88話:4章 ハンデ戦

 その日の夕食、わたしはマールちゃんの膝の上でフリフリのドレスを着せられて食事していました。


「はい、ユーリちゃん。あーん」

「あ、あーん……」


 彼女の差し出すシチューを口に迎え、もむもむと咀嚼します。

 なぜこのようなことになったかというと。



「自重する、と言ったよな?」

「……ハイ」

「マールちゃんまで怪我したんだぞ」

「ごめんなさい」


 わたしはハスタールの前で正座させられていました。

 かれこれ二時間、彼のお小言を聞いています。

 それも仕方の無いでしょう。ちょっと挑発されたからといって自制を無くし、広域殲滅用に開発した秘術を使ったのですから、自分でもバカとしか言いようが有りません。


「なぜそんな真似をした?」

「それが……その……ごめんなさい」


 自分が未熟だからです。

 彼は庵を吹き飛ばした時より怒っているかもしれません。

 彼のことは信じていますので、あの頃の様に見捨てられるとは思いませんが、自分が情けなくて、悔しくて、涙が零れます。


「ごめ……ふぐっ……なさ……」

「あの、ハスタールさん。わたしはもう元気になりましたし、その辺で――」

「ダメだ。これからも、もし迷宮でユーリが暴走したらどうする? 厳しいようだが、彼女には自制の大切さを理解してもらわなければならん」

「もう充分理解してると思います! だから」


 珍しく強い剣幕のマールちゃんに、彼は一瞬たじろぎ、それからわたしを見ました。

 涙と鼻水で、くしゃくしゃになったわたしを。

 あまり見て欲しくない表情です。ですが、正座させられ叱られている以上、顔を隠すような真似はできません。


「ハァ……仕方ない。ではマールちゃんがユーリに罰を与えなさい。それを受け入れた後、私がお仕置きしてこの件は終わりだ」

「えっ!? わ、わたしがですか……」


 溜め息を一つ吐き、彼はわたしへの処罰を決定しました。

 なにやらイタズラ小僧のような表情になってますが?


「そうだ、ちゃんと罰になる内情じゃないとダメだぞ?」

「ユーリ姉は多少じゃ堪えないから、思い切ったのでもいいよー?」

「でも……でも? うーん……」


 彼女も彼女で、何か悩みこんでしまいました。

 チラリとこちらを窺がい、鼻の頭を押さえ……ちょっと待ってください。それ、よくハスタールが興奮した時にするポーズですよね?

 なぜ今そのポーズが……嫌な予感がします。


「それじゃ、わたし……お人形とか欲しかったのでぇ」

「ほうほう?」

「ま、待って」

「今、ユーリに発言権は無い」

「うぐぅ!?」

「ユーリさん『で』お人形遊びしたいです」


 『で』? 『と』じゃなくて『で』!?


