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翌朝。

世界は何度目かの終わりを迎えようとしていた。

混乱した人々が作り出す阿鼻叫喚の地獄絵図。

これからまた、誰からも愛される女の子が生まれるのだろうか――――。


「おやおや、これはまた大変な騒ぎだ」

「神様。その節は妹が大変お世話になりました。お陰様でこの有り様です」

「何を言うかね。わしは君の願いを叶えてあげただけなのに」

「はい、叶いました。ですが、これは想定外の事態です。僕が思っていた結果とは違う。これって契約違反ですよね。

なので、弟を返してください」


神様は大層びっくりした顔をした。

わし、君の望み通り弟くんを誰からも愛される女の子にしたよね?などと文句を言ってきたが、その結果は僕が思い描いた展開と全くかけ離れたものになってしまった。

これでは意味がない。


「願いを叶えられるのは一人一回きり。選ばれた人だけ。なんでもかんでも願い叶えてたら世の中おかしくなっちゃうじゃん」


その世の中が今、地獄の有り様なのですが。

そうこっそり思っていたら、神様は僕の心を見透かしたように「なったものは仕方がない。そうなる運命ということじゃ」なんて悪げもなく言った。

神様ってこんなにもいい加減なものなのかな。


「なんじゃなんじゃ、文句ばっかり!んもう、君は結局どうしたかったのかね」


僕の願いは弟の幸せ、ただ一つだった。


弟が僕のことを特別な目で見ていたのは、もうずっと前から気付いていた。

芽生えたばかりの幼げな感情はまだまだ未成熟で、家族を思う愛情との境目をふわふわと揺れ動いていた。

僕は可愛い弟の幸せを切に望んでいた。

弟に在るべき道を示す。それが兄である僕の役目だ。


でも僕はそんな大事な大事な弟を、助けられなかった。

あの時、母親に殺されそうになった君を、僕は目の前にいながら守れなかった。

僕は臆病だ。僕には力がない。だから神様にお願いしたんだ。

君を誰からも愛され、守られるべき女の子にしてほしいと。

この世界では、それが一番幸せな生き方だから。

そして、そんな君をずっとそばで見守っていられるのならば、僕にとってもこれ以上の幸せははない。

誰もが幸せになれる世界だ。正直、君の幸せ以外のことなんてどうでもいいけど………まあなんにしても、世界が平和であるに越したことはない。

喩え君を巡って争いが起きたとしても、それは愛故に………君がどれだけ愛されているかを測るものさしにしかすぎないのだから。

より大きく多くの愛を知ることで、僕なんかへの感情がどれだけちっぽけなものか気付くだろう。

あの子は愛されることに飢えていたから、世界中の人間から愛されることで、僕への気持ちも単なる兄弟間の仲に自然と収まるはずだと思っていた。


「ふむふむ………わし、君達のことずっと見ておったけど、ひとつ気になることがあっての。訊いていい?」

「何でしょう」

「ずばり言うけどね、君の方こそ、弟くんに対して特別な思いがあったんでないの?」


今度は僕がびっくりする番だった。

確かに、僕は家族の誰よりも弟を想っている自信がある。

でもそれは兄として当然のこと。


「神様。何か誤解されているようですが、僕は弟を特別な目でなんて見ていません。

弟は可哀想な子です。両親から疎まれ、存在すら否定され、兄からは裏切られて危うく見殺しにされそうになった………。どうしようもなく憐れな子なんです。

肉親から愛情を与えられないような子が、どうやって他人から愛されるようになるのか………」


恐らく弟は生まれながらの不幸体質なのだ。

弟は何も悪くない。

ただ子育てに不向きな両親のもとに生まれ、兄が薄情なやつだったというだけ。

子は親を選べない。兄弟だって選べない。

親からは生きていく上で必要最低限の食事に服、子供部屋は与えられたけれど、物心ついた頃から親は自分達に関心がないのだと感じていたから、愛情なんて期待すらしなくなった。

