第2話 竜の襲撃

 大きな揺れの直後、中庭にいたエルマーとルークには何が起きたのか分からなかった。しばらくそうしていると、段々屋敷が騒がしくなってきた。

「坊ちゃん!」

 混乱した様子で廊下を行き来する使用人たちの中から、クルトが走って来た。

「良かった、ご無事でしたか。」

「さっきの地震?」

「竜ですよ!野生の竜が襲って来たんです。」

 クルトは信じられないといった様子で、頭を抱える。エルマーとルークはだんだん背筋が冷たくなるのを感じた。

「俺、家に帰るよ。母さんたちを見てくる。」

「ルーク!竜は旧市街にいるんだ。待ちなさい!」

 ルークは震える声でそう残して走り去った。クルトが慌てて声をかけるが、喧騒にかき消されてしまう。

「とにかく、坊ちゃまは広間に行ってください。私は、奥様を見てまいります。」

 クルトは力強く言った。エルマーは、それに頷くことしかできなかった。



 混乱するネルケの空を、2羽の巨大な鳥シームルグが飛び抜けた。鞍のついた背に乗り、軍服を着込んだミーナとイルハンが手綱を引く。目指すは竜だ。

 この大陸には2種類の竜が存在する。1つは王家に仕える竜。彼らは王宮の奥深くで国を守護し、儀式の時だけ人前に姿を現す。そして、それ以外は野生の竜たちだ。人里離れた山や谷に暮らし、数も生態も謎だらけ。しかし、天災のように時折現れては街を破壊するのであった。

 体長30メートルはある竜は興奮した様子で家を踏み潰し、火を吹いていた。住人たちはパニック状態で川向こうの新市街に逃げ惑う。それを追い詰めるかのように竜は鳴声をあげながら街を進んでいく。

「目が赤い。相当、興奮してますね。」

「とりあえず、これ以上街をぶっ壊されたら堪んない!」

 竜の周囲を飛び回りながら、ミーナは唇をかんだ。イルハンに合図をして、肩にかけていたロケットランチャーを構えた。

「注意を引いて、時間稼ぐよ!」

 2人から同時にロケット弾が発射される。竜の両脚に命中し、動きが止まった。2羽のシームルグに気がついた竜は噛み付き、炎を吐き出した。

「っ!」

 それを避けたミーナは、2発目のロケット弾を打ち込んだ。次の瞬間、耳元で風を切る音が聞こえたと思うと、竜の翼が襲ってきた。竜が体を反転させたのである。

(しまった…!)

 間一髪で翼自体は避けられたミーナだっだが、続く風圧に負けてシームルグごと飛ばされてしまった。落ちる際に手綱を放してしまい、地面に叩きつけられる。

「ミーナ!!」

 イルハンの焦った声が遠くから聴こえて、ミーナは何とか手を上げて応えた。起き上がって、唾を吐きだす。口中に鉄の味が広がった。

「大丈夫?」

 近くの瓦礫から少女が出て来て、心配そうに覗き込む。

「…大丈夫よ。」

 腕の具合を確かめながら、少女に微笑む。

「お姉ちゃん強いね。」

「そうよ。…というか、君早く避難しなさい。」

 立ち上がってシームルグを呼ぶ。厳しい口調で少女にそう告げると、悲しげに首を振った。

「だって、橋が渡れないんだもん。どこに逃げたらいいの?」

「は?」

 眉を潜めたミーナは、シームルグに飛び乗った。まさかという思いでデール河の橋に向かう。

「なんてこと…!」

 街へ続く大橋の門が閉じられていた。門の前には人々が諦めた表情で立ち尽くしていた。何とか新市街に渡ろうと船を出す住民もいる。舌打ちをしたミーナは迷わず門に向けてロケット弾を打ち込んだ。



