竜の鳴き声が聞こえるか

ようけいじょう

第1話 ネルケの街

むかしむかし、この世は恐ろしい竜が支配していました。

ある時、ひとりの男が立ち上がります。

竜狩人りゅうのかりうどアルハンと呼ばれた青年は竜たちを倒し、ついに竜の王アプスを降伏させました。

アプスは娘ティアマトを嫁がせ、地上の王の称号を与えて天に昇りました。

そうしてアルハンは大陸を統一して大帝国を作ったのでした。(『歴史-竜狩人』)


「…アルハンの死後も、竜王の娘ティアマトはこの世に留まりました。」

「どうして?」

「優しいティアマトは、か弱い人間を救うために天には昇らなかったのよ。」

「本当に?」

 喪服に身を包んだヘーレネはベッドに身を沈めた。首を傾げるエルマーに笑いかける。

「お祖母ちゃんはそう言っていたわ。きっと、ティアマト様が助けて下さる。つらい時はこうしてお祈りをするの。」

 ヘーレネは空を仰ぐようにして目を閉じた。じゃあ、どうして父様は死んでしまったの。なぜ母様の病気は治らないの。エルマーには聞きたいことは沢山あったが、代わりに茶化したように続けた。

「でもさ、ティアマトって竜でしょ?怪物じゃん。どうやって救うんだよ」

「そうねぇ。」

 ドアがノックされ、使用人のクルトが薬を持って入って来た。「もうすぐ12時だ。」と気が付いたエルマーは、ベッドから飛び降りた。

「坊ちゃん!」

 クルトが声を荒げるが、エルマーは笑いながら横切った。母親に笑顔で手を振ると、薄暗い部屋を後にした。


 夏の暑い日差しが長い廊下に射している。調度品が並ぶ豪奢な廊下をエルマーは全速力で走っていた。

(遅れちゃう…!)

 角を曲がった瞬間、人影が目の前に現れた。「しまった。」と思ったときにはもう遅く、エルマーはぶつかって後ろに転がった。

「大丈夫ですか!」

「イタタ‥」と顔を上げて見ると、大勢の大人が誰かを取り巻いていた。その中に叔父アダムがいるのを見て、エルマーは天を仰いだ。

(大事なお客様が来るから大人しくしていろと言われてたっけ。)

 ぶつかった男は、金髪で派手なジャケットを着て、羽が何本も刺さった帽子を被っていた。まるで童話の王子様だ。顔をゆがめながら腹を押さえている。

「アルフォンス様。大変申し訳ございません。…とんだ失礼を。おい、エルマー。早くお詫びをせんか。」

 謝るアダムに襟を捕まれて、エルマーは叔父を睨みつけた。アダムもそれに気が付き、今度は頭ごと床へ押さえつける。

「いやいや、私こそ前方不注意で申し訳ない。」

「お怪我はございませんか。」

 侍従らしき男が手を差し伸べる。短髪で細身の体に顔に大きな一文字の傷。不愛想だが役者のような美青年ぶりに、エルマーは思わず目を見開いた。

(本に出てくる騎士みたいだ‥。)

 ぼーっとしていると、誰かがエルマーを立ち上げさせた。別の侍従が柔和に笑う。

「あまりやんちゃをしてはいけないよ。」

 エルマーは軽く会釈をして近くの階段を駆け上がって行った。その背中を睨みつけるアダムにアルフォンスは問いかける。

「あの子は?」

「…昨年亡くなった兄の子どもです。」

「おや、立派な後継者をお持ちで。」

 部屋に案内されながら何気なく発せられた言葉に、アダムは手を握り締めた。

「後継者と言っても、まだ12歳の子どもですし。母親も旧市街の貧しい出で。…兄もとんだ荷物を残して逝ってしまったものです。」

 力を込めて発したアダムは、アルフォンスが全く話を聞いていないことに気が付いた。手鏡で懸命に前髪を直している。

「…すまない。常に美しくいなければ、気が済まなくてね。」

 アダムの視線に気が付くと笑顔を向け、アルフォンスは紅茶の香りを楽しんだ。

(銀行家の御曹司か知らないが。この都会のボンボンが!)

