11話:1章 ユーリさんの華麗なるフラグ回避
師匠の胸に縋って泣いて――翌朝。
わたしはいつも師匠より早く起きます。水汲みや畑の水やりがあるから。
昨夜は、そのまま泣き疲れて眠ってしまい、師匠の胸の上で目を覚ましました。
毛布が一枚しかないので、しかたないですね。
それに向かいの部屋は冷蔵室なので、この部屋は寒いのです。
たとえ、部屋を熱球の魔術で暖めていたとしても、そうなのです。
昨夜の惨状を思い浮かべると、顔が真っ赤になります。
それにしても、家を吹き飛ばされて、『しかたない』で済ます人が本当に居るとは。
師匠は、この人は本当に……
「……ヒーローみたいな人ですね」
わたしを地獄から救い出してくれた人。
危ない時には、必ず駆けつけてくれる人。
失敗を優しく包み込んでくれる人。
「わたしが元男じゃなかったら、惚れているところです」
胸に顔を預けたまま、寝乱れた師匠の髪を、サラサラと撫でます。
口元の付け髭がずれてたので、剥がしてみます。
相変わらず凄い童顔でした。
「本当に人間ですか、この人は。エルフとかじゃなかろーです?」
この世界にエルフとやらが居るかはまだわかりませんが。
剥がした付け髭をポイと捨て、顔を撫でて不精髭を確認。ほとんど伸びてません。
プニプニと頬をつついてみますが、起きる気配はなさそうです。
師匠で遊んでいると、少し寒気がしたので再び毛布を被り、顔を胸に摺り寄せます。
「さ、寒いからですヨ? 師匠は体温が高いから……」
誰ともなく、言い訳めいたことを口にして、胸に手を置き頬擦りします。
そして、いつの間にかわたしは師匠の胸に手を付き、乗り出す様に顔を覗き込んで……
……あれ? なんか顔が近くないですか?
いや、近い! 何しようとしてるです、わたし!?
頭に血が上って、動悸が激しいです。きっと風邪引いたんです。でないとこんな……
理性と行動が乖離して、何してるかわからない――いえ、判るんですが止められない。止まらない!?
付いた手から、師匠の鼓動を感じます。
空いた手は師匠の頬に添えられています。
顔はすでに、息が掛かるほど近く。
「ふぁ……」
慄く様に漏れる吐息。
わたしの唇は震え、ゴクリと唾を飲み込んで……
フニュ
と、内股の辺りに熱くて硬い感触を感じました。
過去に慣れ親しんだ感覚です。見ずともわかります。老いて尚壮健な、アレです。
三年前に失い、かつてはわたしを貫こうとしたアレです。他人の物でしたが。
三年以上前はわたしも持っていた、朝は特に暴れん棒で、聞かん棒なアレです。
「……ふ」
その感触が引き金になったのでしょう。身体の自由が取り戻されました。
今のうちに!
「ふにゃああぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
ごす。
絶叫と共にわたしの振り上げた膝は……そのまま、師匠の急所へと吸い込まれました。
「オハヨウございます、師匠。そ、それじゃあ、わたしは顔洗ってくるのです」
身体をくの字に曲げて悶絶する師匠に一声かけて、そそくさと部屋を出ます。
背後から師匠の「漢はつらい……」と言う声が聞こえてきました。
ええ、本当に。いろんな意味で。
わたしだったら、家を吹き飛ばされた挙句、寝起きに膝蹴り(クリティカル)を入れてくるような相手は、きっと赦せないでしょう。
たとえわたしの様に幼い相手でも……いえ、だからこそ嗜虐心に駆られ、罵倒し、押し倒し、酷い目に遭わせるに違いありません。
そう思うと師匠は本当に懐が広いです。
「……ふふ、えへへ」
そんな師匠の弟子になれた自分が、少しだけ誇らしくて、嬉しくて……我知らず、笑みを浮かべていました。
◇◆◇◆◇
小鹿が跳ねるような足取りで部屋を出る、ユーリ。
上機嫌なのが一目でわかる。
一発入れられて気分が晴れるなら、痛い思いをしただけの価値はあったか。
「漢はつらい……」
とはいえ、寝起きの一撃はツライ。非力なユーリだったからこそ、問題はなかったが。
昨日は本当に驚いた。
村で救難活動を終え、帰ってきたら庵が吹き飛んでいた。
ユーリを探すとズタボロの服で雪に埋もれて気絶していた。
どうやら火傷は治癒したようだが……いくら状況に適応できると言っても限度がある。
凍死寸前のユーリを抱えるように、無事な地下へ急いだ。
階下の一室に毛布を持ち込んで、身体を温める。熱球も使っておく。
その甲斐あってか、一命は取り留めた。
苦痛からようやく解放され、身体を起こす。
ユーリは階段で何か悪戦苦闘しているようだ。相変わらず要領が悪い。
その気配に自然と微笑み、逆に昨夜の惨状を思い浮かべる。
「いくら死なないと言っても……それだけで済むはずないじゃないか」
人の精神には上限がある。
いくらギフトで底上げされたと言っても、いずれは限界を迎えるのだ。
死を繰り返せば、精神が磨り減る。
磨り減った精神は、やがて心を壊す。
だがユーリは壊れることができない。ならどうなる?