「なぜ今、竜が襲ってくるんだ。」

 アードラ家の広間には、ネルケの市長がやって来ていた。アードラ家の家令のバロンはイライラと歩き回る市長に答えた。

「こればっかりは仕方ありません。地震や雷と同じように、野生の竜は突然人間を襲いますから。」

「そんなことは分かっている!」

「それより市長。ちゃんと橋は止めたんでしょうね?」

「勿論だ。竜が人間につられてこちらに来てしまっては大変だからな。燃やしてしまってもいいぐらいだ。」

「流石ですな。…逃亡の準備はこのアーベル商会にお任せを。」

 恭しく頭を下げたアダムは隣に来たバロンに囁く。

「アレは?」

「‥‥既にこちらに運んでおります。」

 アダムは厳しい顔で頷いた。その時、勢いよく扉が開いた。見ると涙目のエルマーが立っている。どうやら話を立聞きしていたようだった。

「燃やすなんて。駄目だよ!だって、」

 とっさに口に出したは良いものの、部屋中の視線を感じて後の言葉が続かない。すると、そこにまた誰かが入ってきた。

「全く、とんでもないことをしてくれたもんだね。」

「…アルフォンス様。」

 アダムが舌打ちをしてバロンを睨む。部屋から出すなと言ってあったのに。

 アダム達の様子を気にも止めず、アルフォンスが物憂げに指を鳴らすと軍服の男達が入ってきた。

「門を封鎖するとはね。市長を捕らえろ。」

「な!」

 軍服の男達が市長を拘束し、連行しようとする。

「何の真似だ!誰だ貴様は!」

「これは申し遅れました、ネルケの市長殿。僕の名前は、アルフォンス。アーベル商会殿には嘘をついて申し訳ないが、銀行の御曹司ではなく。言うならば、この国の御曹司!」

「は?」

「名前をアルフォンス・ザフィーアと申します。」

「まさか…?!」

「王太子殿下?!」

 微笑むアルフォンスを市長は信じられない様子で見つめる。

(王太子だと…?!)

 アダムは驚愕の事実に、目を見開いた。暴れながら市長はアルフォンスに食い下がる。

「殿下、違います!…竜は人が敵わぬ怪物。一度暴れ出したら気がすむまで破壊し続ける。門を封鎖しなければ、我々は全滅してしまいます。王太子たる貴方なら、お分かりでしょう?」

「それはどうかな。」

「へ?」

「見たまえ。」

 アダム達が促されて窓を見ると、遠くに暴れる竜の姿が見えた。しかし、先ほどとは違い何かを執拗に追いかけまわしている。よく見ると、2羽のシームルグが竜を攻撃していた。

「なんだ…?」

竜狩人りゅうのかりうどだよ。」

「まさか、人が竜に敵うはずが。」

「…市長。」

「は。」

「挽回のチャンスを与えよう。橋が開通し、旧市街の住民が避難して来る。至急、怪我人の手当て。兵士を集めて旧市街に残る死傷者の救出を急げ。」

「かしこまりました。」

 市長は恭しく胸に手を当てたかと思うと、光の速さで部屋を飛び出した。ミーナたちの様子を見ていたエルマーの頭にアルフォンスは手を置いた。

「大人たちに意見するとは、素晴らしい勇気だ。」

「退治してくれるの?」

「…正直、倒すことは2人では難しいだろう。だが、竜を街の外に追い返すことは可能なはずだ。大丈夫、夜には全て終わっている。」

 すがるような瞳に、アルフォンスは微笑んだ。エルマーは心配そうに旧市街を見ると、何かを決めたように頷いた。


 狼も寝静まった深夜。ネルケの街から1キロほど離れたところまで追いやったところで、竜は静かに倒れ込んだ。

「…やっとか。」

「思ったより時間がかかりましたね。」

 シームルグから飛び降りたミーナは怒りをぶつけるように竜に蹴りを入れた。

「ちょっと、起きたらどうするんですか。寝ているだけなんですから。」

「大丈夫。しばらくの間、起き上がる体力も残ってないよ。…うわ!」

「それはあなたでしょう。無茶ばっかりして。」

 イルハンの腕が伸びてきたかと思うと、あっと言う間に肩に担がれる。「お姫様抱っこが良かったな。」と妄想を膨らませるミーナに構わず、シームルグに乗ると、街の方へ飛び立った。