 アダムは思わず心の声が出そうになるのを抑えながら、なんとか笑顔を保ったのだった。


 ザフィーア王国の街ネルケは、古い歴史を持つ商業都市であった。旧市街と新市街の間をデール河が悠々と流れる美しい街である。大商人達が暮らす新市街の中でも特別立派な建物が、アードラ家の屋敷である。街で一番の商会を経営している家は、実質この街の支配者であった。

 「ルーク!遅くなってごめん!」

 見晴らしのいい屋上についたエルマーは、手すりに座っていたルークに駆け寄った。御者の息子であるルークは、大人に囲まれて育ったエルマーにとって数少ない同世代の友人だった。ルークは腕を組み、睨みつけるようにこちらを見る。

「遅いぞ!」

「ごめん。…それで、持ってきてくれた?」

 窺うような表情に、ルークは溜息をつきながらポケットを探る。旧市街に住むルークは時々、こうして流行りの品を持ってきてくれるのだ。

「じゃーん。」

 トランプほどの大きさのカード。金の剣と盾を持った凛々しい青年が描かれている。

「すごいだろ。今の王太子様!すごく賢くて強いんだ」

「カッコいい。」

 エルマーは興奮のあまりカードに手を伸ばすが、ルークはひょいとそれを避ける。

「おっと。これは中々当たらないレアカードだぞ。簡単に触らないでもらえるかな。」

 おどけた調子でカードを見せつけるルークに、エルマーは「何だと。」と手を伸ばす。そのまま2人でじゃれ合いながら、攻防を続ける。すると、どこからか手が現れてカードが横取りされた。

「こんなところで喧嘩しない。落ちたいの?」

 振り返ったエルマーは、「あ。」と声を上げた。先ほどの一文字の傷のある男だったのである。風に揺れる短い髪を鬱陶しそうにかき上げながら、冷めた表情でカードを2人に見せる。

「で、これはどっちのもの?」

「あれ?」

 近くまでやって来た姿を見て、エルマーは眉をひそめた。確かに役者のような美青年だが、何か違和感がある。その姿をもう一度下から上までみたエルマーは思わず声に出していた。

「…何で男なのに胸があるの?」

「は‥?」

「確かに、ちっちゃいけどあるな。」

 調子づいたルークがの胸に手を当てて神妙に頷く。次の瞬間、状況を理解したその人物は首まで真っ赤になると悲鳴を挙げてルークを振り払った。

「何すんの―――!」

 胸を押さえてへたり込んだ隙を見て、ルークはカードを奪い返す。そして、2人はケラケラと笑い声をあげながら階段を下りて行った。


「…イルハン。それ以上笑ったら、ぶっ飛ばす。」

 何時からいたのか分からないが、一文字の傷のあるミーナの背後でイルハンがこらえきれず笑っている。それを振り返りもせずに、手すりにもたれ掛かった。

「なんで、こんな片田舎でガキに笑われなきゃいけないの!だから、私は王都で留守番してるって言ったのに。」

「まぁまぁ。アルフォンス様のご所望ですから。はい、あーん。」

 思わず口を開けたミーナにイルハンは何かを放り投げた。口いっぱいに甘さが染み渡って思わず頬を押さえる。

「何これ。美味しい!」

「このあたりで有名な焼き菓子らしいですよ。」

 満足そうなイルハンを見て、ミーナは内心しまったと悔しがる。お菓子を食べて機嫌を直すなんて、子どもみたいだ。もう20歳になったというのに。

(子ども扱いばっかり…。)

 頬の傷を撫でながら、お菓子で緩んだ頬を元に戻し、屋上からの景色を堪能する。大型の商業船が往来するデール河には立派な橋が掛けられ、豆粒のような人々が動き回る。

 しばらくそうした後で、屋上から降りる階段へ向かった。その時―。

 

 カンカンカンカン!!!


 ドドドドドドドドドドデュン―――。


 突然の鐘の音。地響きと大きな揺れ。何かに揺さぶられるように建物全体が波立ち、ミーナは階段から転げ落ちた。

 苦しそうな声が下から聞こえる。

「…大丈夫ですか。」

「イルハン!」

 ミーナを庇うようにしてイルハンは下敷きになっていた。

「…ミーナ、ちょっと太りました?」

「うるさい!」

 軽口を挟むイルハンにミーナはつい大声を出して乱暴に立ち上がった。

「‥地震ですかね?」

「でも、警鐘が聞こえたよね。」

「確かに。」

 顔を見合わせた2人は現実に引き戻されたように、落ちてきた階段を駆け上がった。

 警鐘は時計塔に設置されている緊急事態を知らせる鐘である。それが鳴らされる条件は二つ。敵軍が街に攻めてきた時と――。

「‥‥嘘でしょ。」

 屋上についたミーナは、その光景に愕然とする。旧市街の奥に見える巨大な姿。鋭いかぎ爪に鋼鉄の体。巨大な翼と、炎を吐くその姿。

「しかもかなり大きい成獣ですね。」

 —―野生の竜が街を襲撃してきた時である。

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