第10話 霞敷く 行-3 羨望


「霞ちゃん、正蔵さん。おかえりなさい!」

「ああ、只今帰った。ほれ、末娘。もとにお戻り。」


正蔵に持ち歩いてもらった枝を神木の根元に戻してもらう。そうすることで、いつもの霞として元通り現れることができるようになったのだった。


「へへ、只今戻りました、姉様、東岩さん。」

「もう、心配しましたよ。何もない?」

「ええ、打ち合わせ通り正蔵さんしっかりお仕事してくれましたから!…それにしても疲れちゃいました~。」

「そりゃそうだ、あんなにも遠くまで出たことはないのだ。当然というもの。」


して末娘、と正蔵が問う。


「なにか収穫はあったか?」

「そりゃあもう、沢山です!まず普段のひとびとの生き生きとした声の生命力の強さったら!全部きらきらと輝いて聞こえましたよ。」

「まあ、観光地歓楽街だからな。観光客も地元民も楽しみ浮かれるのがあの通りだ。」

「それに付喪神ってあんなに沢山いらっしゃるんですね、わたしびっくりしました!挨拶ばかり述べてて途中のお店で笑われてしまいましたもん。」

「そんなことがあったのか。まあ古い店が多いということは古いものも多いという事。覚悟のうえで行ったのだから文句はあるまいな。」

「もちろんです。」

「そんなことが、って正蔵さんぼうっとしてらしたの?」


霞ちゃんを連れているのになんてこと…と葵が茶々を入れる。もちろん一介の宮司といえど付喪神の言葉をきくなどできないのでこれは当然のことなのだが。


「当たり前だろう、こちとらただの宮司だからな。」


答えて、ああ、そういえばこれはどうする。と購入した菓子、手鏡、櫛、手毬を鞄から出した。


「お菓子は新撰にして職員の皆さんでいただくので良いのでは…でも鏡や毬はどうしましょう?」

「まあ、私が使うようなものでもないからな。御前たちに献上するとしよう。」


あ、ただし人が見てる前で使っていると心霊現象と間違われるから気をつけるように!と釘をきちんと刺すのを忘れない正蔵を見て、根が真面目なのは変わらないなぁと三人は思うのだった。


                   ○


「それで、実際出てみて霞ちゃんは何を感じたの?」

「・・・わたし、姉様には隠し事できないですねぇ。」

「違うよ、隠し事できないんじゃなくて私が霞ちゃんのことならなんでも分かってるだけなの。」


貴女が生まれ落ちたその日から一緒にいるのよ?と小首を傾ける。


「わたし、あんなにひとが好きだと思ってたのに、分かったつもりになってただけだったんだなーって感じて。ひとって面白いなと思うと同時に少し怖かったです。」

「・・・外へでて、色んなものを見れたのね。」


良かったね、と微笑む。それに異存はない、こくりと頷く。


「わたし、ひとってもっと透き通った純粋でか弱いものかと思ってました。だってここにくるひとたちは皆そうだったから・・・。でも、違うんですね。勿論純粋な気も感じましたけど、肩がぶつかった!誰だ俺に向かってそんなことしたのは、とか人が多くてうざい、とか、この客むかつくわとか、色んな負の側のエネルギーを抱え込んでいるひとにもたくさん会って・・・。

それだけでなくてあの建物は美しいなって思いを感じてそちらを見てみるとよく使い込まれた家屋があったり、これいいなって思いを感じてみると簡素だけれどとても可愛らしいものがあったり。私の持つ感性では拾えなかったいろいろをそのひと達は受け取って、こちらにも分けてくれました。

それで、今まで考えていたひとの子というのは、わたしが思っていたよりももっと複雑で、豊かで、エネルギーに満ちていて、そして沢山の考え方を持つものなんだなぁ、って思ったんです。」


神様だって凄いし恐ろしいですけど、ひとも同じくらい凄いし恐ろしい、そして愛おしい。わたしたちがあの存在によって生まれ、支えられているというのも納得の力強さでした。と笑む。

