最終話
新年明けてから丸三日。短い冬休みももうすぐ終わろうとしていたその日。
「朝日が見てみたいんです」
珈琲を啜りながら彼女はそう言った。
「それってどういう……」
彼女は自分の特質でも忘れたのだろうか。
「そのまんまの意味ですよ。陽が昇るところを見てみたいんです」
「でも、君は陽の光に当たったら死ぬんじゃ……」
最初にそう言ったのは彼女の方じゃないか。
「私、考えてたんです。この前話したときからずっと。何のために生きてるんだろうって。そして気づいたんです。あぁ、生きてる意味なんて無いんだって。私はいなくても成り立つ存在なんだって」
黙って彼女の話に耳を傾ける。
「私の存在は歪なんです。この世にいてはいけないんです」
いろんな言葉が浮かんでくる。そんなことない。必要な存在だ。君は大切なんだ。でもどれも薄っぺらくて虚栄だった。自分の気を落ち着けたいだけの贋物だった。
「だったらじゃあ自分のやりたいことをやろうと思って。それでたまたま目に入ったテレビで特集を見たんです。初日の出を」
言われてみれば確かに見ていた。やけに情報番組を食い入るように見てたのはそういうことだったのか。
「既に昇った太陽は何回かテレビで見たことはあったのですが、昇る瞬間というのは初めてで。こんなにも美しいものなんだって。そう思ってしまったんです」
彼女の言っていることは理解できる。純粋に生きるという行為を全うできなくなった彼女にはもうこれだけしか手段が残されていないんだ。
「太陽を見て綺麗だなんて思う時点で、私吸血鬼としても不完全だったんです。ねえ、私の人生最後の我が儘に付き合ってくれませんか?」
曇りのない綺麗な瞳で彼女は問いかけてくる。
「わかった。手伝うよ」
彼女は自らの存在に終止符を打つことを決めた。その覚悟を無碍に出来ない。
「ありがとうございます!」
そう決まれば行動は早い。その日の明け方、俺は後ろに彼女を乗せてバイクを走らせた。場所は彼女の希望で海になった。
目的地に着いたのは日の出予想時刻の三十分ほど前だった。
「寒いね。何か飲む?」
「いえ、大丈夫です」
会話が途切れる。何か話そうと思うも適切な話題が浮かばない。
「ねえ、吸血鬼さん」
「はい」
「好きってどういう気持ちなの?」
彼女は一人の男性に寄り添った過去がある。前にかいつまんで聞かせてもらった。
「難しいですね。感情は定義出来ないですから」
三日月が雲の切れ目に浮かんでいる。
「一緒にいたいとか、もっと知りたいって思うようになるのが一般的ですね。でも私
は、本当の自分を曝してもいいと思えるようになるのが好きになるということな気がします」
本当の自分を曝す。俺が久しくやっていないことだ。
「無理に気を遣うような相手じゃなくて、互いに自然と思いやれるような、そんな関係性になれる、なりたいって思うような相手は好きと言って良いんじゃないですか?」
理解は出来るし納得も出来る。でもなかなか難しいことだ。本当の自分を認めてもらおうとするのは。
「人を好きになるって難しいですね」
「そうですね」
再び沈黙。でも嫌な感じはしなかった。彼女もどこか穏やかな顔をしていた。
日の出まであと数分。少しずつ空が白んできていた。彼女の顔色はよくない。
「私が死んだら何が残るんだろうって」
明らかに弱った声で彼女は話し始めた。
「きっと死体は残らないだろうし、別に形に残る何かをやってきたわけでもない。私の存在を知っている人間も死んでしまった」
ゆっくりと空が明るくなっていく。
「このままだと私は本当に消えてしまう。なんで生まれて、なんで生きていたのか分からなかったけど、私の生は否定されたくないの」
彼女の体が徐々に透けていく。美しい瞳から溢れ出した涙は頬を伝って流れ落ちていく。
「ねえお願い。君だけは私を覚えていて。確かに私はいたんだっていうことを。私は生きていたんだっていうことを」
声を出そうとするも喉がつっかえてでない。すぐにそれが嗚咽のせいだと気づいた。急いで首を縦に振る。
「ほら、見て。朝日ってこんなに綺麗なん――」
それが彼女の最後の言葉となった。つい今の今までそこに座っていた美しい吸血鬼は跡形もなく消えてしまい、地面に残った数滴の染みだけが彼女の存在を確かに表わす唯一の証だった。
まだ、やらなければいけないことが残っている。
吸血鬼がいなくなってから三時間後。俺は例の神社にいた。……二人で。
「ごめんね。こんな朝早くから」
「いえ、全然大丈夫です」
数日前の騒々しさとは対照的に、木々が揺れる音しか聞こえない。
「俺は君が思っている以上に汚い人間だよ。誰かを嫌ったりするし、自己中心的だし、そのくせ誰にも嫌われたくなくて愛想振りまいたりするし」
そんな汚い自分を知られたくなくて人前で仮面を被るようになった。他人の目だけを気にして生きるようになった。
「俺は……自分が嫌いだ」
醜い自分が嫌いだ。美しく飾ろうとする自分が嫌いだ。欠点を分かりながら改善できない自分が嫌いだ。それでも自分を認めてもらおうとする自分が嫌いだ。
「先輩は強いですね」
彼女は呟くように言った。
「私、自分を嫌いになれる人間は強いと思うんですよ。逃げずに自分を見つめて、しかもそれを受け入れて。何も考えずに生きてる人よりよっぽどかっこいいですよ」 逃げずに、自分を見つめる。
「自分はこんな人間だからって、思考放棄して開き直ることすら出来ないこんな俺でもか? 他人の前では必死に着飾ろうとする俺でもか?」
「それでも!」
強い声が空に反射する。
「それでも先輩が好きなんです!確かに私が見てるのは先輩の表面だけかもしれません。でもじゃあ私に教えてくださいよ!先輩の全てを!一人で抱え込まないでくださいよ!私は先輩の特別になりたいんです!」
ここまではっきりと喋る彼女は初めて見た。そうか。俺も彼女のほんの一面しか知らないんだ。彼女だってまた俺と同じ種類の人間か。
「愛田さん……俺は……」
言わなければならない。面と向かって。彼女に。
「――――――――」
そうして彼女は泣きながら笑った。その涙は雫となって地面に吸い込まれていった。
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