31-八月二十九日(月)
「いいかよく聞け! 貴様らに我らが二年三組の新しい仲間を紹介する! ナオンだナオン! 若いぞ! しかもだ! このわたしがじきじきに美少女という判定を下してやった! 文句があるなら係の者にどうぞ!」
相変わらずフリーダムなトンデモ教師の言葉に、クラスメイトがざわめいた。
まあ、たしかに美少女だよな。
中身はアレだけどな。
「──静かに!」
すぱーん!
トンデモ教師が、なかよしくん二号で教卓を叩いた。
「貴様らは腐ったミカンだ! しかあし! 最低限の礼節と常識はわきまえた喋るミカンだとわたしは信じている! 腐ったミカンが喋るってそれどんなB級映画だよって思ったやつは──なに、さっさと呼べ? い、いまテレパシーを送ったのは誰だ! まあいい! そういうわけで転入生カモン!」
がらりと扉を開き、星羅が教室へと入ってくる。
右目に眼帯を着け、血のように赤い漆黒のマントを翻しながら。
「──…………」
思えば、この第一印象がいけなかった。
俺がこれからしようとしている行為は、ただのお節介に他ならない。
星羅は余計なお世話だと言うだろう。
俺もそう思う。
「おいこのふにゃちんども、どーしたあ! 天ヶ瀬! 自己紹介、ずばばばばっと決めてやれ!」
「──御意」
星羅が、アルファベットによく似た複雑な文字を黒板に描き、振り返る。
「天から落ちた綺羅星──天ヶ瀬星羅の名を受け顕世を生きている者、とでも名乗るべきかな。私は、ともに悪魔学をこころざす同志を求めている。私はこの学校に、悪魔学研究会という巣を張るよ」
あらかじめ文章を決めてあったのか、星羅の自己紹介はよどみなく、以前と変わらないように思えた。
「──…………」
俺は、ゆっくりと立ち上がった。
星羅を含め、いくつかの視線がこちらに集中する。
「……? 力を求めている者、魂を売ってでも願いを叶えたい者、悪魔を崇拝している者、
運命を感じた者──」
教室を大回りし、トンデモ教師からなかよしくん二号を奪う。
「ッ! おいコラ!」
「そういった選ばれし者は、我が巣の門戸を叩きたまえ。それ以外の俗人に、一切の興味はない。──ま、こんなところだろうね」
俺は、なかよしくん二号を一本足で振りかぶり──
「どこぞのラノベの主人公かお前はッ!」
すぱーん!
と、星羅のドタマに一撃をくれた。
鈍い音を立て、星羅の額が教卓に叩きつけられる。
「──な、な、な、なにしてくれとんね────ッ!」
俺に掴みかかったときには既に手遅れだ。
どっ!
と、クラス中が笑いに包まれた。
星羅の肩を叩く。
「お前は変に気取るより、そのままのほうがいいよ」
そして、席に戻ろうとして、
「待ちたまえよ。この天ヶ瀬星羅の輝かしき転校初日を台無しにしてくれた、貴様の名前を聞いておこうか。なに心配することはないよ。これから卒業まで、ちょっとした不幸に見舞われ続けるくらいのものさ」
無理に笑顔を浮かべているが、頬は真っ赤だ。
怒っているのか、恥ずかしいのか。
「九丹島ミナトだ。九つに薬の丹、アイランドの島。ミナトはカタカナだ」
「ふむ、くたんじまみなと──ミナト!? ねえくたんじま。君……もしかして昨日、H大附属図書館にいなかったかい?」
「さてな」
「目が泳いでいるよ。……チッ! よりにもよって、何故君なんかが恩人なんだ! 素直に呪わせておくれよ!」
「すまなかった。なら、ひとつ詫びをしよう」
俺は星羅の胸のペンダントを指差した。
「アレイスター・クロウリーの六芒星」
「──ッ!」
星羅がペンダントを隠すように押さえた。
「ゴエティアの記載順に、バアル、アガレス、ウァサゴ、ガミジン、マルバス、ウァレフォル、アモン、バルバトス──」
「ソロモン七十二の悪魔……」
「すべて暗唱できるし、それぞれの特徴も説明できる。これでは不満かな?」
右手を差し出す。
星羅はすこしだけ逡巡し──
「……よろしく、同志くたんじま」
そう言って、不承不承ながら俺の手を取った。
「よろしくぅ、じゃねえ!」
ゴゴッ!