「と、いうと?」

「綺麗に着飾らせたり、髪とかも弄って……あ、ご飯も食べさせてあげたいですね」

「それは……いいな」

「よくないです!」

「これは罰だし」

「あうぅ!?」

「そういえばユーリ姉はあんまりドレスとかは着ないよね? ワンピースとかローブとかラフな服はよく着るけど」


 ラフな服を好むのは男性の頃の後遺症なのです。

 ワンピースやローブも着心地が楽だから着てるだけで。ドレスとなると、面倒だし、窮屈だしで、あまり好きじゃないのです。


「わたしはあまり身体を締め付ける服装は……拘束感がある服は苦手なのです」

「そう? 似合うと思うんだけどなぁ」

「苦手なら尚更良いじゃないか。これは『罰』なんだし」

「ハスタール、なにか下心が漏れてませんか?」

「そ、そんなことないぞ。多分」


 冷や汗を流して視線を逸らす彼。そこへ更なる加勢が沸いて出ました。

 レヴィさんとレミィさんです。


「あ、ならウチもコーディネートに参加させてぇな」

「ズルイ! 私も参加させなさい!」

「いつの間に湧いて出ましたか!?」

「パーティの仲間やん。主導権はマールちゃんに譲るからぁ」

「手持ちで良い衣装が幾つかあるのよ。なんだったら新しく購入したって……」


 と、いうわけで、散々着せ替え人形にされた挙句、マールちゃんの膝でお食事する事になったのです。



「うぅ……」


 モジモジとお尻を揺すり、安定を模索します。

 この五年で、だいぶマシになったとはいえ、ハスタール以外の人と身体を接しているとなると、やはり落ち着きません。

 これが彼女じゃなかったら、すでにゲロインと化していたでしょう。

 レベル的に表現するなら、ハスタールは『もっと触れ』レベルで、アレクとマールちゃんは『落ち着かない』レベルです。

 なお、レヴィさんは『さっさと離れろ』レベルであることを明記しておきます。

 更に言うと、見知らぬ人なら『コロスぞ、ゴルァ』レベルです。


「ちょっと、ユーリちゃん。くすぐったいよ? ジッとしててぇ」

「なんだか落ち着かないのですよ、こっちも。それに服も窮屈だし」

「え~、せっかくレミィさんが提供してくれたのに。それにジッとしてくれないとご飯こぼしちゃうよ?」

「彼女は『汚してもいい』とハスタールに言っていたので、大丈夫でしょう」


 なぜそれを彼に言ったのか……いえ、わかってますけどね。今夜は延長戦、あるんでしょうね。


「我慢できないなら、もういいよ? 無理はしないでね」

「だ、大丈夫なのです。これは罰ですから、限界までガンバルのです」

「やっぱりわたしじゃ、まだダメかな?」


 ちょっと落ち込んだような彼女の表情。

 彼女と出会って、もう二年。その間、わたしが彼女に触れた回数は数えるほどしかありません。

 それを不満に思っていたのでしょうか?


「そんなことはないですよ。ハスタール以外じゃマールちゃんが一番です」


 わたしはマールちゃんの頭を撫でながら、ちょっと言い訳してみました。

 いえ、確かに彼女はハスタール以外では一番落ち着ける人ではあるのですが……

 幼女が幼女を慰める、そんなわたし達の様子に食堂の雰囲気がホンワカしています。


「これがアレクの膝なら、きっと吐いてます」

「ひっでぇな!?」

「なら試してみますか?」

「エンリョします」


 食事中にゲロ塗れはさすがに嫌だったのでしょう。速攻で辞退してきました。

 そんなわけで、わたしは一週間マールちゃんの『お人形』にされたのでした。


 なお、夜の延長戦は、いつもより激しかったです。

 旦那が鬼畜で、夜がツライです。



 さて、あれから一週間。マールちゃんが抜けたところにレヴィさんが入り、二階より上を探索し始めました。


「というか、ホンマ初心者かいな。こんな楽な行軍は初めてやで」


 レヴィさんがぼやくのも無理は無いです。

 すでに四階。本来なら一日で辿り着ける限界に近いはずの階層。そこに十五時前にして、早くも到達しているのですから。

 探信で敵を察知し、避け、あるいは迎撃しつつ、猛スピードで進軍した結果です。

 この魔術の効果で敵の位置はおろか、半径三百メートル近い範囲の地形まで把握してしまえるので、迷うこともほとんど無いのです。


「できれば五階層の守衛とやらを、倒してみたいが」

「このペースだと、充分狙えるんじゃない?」

「マールちゃんには夜営するとは言ってませんでしたし、今日中に帰るならギリギリの範囲ですね」

「迷宮十日目のパーティの会話ちゃうで……? 初めてくる場所やから口出さん様にしてたけど、意味あらへんかったね」


 勢いに乗ったわたしたちはそのまま更に五階まで上がり、ほぼ最短距離でボスらしき部屋の前まで辿り着いていたのでした。


「ホンマに来てもうたし」

「ということは、ここがボス部屋ですね?」

「そやけど。ここの敵はわたしがおったら出てけーへんで?」

「へ、なぜです?」

「わたしは一度倒しとるからね。なんでか、一度倒したボスは二度と出てけーへんねん」


 個別フラグ、の様な物でも設置されているのでしょうか?

