第13話 霞敷く 立-3 八科稲荷


 正蔵たちが八科稲荷神社に到着したころにはもうすっかり日も登った十時前だった。思ったよりも舞一家に時間を割かざるを得なくなってしまったため、この人通りの多い時間での到着だ。

以前は前を通るだけだった小路を進む。左右に敷居を並べる店店から付喪神たちの声が聞こえる。相も変わらず、賑やか過ぎて圧迫感をすら感じる小路だ。


 小路を抜けるとそこには常駐の神職や巫女のいない小ぢんまりとした、しかし代々大事にされてきたのであろう風格の伴った稲荷神社が建っていた。眷属である狐の像にかかる布も雨風にさらされ色あせ、なんともものさみしげな雰囲気だ。


「この神社、普段こそそんなに人はいないが年末年始、そして良い日柄の日には参拝者で込み合うとか聞いているぞ。そんなに信心を集める神がどうして突然ボイコットのような台詞を言うに至ったのか…。末娘、なにかあったらすぐに伝えてくれ。その通り動く。」

「わかりました、正蔵さん。…では早速と言っては何ですが、あそこの御手水の裏へ廻っていただけますか。あ、そーっと、そーっとですよ。お狐さんがいます。」

「あいわかった。」


正蔵はまめにも、足音を忍ばせてゆっくりと近づく。この眷属が逃げ隠れてしまう気配はいまのところ、ない。一柱いるはずの神からも何もないので、お咎めなしといったところだろう…今のところは。


「あのー…畏み申し上げますが…」

「ひゃっ!」


狐が驚いてぴょんと跳ねる。目をくりくりと真ん丸にして霞を見つめる。どうやらこれだけ近づいても本当に気が付いていなかったらしい。


「な、なんでございましょう?貴女様はどちらの神様でいらっしゃって」

「いえ、いえいえ、わたしはそんな大層なものではございません、ただの杜でございます。」

「杜…でございますか。とすればどちらかのお社の方で?」

「ええ、左様でございます。こちらはわたしの社のところの宮司、正蔵と申します。わたしは霞と。」


十科の神社から少し足を延ばしてみたのです、と表情を伺いながら言ってみる。どうも、と正蔵が一礼する。


「正蔵さまに、霞さま。…もしや、舞どのがお連れくださった方々で?」


疲れきったような狐の表情がみるみる明るくなっていく。舞に依頼をしたのはこの眷属らしい。舞の言うように、確かに神も眷属も疲れているのだろう重い雰囲気が漂っている。神に至ってはこれほど話し込んでいても気配が薄い。

…以前は前を通っただけでも微かながら気配を感じたというのに、酷く弱まっているのがわかる。


「はい、今朝舞ちゃんがわたしたちの神社にいらして、こちらの神様を助けて、と仰っていたので伺ってみたのです。」

「舞どのっ…」


瞳をうるうるとさせて感動している。あんなにお小さいのによくぞ私たちのために、とかああ、あの子こそは巫女にいづれ、などと言っているがよくは聞き取れない。と、そこで正蔵がしびれを切らした。


「話の割り込みを失礼する」

「はい?何でございましょう」

「我々はここの社を助けてくれと言われてきたのだが、主祭神はいかがしておられる。」

「ああ、今主は休んでおられます。」

「主祭神が休んでいる…?この昼間からか。それに、もうひとりの眷属はどこへ?」

「ああ、もうひとりの狐は主のお傍に。何かあっては困りますから、私めはここで境内を、もうひとりは傍仕えをしているのでございます。」

「なるほど…。それで、なぜここの主祭神どのは元気がないので?」

「いやはやそれが私どももさっぱり…突然疲れた、と仰り籠りがちになってしまったのです。」

「疲れた…?神が?」

「とにもかくにも、こうして御足労いただいているのであればお会いしていただいた方が話は早いかと。お通しします、どうぞ。」

「えっ!?いやいやそんな無礼なことは。」

「無礼だなどと!逆でございます、こちらこそお越しいただいて有難きことなのでございます。どうか少し話をして行ってくださいませんか。」


狐にそう言われてつい、社に上がってしまった二人だった。内心冷や汗どろどろである。眷属の狐が通したのだから大丈夫ということなのだろうが、もし怒りに触れたら。自分たちのところの神ともそう話す機会などないというのに身の程を知らぬ振る舞いをしてもよいのだろうか…と悶々としていた。…ので全く気が付かなかったのだ。真後ろに迫る豊穣の神に。


