47話:3章 不老不死

 ゴクリ、と肉を嚥下えんかする音。

 そのまま、しばしハスタールの様子を見る。変わった様子はまだ見えない。

 そもそも考えてみれば、不老不死かどうかを試すには、実際死んで見ないとわからないわけで……そんな真似をわたしができるはずも無く。

 何か変化があっても、確認しようがなかったのです。


「ふ、ふふふ……」


 我知れず、含み笑いが漏れてきました。なんて馬鹿なんでしょう。


「ククク……」


 彼も笑っています。気付いたのでしょう。確かめようが無いことに。


「ふふ、あはははは!」

「くふ、ふ、ははははは!」


 二人で狂ったように笑い合います。まったく、目の前にそれらしいアイテムがあったことで、らしくもなく舞い上がってしまいましたか?

 どうしようもないことで生肉を食わされた彼に、同情してします。


「はははははは……ごふっ!?」

「ハスタール!?」


 突如、彼が大量に吐血しました。

 まずい、やはり毒か何かだったのでしょうか!?

 ガクガクと体を震わせ、仰け反って、危険な感じに倒れこみます。倒れても痙攣は止まらず、その反動で後頭部を激しく床に叩きつけています。


「ダメッ! ハスタール、しっかり……」


 慌てて身体に抱きつき、押さえつけて痙攣を止めようと試みますが、効果はかんばしくありません。

 頭の下に腕を挿し込み、床にぶつけるのを防ぐのが精一杯。

 全体重を乗せて押さえつけようとしても、わたしの体重ではあっさりと弾き飛ばされてしまう。

 念力を使ってかろうじて暴れるのを防ぎますが、微細な力加減ができないため、いつも以上に精神を消耗します。


「ごめんなさい、ゴメンなさい……お願いだから、死なないで!」


 自分のミスだ。毒性があるかどうかは、わたしが前もって調べてからでも良かったのに!

 功をあせった、そうとしか思えない。


「あががが……あぐ……がふっ!?」


 悲惨な苦鳴に混じって、何かを噴出すような音。

 顔を見ると口から鮮血が吹き出していました。傍には赤黒い肉片。


「舌を!? く、口をあけてください、すぐ治癒を……」


 念力を維持したまま治癒を施そうとするけど、口を開いてもらえません。

 それどころか筋肉が萎縮し、歯が砕けんばかりに噛み締めています。


「口を開けて! ハスタール……師匠!」


 混乱と焦りで、呼び慣れた呼び方で声を掛けても応えるどころではなく……そうこうしていると、口の中から白い煙のような物が立ち上ってきました。

 同時に歯の隙間からあふれていた出血も止まります。


 ――これは……不死の効果?


 そうだとすれば、一縷いちるの希望が……と思ったら今度は鼻血を始め、目、耳、鼻と体中の穴から出血を始めました。

 失禁、脱糞も行い、しかも止まる気配が見えません。


「一体どうなっているんです! これじゃ脱水症状で死んじゃいます!」


 死体というものの無残さは、転移した直後にまざまざと見せ付けられました。

 干からびた死体というのはまだ見たことがないですが、それはきっと、綺麗な物ではないはずです。


「……そんなこと、させるものですか!」


 彼の身体に関しては、世界でわたしが一番良く知っています。

 体温の熱さ、心臓の鼓動、血液の流れ。一か月間、すべてわたしはこの身で受け止めてきたのです。

 全力で治癒の魔術を掛け、失った水分を補充しようと試みます。


「絶対死なせるものですか! ハスタール……お願い……神さ、ま……」


 急速に魔力の失う感覚。

 気の遠くなる身体を気合でかろうじて支え……一晩中、意識が無くなるまで、わたしは癒し続けました。



「ユーリ姉、いるー? うわ、なんだこれ!? ユーリ姉、無事かっ!」

「ん……あぅ?」


 翌朝、そんな声でわたしは意識を取り戻しました。

 もう朝だと言うのにスッキリしない体。全身を覆う倦怠感は、魔力切れの時の特徴を現しています。

 鈍い頭を振り、身体を起こす。


「……ぅあ……そうだ、ハスタール!?」


 庵の居間は凄まじい惨状でした。血と汗と小便、その他なんだか判らない体液、見慣れた精液まで存在します。

 まるで惨殺事件の犯行現場のように。これほどの量が一人の身体から出したというのでしょうか?

