第12話 霞敷く 立-2 再会
正蔵と霞が話したその一週間後。霞は重たくなってきた体を引きずって早朝の境内に姿を現す。もう冬が近くなってきた。のんべんだらりと過ごす季節がやってくる・・・。
夏は良い。さんさんと日光が照り霞も元気いっぱいに動き回ることができる。しかし冬は葉も落ちてしまい、あまり日も差さない。どうしたって活動的にはなれない時期なのだ。まして雪など降ってしまうと姿をみせることすらない日があるほどだ。
そんな霞が境内に姿を表すと、「あっ!」という声が聞こえた。この時間はまだ職員さんすらお勤めに出ていないような時間なのに、誰だろう—空耳かなと疑いながらも声の方向へ振り向くと、なんだか見覚えのあるような少女がこちらを見て駆け寄って来るところだった。幼くあどけない女の子。短めでつやつやとした髪を揺らして駆け寄ってくる。
んん?んー?と、どこで見かけたかを思いだそうとしているうちに少女は迫る。
「お姉ちゃん、ここの木の人なんだね!」
「うん、そうだよー。わたしのこと見えるの?嬉しいなぁ」
「わたし、前にもお姉ちゃんとお話したことあるよ!」
「えっ?」
ほら、これみて!と少女はむむーっと目を閉じて祈るようなポーズをとった。それを見て漸く合点がいった。少し前に弟の安産祈願に来た際、少し話をした少女だ。名前はたしか…舞。そう、母親が呼んでいたはずだ。
「ああー!あの時の!」
「思い出してくれた?」
「うんうん、思い出した!舞ちゃんだよね?弟くんの安産祈願に来てくれてた。」
「そう!おぼえててくれた、うれしいなぁ!」
えへへーと笑う舞に思わず顔が綻ぶ。見上げてくる顔の愛おしいこと、霞はぎゅうと抱きしめたくなるのをぐっとこらえる。…しかし、なんでこんな時分にこんな幼い子が一人で?
「そうだ、舞ちゃん。いま何歳になったのー?」
「んっとねぇ、ごさい!」
手のひらを広げて見せてくれる。来年から小学校いくの、と笑う舞に頭を抱える。そのくらいの年ならば、まず親御さんが付いて離れないはずだ。だって正蔵さんがお孫さんのことでそう言っていたもの…。
孫は非常に手がかかる。一たび目を離して孫に何かあるとなると考えるだけでも恐ろしいから、子ども夫婦も自分も目を離さないようにしているんだ、あれくらいの頃は一番大変なんだぞ、と。
「えーっと・・・舞ちゃん、お父さんとお母さんは?」
「?おうちで寝てるよ?」
「そっかぁー・・・そうなんだぁ・・・。」
一瞬気が遠くなりかける。空耳であってほしい。正蔵の言うことが正してれば、目を覚ました両親はすったもんだの大混乱必至ではないか。
「?お姉ちゃんだいじょうぶ?」
「う、うん、大丈夫よーちょっとくらっとしただけ。ありがとうね。…ところで、舞ちゃんはどうしてこんな時間からここに来たの?」
「あーっ!忘れてたっ。お願いがあるの!」
「お願い?」
「そうかぁお願いがあって来てくれたんだな?」
「「ひっ!?」」
舞に気を取られて全く気がつかなかったが、いつのまにやら背後に正蔵と葵たちが立っている。日も少し昇ってきたおかげで、暖かく境内を照らし始めていた。ちらほらと朝の参拝者や走り込みをする人々が見え始めている。
「おはよう、お嬢さん。何か困ったことがあったのかな?」
「あーっ、なむなむしてくれたおじさん!」
なむなむは違う宗教なんだがなぁ、と苦笑している。その正蔵はスーツ姿だった。どうやら葵たちが神社についた正蔵をすぐに引っ張ってきてくれたらしい。
「あのね、近くのかみさまがね、つかれちゃったっていってるの。元気がなくてしょんぼりしてるの。」
「「近くの神様?」」
つい正蔵と顔を見合わせる。疲れた、元気がない、しょんぼり。どれも神に対して当てはめる言葉ではないようなものだが、それ以前にこの子はなぜそれを知りえているのか——。
○
つまり、要約すると舞が言うにはこうだ。
自宅近くにあるお稲荷さんの元気がないらしい。眷属である境内の狐達もしょんぼりと尻尾を垂らしてしまっていて可哀相なのだという。この前神社の近くで二人を見かけたので、この人たちならなんとかできるのではと一人で出てきてしまったようだ。
「あそこのきつねさんたちね、しゅっとしてふわっとして、すごく綺麗でかっこいいんだよ!でも今はしょんぼりしてしなしなしてるの。」
しょんぼりしてしなしなしてる狐。
「かみさまはね、いつもがんばってお仕事してたのに最近つらそうなの。」
神様が頑張ってお仕事。続々とパワーワードの連続だ、想像するのも追いつかない。
「ねぇ、舞ちゃん。」大体の事態は掴めたところで、霞が口を挟む。
「なあに?お姉ちゃん」
「この前わたしたちを見たって言ってたよね?それってもしかして一週間くらい前のことかな?」