 ですが、そうなるとボスを体験するには、彼女のサポート無しで戦う必要がありそうです。


「まぁ、大丈夫ですかね。多分」

「オレたちは最上階を狙おうってんだから、最初のボスくらいはソロでも倒せるさ」


 アレクは相変わらず楽観的です。

 すでに時刻は十六時。

 戦闘をこなし、帰還も最短距離で進んだとして……二十時には帰れるでしょうか?


「よし、総員武装点検はじめ。問題なければ一気に攻め込むぞ!」

「はーい」

「了解」


 手持ちのサードアイと小弓ショートボウの点検をしていた時、ハスタールが声を掛けてきました。


「ユーリ、今回はギリギリまで身体強化は無しな」

「ん? なぜです?」

「反則的だからだ。修行にならん」


 一日三度までなら使用できるので、ボス戦ならば使おうと思ってましたが。

 ぶっちゃけると、センチネルとクリーヴァを使ってるハスタールとアレクも、大概反則なんですが?


「まあ、俺たちは他に武器が無いし。だが、なるだけギリギリの戦闘経験は積んでおきたい。そのためにある程度の縛りは必要だろう」

「ん~、舐めプですか? ですが、ここのボスは、わたしの使う風刃でも一蹴できるレベルだそうですよ?」

「舐め……? いや、一蹴できるのもわかってるし、それはそうなんだが、試してみたいこともあってな」

「まあ、苦戦を経験しておきたいというのでしたら、魔術も封印しておきます。ハスタールも長剣を使ってみたらどうです?」


 身体強化や『強化武器』だと、戦闘らしい戦闘になりません。

 ここまでだって、まるで虫を追い払うかのような戦闘ばかりなのです。

 彼は、そこに何か不満と言うか不安を抱いたのかもしれません。あるいは油断による危機感か。


「アレクは……ギフトの関係があるから、さすがに無理か」

「そっすねぇ。センチネルは防御にも使ってますし、違う武器での戦闘はむしろ悪い癖が付きそうで怖いっす、師匠」

「ならアレクは防御専念。攻撃は俺とユーリの弓をメインに。レヴィは戦闘が終わったら呼びに行くから外で待っててくれ。これでどこまでやれるか見て見たい」

「了解やで」


 認識阻害を持つ彼女なら、迷宮で少しくらい一人でいても大丈夫でしょう。

 元々ソロで潜っていたそうですし?

 さて、魔術とサードアイ、クリーヴァ抜き、センチネルも実質封印。主戦力をほぼ抜いた状態で、初のボス戦ですか。

 さすがにわたしも不安なんですが? と言うか、なんだか論理に筋が通って無い気が――


「どうも緊張感が緩んでる気がしてな。ここまですれば、気を締めなおす役にも立つだろう?」

「うーん……むしろ『そこまでやる?』って感じなんですが」

「かまわないさ。レヴィ、ここの敵の情報はあるか?」

「そりゃモチロンや」


 レヴィさんが言うには、ここのボスはコボルドロード。それとコボルドアーチャーが数体。

 一階にも居たコボルドの大型種だそうです。アーチャーはその名の通り、弓を装備した連中。

 ロードの大鉈による強攻撃はトロールにも匹敵するだとか? タフさもそれに準ずるそうです。

 アーチャーの遠距離攻撃も、微妙に厄介でしょうか?


「つまり実質トロール相手と考えればいいか」

「あいつら程の回復力が無いから、それ以下やけどね」

「駆け出しが相手にするには、少しきついレベル……だからここからが初級者の壁になっているか」

「迷宮内で長時間緊張を維持できる、技の無い怪力バカを軽くあしらえる、それが駆け出しから初級者になるための壁や」

「敵のモンスターが人間より力が強いってのは、普通にあるからな」


 力任せの戦闘からの脱却。冒険者として、いずれ必要になる事象ではありますね。


「よし、準備はいいか?」

「大丈夫です」

「ユーリは弓に気をつけろよ?」

「任せといてください」


 反射神経はいい方なのです。ちょっとした弓なら躱せるくらい機敏には動けます、多分。


「ああ、任せる。それじゃ……行くぞ!」


 彼はどこか悲壮な表情で、扉に手を掛けました。

 こうして、迷宮初のボス戦はハンデキャップマッチで始まりました。

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