「おやまあ、貴女方が舞ちゃんの連れてきたお客さま?」


びくりと身を固めて後ろを振り返る。そこにはひとりの狐とともに立つ一柱の女神がいた。


                 ○


 その女神は少し乱れた髪を整えながら現れた。けだるげな様子が見て取れるが、きちんとした衣装と狐たちと同じ金色の色の髪が神々しさを表出させていた。身を固める正蔵と霞に微笑みかけ、「まあまあ、こちらへいらっしゃいな。寒いでしょ?」と社殿の中へと誘う。霞はともかくとして正蔵などは装束ですらなく冷や汗でびっしょりと濡れていて可哀相なことになっている。


「さぁさ、おかけになって?」

「有難う存じます・・・」

「あら嫌だわ、そんなそっけない態度を取らないで。呼んだのはこちらなのよ。着ているもの姿形なんてただの視野情報だわ、そんなもの取るに足らないの。もっと気を楽にして。」


この女神には敵わない——早々に覚らされるふたりだった。流石に商いの女神、そして豊穣の女神というだけあって向こうのペースでどんどんと物事を進められていく。

美しい女性でいて、逞しい母でもある、そんな印象を与える女神だった。あれよあれよと女神と対面して座らされてしまう。ここに呼ばれた意味もわからなくなるほどてきぱきとしていて、疲れなどは微塵も感じさせない。


「それであなたたちをお招きしたのはね、聞いてると思うのだけれど私とっても疲れてしまってるからなのよ。」

「はぁ・・・。失礼かと存じますが、何にお疲れでいらっしゃるので?」


正蔵が困り顔で言う。なかなか珍しい表情だがまじまじと見ていられもしないのが悔やまれる。


「あら、疲れているように見えないと?」

「人の見方で言うとそうなります。畏れながら、原因などお教えいただけますか。」


まぁ、私などはただの一介の宮司ですからお力になれるかどうかはほとほと分かりませんが・・・などと呟いている。余程自信かないのだろう、霞も同じ気持ちだ。


「あぁ、まぁそうよねぇ。私はね、神としてのお仕事にもう疲れてしまったのよ・・・。」

「あの、失礼ですがそれはどういう意味でしょうか?」


ひょこりと霞も尋ねてみる。


「あら、声まで可愛らしいのね、杜のお嬢さん。詳しく言うと長くなっちゃうのだけどね~・・・」


そう前置きをして語るにはこうだ。


 毎日毎日、人々は飽きもせず自身の商いの成功を願ってここにくる。中にはこつこつと商いをしますのでお見守りくださいといった敬虔なものから、なにも労せずして大金が欲しい等という不届きものまで。それを聞いて応援するのが自分の仕事だけれども、最近は不埒な輩の多いこと。


それだけでなく小路の九十九どもの煩いことったらありゃしない。いつもいつも境内の様子を見ては寂れてるだの利益など知れたものだの早く自分たちをここから出せ、それくらいできんでしょ?だの口喧しく言われる毎日。それが延々と続くのだ、もう物相手も人相手も嫌気がさしてしまった。


荒れて不届きものには厄を、物はそのまま店から出れないようにしてやろうかとすら思うほど荒んでいる。そのせいで眷属の狐達も心配しているし、なんだかちょうど良いタイミングで出歩きをしている九十九がいるではないか、と、そうして目を付けたのだ。ある種の一筋の光明、どうにかならないか、ならずともこの現状を吐き出してしまわねば疫病神になる、と思って呼び出しをさせたのだという。


「ははー・・・なるほど・・・」

「長く話をしてごめんなさいね、でももう鬱々としてしまって、自己利益の事しか頭にない願い事をするやつの声を聞きたくなくなっちゃって、もうどーーーーーしたらって頭掻きむしっていたのよぉ!」


そういってわしわしと頭を抱え掻き混ぜた。あぁ、だから初めから髪が乱れていたのね・・・などと合点がいったその時、外から「百億円当たりますよーうに!」「突然向かいのライバル店が潰れますように」「うちの商品突然流行れ」といった若者たちの声が届いてきた。