「うん、たぶんそれくらい!」
「じゃあもしかして、その神様ってあの蔵造の町並みの真ん中当たりにあるところ?ふるーいお皿とかを売ってるお店の奥の。」
「すっごーい!なんでわかったの?お姉ちゃんすごーい!」
舞はきゃっきゃとはしゃいで嬉しそうだ。どうやら以前に警戒しながら前を通ったあの神社で間違いなさそうだ、と正蔵と顔を見合わせて確かめる。
「わかった、あそこの八科稲荷さんだね。一度行ってみよう。」
「わあい、やったぁ!おじさんありがとう」
「じゃあおじさん達今から見に行くから。一緒に途中まで良いかな?おうちまで送っていくよ。」
その途端、舞の表情が曇る。あれ、と見ているうちにみるみる瞳に涙が溜まっていく。…これはまずいのではないか、と危惧した瞬間、堰を切ったように溢れてしまった。
「むー・・・うぅー…やだ、わたしもいっしょにいく!やだあ!」
「ま、舞ちゃん。お姉ちゃんの方見て?一緒に行こうね、心配だもんね。だからここまで頑張って来たんだもんね!」
「うん・・・がんばってここまできたの・・・だから舞もいっしょにいくの」
「うん。うん。一緒に行きたいよね。一緒に行こうね。神様元気にしてあげようね。」
ずびっと鼻をすすっている。なんとか舞をなだめたが、正蔵から何を言ってる、といいたげな視線がびしばしと伝わってくる。
「じゃあ舞ちゃん、お姉ちゃんたち準備あるからちょっとだけこのお姉さんたちとまてるかなー?」
と葵と東岩を指差す。二人は合わせてにこやかに「舞ちゃん、あそぼー」と手を振ってくれた。
しばらく葵たちと霞をきょときょとと見比べて、
「・・・まてる」
とぽつりと言った。すごいね、偉いね!かっこいいな~!と激励してひと先ず社務所へ。扉をしめ、職員たちに何かを告げている正蔵のあとを付いていく。速足で執務室に入った途端、
「末娘、何故あんなことを言った!?」
「だってそうじゃないと納得してくれませんよ?」
「あの歳のこどもを私が連れ回して見ろ、即刻誘拐と間違われて警察に通報される。私が。」
「おやなんだか物騒ですねぇ」
「当たり前のことなんだな、これが!」
「いえ、いえ、冗談ですよう。怒らないでください!一緒に行くふりしてお家に先に届けてしまえば良いじゃないですかあ!そうすれば親御さんがもう離さないでしょう?」
「ふむ・・・なるほど知恵を効かすようになったな。」
「そりゃあ最近は沢山お勉強してますから!」
「・・・良いのか悪いのかわからんな。」
話の付いた所で、以前と同じく枝を依り代に鞄に入れてもらって向かうこととなった。時刻は午前八時。そろそろ親御さんがパニックになっているだろう、道中で職質を受けたりしないだろうか、そう思うと正蔵の胃はキリキリと痛む。一方、そんな正蔵の気を知らない舞はお人形さんみたい!と輝く目で霞を見つめていた。
〇
境内を出て十分、もうすっかり紅葉も色づき終わった高校の曲がり角に差し掛かったころ、表で何やら賑やかなことになっていることに気が付いた正蔵は一度天を仰いだ。
「おじちゃん?あたまいたいの?」
「いや、何でもないよ、行こうか…」
「?」
一つ深呼吸をして足を踏み出してみれば、想像の通り必死の形相で女性が名前を呼んで探し回っていた。通りから人が出てきたことに気が付いた女性ははっとして正蔵の方を見やる。
「舞っ!」
「あ、おかあさんー!」
母と正蔵の気も知らず嬉しそうに手を振っている。女性は舞と手を繋ぐ正蔵をのもとへすぐに駆け寄ってきた。つないでいた手を放し、舞に女性の手を握らせる。
「ああ、親御さんですか、良かった良かった」
「見つけてくださってありがとうございます、なんとお礼を言ったらいいか…」
「そんな、お礼などいりませんよ。無事お母さんのもとへお返しできてよかった。」
「そんな、そういうわけにはいきません。本当にありがとうございました…。ところで、この子は一体どこにいたんでしょうか?」
家の周りも稲荷さんもこの通りも、さんざん探し回ったのにこの子は、と言いながらも異常がないか様子を見ている。正蔵に向き直ったそこではたと気が付いたのか、「え、あれ、この前…祈願をお願いした…?」とつぶやく。
「ええ、祭主を務めさせていただきました十科神社の宮司でございます。今朝早くに、当社の境内にたたずんでおられたところを発見しました。そこで親御さんはさぞかしご不安だろうとここまで送り届けさせていただいたのです。」
「…………。」
ぽかん、とした表情で我が子と正蔵を交互に見る。舞は自信に満ちた顔を向けているし、正蔵は正蔵で少し疲れた顔をしている。信じる他ないのだろうがさすがに信じがたい…と迷っている気配がする、と霞でさえ気が付いた。
