復讐

烏籠

1

君は誰からも愛されてはいない子だ。

僕はずっと君を見てきた。そんな僕が言うのだから、間違いない。

君は誰からも愛されていない。


ある日、それを不憫に思った神様が現れて、ひとつだけ願いを叶えてくれると言った。

君は誰からも愛されてはいない子だ。

そんな君の願いはもちろん、人から愛されること。誰からも愛されることなく生きてきた君は、人一倍愛に飢えていた。

その心に深い闇のように広がる霧を晴らす為には、人ひとりから与えられる愛では到底足りない。だから君は、誰からも愛される人間になる必要があった。

世界中の誰より、世界中の誰からも、一身に愛を向けられる存在であるべきだ。そうすることで、君は初めて満たされる。


君の願いを聞いた神様は、すぐさまその願いを“ちょちょいっ”と叶えてくれた。

その瞬間、人々が君のもとに殺到した。

今までそこに君がいても見向きもせず、まるで誰もいないかのように振る舞っていた人々が、飴に群がるアリ達のように人集りを作って押し寄せてくる。

人々は君を前にして歓声をあげ、あるいは涙し、あるいは神に祈るように頭を垂れた。


その日から君は誰からも愛される人間になった。

君にはもともと家族はいたけれど、かつての君はその家では空気のような存在だった。

いや、違う。空気のような存在、ではない。

君は、存在すらしていない。『そういうもの』だったから。

けれど君は、誰からも愛される存在へと生まれ変わった。

両親は君を抱き締め、君をどれだけ愛し、いかに大切な存在であるか、延々と語り続けた。


「お父さんも、お母さんも、それほどわたしのことを愛してくれているのね」


もちろんだ!と君の両親は息もピッタリ、力強く即答した。

父親と母親は、お互いジロリと睨み合った。


「あら、あなた。この子はわたしがお腹を痛めて産んだ、たった一人の可愛い娘なのよ」

「何を言っている。可愛い一人娘をここまで育てる為に、誰が稼いできたと思ってるんだ」


さも自分の愛情の方が上回っていると言わんばかりに、君の両親は互いに相手を貶し続けた。


「お父さんもお母さんも、そんなにわたしのことを愛してくれているのね。だったら2人とも、わたしがいればもう他に家族はいらないわよね」


君の言葉に両親は目を丸くして、お互いに顔を見合わせた。


「あら、それもそうね」

「確かに、その通りだな」



君の両親はいなくなった。

けれど君は、ひとつも困らなかった。

君の家族になりたいという人間は、山ほどいるのだから。


君は世界中全ての人間に愛されているから、誰とでも家族になれたし、友達や恋人なんて、どんな関係にでも自由になれた。

人々はやがて君を巡ってあらゆる場所で争いを起こすようになり、それは絶え間なく続いたけれど、君はそれで一向に構わなかった。

何故なら君は愛されているから。

人々が争えば争うほど、君が皆から愛されているという確かな実感が得られる。

こんなに素晴らしいことはない。

全く、君の思いどおりだ。

だって、そうだろう?すべて君が望んだことなのだから。


誰からも愛されるようになった君は、いつもニコニコと笑顔を作っていた。

そんな君のもとには、相変わらず君の両親希望者が絶えず訪れ、さらにはもともといないはずの兄弟希望者なんてのも現れ出した。

人間ならまだいい。そのうちペット希望者や、テーブルに椅子、さらにはもうすっかり世話を忘れて枯れかけているサボテンの代わりなんていう、もう君の家のものなら何でもいいから代わりにしてほしいと形振り構わず懇願する人々まで現れるようになった。

