第11話 霞敷く 立-1 ひとというものは
正蔵と街中を回った翌日から霞は、前にも増して人の間をうろうろと動き回るようになった。それもうっかり御一行と間違えそうなほど至近距離、長時間で。その踏み込みようは正蔵ならず東岩をも驚かせるものだった。
ただし、人に付いていくと言ってもいつも通り正殿には入ってこないし、もちろん境内から出ることは無い。境内の範囲で、いる人々の周りを付きまとっているだけだ。大安の日ともなれば常に境内にいる参拝者を観察して回り、仏滅などの日になればあまり人もいないので数少ない参拝者の近くに控えてじっとしている。時折何かに集中するように目を閉じてみたり、逆にきょろきょろしてみたり。見ている分には面白いのだがいかんせん何をしているのかが不可解だ。
しかし、軽々に触れて良い類の話題なのかどうか…。そう頭を悩ませていると、それを察知した葵が一言
「大丈夫ですよ、正蔵さん。おっかなびっくりにならずとも聞いてみればよろしいではありませんか。」
と言う。何が大丈夫なのかわからないが…まぁ、霞の一番の理解者である葵の言うことだ。不可侵なものではないことなのは確かなのだろう。しかし、葵だけがどうしてそうと言い切れる?
「そうは言うが、御前はあれの理由を知っているのか?」
「ええ知ってます。それが悪いものではない事も、あの子にとって必要なことだとも。」
正蔵さんもきっと知っておいた方がいい事だと思うんですよ、と言う葵は柔らかな笑みを湛えている。この九十九はいつも末娘から相談を持ち掛けられたりしているのだろうか。…そうした素振りは見せないけれども。そう思うと、つい「御前は霞の母の様だな」とふと以前から感じていたことが口をついて出る。
「ええ、当然ではありませんか。あの子を一番に発見したのも、ここに送り届けたのも私ですし、そもそも木は水が無ければ育てません。そういった意味では霞ちゃんがまず私のところへ来たのも、私があの子を一番理解しやすいのも当然ではなくて?」
「・・・ま、言われてみればそりゃそうだ。ご忠告通り本人に聞いてみることにするよ。」
ありがとう、と言いながら背を向ける正蔵を見つめて、ふふと笑う。
・・・貴方だって同じようなものなんですよ、などと言ったら怒るだろうか。
○
「末娘」
「わっ、びっくりした・・・正蔵さん、なんです?」
胸に手を当てて落ち着かせているところから、本当に正蔵に気がついていなかったのだろうことが見て取れた。以前はそこまで気を緩めていたことなど、そうそう無かったというのに。
「末娘、最近やけに参拝者の周りをうろうろしてるじゃないか。また外へ出たくなったのか?今からだと冬に入るし、御前も辛かろうに。」
「あっいえ、そうじゃないんです。それはただ聞いていたというか、その・・・。」
「聞いてた?」
参拝者の話していることを聞くのにあの距離感で?と不思議に思う。今日は仏滅。挙げる式も参拝者もおらず、東屋に霞がぼんやりと座っているのを見かけて今が好機とやってきてみたのだった。ここでぼんやり境内を眺めて話をしていても、まぁ、大丈夫だろう。さわさわと揺れる木の葉と風の音に耳を澄ませ、じっくり言葉の続きを待つ。
「あの時外へ出させてもらって、見える以上に色々な事を学びました。今まではひとって純粋でか弱くてまっすぐなもの、と思っていたんですが・・・まぁ、思ってたよりも複雑で、色があって、豊かで。それをここに来るときは襟を正して綺麗な心持ちで来てくれてるんだーって。・・・それがわかった今なら、境内でもよくよく聞けば生々しいそういう生きた声が聞こえるんじゃないかな、ひとの事ここにいながらもっと分かるんじゃないかな思って、聞いていたんです。」
「ほう・・・。なるほど、人間観察をしていたか。」
「?見ると言うより聞くことが主なんですが。」
「いや、それを市井では人間観察といってな、人間も人間に対してしていたりする。」
「ひと同士でもやってるんですか?話をしてみれば、直接聞いてみれば済むことではないのですか?」
わたしたちと正蔵さんのように、と言う霞は、相当意外だったらしく目をぱちくりとさせている。やはりこの九十九は純そのものだ、と思いつつ苦笑いをして答える。
「そうだ。それだけ人というのは複雑で、多種多様で、当人も生き方に迷子になるような…そんな生を生きているものだ。それがたった百年に詰まっている。それに、直球で聞いてしまうと、それが癪に触ったり尊厳を傷つけたりして争いのもとになる。障りがあるんだ。だから、本音は隠してうまく付き合っていく。…それがまあ、なかなかに難しい。」
「へえ・・・。すぐに理解するには余りに複雑で、なんだかぴんと来ないです。」
「そうだろうな、多分これは人ならではのものだ。御前たちには縁遠いだろう。」
人間関係、人間社会というものは難しい。あっという間に一個人など飲み込んで迷子にさせてしまう。人を純なものと捉え得る九十九たちにしてみれば理解の難しいことは想像に難くない。むしろそうであってほしいとさえ思うほどだ。
「……でもやっぱり、なんだか羨ましいです。」
「ほう、人が羨ましいと?我々からしたら、中も外も綺麗なままで心穏やかに過ごす御前たちのほうがよっぽど羨ましく理想的に思えるものなんだがな。人など私利私欲や喜怒哀楽の感情に振り回され、思い悩み、くたくたに疲れ果ててゆく。」
「やっぱりまだ、想像することも難しいものですね。皆さんにこにこと笑っているのでもっと・・・なんて言えば良いんだろう、簡潔、単純。生きたいように生きて、一年一年を積み重ねていく。そんなものかと思っていましたが。」
やっぱり私の範疇を超えて、人はどこまでも深遠で複雑なのですね、と呟く霞を、正蔵はじっと見つめる。その視線にも気づかないまま、うんうんと悩んでいるさまはまるで友達と初めて喧嘩した小学生のようだなとも思う。・・・まあ、さして近くとも遠からず、なのだろうが。今年中学生にあがる孫も、こんな時期があったなとしみじみ思う。しばらくして、うん、と一息付き
「やっぱりそれでもです。豊かで、実りを結べるひとの子が羨ましい。様々な縁を結べるひとの子が羨ましい。どれもきらきらと輝いていて、すごく魅力的に見えるんです。」
そう言いきった。その表情は晴れ晴れとしており、いまだ見ぬ世界への希望に満ち溢れている。にこにこと笑みを浮かべる霞の顔は実に晴れ晴れとしていた。思わずはあ、とため息を一つ。
「…ならば、まずはその身を大事にしてくれ。人が祈ったその暁にできた実りが御前がただ。人の願い…考え事が形作ったものたちなんだよ。ならば言い替えれば御前たちはある意味人の子だ。あまり無茶なことをしてくださるな。」
まぁ、境内で何かする分には何も言わんから、人間観察をようくして理解したいところまで理解すればよい、と言うと、花開くように笑った。
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