 旧市街は瓦礫の山と化していた。この世の終わりのような闇と静けさ。血と死の臭いに覆われた街。

「イルハン。やっぱり下ろして。私、ちょっと街を見てくる。」

「駄目です。」

「なんで。」

「死傷者の救出はアルフォンス殿下の仕事です。このまま市庁舎で休んで、竜との戦いに備えるのが竜狩人の仕事です。」

「でも、まだ誰かいるかもしれないじゃん。」

「もうここには救える人間はいません。」

 その時、何処からか子どもの泣き声が聞こえた。しかし、何も聞こえないかのようにイルハンはスピードを上げる。ミーナは暴れて担がれた状態から脱出すると、自分のシームルグに飛び乗った。

「ミーナ!」

 イルハンを撒くように上空から一気に下降すると、暗いネルケの街に消えた。


「君は…。」

 泣き声を辿っていくと、旧市街の大通りでエルマーが力尽きたように座り込んでいた。涙も鼻水も全てごちゃ混ぜになった顔で、嗚咽を漏らしながら何かを背負っている。

「…!」

 背負っていたモノが昼間遊んでいたルークの変わり果てた姿と気づき、ミーナは駆け寄った。エルマーがすがるように見つめる。

「助けて…。ルークが、ルークが死にそうなんだ。…いっぱい血が出てて、冷たくて。」

 胸から大量に出血しているルークを取りあげると、うつろに目を開いて地面に転がった。ミーナはそれをそっと眠らせ、エルマーに首を振った。

「お願い、助けて!助けてよ、ティアマト様!」

 空を見上げて声を枯らすエルマーをミーナは夢中で掻き抱いた。静寂と闇のなかで、エルマーの体は雛鳥のように暖かかった。

「ごめん。」

 ミーナは歯を食いしばりながらそう呟くことしかできなかった。



 その夜、ふと目が覚めたヘーレネは傍らで寝ていたはずの息子エルマーがいないことに気が付いた。慌ててクルトを呼びにやる。

「もしかしたら、ルークを探しに行ったのかもしれません。気にしておられましたから。」

「そんな!」

「とりあえず、奥様は中を。私は外を探してきます。」

 頷いたヘーレネは広い屋敷を走り回った。屋上へ続く階段を登っていた時、誰かが言い争っているのが聞こえた。

「今さら取引を辞めると?あの王太子が怖いのですか?」

「何とでも言え。こんな時に、怪しい商売をしているとバレたら。うちは終わりだ。」

「これが何かあなたは知りたくはないのですか?」

 ヘーレネがそっと屋上に顔を出すと、家令のバロンが手すりに持たれながら木箱を見せていた。対面するアダムは護衛を従えて不敵に笑う。

「どうでもいい。俺はそれを運ぶよう言われただけだからな。密輸なんてお手のものだが、今回はなしだ。」

 アダムは懐から銃を取り出すと、バロンに向けた。バロンは笑って手を挙げる。

「それで私ごと証拠隠滅ってことですか。…私があなたのお兄様を殺したお陰で、あなたは商会を手に入れたというのに。ひどすぎませんかね。」

「ああ。だから、選ばせてやるよ。撃たれるか、そこから飛び降りるか。」

「…ッ!」

「誰だ!」

 息をのんだヘーレネは硬直したまま動けない。アダムの意識が逸れた瞬間、バロンは木箱を床に投げた。そして、短剣を取り出してアダムを切りつけた。

「ぎゃぁぁぁぁ!」

 護衛の男が庇うようにバロンに切りかかる。3人がもみ合っている中で、ヘーレネは足元に滑って来た木箱をとっさに抱えて階段を降りようとした。

「待て!」

 それ気が付いたバロンは護衛の男をなぎ倒すと、ヘーレネを追う。髪を引っ張り屋上に連れ戻すと、ヘーレネは木箱を振り回してバロンに抵抗する。バロンがそれを交わして、短剣を振りかぶった瞬間、何処からか伸びてきた剣がそれを撥ね返した。