 わたしの身体の下に師匠の身体は無く、十三、四歳くらいに見える少年が倒れていました。


「あれ?」

「ユーリ姉、誰それ?」

「し、知りませんよ」


 黒い髪に鋭く尖った目付きなどは彼に似ていなくも……いや、すごく似てる?


「いやいや、でも……」

「なに、心当たりあるの?」

「アレクは気付かないですか?」


 弟子なら気付きやがれ、ですよ。でもわたしも確信は持てません。大体、不老不死に若返りの効果とか、ありましたっけ?


「その心当たりに間違いは無いよ、彼が元賢者のハスタールさ」

「――っ!?」


 突如アレクの背後から声が掛かります。

 部屋の中は体液だらけで、歩けばビチャビチャと不快な音が立つと言うのに、誰も気付きませんでした。一番近くのアレクですら。


「誰だ!」


 そう叫び、振り返り様に背に負った大剣グレートソードを引き抜きつつ一閃。

 その攻撃は普通なら躱せませんよ? 誰何すいかした意味があるのですか?

 だけど、その人物はアレクの斬撃をあっさりと受け止めました。

 振り下ろされる大剣の軌道の内側に一歩踏み込み、柄を軽く掴むように押さえ込みます。


「なっ、にぃ!?」


 驚愕に染まるアレク。彼の筋力は『竜の血』で強化され、すでに常人の六倍程度まで高まっているというのに。

 片手で押さえられた剣は最早ビクともしない様子です。

 片腕のアレクと、それを片腕だけで抑える少年。純粋に彼の方が力が上だと思い知らせたのでしょう。


「まったく、キミたちは不意打ちで攻撃する習慣でもあるのかい?」

「ありませんよ。アレク、剣を引きなさい。彼には敵いませんよ。お久し振りです、バート」

「お久し振り。一か月位かな? 充実した毎日のようで何よりだね」

「その毎日が今まさに崩壊寸前ですけどね」

「引いていいのかよ? ユーリ姉」


 一か月前、木っ端微塵に吹き飛ばして、なお生き延びた少年。純粋に剣での破壊しか出来ないアレクでは倒せないでしょう。


「それで、この少年がハスタールというのは、事実ですか?」

「事実さ。過去にそういう事例を見た経験もあるしね」

「生きて……あぁ……」


 ホッと安堵の息を吐き、気の緩みから涙が零れました。


「ウン、乙女の感動の涙ってのはイイね。恐怖で流されるよりはよっぽどイイ」

「――っ! そんな事はどうでもいいんです。事態がわかるなら説明してください!」

「いいけど、ソレ放置していいの?」

「ああ!?」


 未だ倒れたままのハスタールを担ぎ上げ、キョロキョロと見回します。

 えーと……この格好で寝台に寝かせるのは問題あるので……


「少しだけ、お手伝いしてあげよう」

「なっ……!」


 バートのその一言で、突風が吹き、室内の汚物が一瞬で浄化されました。

 今の一瞬で、汚れを浄化して水に変え、蒸発させ、送風で風を流して外に追いやって掃除してのけたのです。

 三つの術式を魔法陣も出さずに一瞬で。本気で勝てる気がしませんね。



 アレクが彼を寝台に運んで、わたしが再度部屋の掃除を行ってから、居間でお茶を出して話を聞くことになりました。

 一応バートが大雑把に掃除してくれましたが、細かなところの汚れは残ってましたので。

 バート? あんなのに大事な彼と家を触らせるわけにはいきませんから、突っ立ってて貰いましたよ。

 本当はこんな胡散臭いのに、お茶とか出したくないのです。


「と、いってもなぁ。ファーブニルの心臓を食ったから不老不死になった。それだけだよ?」

「……本当ですか?」

「殺してみればわかる。まあ、本来なら肉体が耐え切れずに、体液撒き散らせて死んでるところではあったんだけどねぇ」


 そんなに危険なモノだったのですか。識別は肝心な情報がわからないのですね、まったく!