「もしよかったら、またこういう事の無いように詳しくお話伺いたいのですがお茶でもいかがですか?」
「ええ、それは構いませんが、今申し上げたこと以上のことはございませんで…。」
「ええ、ええ、そうでしょうとも。でもこの子の言う事も交えて話を聞いてみたいんです、でないとまたこういうことが起きてしまいそうで不安で…。」
「それで宜しいのであれば、もちろんですとも。」
正蔵の笑顔が引きつっている。作り笑顔も限界そうだ、ぴくぴくと頬が引きつっている。
「まっておかあさん」
「舞?」
「ちがうの、わたし本当にひとりで遠い方のじんじゃいったの。はやくはちかさん行かなきゃ、神さまもきつねさんも困ってるんだよ、たすけてあげなきゃ。」
「本当にそうなの?なんで黙ってそんなことしたの!危ないでしょ?なんでお母さんに言わなかったの!」
「わたし、かみさま困ってるからっていわれて、がんばらなきゃって、おかーさんしんじてくれないし、それでっひとりっ、で、いった…うわああん」
「あ、舞っ…」
舞は女性から離れなんといったものかと言いあぐねている正蔵の足元へ戻ってきていやいやをしている。スーツを握りしめて泣いているため裾の方はぐしゃぐしゃだ。。
「ちょっと、舞…?」
「うわああんっ、がんばったのにいじわる言うおかーさんなんてきらい!」
「舞…っ」
もはや母親までもが泣きだしそうだ。そこに通りでお礼を言って周っていた父親が息を切らして合流する。どこぞの強面の男にしがみついて泣く娘と涙ぐんでいる妻。笑顔引きつる強面に迎えられて困惑しているのがありありとわかる。
「ああ、舞を見つけてくださってありがとうございます…ちょっと、どうしたんだ、いったい。二人して。」
「この子、朝早くに十科さんへ一人で言ったっていうのよ。それを宮司さんが連れてきてくれたらしいんだけど、私、昨日も今日も舞の言う事すぐ信じてあげられなくて、こうなっちゃって…」
「ううん…?ああ、宮司さん。先日はどうもありがとうございました。ところで今舞の言うことって…」
「ええ、私も随分驚きました。境内にポツンと一人たたずんでいるし、一人で来たと言っているしで。」
「舞、一人であんな遠い所へ行ったの?」
「…………………うん。」
舞ちゃんは涙と鼻水でぐしゃぐしゃになっている顔をあげずに答える。霞も足元からこっそりと、ちゃんと、なんで神社に行ったのかお話しして、ごめんなさいしよー!と応援を送る。舞は拗ねてしまっているようで、霞が応援してもいやいやをするだけだった。
「…そうか、そうかぁ。舞、頑張ったんだなあ。偉いぞ。宮司さん、ご迷惑おかけして申し訳ございません。」
舞の頭を撫で、正蔵に頭を下げる。
「舞、一人であんな遠くまで行けるようになって、偉いなぁ。頑張ったな。…でも、お父さんもお母さんも舞がいなくなるとすっごく悲しいし不安な気持ちになっちゃうから、お出かけしたいときはお父さんとお母さんに教えてな。皆で行こうね。」
「……………ごめんなさい」
「「偉いっ」」
思わずといった風に抱き上げながら褒める父親と霞の声が重なる。舞は嬉しそうに父親に抱き着き、なでられるがままになっている。
——無事に戻れてよかった。そう霞が一安心した矢先、安心したのか舞は通りにある神社を指さして言う。
「あっ、おじさん、じんじゃ!あそこの困ってる神さま、たすけてあげて!」
「ああ、今日言っていたことだね。きちんと見て帰るから安心してね。」
「困っている神様?それってどういう……?」
男性が困ったような素振りで何かを思い出すようにして考え込む。顎に手を当てて考えるのは癖のようだ。
「…あ、それって。この前言ってたこんこんのこと?」
「うん、こんこんとかみさまのこと!」
神さま助けてあげて、ってこのおじさんにお願いしに行ったの!とふにゃりと笑い、ねっ!と霞を見下ろす。うん、と答えながらもさーっと体温が下がる気がした。これが血の気が引くというやつかぁ…などと考え始めるのをなんとか押しとどめる。
「どうしたの、舞、何に話しかけてるの?」
「みどりいろの妖精さん!」
おめめがね、くりっとしててね、きれーな白い服着ててね、と話す。
「……まあ、小さい子は不思議なものが見えるとも言うから、そういうことなのかしらね。」
「そうだなあ。舞、たまに壁に向かってしゃべってたりするしな。」
「そうねえ…。こんこんだってそうだしね。」
案外すんなりと納得してくれたようだ。そこでようやく舞とその両親に別れを告げ、八科稲荷神社へ向かう。舞は納得していないようだったがなんとか両親が説得してくれるようだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます