89話:4章 蘇生
巨大なドアの向こうは、一辺二十メートルはあろうかという大きな部屋になっていました。
中央には、まるで玉座のように椅子が
玉座には……コボルド? と疑問に持つほどの巨体が収まり、その存在感を周囲に撒き散らせています。
「あれ、本当にコボ、ですか?」
「マジ、か?」
わたしとアレクが思わず声を漏らすほどの巨体。
本来一メートルほどで、懐けば愛くるしさすら感じるコボルド。ですがそこには三メートルを遥かに超える、もはや別の何かが存在していました。
あれが、コボルドロード……なのでしょう。
コボルドロードはわたしたちの入室を認めると、その巨体を揺らし、傍らの巨剣を取って立ち上がりました。
巨剣……刃の大きさはセンチネルにすら匹敵します。
「来るぞ!」
「ゴアァァァァァァァァ!!」
ハスタールの緊迫した声と、コボルドロードの咆哮が重なりました。
精神にずしりと圧し掛かるような負担を感じます。叫びには、おそらく『威圧』の効果もあるのでしょう。
一斉に駆け出す、ハスタールとアレク。
取り巻きのコボルドたちは慌てて弓を手に取るところです。
「先手、頂きです!」
武器を取るために動きを止めた、その一瞬を狙ってわたしは矢を放ちました。
――狙いは右端!
サードアイは封印しているので、鋼鉄矢ではなく普通の矢です。
ですが一メートル程度のコボルドならば、わたしのショートボウでも充分にダメージを与えられます。
いつもと違い、頼りないほどにか細いそれ矢は、狙いたがわずコボルドの左目に突き刺さり、脳まで到達してそれを抉ります。
「ギキィ!?」
悲鳴を上げ、もんどり打って倒れるコボルド。
あの傷では、おそらく戦線復帰は難しいでしょう。
「グルァ!?」
「させるかっ!」
仲間を撃たれ、懐に飛び込んできたハスタールに向けて、怒りの一撃を振り下ろすコボルドロード。
その巨大な剣の側面を、アレクのセンチネルが叩き、軌道を逸らせます。
体勢の崩れた、その足に向けてハスタールが剣を一閃。
鈍い刃では分厚い筋肉を切り裂くことは出来ませんでしたが、それでも傷を負わせることには成功しました。
「グヮン!」
コボルドの叫びと、弓の軋み。
続いてコボルドアーチャーの矢が飛んできました。アレクとハスタールに一本ずつ、わたしにも一本。
アレクはセンチネルで、ハスタールは鎧で弾き、わたしは身を伏せて躱します。
身体の小さなわたしは、伏せるだけで充分な防御姿勢になるのです。
ましてや、身体強化時の近接戦闘の際は三点接地のこの姿勢を取るのことが多いので、ここからの機動も慣れたものです。
矢を躱したわたしは、そのまま転がって位置を変え、次の矢を準備している左端の一匹に狙いをつけます。
放たれた矢は、狙い違わず喉元に突き刺さり、これも無力化。
こうしてハスタールがコボルドロードを攻略するまでに、わたしが取り巻きを倒しアレクが彼を護衛する、という戦況が完成しました。
戦いが始まって、もう十分は経ったでしょうか?
たった十分? と思うかも知れませんが、全力で機動する十分はとても長いです。
剣道や空手の試合時間は五分が目途。相撲にいたっては四分を超えれば大相撲と呼ばれ、水入りしてしまうこともあります。
ハスタールも息が上がり、目に見えて動きが悪くなってきました。
防御に徹しているアレクは、全力で動いてはいないので余裕があるようですが、わたしも弓を引く手が痺れてきています。
すでに九度の弓を射て、矢筒の普通の矢は残り三本。
コボルドアーチャーは殲滅済みで、コボルドロードも体の至る所に傷を負っています。
こちらは疲労で、敵は傷で動きが鈍り、双方に手詰まり感が漂ってきたその時――
「ハァッ!」
「グゲェ!?」
ハスタールの剣がコボルドロードの脇の下を捉え、盛大に出血させます。
脇の下は重要血管が通っていることが多く(もちろん種族によって違いますが)、致命傷になる場合が多いです。
あの出血ですから、コボルドロードも急所であることは間違いないでしょう。
それから二、三度、ハスタールと剣を交えましたが、コボルドロードの衰弱は激しく、もはや勝負は決まったも同然。
わたしもホッと一息吐こうとしたその瞬間――
ハスタールが、急に防御の為の剣を引き、コボルドロードの最後の斬撃が、彼の身体を……二つに、裂いたのでした。
「え――」
何が起こったのか判らない。
なぜ彼が二つになっているのか、理解できない。
アレクが何か叫び、センチネルでコボルドロードに止めを刺しています。
上半身だけになった彼がビクビクと痙攣し――
「い、いやあぁぁぁぁぁ!!」
わたしは弓を捨てて、彼の元に駆け出しました。
ハスタールの目は濁っていて、すでに物が見えていないでしょう。
呼吸も止まっているのがわかります……そもそも呼吸するための胸から下が、横隔膜がありません。
わたしは彼の亡骸に取り縋って、取り乱し、あまりの惨状にどうすることも出来ず……抱きしめるしかなかったのです。
「どないしたんや!?」
背後で扉が開いてレヴィさんが駆け込んできます。
わたしの悲鳴で何事か起こったと察したのでしょう。
「あぁ……うあぁ! わあぁぁぁぁぁ!?」
わたしはすでに人の言葉を発する余裕が無く、助けを求めるための嗚咽を漏らすだけの存在になっていました。
「っ!? こ、これは……いや、こっちや、こっちに連れて来ぃ!」
「わかった! ユーリ姉、ほら、こっちに!」
彼女の指示でハスタールの遺体とわたしを運ぶアレク。
そこから先は……わたしは覚えていません。
わたしが正気を取り戻した時、迷宮の中に氷の家が出来ていました。
通路の窪みを利用し、中に立て篭もり、水壁で壁を作って氷結で凍らせたものです。
迷宮には地面が無いので、土壁は利用できないからでしょう。
氷の壁が敵の侵入を防ぎ、壊せば砕けた氷が警報代わりに音を響かせる。そういう構造になっています。
土壁と違い透明なので、壁の向こうを見ることもできるようです。
少々寒いですが、利便性を考えれば微々たる問題でしょう。
「ここは?」
「迷宮の街路の一角やね」
「今は……」
「あれから四時間経ったで」
「………彼は!?」
ハスタールは!? あの時は取り乱してしまいましたが、彼も不死なのです。
身体が二つになった程度では死なないはず!
「身体の再生は終わったみたい。ユーリ姉よりは幾分遅いね」
「不死のギフト持ちとはなぁ」
呆れたようなレヴィさんの声。
「心臓も、もう動き始めとるで。後は意識が戻るのを待つだけやな」
「よかった……」
安心すると共に、アレクを少し恨みがましい目で見てしまいます。
護衛役のはずだったのに……と、つい思ってしまうのです。
「いや、その……言い訳になるかもしれないんだけど、あの時師匠はワザと剣を引いた気がするんだよね?」
「何でそんなことする必要があるのですか?」
「わからないよ!」
責めるようなわたしの口調に、彼も語気を強くして反論します。
ですが、こんなことは二度と有ってはいけません。ここは深く追及するとしましょう。
「剣を引けば、彼は当然致命傷を負う。それはあの場にいた全員がわかっていた。それなのになぜ引く必要があるのですか?」
「そんなのわかんないって。起きたら師匠に直接聞いてくれよ」
冷静に追及するつもりだったのですが、どうもわたしの想像以上に冷たい声が出ているようです。
アレクもその迫力を察してか、声の勢いが急速に萎んでいきます。
「わかりました、それについては後ほど。ですがこんなことは二度と……」
「うん、二度と起こさない、起こしたりしない。この世界樹に誓ってもいい」
斬りつける様な冷たい声に、アレクも強い決意を込めた声で返しました。
それから一時間後、ハスタールは無事目を覚ましました。
「ハスタール! う――うわあぁぁぁぁん!」
「え……ああ、心配掛けた」
彼の胸に飛びつき、縋って泣くわたしを優しく、だけどシッカリと抱きしめてくれます。
わたしの顔が当たっている場所は、再生した場所です。生まれたての赤ん坊のようにツヤツヤした肌が露出しています。
と言うか彼は今、胸から下がスッポンポンです。
「――状況は?」
「師匠が死んで、慌てて部屋から戻ったよ。今は通路の脇にある窪みで夜営中」
「あれからどれくらい経った?」
「五時間ってところやね」
「そんなにか……」
アレクの声は少し非難を帯びています。剣を引いてわざと攻撃を受けた……その行動が彼の役目を全うさせなかった。それを怒っているのでしょう。
彼もそれを察したのでしょう、頬を掻きながら言い訳染みた声で話しかけます。
「ユーリ、アレク。すまなかったな。どうしても、今のうちに試しておきたかったんだ。不死の性能を」
「だったら前もって言っておいてくれれば!」
「言ったら、させてくれたか? 『今から死ぬから、手を出すな』なんて」
「……う!?」
そんなこと、わたしがさせるわけがありません。
でも……酷いですよ?