「ほらも~~~~!!こんっなふざけてるとしか思えない願掛けも、鬱々とした願掛けもこっちは聞き飽きてるのよぉっ」


自分でも頑張りなさいよ、それとも戒めにお前の店を潰してやろうかぁっと言いながらもどこの店の若者達なのか確認しておく様は生真面目さを伺わせる。


「あの・・・女神さま?ちょっと宜しいですか?」

「あら、何かしらぁ・・・」


突っ伏したところを顔だけあげて応対してくれる。神といえど驕らず逐一対応してくれる様を見て、霞は覚悟を決めた。


「あの、ここって普段お勤めの方はいらっしゃらないんでしょうか?」

「そうねぇ・・・さすがに年始には自治体のおじ様方がここで甘酒を振る舞っていたりするけど、それくらいね。大体無人だわ。」

「だとすれば、ここに人をおけば良いんじゃないでしょうか。あんまりふざけていたりする人がいたらとめてくれるような、そんな人たちを。」

「んんん~~・・・それだけで良くなるのかしら?」


じっと下から覗き込まれる。


「そう思われるのももっともでしょう。でも、わたしのいる社では朝から夕まで職員さんがきちりと衣装に身を包んで奉仕をされております。その姿は、それは威厳あるものです。多少ふざけている若者達がいても、職員さんが通り掛かるときには少し大人しくなるものなんですよ。」

「そうなの・・・?ただ人がいるだけで、人を牽制できると?」

「ええ、左様にございます。ひとの子は、誰だって叱られたり見咎められるのを嫌いますからね。職員がいて手を入れているというだけでもだいぶ違うとわたしは思います。それに・・・」

「・・・それに?」


身を乗り出して聞いてくる。大分食いついてきている。…相当参っていたのだろうな、と霞は思う。


「ひとは…わたしもつい先日知ったのですが、ひとはどんな者でも清いところと影の部分と少なくとも二面、心の面を持っているのだと思います。宮司であるこの正蔵に言わせれば、もっと沢山の面を持っているとのこと。女神さまはひとの欲にかかわる部分をつかさどるお社にいらっしゃるので、職員を置くことで襟を正し清い部分を表に出させれば、お仕事もやりやすくなるのではと愚考したのでございます。」

「心の二面性…ねえ…。」


しばらく考え込んでいた女神だった。眷属の狐も足元ですっかり丸くなって待ちくたびれているようにも見える。少しして肌寒い風の吹きこんでくるようになった頃、ぽつりとつぶやく。


「…ここに職員を置くのにはどうしたらいいのかしら?」

「女神さま…!」

「致し方ない、これ以上雑念にほとほと困るのももう一杯よ。人を置く、それだけで解決するならばやってみてもいいでしょう。ただし、もし効果がなければ取り消しは聞くかしら?」

「ああ、それならばご助力できそうです。うちの若い神職をここに交代でこさせましょう。光栄なことです、皆喜んでくるでしょう。」

「貴方のところの者なら話も早い。では頼みましょうか。」

「ええ、お任せあれ。」


ここにきてようやく、正蔵も主祭神である女神も…そして眷属の狐たちも。安心した顔をしてくれたことに霞は嬉しく思う。やはり、ひとも神も、そうっでないものもこういう顔が一番だ。ぽかぽかと暖かくて、日光に照らされているような気持ちになれる。

…しかし、なんとなしに眠たく、手足が冷えるのはなぜだろう?隙間風が冷たいからだろうか?そう考えているとその感覚の正体に気が付く。…自分の体が透けている。


「なんっ、なんですかこれええええ!」

「末娘!?」

「あら」


「ど、どうしましょうどうしましょう正蔵さんこれなんですか」

「え、ええい、落ち着け、今日は朝からこれで出歩いとるからじゃないのか!?疲れたか!?」

「えっえっなんでっつかれた感じなんてないのにっ」

「まあ、まあ、落ち着いて?疲れた感じはなくとも、本体から遠出しているのと長時間建っているのとで限界がきているのかも。今までに四半日も遠出をしたことはおあり?」

「四半日って、そんな長くは…」


そういいながら正蔵は外に目を向ける。既に日は燦燦と照るどころか少し落ちかけている。腕時計を見ると、短針は四と五の間をさしている。さあっと血の気が引く。


「もう、消えてしまわないうちに帰らないとまた大変よ。人は後々手配してくれるのでいいのよね、それを約束してくれるのならこのまま帰りなさいな。」

「あ、ああ、必ず二、三日のうちに人をやることにする、それでは失礼する!」

「女神さまっ、お邪魔しました!」

「いいえ、杜のお嬢さん。また顔を見せて頂戴ね?」


はぁーい、と返事をしながら退去する。律儀にも境内を守る狐は頭を垂れて見送りをしてくれていた。


 人通りもまばらになってきた蔵造の町並みを急ぎ足で通り抜ける。間に合え、間に合え、間に合え——…


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