「ま、いくつかの要因が重なって、無事仲間入りってことだね。まずはおめでとう」

「いくつかの要因って何です?」

「返礼くらいしてくれても、いいんだよ?」


 物足りなそうに頬を膨らませて見せるバート。そんな幼い表情では誤魔化されませんからね?


「ハイハイ、ありがとうございます。なんだったらお昼でもご一緒しますか?」

「え、いいの!?」

「おい、ふざけるなよ!」


 予想外に嬉しそうな表情を見せたバートにアレクが怒りを顕わにします。


「アレク、いいんです。ええ、ご馳走しますよ。ただしちゃんと説明してくれるなら、ですけど」

「やった、ボクは料理が下手だから、美味しい食事って久し振りなんだよね。えっとまず、ファブニールの心臓は食べたら普通は助からない。これはいい?」

「ええ、目の当たりにしましたから」

「だけど彼は助かった。その原因はおそらく……

 一つ、彼自身が、人としては最上級の『器』を持っていたこと。

 二つ、前もって『竜の血』で身体が強化されていたこと。

 三つ、この一か月、キミとひたすら交わり続けたこと。

 四つ、死の間際にあって、キミがひたすらバカげた魔力を注ぎ続けたこと。

 ……以上、この四つが原因だと思われる」


 そうやって箇条書きで示されると、ハスタールってつくづく規格外だったのですね。ところで……


「他の三つはわかるんですが、三つ目の理由はなんですか、それ。セクハラ?」

「違うよ。ほら、房中術ってあるじゃない? キミらはその術理は知らないだろうけど、ヤッてることは似た様な物だから、多少はキミの魔力とか生命力が流れ込んでいたんだよ」

「そ、そういうモノですか?」


 名前くらいは聞いたことがありますけど、行為を行っていたというそれを第三者に見透かされると、さすがに恥ずかしいです。

 思わず顔が真っ赤になります。


「そういうこと。ま、見たとこギリギリって感じだけどね。でも紛い物だから上出来な部類か」

「紛い物……ファブニールが、ですか?」

「あ、ファブニールが偽物って意味じゃないよ? 不老不死を与える薬としては紛い物って意味で」

「え、どういうことです?」

「元々竜種が不老不死を心臓に宿すのは、その始祖が不老不死だから。で、その力はどこから来たかというと」

「……世界樹」

「そう。つまり真の不老不死とは、世界樹から直接下されたものなんだ。竜種も一応その力を宿しているといっても、間接的であることは否めない。うーん……紛い物、というより劣化品と言うべきだったかな?」


 劣化品だから、本来なら助からない。でも、ハスタールはいろんな偶然があって生き延び、力を獲た、ということでしょうか?


「なぜ、あなたはそこまで事情に詳しいんです、一体ナニモノです?」

「キミならわかるんじゃない?」


 わかる、というより選択肢が一つしかありませんよ。あまりにも考えたくない答えですが。


「歴史上、わたしの様なイレギュラー以外で不死を得た者は一人しかいません。なら答えは一つ。あなたは竜王本人である、ですか?」

「ご名答」

「なんてこったい」


 殺せないわけです。不老と不死の大先輩なのですから。

 しかもわたしの様に『異世界の神によって獲た反則品』ではなく、『この世界に存在する正規品』の不老不死です。

 しいていえばわたしは『輸入物』で、彼は『国産』、ハスタールは『代用品』というところでしょうか?


「それでね」


 そのトンデモない存在である所のバハムートが、なにやら申し訳なさそうな顔でこちらを見てきます。


「なんですか、先輩」

「いや、その先輩っていうのは……そうじゃなくて、ボクね。ニンジン嫌いだから、お昼ご飯に入れないで欲しいなぁって」

「……………………前向きに善処し、考慮することを約束しましょう」



 そんなアホな要求をしてくる竜王に、どこかの神の様な答えを返したのでした。

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