「まあ、少し言い訳させてくれ。不死の能力はバハムートからユーリまで再生するまでの時間が様々に違う。
迷宮に潜って不測の事態を迎えた時、私がどれくらいで回復できるか、戦線に復帰できるかというのは、重要な意味を持つ場面もあるかも知れない。
だから比較的余裕のある『今』のうちに、私の不死の性能を試してみたかったんだよ」
「だから魔術制限だの武器規制だの言い出した訳ですか?」
「まあ……そうだ」
筋の通ってない言い訳と感じ、いつに無い強引さで手抜きを進言してきたわけです。
自分が一度死ぬ為の布石だったのですから。
「だからって、何もボス相手にやらんでもええやろうに」
「できるだけ安全な時期に試してみたかったのと、私を殺すには『敵』にある程度の力が必要なので……まあ、その兼ね合いかな」
そこまで聞いて、わたしの中で何かが切れました。
全力で腕を振りかぶり、彼の頬を叩きます。
「ったぁ!?」
「どれだけ心配したと思っているんですかっ! わたしも! アレクも!」
「ユーリちゃん、ウチも入れてぇな」
「黙れっ!」
茶々を入れてきたレヴィさんを一喝して黙らせます。
「不死の確認は必要だったのはわかります! でも、もっとやりかたとか有ったんじゃないですか!?」
「本当にすまん。反省してる」
「お願いですから……もう二度と、あんな光景を、わたしに、見せないで……ください」
「約束する。二度としないし、見せない」
そう言ってわたしを抱きしめ、頬にキスを一つ。あからさまにご機嫌取りなキスですが、わたしはチョロいので、それで少し溜飲が下がってしまいます。
「わかりました。わかりましたけど……恨みますからね?」
「ううむ、仕方なかったとはいえ、すまん」
お返しに、ぎゅっと抱きしめ背中に爪を立てます。
彼もそれを甘んじて受け――
「なぁ、いいかな?」
アレクが割り込んできました。
今いい雰囲気なんですから、邪魔しないでくださいよ。もうちょっとで押し倒させることに成功するんです。
「今日はどうする? オレとしては、できれば無理してでも帰りたいんだけど」
そういえば今はもう二十一時。
五階層をクリアしたわたしたちなら、無理をすれば零時までには帰還することができるでしょう。
夜営を予定して居ないと言ってきたから、マールちゃんも心配してるでしょうし。
「そう、だな。無理はしない方がいいかもしれんが、蘇生後の身体のチェックも兼ねて戻るとしようか」
「またそういう危険な真似を!」
「大丈夫、今度は本当に無茶はしないから」
「せやったら、さっさとも戻ろか。迷宮内は時間感覚なんて曖昧なモンやけど、帰れるんやったら帰った方がええやろし」
立ち上がったレヴィさんが水壁と氷結の魔術を解除します。
アレクも焚き火を消し、準備に掛かってます。
「ほら、ハスタールくんも、その『ご立派様』をはよ仕舞いや?」
胸から下がスッポンポンな彼は、まあ、その……剥き出しな訳です。
十二、三の少年姿なのにそこだけ大人並と言う自慢の『アレ』が。
「うおぉぉぉぉ!?」
その慌て様は、コボルドロードの攻撃を受けた時より狼狽して見えました。
こうしてわたしたちは、十日で『駆け出し』から『初級者』にランクアップしたのです。
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