壊れることが出来ないなら――狂うのだ。
心の向きが。
精神の嗜好が。
「正気のまま狂うことだって……人間には出来るんだぞ」
聞こえないとわかっていても、語りかける。
殺されて埋められたと、彼女は言った。普通なら手遅れになったはずだ。
どれほど強靭な精神を持っていたのか。
どれほど楽天的な善人だったのか。
おそらくは後者だろう。ユーリの心はむしろ脆い。身体と同じくらいに。
だけど、その心の治癒速度はこの世界の誰よりも早い。
天性の善意で。だから、無事でいられた。いや、戻ってこれた。
「人間不信は、お前だけじゃない。私も……」
自分で言うのもなんだが、二つのギフトを持つ、魔道具の天才。
その才を得ようと、暗躍した国は一つや二つでは無かった。
こんな山の中に隠遁しているのも、それなりの理由があるのだ。
今でこそ、気軽に村に立ち寄っているが、昔はそれすらも疑心暗鬼で警戒していた。
ユーリがここへ来る前の私は、未だその警戒は解いていなかった。表には出さなかったとしても。
「それが今じゃこの有様だ。本当に救われた。癒された」
その底抜けの善性に、お人好しさに。
こちらを警戒してる癖に、言葉を疑わない。
あれほどの目に遭って、なお他人と暮らす無警戒さ。
しっかりしているのようでいて、しかし、子供のような無邪気さで。
「師匠、タイヘンです!」
そして、戻ってきたユーリを抱きとめた。
階段を登り、跳ね上げ扉を開こうとしましたが……動きません!?
わたしが非力なせいでは無いようです。どうやら上に雪が積もって、埋没しているみたい。
「これは……生き埋め?」
脳裏に浮かぶのは、餓死、酸欠、凍死……
わたしはともかく、師匠は危ないです。
軽く身体強化して、押してみても扉はびくともしません。かなり積もったようです。
全力ダッシュで戻り、師匠に事態を報告します。
「師匠、タイヘンです!」
勢いのままに、抱きついてしまいました。
……勢いが付いただけです、ほんとうです。他意はありません。
「扉が埋まった様で出られません」
「そりゃタイヘンだ」
「何を暢気な! このままじゃ飢え死にしますよ?」
「そこに冷蔵庫があるだろ?」
「……あ」
そういえば、向かいの部屋は冷蔵庫でした。中には丸々一匹分以上ののケラトスの肉が。
体長五メートルといえば、象に匹敵する大きさですからね。
野菜も冷凍して保存してあります。冬に備えて大量に買いこんでいたのでした。
水だって洗浄用の手漕ぎポンプが設置してあり、排水溝も有る……あれ、普通に大丈夫?
寒さだって、わたし達は魔術師なので、熱球でも出せば暖を取れますし?
「いやいや、空気はどうしますか! 窒息の可能性は残ってます」
「それはあるな……よし、ユーリ。扉を破壊して雪を溶かすぞ?」
「壊していいんですか?」
「何を今更」
上物は全て吹き飛んでいたのでした。
階段の下までやってきた師匠は――
「じゃ、今日の修練代わりだ。扉を破壊し、空気穴を通す事」
「ウス、ガンバリます」
優秀な魔術師に求められる事は、強い魔力でも多彩な術式でもありません。
状況に即した適度な魔術です。
ここで力任せに屋根をブチ破って屋根を壊してしまえば、真冬の豪雪時期に野宿する羽目になります。
まずは扉です。ここは地下なので火は危険でしょう。
師匠の制御力ならともかく、風で壊せば破片がどこに飛ぶか判りませんし。
……ふむ?
「『突き立て、大地の槍よ』」
土槍を意図的にゆっくりと生成して、扉を押し潰すように破壊します。
ガラガラと崩れ落ちた扉の向こうは、案の定雪で覆われていました。後はこれを溶かすだけです。
「『熱光よ、集いて射抜く槍となれ』」
熱球と光明の魔術を応用し、熱線を作り出す。
突き出した掌の先でプラズマ化した熱球が集まり、三つの光球が円を描くように渦を巻く。
膨大な輻射熱を周囲にばら撒かれ――
……あれ、なんか強いような? まあ、いいか。
「お、おい!?」
「ファイア!!」
ボシュッ!
光が螺旋の渦を描き、帯電した光弾が凄まじい勢いで雪を蒸発させ、 空へと駆け上っていった。
某ロボット物の螺旋粒子砲を真似してみたのですが、予想以上に成功したようです。
屋根は……綺麗に消し飛びました。
吹き飛んだ屋根は師匠の土壁の魔術で塞いでもらいました。
あと、お説教三時間が追加です。
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