君は人々の希望を全て受け入れた。

君の家の前には連日、行列ができた。

行列は毎日少しずつ、玄関の扉へと吸い込まれていく。

もともと家族三人暮らしの小さな家の中はそれほど広くないのに、行列は日々消費される。

それでも人々は行列を作るのをやめない。


みんな、君を愛しているから。

世界中の誰もが、君を愛してやまない。

君が世界の中心。

もう誰も、君なしでは生きていけない。


君は幸せだった。

世界中の誰からも愛される存在。

世界中の誰もが君だけを見ている。

世界は君を中心に成り立っている。

これ以上の幸福なんか、きっと有り得ない。

もう十分。これが限界なんだ。




―――――その日の夜、君はよく眠れる薬を飲んでぐっすりと眠り込んだまま、翌日の朝になっても目覚めなかった。


新しい《母親》役と《父親》役は、お寝坊さんね。まぁ、でもいつものことだからね。ハハハ。と、にこやかに朝の準備を進めていった。

《ペットのぽっちー》役は、慣れない四足歩行と、今朝も用意されるであろうドッグフードがどうにも口に合わないことへの不満を声に出さないよう、小さくワフッ…と溜め息のような鳴き声をあげた。

その様子を見て、まだ自由気ままに動き回れるペットの方が何十倍もマシだろ、と物言わぬ家具役達は密かに悪態をついた。

ガシャンッ。窓際のほうから物音が響いた。

どうやら《水遣りを忘れられ、すっかり放置ぎみだったサボテン》役が限界を迎えたらしい。

するとそこへ物音を聞き付けた、全身黒ずくめの数名が素早く集まると、あっという間にサボテン役を担いで外に運び出して行った。

彼らは黒子と呼ばれていて、特にこれといった役割にも就けずに、それでも何かしらの力になりたいという一心から家中の至る所に点在し、こうして脱落していった役割達を外に運び出したり、見回りなどをしている。



