷しているのです。

 更に貴族の師弟と聖者の弟子。


 聖者の弟子を処罰するのか?

 魔王を処罰するのか?

 そもそも処罰できるのか?

 できたとしても、処罰してただで済むのか?


 マールちゃんに関しては、特に問題もないでしょう。

 罰金ならば代わりに支払えますし、懲役なら保釈させればいい。

 少なくないお金は掛かるでしょうが、彼女の言うとおりマレバ村で隠居させるなら、事を荒立たせたくないギルドが動くことは無いでしょう。

 なんだったら、わたしやハスタールが表に出てもいい。


 マリエールも同様です。

 彼女自身の希望はともかく、今の彼女は迷宮に入れるべきではありません。

 破滅的な復讐願望に囚われた彼女の巻き添えになるパーティだって、出るかも知れないのです。

 祖母で現聖者のオンディーヌが出てくれば色々面倒ですが、そこはハスタールに頑張ってもらいましょう。


 魔王を処罰?

 それこそ『何をバカな?』です。罰してどうなります?

 ヤツラは放っておいても迷宮に潜ります。

 入り口に軍隊を敷設して侵入を防ぐなんてこともナンセンスです。

 そもそも、その程度じゃ止まらないでしょう。


「結局、誰も罰することができないのでしょうね。今回の事件」

「そうかもな。それよりレヴィ」

「ん?」

「話だけでトンデモない連中だが……アレを出し抜けと言うのか?」

「そやね。ハスタール君たちやないと、でけへんと思うわ」


 腕から爪を伸ばしたのは、おそらく獣人種。それに吸血種もいる。

 残り三人に至っては正体すら判らない。

 魔王本人のギフトの中身もわかりません。


「絶望的じゃないですか?」

「そうかもなぁ……でも、せやからユーリちゃんたちやねん。この街を含めても、キミらが一番可能性が高いから」

「こんなことになっても、わたしたちに頂上を目指せと?」

「悪いと思てる。でも、こっちの理由もあってな。堪忍や」

「やれやれ、神様も無茶言うものです」

「へぁ、神様?」

「いえ、こっちのこと」


 いざとなったら逃げる。そんな選択肢は無いのでしょうか?

 どうにも登頂する動機がハッキリしないわたしたちは、その士気を大いに挫かれたのでした。

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