第2話


「じゃあちょっと僕、買い物に行ってきますね」


 共同生活を始めて約三時間。適当な雑談やテレビで繋いでいたが流石に間が持たなくなってきた。なので一旦ブレイクタイムを挟もう。


「あ、はい。お気をつけて」


 なるべく陽が差し込まないようドアの開閉を必要最低限に留めて外に出る。外は晴れだった。

 近所のスーパーまでは自転車で十分もかからない。人通りの少ない道を飛ばせばすぐだった。


 適当に三日分ぐらいの食料を買い込む。それと日用品。……吸血鬼ってトイレとか行くんだろうか。取り敢えず多めに買い足しとくか。


「あ!先輩!」


 唐突に背後から声がする。サークルの後輩がいた。


「ああ、愛田さん。奇遇だね」

「昨日ぶりですね」


 そういえば昨日の忘年会で一緒だったんだ。吸血鬼の衝撃が強すぎてすっかり忘れていた。


「いつの間に帰ってたんですか?」

「一次会の後にね。昨日はちょっと体調悪くて。寝たら治ったけど」


 先手を打っておくことで深追いを避ける高等テクニック。体得者はきっと俺しかいない。


「大丈夫ですか?何かあったらすぐに呼んでくれて良いですからね?」

「ありがとう」


 レジ前で一旦別れる。


「先輩って料理するんですね」


 店を出た後、自転車を押しながら二人並んで歩く。


「結構するよ。イメージないかもだけど」

「確かに意外でしたね。先輩って家事しなさそうなイメージですし」

「あながち間違ってないかな。真面目にやるの料理だけだし」


 赤信号で一時停止。


「じゃ今度お掃除しに行ってあげますよ」

「それは有難いね。大掃除もまだやってないんだよな」


 あくまで社交辞令の一つとして受け取っておく。その方が勝手がいい。

 信号は青になる。また歩みを進める。


「先輩は年末実家に帰るんですか?」

「いや、今年は帰らないつもり」


 うちの大学では他県から来て一人暮らししている人が多い。だから盆と正月は帰省ラッシュが始まる。


「なら一緒に初詣行きましょうよ。みんなで」

「みんなで?」

「はい。今サークル内でそういう話が出てるんですよ。居残り組で行こうって」


 初耳なんだが。


「多分もうすぐラインでも回すんじゃないですか?」

「そうなんだ」


 帰省しない組といったら誰だろうか。伏先輩とか小野さんとかその辺かな。

 

 ヴヴッ、とポケットのスマホが震える。ロック画面を確認するとサークルの全体ラインからメッセージが届いていた。


「あぁ、ちょうど今来たよ」

「みたいですね」


 彼女もまさにスマホをポケットに仕舞っているところだった。


「じゃあ俺こっちだから」


 十字路の真ん中で一旦立ち止まる。


「はい。お疲れ様です」

「お疲れ」


 そのまま左右に別れると振り返ることなく家へと向かう。

 恐らく。恐らくだが彼女は俺を……。



「血を吸わせては貰えませんか」


 彼女を拾ってから三日目。ついにその日が来た。


「いや、そんなに沢山じゃなくていいのです。一、二口で十分ですので」


 かなり下手に出てくる。


「うーん……」


 おいそれとは頷けない。流石に実際に身体に影響が出てくるとなるとなかなか難しいものだ。


「それってさ、血を吸わなかったらどうなるの?」

「人間の食事とあんまり変わりませんよ。徐々に弱っていってやがて死にます」


 言われてみればなんかそんなイメージな気がする。

 しかし目の前で弱っていく様子を見せつけられるのも嫌だな。家に住まわせてあげてる意味がなくなってしまう。


「分かった。ほら、いいよ」


 袖を捲って彼女の方に腕を差し出す。


「ありがとうございます!」


 いそいそとこちらに向かってきてそのまましゃがんだ。


「では失礼して」


 彼女の白く尖った牙が肌に突き刺さる。痛みはそれほど感じない。普通に甘噛みされているような、少なくとも針のような痛さはない。それからちょっと血を吸われる感覚。昔病院で採血したときと似たようなものだった。

 長かったような短かったような吸血が終わると彼女はゆっくりと顔を上げた。


「ありがとうございました」


 赤く染まった口で彼女はそう言った。


「どういたしまして」


 そしてなんとも言えないような空気が流れる。


「不便ですよね、この体」


 彼女は曖昧に笑いながらぽつりと零した。


「陽の当たる場所には出られないし。こうやって人間に寄生しないと生きていけませんし」


 彼女はゆっくり立ち上がると座椅子に座り直した。


「私最近考えるんですよ。なんで私は生きているのだろう。吸血鬼の存在意義ってなんだろうって」


 吸血鬼の存在意義か。人間でさえ一生をかけても解らない難問なのにましてや亜人。確かに難しいだろう。


「かれこれ二百年近く生きてきて、人間と敵対したこともあったし、一人の男と生涯を共にしたこともあります。どっちも楽しかったですし、生きてるって実感がありました」


 秒針の音が間を埋める。


「でも気づいたんです。一体私はいつまで生きるんだろうって。吸血鬼って、裏を返すと陽の前に出ずに血を吸っていれば死なないんですよ。死ねないんですよ」


 老化もせずに死ねもしない。周りの知っている者たちは寿命で亡くなっていく。考えられる限り一番最悪のパターンだ。


「吸血鬼の仲間っていないの?」

「生まれてから一度も他の吸血鬼を見たことないんですよね。そもそも私はどうやって生まれたのかも知りませんし。日光も吸血も、どこから学んだわけでもなく本能的に刷り込まれてたんです」


 伝承の生物、架空の生物として生きる吸血鬼。おそらくその存在は人間に依拠しているのだろう。己を己で定義することが出来ない。そういう生き物なのだ。


「私が死ねる時は、きっと人間が吸血鬼の存在を忘れたときなんでしょう」


 人間によって創られ、人間によって殺される。亜人の宿命であり、しかも悲しいことにそれが己を定義づける核心となっているのだ。


「って、少し暗い話になっちゃいましたね。もっと明るい話題にしましょうか」


 結局この後、昔話や色恋沙汰などとりとめのないことを話した。被った彼女の仮面が脱がれることはなかった。


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