僕はすやすやと寝息が聞こえてきそうなほど穏やかな顔で眠る、君を見た。

君はこのまま、永遠に目覚めることはない。

どんなにお寝坊さんと言われていても、丸一日目覚めなければ、きっとみんな異変に気付くはず。

そうなれば家中パニックになるし、それは家の外に並んだ行列達にも順々に伝わる。

ドミノ倒しのように街中を駆け巡り、さらに海の向こうの知らない国から国へと次々に巻き込んで、やがて世界中に余すことなく混沌はこの星を包んでいく。

地球上のありとあらゆるものが機能しなくなって、全ては死に絶える。

人も、動物も、建物も、国も、空気も、時間も。

何もかも、全て。

ぜんぶ、君の望み通りに。


君は誰からも愛されてはいない子だった。

神様のおかげで、君は誰からも愛される子になったけれど、君自身は何も変わっていない。

変わったのは周りの人間。

神様の魔法でぐるりと仕組みを創り変えられた世界。

そこで君は人から愛される喜びを知り、そしてその分限界を知った。

この世界で生きる、“自分自身の限界”に――――。



僕は君をずっと見てきた。

長い行列を経て、君の手を握り締めたまま、この家の玄関を潜った。

家の中はほとんど定員オーバーの状態で、仕方なく僕らは黒子になることを選んだ。

何の役割も与えられずに、元々存在すらしないペットのような『正式な役割』にも満たない連中からも空気のような扱いをされる。それが僕らの立場だった。


空気のような存在。

いや。僕らは、存在すらしていない。

『そういうもの』だったから。


この家に入る前。もちろん僕にだって、両親やきょうだいはいた。

その頃の記憶も当然ある。ただ、今となっては嘘のような、まるで夢の中の出来事のように感じるけれど。

ただひとつだけ確かなことは、僕と君は、ずっと一緒だったこと。

僕らは両親に連れられ、訳のわからぬまま長い行列の最後尾に並んだ。

お互いに手をぎゅっと握り締めながら、少しずつ進んで行く行列の中を歩いた。

ようやく家の玄関の前にたどり着き、扉が開いた瞬間、両親は歓声をあげながら中に吸い込まれて行った。

玄関の扉が閉まる。僕はぼんやりと、再び扉が開くのを待った。君の手を握り締めたまま。

そうしてやっと僕らは家の中に。定員オーバーの僕と君は黒子に。

僕らの両親はそれぞれ《父親》と、《母親》の役割に就いていた。


僕の知る限りでは、この家の《一人娘》役の少女は、幸せそうに見えた。

両親から溢れんばかりの愛情を注がれ、家中のありとあらゆるものからも愛され、そして世界中全ての人間から愛される存在。

これ以上の幸福などあるだろうか。

けれどその幸福は、少女にとっての幸せにはなり得なかった。

昼間は幸せだと笑いながら、夜になると、幸せすぎてつらいのだと、毎晩のように泣いていた。

一体何がそんなにつらいのか、黒子の僕にはその理由を尋ねることなどできなかった。

不思議なことに、家中の誰も、少女の涙の理由を知ろうとしなかった。

年頃の女の子は繊細なのよ、とか、本人にしかわからない悩み事があるのだろう、自分で考えて答えを出してこそ人は成長するものだ、とかなんとかもっともらしい理由をつけて、誰も触れようともしない。

いつしか少女は夜に泣かなくなった。

周りの人達は少女の悩み事が解決したのだと、ほっと胸を撫で下ろした。

少女は昼も夜もずっとニコニコ笑うようになった。

どんなに可笑しなことがあっても、美味しい食事やお菓子を食べても、一日に何十人という人々から好きだと言われようと、おんなじ笑顔で、ニコニコと、顔だけが笑っている。

黒子の僕と少女は、最後まで言葉を交わすことはなかった。

少女が何を想い、この結末を選んだのか、僕にはわからない。

少女は深い眠りに就いたまま、二度と目覚めることはなかった。

ただそんな少女の姿を、君はじっと、静かに見つめていた。


愛すべき対象を失った人々は、たちまちパニックに陥った。

深い絶望感から、自ら命を断つ者が絶えなかった。

訳のわからないことを喚きながら、身近にいる人間を手当たり次第に襲う者も少なくなかった。

もちろん家の中も、凄まじいほどの混乱で溢れかえっていた。

僕はリビングの隅っこで、耳を塞いでじっと固まっていることしかできなかった。

ふと腕に痛みを感じて見てみれば、真っ青な顔をした君がしがみついていた。

ボロボロと涙を零しながら、めいっぱい開いた目で、訴えてくる。


助けて――――。


大きく、暗い影が、僕らの目の前まで迫っていた。

愛する一人娘を失った《母親》――――今は見る影もなく壊れた女が、包丁を手に、ぬぼぅっ、と立ち尽くしている。

片腕が捩じ切れそうなほど痛む。

恐怖はもう目の前、君に向かって赤く塗れた手を伸ばしている。

僕は君を見た。君も僕を見た。

もう一度、『助けて』と、君の目が悲痛な悲鳴をあげていた。



「あ、ここは何もいないじゃない」



女は、君のすぐ隣でうずくまっていた《ペットの文鳥》役を無造作に掴むと、お腹が真っ赤に染まるまで、手にした包丁を突き立て続けた。

僕はその光景を呆然と見ていた。

いつの間にか、捩じ切れそうなほどの鋭い痛みはなくなっていて、代わりに、じぃん…っと鈍い痛みが広がっていた。

君は今、どんな顔で僕を見ているのか。その想像に恐怖した。

確かめなければならない。

きっと怒ってる。だとしたら謝らないと。

勇気を振り絞って、隣にいる君を見た。

君は僕を見ていなかった。ただ前を向いていただけ。

もう女の姿はすでになく、君はただ目の前にある散らかしっぱなしの《文鳥》役だったものをぼんやり見ていた。

君は怒ったりしなかった。

君が必死で助けを求めていたのに、僕はただ見ていただけで何もできなかった。

それを謝りたかったけど、もう君の目は、僕を見てはくれない。

君の母親は、君という存在を認識できなかった。

君の兄は、君から逃げた。

君は、誰からも愛されてはいない子だ。


そんな君だから、神様は君のもとに現れて、願いを叶えてくれると言ったんだ。

あの少女と、同じように。



「みんな、わたしのことを愛してるとか言ったって、結局、自分勝手な愛し方をしているだけじゃない」



君が眠りにつく前、最後の夜の話だ。

君が僕に話しかけてくるなんて、この家に入る前のことだから、本当にびっくりした。

僕は黙って、君の話を聞いた。


「わたし、知ってるもの。わたしのこと愛してるって言ってる人達、みんな神様の魔法にかかってるだけなんだから。わたしが神様に願いを叶えてもらう前には、あいつらみんな、わたしのことなんか、全然見てくれなかったのよ。誰もわたしの存在すら、認めてくれなかったくせに。そんなやつらがこぞって好きだの愛しているだの言い寄ってきたって、そんなの信用できるわけないじゃない」


そうでしょ? なんて、君はどこまでも笑顔だった。


「わたしの前の子、ずっと泣いてばっかりだったでしょう?あの時のわたし、『みんなにちやほやされて、それなのに泣いちゃって、馬鹿じゃないの?なーんてゼイタクなやつ!ヤなやつ!』って、思ってたのよね。

………でもね、今ならわかるよ。あの子の気持ち。最後の方は、一日中、ずっと笑ってた。キモチ悪いくらいの笑顔貼り付けて。それはね、もう諦めてるから。期待するのをね。周りの連中、みーんな。みんなさぁ、ふふっ、嘘つき。ふふふ、あ、ごめんね。なんか、笑えてきて。

ふふふっ、だって、もう………あは。あははは――――――はぁ、おっかしい」


僕は君がもともとおしゃべりな子だったことを思い出していた。

もちろん君の話もちゃんと耳に入って来てる。

だからこその、おしゃべりだった頃の君の思い出なんだ。

両親の前では、君は借りてきた猫みたいに静かで、おとなしい子だったから、「お前は本当に暗い子だよ」と、よく言われていた。

でも、そんな日は必ず、夜になると二人並べた布団にもぐりながら、「まったく、二人してわたしのこと暗いって、いっつもそればっかで嫌になる!」と、君は小さな頬を膨らませた。

それから、今日一日あったことの中から一つずつ、順番に、決して声や顔には出さなかった感情や思ってたことを話し出す。

よく話題が尽きないものだなあと関心しながら、僕は君の話に耳を傾け、でも夜ふかしが苦手な僕は時々うとうとして、それで。


「ちょっと、聞いてるの?」


僕の記憶と、今の君の言葉が重なった。

にゅっと君の腕が伸びてきて、僕の頬を軽くつねった。

これも昔の記憶そのままだ。

じ、と僕の顔を見上げる大きな目に、久しぶりのおしゃべりに興奮したのか、りんごのようにほんのり染まった頬も、あの頃と変わらない。

ただほんの少し、その表情は大人っぽくなっていた。


「………大きくなったね」


「別に………だってこの家に来てから、たった一年しか経ってないもの」


「それでも、やっぱり大きくなったよ。変化してるんだ」


「変化って?わたしは、どう変わったの?」


今のわたしは、何になれたの?


君は誰からも愛される子になった。

この世に、君以上に愛されている子は、世界中のどこを探したって、今は存在しない。

君が死ぬまでは。


「もう、決めたことだから」


君は静かに、そう告げた。

僕はただ黙って、その言葉を受け入れた。

しばらく、沈黙が続いた。


「なにも、言ってくれないんだね」


君が決めたことだ。

僕の意見なんて、今更何の意味も持たない。


「世界中の人から愛されるようになっても、あなたはわたしになにも言ってくれなかった」


君は欲張りだな。

世界中の人から愛されているのに、僕一人の気持ちなんて、ちっぽけなもの欲しがるなんて。


「欲張りじゃなきゃ、世界中の人から愛されたいなんて願わないでしょう?

………ねえ、今なら止められるかもしれないよ」


どうする?