さて、それはそうとしてこれはどうしましょうかねぇ。と手鏡を弄ぶ。


「気になっていたんだけど、霞ちゃん、その鏡や櫛はどうしたの?」

「正蔵さんに連れて行ってもらった先の土産物屋さんで見つけたんです。昔から鏡には神気が宿るとも言われてひとびとに大切にされてきたもののようですし、気になって。それに境内でも良く皆さん使っているでしょう?ご新婦さんや、可愛らしい若い女の子とか。こうして鏡を見ながら身繕いをしてみたり、髪を梳いてみたりしたら年頃の女の子たちの感情がわかるかなーって…」


そういいながら、鏡をじっと見つめる。


「でもそれは当てが外れてしまったみたいです。何度見てみたって自分の顔は自分の顔だし変わることはない。髪を梳いてみたって多少整うけどそう変わるものでもない。…なんでそんなにこれを一生懸命みてるんだろう。」


ここは神前で、祈りの場所ですし余計わかりません、とつぶやく。


「霞ちゃん、可愛い、綺麗、って言葉はどう思う?」

「可愛い、綺麗、ですか?良い言葉ではありますね…?」


突然の話題転換に霞は戸惑う。葵は微笑みを湛えて続ける。


「そして人ってね、長くてもたった百年ほどしか生きられないのは知っているわよね?」

「それはもちろんです。だからひとの子たちは連綿と子を作り歴史を紡ぐものです。」

「うん、それがわかっているのならもう一歩ね。人はその百年の中、私たちみたいにきちんと背丈が伸びてかつ皺がない状態でいられるのってそう長い間じゃないの。ここまで成長してしまえばあとは小さくしわくちゃになっていくだけ。…私はそれが少し羨ましいのだけれど。」

「………。」


霞は何かを考えこむように話を聞いている。


「ああ、また脱線してしまったわ。それで話を元に戻すとね、人は写真と言ってその場を絵にして切り取る道具を持っていてそれで記録をしていくようよ。それで自分の一番元気で一番美しいと胸を張って主張したい時期の写真がぐしゃぐしゃの髪の毛で着物もよれてて、では後から見たときがっかりするでしょう?それを整え直して綺麗な生きた記録を、思い出を残して残りの日々を過ごしていく糧にするために皆、ああやって身繕いをしているのだと私は思うわ。」

「………。」


いい観点だったわね、霞ちゃん。という声を聞きながら霞は境内を、そして鏡を見る。


「……生きることを理解するって、難しいですねえ。」

「そうね、でも難しいけど、きっと単純なんだと思うわ。」

「?」

「だって、例えば霞ちゃんが過去を振り返ったとして、何か後悔するものばかりだったり、逆に何もなかった空っぽの時を過ごしてきたなあって思ってしまったとしたらどう?」

「……それはとても空しくなって、存在意義を疑います。」

「そうね。私って生まれてきてよかった存在なのかなってなるよね。現に人がただ生きるのだって、私たちがここにいるだけだって、何らかのエネルギーを消費して何かの上に立ってここにあるわけで、それらを無駄にして過ごしてきたとは思いたくない。だから人の子はみんな今を精いっぱい生きて、ともに過ごしていける人が見つかるよう身繕いして、未来の自分の糧になるよう思い出を作って、それを写真に収めて、そうして生きていくんだと思うの。」


ま、これも私の持論だし妄想に過ぎないから、本当のところはわからないし全然違うのかもしれないけどねと葵は笑う。まるで人に関する観点が違って、霞はどうしたらいいのか少しわからなくなっていた。


「…そう、考えると、ひとを慈しむものでなく羨ましいものに変わってしまいそうで怖いです。」

「そうね。人はとってもきらきらしていて生命力に溢れていて、魅力的だと私も思う。」


だからこそ、あの子たちの祈りには応えてあげたいし、私たちはそれでいいんじゃないかしら、と葵は言う。

物事の見方というのは限られているようで無限大で、途方もない選択肢に囲まれているような心地になる。途方もない思考の海に沈んでしまいそうだった。

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