86話:4章 迷宮の効果

 その日は迷宮には入らずに休息する予定の日でしたから、即日マールちゃんの特訓が始まりました。

 よそ様のお子様ですが、学園には迷宮実践訓練があったりするので、過保護にはできません。

 学力はもちろん、体力、戦技、魔術なども学ばせることにします。


「で、マール君。初日の今日は、まずは午前中に体力練成、午後からはユーリに学力強化を担当してもらうことになったが、問題は無いかな?」

「ハイ、よろしくお願いします!」

「あのぉ。なぜわたしまでここに居るのでしょう?」


 動きやすい服に身を包み、マールちゃんと並んで立つわたしが疑問の声を上げます。

 いや、これは彼女の訓練のはずなのですから、当然の疑問です。


「そりゃユーリも参加してもらう為だな。迷宮を踏破するのは予想以上にハードだった。せめて数キロの距離を歩く程度の体力は持ってもらわないとな」

「それはまぁ、そうなんですけど」

「なのでお前も参加な。安心しろ、ちゃんとマッサージくらいはしてやる」

「それだけで済む気がしないのですが、わかりました。参加します」


 ですが確かにこの広大な迷宮を走破するには、長距離を行進する体力が必要になってきます。

 ここで基礎体力を付けておくのも悪くないでしょう。今度こそモヤシから脱却するのです!


「では早速開始しよう、と思ったが、まず一つ聞いておこう。戦場で最も正しい結末とはなんだと思う?」

「正しい結末ですか? やはり勝利することですか?」


 彼女は、戦争をお伽噺でしか聞いたことの無い世代なので仕方ないのでしょうが、これは違いますね。

 まあ、わたしも戦争なんて経験したことがありませんが、書籍や映画などで得た知識はあります。

 なので経験ではなく、単なる知識として答えを出すことができました。


「外れですね、マールちゃん。正解は生存することです。勝ち戦に参加したとしても死んでしまっては何にもなりませんから」

「ああ、なるほどぉ」

「そうだな。そして生き延びるために最も必要になるのは、魔術でも戦技でも無く、判断力と体力。ここではその体力を鍛えさせてもらう」

「はい!」


 二人して声を揃えて返事します。マールちゃんも、やる気満々ですね。

 という訳でハスタールの指導の元、郊外の草原を走り回ることになりました。



「ぜはー、ぜひゅー……げほっ、おぇ」

「はっ、はぁっ……」


 あれから三十分。整地すらされて居ない草原をひたすら駆け回りました。

 わたしはもうヘロヘロなんですが、マールちゃんはまだ余裕が有るようです。意外にタフですね、彼女。


「いや、これは……タフ、過ぎ、ですか……?」


 三十分。たかが、と思われるかもしれませんが、整地されていない野晒しの大地を走るとなると、その負担は遥かに重くなります。

 しかもわたしたちは身体すらできて居ない子供です。

 わたしが三十分走れたのは、奇跡にも等しいでしょう。

 彼女はわたしより体力はあったとはいえ、ここまでの差があったというのは、正直少しショックでした。

 

 結局、合計一時間ほど走り続け、柔軟と体操をして身体をほぐし、木登りや丸太渡りなどでバランス感覚も鍛えた所で、午前中の鍛錬を終了しました。



「ご、午後からは、わたしが、先生なのです。ビシビシ、やるので、覚悟するの、です!」


 プルプル、ブルブル。ビクビク、ガクガク。


 まるでコントの様に膝を笑わせながら、黒板の前に立ちます。

 昼食の間だけでは、体力が回復するはずも無かったのです。


「ユーリちゃん、無理に立たなくても」

「立たないと、黒板に手が届かないのですよ」

「あ~……」


 さもありなんと言う感じの半眼でわたしを見るマールちゃん。


「それはともかくとして。レミィさんから買った赤本によると――」

「赤本?」

「わたしの故郷では、試験用の参考書の代名詞として使われています」

「そうなんだ」

「そんな事情はどうでもいいので、続きです。まず情報では、出題範囲は歴史伝承・地理・言語・算術が基本となってますね。ここを重点的に攻略しましょう」

「はい!」

「では歴史を教えてくれる、ハスタール先生にお越しいただきましょう」

「ユーリちゃんが教えてくれるんじゃないの?」

「わたしは歴史は苦手なので」


 元々異世界人のわたしは、人に教えられる程、歴史に精通してはいません。

 試験に出てくる比率では、やはり歴史が最も多いようなので、まずはそこから始めることにしたのです。

 決して、わたしが休むためではありません。ええ、ホントですよ?



 三時間を掛けて歴史を解説、理解できたか一時間掛けて試験しました。

 あれ、結果は八割がた正解。彼女、ここまで頭良かったですか?


「八割正解。マールちゃんって天才でしたか?」

「違うよ? でもなんか、今日は凄く頭に入る感じがするかな」

「ふむ?」


 彼女、まだ『竜の血』は飲んで無かったですよね。

 少し識別してみましょう。


 結果、彼女の各種能力は十歳児の平均を大きく超え、一般人のそれに迫るものがありました。


「……なして?」

「どうしたの?」

「なにかあったか?」


 わたしは彼女とハスタールに能力が大幅に強化されていることを話しました。

 彼女は数週間前にチェックした時、一般的な子供の能力をしていました。

 現在はその時の数値の一・三倍近い数値が出ています。


「ふむ? 迷宮内は特殊な力場が形成されていて、戦闘を重ねることで急速に成長すると言う逸話があるのだが……ひょっとしたら、それのことかも知れんな」

「わたし、あまり成長してませんよ?」

「お前はすでに、かなりとんでもなく成長してるからかも知れん。魔力値が半端無いだろう?」


 レベルが上がると成長が鈍くなるゲーム的な原理と同じことなのでしょうか?