君がクスクス笑って問い掛けてくる。

僕はその何気無い仕草に、違和感を覚えた。


「僕が言えば、やめてくれるの?」

「駄目。ちゃんと言葉にして」

「わかった、言うよ。死なないでくれ」

「嘘つき」

「なぜ?僕は言われたとおり、ちゃんと言葉にしたじゃないか」

「わたしはあなたの気持ちがききたいの」


僕は困惑した。

どうにも君の様子がおかしい。

『もう決めたこと』じゃないのか?

どうして僕の言葉なんて聞きたがるんだろう。

『嘘つき』って、それなら君は僕からどんな言葉を望んでいるのか。


「………そうか、君は、混乱してるんだね。君は、愛されることに慣れてないから。急激な環境の変化に、ちょっと心が不安定になってるだけなんだ。毎晩泣いていた、あの少女と同じように………」

「そんな話をしてるわけじゃないの!今はわたしの話をしてるのに、どうしてあの子の話をするの?」


どうやら君を怒らせてしまったらしい。

僕はますますわからなくなった。


「なにもわからないって顔、してる」


ふふふ、と今度は笑う君。

僕はいよいよ君が理解できなくなっていた。


「あなたって、昔からそうだった。何を考えているのか、わたしにはこれっぽっちもわからない」


呆れたような声色で、君の顔は笑っているような、今にも泣き出しそうな、そんな複雑な表情で、僕には君のなにもかもがわからない。


「ほんとうに、わたしは、あなたの気持ちを知りたかっただけなの………」

「どうして泣いてるの?」


柔らかな髪の感触がした。

泣いている君を前にしてそんな風に思うのはいけないことかもしれないけれど、艶やかな黒髪はてのひらを滑らせる度にうっとりと心地のよい感覚にさせる。

ぽろぽろと絶え間なくこぼれていた涙はあたたかくて、ほんの少し甘かった。

やめて、と君は声を震わせ喘ぐように言った。

僕は鼻先をくすぐる柔らかな髪の感触と花のような匂いから少し顔を離して、君の目をじっと見つめた。


「わからない………どうして?なぜ、わたしに優しくするの?ううん、優しくなんかじゃない。どうしてこんなひどいことするの?あなたは、なにを考えてるの………?」


僕はその質問のどれにも答えず、君の全身のぬくもりを閉じ込めるように再び腕に力を込めた。

やめて……いやだ……うわ言のように繰り返す言葉に、やはり僕は無言のまま君の体温を貪り続けた。

やがて君の身体からふっと力が抜けたかと思うと、ぽつり、呟いた。


「悪魔」


さすがにその言葉には僕も傷ついた。

君に言われたとおりの言葉を口にして、君が泣いているから抱き締めて。

全て君を思っての行為なのに、どうして君には伝わらないんだろう。



「わたしは、こんなこと望んでない」


だったら、教えてくれ。

君の本当の願いは何なんだ?