僕はどうってことなかったけど、弟は随分寂しい思いをしたようだった。

だから自分に関心のない親よりも、何を考えているかわからないが話を聴いてくれる兄に、友達も作らずくっ付いて回るようになったのだろう。

さすがに心配になった僕は一度、弟に友達を作るよう話したことがあるのだか、その時は弟がまるでこの世の終わりのように泣き出してしまったので、それ以来友達についてあれこれ言うことは諦めた。

弟は外で上手く話せない子だった。

家の中でだって、両親から快く思われていないのを幼いながらに感じていたようだから、必要最低限のこと以外はほとんど話さなかった。

その反動からだったのだろうか、夜寝る前に弟がこれでもかってくらいにお喋りになるのは。


両親も、周りの人間も、誰一人知らない。

僕だけに見せる一面。

僕だけのものだった。


「…………そういうとこじゃぞ」

「何がですか?」

「うむ、そうね、全くの無自覚とか弟くんかわいそうに………」


神様は何が言いたいのだろう。

ただでさえ人間の心の機微に鈍い僕が神様の思考を読み解くなんて、無理な話だ。


「はぁ~、やれやれ困ったものだ。わし、また上に怒られちゃうよ。ついこの間、宇宙人に侵略された挙句、地球まるごと砂糖まみれにされて人類滅亡させたばっかりなのに………」


神様は何やらぶつぶつ言いながらトホホ…と態とらしい仕草で肩を落としてみせた。

映画や小説に出てくるような現実離れした内容の言葉に少し引っかかったもののそんなことより、目下のところ現実に迫りつつある危機の方を優先すべきだと、僕はすぐに意識を逸らした。


「待って、スルーしないで。わし切なくなっちゃう」


当然のように神様には筒抜けの思考で、では僕はどうしたらいいのか目で問いかけた。

神様はただ話を聞いてほしいと言った。

これも神様の、人知を超えた力なのだろうか。

ふと気がつけば、阿鼻叫喚の地獄は僕らの周りから一定の距離を保ったまま、不思議と侵食してくる事はない。

数メートル先では《テーブル》役が、木製の本物の食器棚にしがみついた《掛け時計》役を引きずり降ろそうと躍起になっている。

その下には黒子達が折り重なるように倒れている。

ぐるり見渡せば、どこも似たり寄ったり同じような光景だった。

生きているか、死んでいるか。

生きていても、次の瞬間には命を奪われる。

奪った奴は、また別の奴に殺される。

その繰り返し。地獄のパノラマ風景。


「君達人間には理解できないかもしれないけど、世界というのはね、ここだけじゃない。いくつも存在する」


一定の距離があるとはいえ、視線の逃げ場はない。

耳をつんざくような声だってそこかしこから聞こえてくる。

何百人と流れ出した濃縮された濃い匂いも。

呼吸するたび、なんとも言いがたい湿った空気が舌に纏わりつくようだった。

そしてなにより覚えている、弟が死に、命あるものとは決定的な違いを肌で感じた、あの瞬間――――。


「ここはもう終わりだから、速やかに処理。そして消去するのが決まり。

…………なんだけどね。実はわし、弟くんからある願いを託されてね」


驚き、神様を見ると、僕の僅かな疑念をはらすようにゆっくり頷いた。

本当に、弟は神様に願い事をしたのだ。


「君の弟のおかげで、この地球は救われるよ。街も人も全てもと通り。あの家もなくなって、それ以前のように正常な世界を取り戻すことができる」


それは。僕と、弟が――――僕達が生まれ育った家族4人で暮らす家に。

あの頃のように、また、一緒に生活出来るのか。

弟が、僕の弟が…………還ってくる?本当に?


神様は、僕の願いを叶えた時と同じように、“ちょちょいっ”として―――――



僕の意識は途絶えた。

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