「ぎッ!」
「いひゃッ!」
ふたり揃ってトンデモ教師にこぶしを振り下ろされてしまった。
見えてはいたが、今回ばかりは俺が悪い。
「なんでこの私まで!」
「両成敗だ! 九丹島! お前はさっさと席に戻れッ!」
「はい」
最後に一言だけ、星羅の耳元で囁いた。
「──暗幕はすこし待て。俺が調達するから」
「!?」
星羅が虚を突かれた表情に変わるのを見届けて、席へと戻った。
放課後になり、図書室を訪ねた。
カウンターにはうずらがいた。七月二十三日以来、久しぶりに見るうずらの顔は、以前よりもすこし血色がよくなっているように思えた。
あの日、救急車が到着したとき、俺の周囲には誰の姿もなかった。
俺には、なんとなく、うずらの意図がわかるような気がした。
話しかけず、通り過ぎる。
暗黙の了解だ。
俺たちが初めて言葉を交わすのは、今ではないから。
図書室の最奥──いまから四日後、ピアノ線トラップによって閉じ込められた科学関連の書棚を眺める。
「……やはりない、か」
探している本のタイトルは〈タイムマシンは作れますか?〉だ。
図書室の蔵書であることは、既にわかっている。
俺は確信した。
あの本は、うずらが借りていると。
「──…………」
カウンターへ戻る。
うずらが読書をしている。
一瞥して、図書室を出た。
「──あの」
遠慮がちな声で、呼び止められた。
足を止め、振り返る。
うずらが、カウンターを大回りし、俺の真正面に立った。
腰の後ろに手を回して、爪先立ちをするように。
「なにか、本をお探しなんですか?」
あのときとは、ずいぶんと印象が変わったように思う。
どこもかしこも小作りで、人形のような少女だと、そう感じていた。
サイズの合わない眼鏡がずり落ちているのもそのままだ。
けれど、幼いとは思わなくなった。
「ああ。タイムマシンに関する本を探しているんだ」
うずらはにこりと笑った。
「もしかして、この本でしょうか」
後ろに回していた手を、前へと持ち上げた。
「──ッ!」
リミッター解除。
主観時間が限りなく引き延ばされる。
うずらが右手で構えたクロスボウから矢が射出される。
遅い。
軽く首を倒し、右手で掴み取る。
リミッター設定。
主観時間が元に戻る。
「おもちゃなのですよ」
よく見ると、うずらの持っているクロスボウは、ちゃちなミニチュアだった。
掴み取った矢を見る。
吸盤がついていた。
「お前なあ……」
「ちょっとした冗談、です」
「悪質な冗談だと思う」
「そうそう。タイムマシンに関する本、でしたね」
うずらが、カウンターの上に置いてあった新書で口元を隠した。
「──タイムマシンは、作れますか?」
それが問いであることに、すこしのあいだ気づかなかった。
「……作れない。もし作れたとしても、きっとろくなものじゃないな」
「同感です。借りますか?」
「まあ、借りるけど」
「では、図書カードを作りますね。名前と学年、クラスを教えてください」
「神徳高校二年三組、九丹島ミナト。九つに薬の丹、アイランドの島。ミナトはカタカナ」
「はい、了解です」
うずらが貸出作業をしているあいだ、以前のことを思い出していた。
八月二十九日。
あのときうずらは、俺に自己紹介をした。
俺は、それに返した。
ただそれだけの間柄だと思っていた。
「くたじまさん。あとは、ここに名前を書いてほしいのです」
「ああ」
帯出者氏名欄に名前を記入する。
「はい。これで、終わりです。九月五日までに返却してくださいね」
うずらが〈タイムマシンは作れますか?〉を両手で差し出す。
それを受け取り、口を開いた。
「うず──いや、図書委員さん」
「はい?」
自分の胸を親指でさして、言った。
「九丹島ミナト」
うずらはすぐに、こちらの意図を察したようだった。
うすい胸に手を当てて、言う。
「佐藤うずら、です」
俺たちは知り合った。
なら、遠慮をすることはなにもない。
俺は、うずらの手を取った。
「えっ? な、なんですか、くたじまさん」
「ちょっと付き合え。なに、時間は取らせない」
「図書委員の仕事が!」
「どうせ誰も来ないだろ」
戸惑ううずらの手を引いて、図書室から連れ出した。
校舎同士を連絡する渡り廊下を通り、角を曲がり、しばらく歩いて、立ち止まる。
目の前には一枚の扉。
「えと……展開が見えないのですが……」
「開ければわかる」
うずらの手を離し、促した。
「はあ」
うずらが溜息をひとつついて、引き手に指をかけた。
──開く。
「おい! 見学者を連れてきたぞ!」
「また!? ちょっと待ってくれ同志くたんじま。君はあと何人連れてくる気なんだ!」
「あ、うずらじゃないの! どうしたの! そいつに誘拐されたの!?」
「誘拐って佐藤さん……」
「あ、うずちゃん! おひさー」
「あらうずらさん。うずらさんも見学ですの?」
「お嬢様、そろそろ無駄な抵抗かと」
「うっさいですわ! 見学ったら見学なの! まだ入ると決めたわけじゃないんですから!」
「でも、狸小路さんと大吉さん以外、みんな入部届書いちゃったんだよね」
「うう、外堀が埋まっていく……」
「えと、あの、くたじまさん! ここは──?」
「歴史研究会の部室だよ」
「こら同志くたんじま! 同志ならちゃんと真なる名で呼びたまえ! ここは我が巣たる悪魔学研究会であって、歴史研究会は仮の名だ!」
「せらちゃん。歴史研究会は、仮名?」
「仮名と言うと、また趣が異なりますね」
「仮名でも真の名でもなんだっていいわよ! ま、たまり場ってとこね」
「たまり場ちゃう! へうー……なんかイメージといきなしちごてきとる……。なんかこう、暗くて、蝋燭の明かりに照らされながら、みんな黒いマントを羽織って──」
「うずら! 見学なら、そんなとこいないでこっちきなさいよ!」
うずらが振り返り、俺を見た。
「くたじまさん。あの……」
言葉を詰まらせる。
「あの、うずらは!」
胸を押さえて、深呼吸した。
「うずらは、くたじまさんのこと──」
そして、右手の人差し指で下まぶたに触れ、
「──だいっきらい、です!」
あかんべえをして、部室へと駆け込んだ。
「おねえちゃんっ!」
うずらが露草に抱きつくのを見て、俺は肩をすくめた。
さて、今日はこれからなにをしよう。
長い、長い、一度目の夏の話でも、皆に聞かせてあげようか。
そんなことを考えながら部室へ入り、後ろ手に扉を閉じた。
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