僕には本当に解らないんだ。

僕のたったひとりのきょうだい。

僕らの両親でさえ知らない、毎晩布団の中でするふたりだけの内緒話。

ふたり手を繋いで並んだ行列の先に待っていた、家族の終わり。

神様の魔法で世界中から愛されるようになった君。

全てを手に入れて、幸福なはずの今を、これから全部、君は捨て去ろうとするのか。

君がいなくなれば、世界は終わる。

あの少女の時のように。世界は呆気なく崩壊する。


「これは復讐だから」


君を理解してくれない両親。

君の存在を無視した人々。

君がいてもいなくても平気な顔で回り続けるであろう世界。


「私のことどうでもいいって思ってたやつら、みんなまとめて消してやる」


君は笑ってる。まるで内緒の悪戯に引っ掛かる大人を陰でこっそり隠れて見守る、無邪気な少女のように。

けれどその目は背筋が凍るような憎しみに溢れていて、何故だか、僕の身体の奥底からぞくりとした震えが走った。

ああそうか。君は、愛する者を失う絶望で世界を殺そうというのか。

なんだ。僕なんかより、よっぽど君の方が―――――


「悪魔らしいじゃないか」

「うるさい、人殺し」


君が死ねば世界中の人間が死ぬ。

僕は君に死なないでほしいと言った。

けれど君はもう決めたことだからと止めるつもりはない。

自分をどうでもいいと思っていたやつらをまとめて消すとまで言った。

君が殺すんだ。絶望に狂わされた人々を。


「それなら、君が死んだら僕も狂って死ぬのかな」


人殺しは君の方だ。

たとえ僕があの時の母親のように狂って誰かを殺したとしても、それは神様の魔法がそうさせるのであって、僕の本当の意思ではない。

そもそも、そんなふうに世界を壊す引き金を引くのは君なのだから、僕が人殺しだと罵られる謂われはないはずだ。


「冗談でしょ?あなたがこんなことで、死んだりする訳ないじゃない。わたしなんかがただ死んだくらいで、あなたは何も変わりやしない。

それに、わたしがあなたを殺すんじゃない。あなたがわたしを殺すの」


見ていて。

そう言って君は枕の下に手を差し入れ、何かを取り出した。

よく眠れるお薬。そんな物どうしたのかと訊けば、神様がくれたのだと君は笑った。

それなら君を殺すのは神様なんじゃないか。


「神様はお薬をくれただけだもの。これを使うか使わないかはわたしの意思。そしてそう決意させたのは、あなただから」


君は何の躊躇いもなく一口で薬を飲み干すと、真っ直ぐ僕の目を見つめた。

たったそれだけのことで君は死ぬのか。僕が入り込む余地などないじゃないか。


「何のつもり?」

「君が可哀想だから」


僕の腕の中にすっぽり収まった君の表情も声もすこぶる機嫌が悪そうだ。

君は小さく溜め息をつくと、もうあきらめてしまったのか、それとも早くも薬の効果が現れ出したせいなのか、強ばっていた身体の力をふっと抜いた。


「ただ疲れたのよ。愛される人間のフリをするのが」


好きな食べ物は真っ赤なイチゴのショートケーキ。

好きな服はフリルがたっぷり付いたお姫様みたいなワンピース。

お気に入りは首にピンクのリボンを巻いたウサギのぬいぐるみ。

歌が好き。絵本が好き。

いつもにこにこ笑う、可愛い、可愛い、女の子。


そう、それが君――――この物語りの主人公(やくわり)。

ずっとずっと、何人もの女の子が入れ替わりで演じてきた、とてもとても重要な役割なんだよ。

それを自らの意思で降りるなんて、愚かな娘だ。

………いや、それも仕方のないことなのかもしれない。

可愛い服を着て、周りの男の子達からはちやほやされ、女の子なら誰もが憧れるお姫様のような暮らしなんて、以前の君には想像もつかなかっただろう。

可愛い服や男の子の好意や女の子の憧れなんて、全く縁のない生活を送っていたのだから。

だって君はそもそも、


「眠たい……」


君は目を閉じ、今にも眠ってしまいそうな様子だった。

もう時間はない。

君はもうすぐ死んでしまう。


「おやすみ」

「それだけかよ………」


君は目を閉じたまま言った。

確かに、別れの言葉としては少し物足りない。


「寂しくなるね。向こうでも元気で」

「なにそれ引っ越しの挨拶?あーもう、昔から抜けてるというか、なんというか………。

もういい。寝る」

「君こそ人生の最後に不貞寝というのはどうなんだろう」

「だったら気持ちよく眠れるようにどうにかしろよ………もうほんと、眠いの………」

「そう、それじゃあ――――」



結局、最後の最後に僕が君にしてあげれたことは。

ただおやすみの挨拶を一つ、落としただけ。


そして、そこから、吐き出すように。


君は僕に、最後の言葉を。



「嘘吐き。大嫌い」

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