 いや、実際の技術でも、そういう傾向は存在するのですが……


「昨日は桁外れの戦闘数をこなしたからな。それで彼女も成長を果たした可能性はあるな」

「それなら、すぐに『竜の血』を使用してもいいレベルまで成長しちゃいません?」

「そうだな、今使っても俺やアレクほどには伸びないだろうが、すぐに追いつけるかもな」


 迷宮内で戦闘すると、通常より成長するとなると、彼女の育成方針も大きく変わるでしょう。

 そういえばバハムートは、わたしたちでも上層は厳しいと言っていましたが、わたしたち以上の存在ってなかなかいるものじゃありません。

 迷宮に入った直後の彼が、わたしたち以上の存在だったとは、あまり思えないのです。

 ですが、迷宮内で成長して、あそこまでの存在になったと言うのなら納得できるかもしれません。


「となると、これからも彼女を連れて迷宮に潜った方がいいのでしょうか?」

「それは……どうだろうな? しょせん俺たちも一層をうろついた程度でしかない。上の層がどれ位危険かわからないのに、彼女を連れて行くのはやはり危険がある」

「確かにそうですね」

「わたしも……」

「ん?」


 マールちゃんが何か話しにくそうにモジモジしてます。

 あの動きは身に覚えがあります。そう――


「トイレですか?」

「違うし! わたしも迷宮に行くなら、ちゃんと役に立つようになってから行きたいって言いたかったの!」

「無理に付いて来いとは言わんよ。私たちも長期間迷宮に泊まりこむのも辛いしな。時間の合った時に浅めの階層を一緒に回る、という辺りでならどうだ?」

「あ、えと……はい、それなら」


 それにしてもこの迷宮、あまりにも大きすぎて、攻略階に進むことすら大仕事なのです。

 レミィさんの話では、一度上層に到達した冒険者には下層のモンスターたちはあまり寄り付かなくなるので、元の攻略階へ戻るのはそれほど掛からないと言っていましたが。

 それでも現在の二百三十二階までとなると、結構な距離です。探索ならば一日四層が限度、通り抜けるだけでも十層が限界でしょう。

 となると、最上層の探索に参加するだけでも、八日は迷宮内で寝泊りする必要があるのです。

 バハムートに話を聞いた時は、迷宮内で五年過ごしたとか言っていましたが、納得なのです。


「攻略速度を上げるためにも、迷宮内を移動する方法は、少し考えておいた方がいいかもしれませんね」

「そうだね。あのお話聞いた時は『まさかー!』って思っちゃってたけど、実際見るとすっごく大きいもの」

「上層まで移動するための馬車とか、考えて見るのもいいかもなぁ」

「馬が曳いてると襲われませんか?」

「あー、確かに」


 馬を迷宮に入れるとか、迷宮内のモンスターにすれば、正に『カモが葱を背負ってきた』ようなモンです。

 それに上層へ向かう階段がある以上、馬車で上階に向かう事は難しい。


「うーん、階段を登るためには足が必要ですし、ゴーレム的な魔術は無いんですかねぇ?」

「ん、あるぞ?」

「あるんですか!?」

「俺は専門外なので詳しくは知らんが、地属性に精通した魔術師なら、知ってるだろう」


 有るならそうと言ってくださいよ!

 となると、協力を誰に依頼するかですが……いつもの様にわたしが開発、となるとやはり問題があるでしょう。

 自重すると言ったばかりですし?

 やはり人脈のあるギルドに提案するのが吉でしょうか。ですが新参のわたしが言っても、説得力とか有りませんし。

 って、中堅どころで、ギルドに話を通せるレヴィさんがいるじゃないですか。


「転移魔法は切り札ですからこれは温存するとして、ゴーレムを使った馬車の開発をギルドにしてみるのは、いいかもしれませんね」

「お前が?」

「わたしが言っても説得力が無いので、レヴィさんが」

「彼女か。確かに外の世界を回ってきた彼女の話なら、一考される可能性があるな」


 話しながら、アイデアをどんどん実用に向けて発展させます。

 一パーティ単位だとコストが掛かるので、大型化して大人数を一度に運べば、コストダウンも計れるでしょう。

 例えば十階層ごとに連絡便を作り、次々と乗り継いで進めば、一日で最前線へ到達することも可能かもしれません。

 馬車(仮)に護衛は……必要ないですね。乗っているのは冒険者ですし。

 戦闘が起こったときに即参戦できるように、屋根とかは無い方がいいでしょうか?


「フフフ、迷宮の広さが仇となりましたね、世界樹」


 あの広さ、高さなら、大型の馬車でも充分運用できます。

 元の世界でも、世界最先端でありながら、気違い沙汰とまで言われた日本の鉄道ダイヤを参考にすれば、世界樹鉄道網を構築できるかもしれません。

 料金を安めに設定すれば、冒険者も気軽に利用できますし、感謝もされるでしょう。

 攻略だって加速するはずです。最前線に投入される人材が増えるわけですから。

 問題があるとすれば、ギルドを敵視する王国サイドですが、これもギルドの方でなんとか言い包めて貰いましょう。

 例えば『最前線に人が増えると、危険が増して死亡者も増えるかもしれない』とか言えば、折れるかもしれません。


「ハスタールさん。ユーリちゃんがまた悪役顔になってる」

「いつものことだから慣れなさい。後でオシオキはしておくから。性的に」


 ハスタール、なぜわたしがオシオキされなきゃいけないんですか!?

 数日後、『世界樹内冒険者輸送ゴーレム計画』なるものが、ギルド主催で立ち上げられたとかなんとか。

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