「何やってんの、あんた!」

 ミーナはヘーレネを背に庇うと、バロンに向けて切りかかる。その隙に、シームルグから飛び降りたエルマーはヘーレネに駆け寄った。

「母様!」

「エルマー!」

 2人が抱き合ったのを目の端で確認したミーナは攻撃を繰り返すバロンに飛び掛かった。

「私が人間に負けるはずないでしょうが!」

「くっ!」

「あんた、ただの家令じゃないよね。何者?」

 打ち合いの中で短剣を叩き落とす。腕を切りつけられたバロンは、ニヤリと口をゆがめると懐から銃を取り出した。ゆっくりと自分の頭にそれを押しやる様を見て、ミーナは走り出した。

「待ちなさい!」

 その瞬間、バロンは銃口の向きを変え、床に落ちていた木箱に向けて数発発砲した。

 キュ――!!!

 甲高い鳴き声と共に姿を現したソレを見て、ミーナは絶句する。そんなまさか。

「‥‥竜の子ども?」

 呆けたような声でエルマーが呟いた。鎖で巻き付けられた小さな竜。エルマーが木箱から出してやると、竜はぐったりとして血を流していた。

「また会おう。竜狩人。」

 振り返ると、バロンは屋上から身を乗りだしていた。ミーナの乗って来たシームルグに飛び乗ると、そのまま上空へと消えていく。

「待て!!」

 空に向かって銃を発砲したミーナだったが、既にその姿は無かった。代わりに雲の切れ間から見覚えのある大きな影を見つける。傍らにはイルハンが飛んでいた。

(ちょっと、次から次へと何なの!!!)

 疲れて眠っていたはずの竜が再び目を赤くして屋上に向かって飛んできたのだ。攻撃するイルハンを翼で屋上へ叩き落とすと、竜は真っ直ぐエルマーに向かってくる。

(しまった!狙いは子どもだ!)

 ミーナはエルマーの元へ駆け寄るが、竜のスピードの方が速かった。急に現れた怪物に状況が理解できずエルマーは立ち尽くす。

「エルマー!」

 竜が口を広げた瞬間、ヘーレネがエルマーから子竜を奪って突き飛ばした。竜は子竜と共にヘーレネをくわえると、そのまま上空へ消えていく。

「母様―!」

 エルマーが手すりを飛び越えて追いかけようとするのをミーナは必死に押しとどめる。

「俺が後を追います。」

「待って!」

 シームルグに飛び乗ろうとするイルハンをミーナは制した。怪訝な顔で立ち止まるイルハンに近づき、腕を強く引いた。

「何を―」

 驚いたその声は、強引に重ねられたミーナの唇によって続けられることは無かった。抵抗していたイルハンはミーナの鋭い眼差しに気が付き、それをやめてしまった。

(…なんて目をしてるんですか、あなたは。)

 わずかな時間だったのか、長い時間そうしていたかは分からない。けれど、唇を放した時、まるで太陽が登ったかのような光がミーナの体に降り注いだ。妖艶にほほ笑んで立ち上がると、そのまま屋上から下へ飛び降りる。

「お姉ちゃん!」

 エルマーが慌てて身を乗り出すと、ミーナの姿はない。呆然としたエルマーの上を大きな影が横切った。黒い巨大な竜が雲を切り裂いて、地平線に顔を出した太陽へ飛んでいくのが見えた。


 

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