36話:2章 自覚しました

 清拭のたびにビクビクと跳ねる師匠の身体。くすぐったいのか、きもちいいのかわからないけど、その反応がわたしに興奮を与えてくれる。

 調子に乗って身体を押し付け、自分の身体全体を使って奉仕する。

 一通り拭き終わって、ようやくハイになった気分が落ち着いてきました。

 いや、何をしてしまったのかを理解しました。


「あ、あの……」


 しまった、ちょっとしたセクハラのつもりだったのに……さすがにやりすぎました。

 これはイタズラの範疇はんちゅうを超えています。


 ――これは怒られる。というか、そういう問題じゃない!?


 そう思って、恐る恐る師匠の顔を見上げてみます。

 息を荒げ、完全に脱力した師匠の身体。紅潮した顔。その表情には、幸い怒気は見られませんでした。

 ただし、さらに先を求めるような、何かモノ欲しそうな表情。完全に、その気になっているのでしょうか。

 そして、わたしの身体も、その先を……求めに応え、胸に手を置き、顔を寄せていく。


「し、しょ、う……ハスタール……」

「…………」


 覆い被さる様に身じろぐ師匠。

 吐息すら掛かる距離まで、近付き――


「あ……ご、ごめんなさい!」


 ギリギリのところで、わたしは師匠の身体を突き飛ばしてしまいました。


「だ、だめです。これ以上は戻れなくなります! だから……」

「ユーリ?」

「ごめんなさい!」


 そう叫んで、師匠の前から逃げ出したのでした。



 街の中央の噴水広場。そこまで一気に駆け抜け、一息つきました。

 男の身体は五年前まで散々目にしたので、師匠の身体に対しては、嫌悪感は持ちませんでした。

 ただし他の男性の場合、転移直後の事件が脳裏に浮かび、猛烈な嫌悪感にさいなまれてしまいます。

 今回は、その衝動が起きなかったゆえのやり過ぎ。


「……はふ」


 大きく息を吐き、空を見上げる。

 夜空に翳した手は、白く小さい、見間違いようが無いほどに小さな女の子の手。


「戻れなくなる……か……」


 反射的に口にした自分の言葉を反芻します。今の自分の身体は、間違いなく女性の物。

 前世のわたしの身体は、合い挽きミンチ状態で、戻れるわけが無いのです。


「それでも……二十二年、あの身体だったんです」


 それからもう五年も経ちました。

 生前はあの身体で暮らし、家族も居た。友人だってそれなりに居ました。

 急な事故で、理不尽に転生して、自分的には事無ことなきを得たと思います。

 でもそれは、『自分が死ぬ』ことだけを回避したに過ぎないのです。周りの人たちにとって、わたしは紛れも無く『死んだ』のですから。


「警察の人とか、仕分けるの大変だったでしょうね。葬式とかも、大変になるのです」


 最期の光景は未だに目に焼きついています。

 ひょっとしたら、遺体の無い葬式になったかもしれませんね。


「ゴメン、父さん……母さん……」


 これまで考えないようにしていた家族の事を思い出し、ポロポロと涙が溢れ出してきます。

 自分が先に死ぬとは思ってなかった。自分が女になるなんて思いもしなかった。

 育ててくれた両親を、いろんな意味で裏切った気がして……一頻ひとしきり泣き続けました。



 しばらく泣き濡れた後に、ふと『これからの自分』について思いを馳せました。


「男だった頃の自分……今の、女の自分……」


 わたしはもう戻れない。だからこの先、女として生きて行かなくてはならない。

 成長はしないので、結婚とか子供とか考える必要は無いだろうけど。でも死ぬこともできないから、未来永劫女として生きなければならない。

 いつかは男の部分が磨り減って、女としての思考に違和感が無くなるのだろうか?


「まあ、自分が女になったという事実は、転生初日に思い知らされましたし?」


 男のままだったら、男に押し倒されるなんて目には合わなかっただろう。

 大体、このギフトでは女性としても生き難いでしょう。男性と付き合えても神器のせいで相手が死にかねないし。

 そもそもわたし、妊娠とか出来るんでしょうか? 生理はもちろん来てませんし、黄金比や状況適応のギフトの効果で、デキない気がしないでもないです。

 こればかりは簡単に『試す』わけにも行きません。


「子供を産むことだけが、女の幸せとは言いませんけど……わたし、人としてダメダメじゃないですかね?」


 交われば相手が狂う、子供も作れない、歳も取れない。結婚生活は絶望的でしょう。


「これじゃ師匠とも釣りあい取れな……って、そこでなんで師匠が出てくるんですか!」


 だけど、男性のイメージでは、師匠以外には考えられないんです。アレクとかは男性として問題外ですし。

 その他の男性と付き合いなんて、わたしにはほとんど存在しません。


「大体わたし、師匠は『仲のいいお爺ちゃんと孫』とか『子煩悩なお父さんと子供』という意識しか無かったですし」


 今回は少々やり過ぎただけだと思いたいです。


「そもそも嫌いな相手に、あんなイタズラしないですよね?」


 そして、その後の行動も。

 生前だったら『ホモかお前!』と絶叫して、のた打ち回っていたでしょう。ですが、幸い今は女の身体です、子供ですけど。

 そして師匠は薔薇な感じの人なら、放っておかないくらいにいい男であるのは、否定しようも無く。ましてや、女性から見るとさらにカッコイイわけで。


「そっか、つまりわたしは……」


 いつからだろう? きっとずっと前から──


「師匠が、好きなんだ……多分?」


 口にした瞬間、顔が一気に紅潮したのが判りました。

 ブンブンと首を左右に振り、ハッと気がついて周囲を見回すと、なんだか癒された様な表情の人たちが、こっちを見ていました。


 想像してみましょう。

 日の暮れた街角で、幼女が赤くなったり、青くなったり、泣き出したり、プルプル首を振ったりしてる様を。

 


 あなたならどうしますか?

 一、萌える

 二、なご

 三、お持ち帰り



「なに人を見て和んでるですかー、バカー!」


 とりあえず、わたしは、『罵声を残し、その場から逃走する』を選択しました。

 気がつけば、わたしの涙はすっかりと乾いていたのです。



 竜退治から三日、師匠がなんだか燃え尽きてた。病み上がりだからかな?

 ユーリ姉は『身体を拭いてスッキリしたからじゃないですか』と答えてたけど、なんだか、顔を合わせ辛そう?

 そうしてると、師匠がこっちに来て。


「あー、ユーリ。その、少し話が――」

「あ、アレク! わたしは少し武器屋の方に進捗見に行ってきます!」


 まぁ、聞いてもないこと言って、逃げ出した。ここのところ、ずっとこんな感じ。


「師匠、なにしたんです?」

「いや、なんでも。あぁ、うん。なんでもないぞ?」

「あからさまに不審な対応して、なんでも無いと言われても」

「……まあ、ちょっと私が先走っただけだ」


 珍しくガックリと突っ伏す師匠。これはホンキで落ち込んでる?


「師匠が何かを失敗するとか、珍しいっすね。ユーリ姉ならいつものことだけど」

「アレは失態だった。私は嫌われたかもなぁ。いや、嫌われないはず、ないよな?」

「いや、それは絶対無いから」


 この師弟は、お互いに対する自己評価が低すぎだと思うんだ。

 ユーリ姉が師匠を嫌うとか、世界が滅んでもありえないし?

 師匠も人間不信の期間が長かったそうだし、しかたないか。


「だがさすがに強引に……いや、なんでもないぞ」

「本当になにやったんすか?」

「言えるわけないだろう!?」


 なんかもう、師匠の思考が破綻してる。これだけ取り乱してる師匠は滅多に見れない。

 まあ、ここは弟子として、仲を取り持ってやりますか。こないだの礼もあるし。


「あ、おはようございます! アレクさん、ハスタールさん!」

「おはようマールちゃん。後、わたしは今、アルバインだから」

「あっ、ごめんなさい」

「おはよう、身体はもう大丈夫?」

「はい!」


 元気になってよかった。

 俺はマールちゃんのおでこに軽くキスして、ユーリ姉の後を追うことにした。

 照れてる姿がカワイイな。うん。


「ちくしょう、爆発しろぉぉぉ!」


 なんだか、師匠はかなり追い詰められてるな。まるでフラれた男みたいになってるよ。



 武器屋に行くといいましたが、まだ完成していないのは知っているので、手持ち無沙汰になったのです。

 仕方ないので朝の散歩を堪能していたら、アレクが追いかけてきました。


「……と、いうわけなんで、師匠が追い詰められてるから、話くらい聞いてやってよ?」

「それは単に恥ずかしがってるだけなのです。わたしのイタズラでちょっと……むしろ、わたしが嫌われてるですよ?」

「んなわけ無いって」

「そもそも師匠と二人っきりでお話しするとか、考えただけでも頭が沸騰しますよ!」


 素っ裸にひん剥いて身体中撫で回すようなイタズラ仕掛けておいて、今更だとは思いますけどっ!

 意識せずにやる場合と、意識した場合では、意味とかイロイロ変わってくるんです。


「ユーリ姉、師匠と二人で暮らしてるじゃん。なにを今更」

「言わないでください。それは、考えないようにしているです」


 意識しだしたら止まらないって、こういう状態なのですね。彼女いない歴が年齢だったので、気付きませんでしたよ。

 確かにこの状態はよくないです。師匠はモテるので、目を離すとイロイロ寄ってくるからです。

 ベラさんとか、ベラさんとか、ベラさんとか……想像したらイライラしてきました!


「むぅ、わかりました。戻ったら師匠とお話してみます」

「わかってくれたなら、よかったよ」

「ところでアレク。体の調子はどうですか? アレから不調などはありませんです?」

「ん、ああ。快調そのものだよ。普通の大剣だって片手で振れるくらい筋力ついたし」

「なら、師匠もそろそろ『血』を使わせてもいいですね」

「俺は実験台かよ!」

「マールちゃんは、成長するまでちゃんと待たせるですよ? 危険な時以外は使わないように」

「ああ、わかってるって」


 一応、確認は取って置きます。

 フォレストベアの面々は、病が癒えると同時に『血』を使っていました。

 力を試したくて、うずうずしてるようです。早く出発したそうにしてますが、鱗装備が完成しないと出発できませんからね。

 工作用に頑強の魔術を付与したハンマーや、鋭刃を付与したナイフなど渡しておきましたから、かなりのペースで作業が進んでいるようです。

 なお、魔力補充できるタイプでは無いので、しばらくしたら自然と壊れます。補充型付与品は世に出せませんので。

 先に進捗しんちょくを確認してから、師匠と決戦ですね。



 その後……


「師匠、ごめんなさいっ!」

「あ、いや。私の方こそ悪かった」

「わたし、嫌われてないです?」

「当然だろう。避けられて、私の方が嫌われたと思って、不安だったんだぞ」

「わたしが師匠を嫌うなんて、天地がひっくり返ってもありえません!」

「……ケッ」


 バーヴさんの舌打ちが聞こえて来ましたが、無視します。

 というか、あれだけベラさんに世話して貰って、思いを伝えられなかったのですか? ヘタレですねぇ。

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