第9話 霞敷く 行-2 神々の小路
高校から歩くこと五分。すぐ近くにこの城下町の文化遺産でもある町並みに差し掛かる。古くからあるこの城下町は江戸期から大正期にかけての建築物群が保存され、景観保存地区に指定されている。現在も用いられているここは云わば町全体が文化遺産なのだった。古い街並みに土産屋や飲食店が軒を連ねる。平日ではあるが昼間ということもあり、賑わいは凄いものだった。
「さて、どこから見るかな。」
独り言のようにつぶやく。霞は、まずはこの通りを一通り見てみたいです、とスマートフォンに向けて伝える。観光地である通りのど真ん中に出てしまった正蔵は、一端人の流れに乗り左手に進む。左手には主にお菓子等の土産品の店が軒を連ねる。ちらちらと土産物屋を見ては、店主と立ち話をしたりした。最近は天気がいいだの、体調はいかがかだの、様々な話をしている。方々で宮司さまがここに出てこられるのは珍しいね、などと言われては
「まあたまには気分転換にこうして歩きたい日もあるのです。この季節は動きやすくて良いですな。」
などと返している。霞は正蔵がそうしている間に店内や小物たちをじっと観察してみたり、年季の入ったレジスターに座る小さな小さな付喪神に挨拶をしたりと忙しなかった。
これも正蔵と取り決めをしていたことだ。正蔵はいろいろと見る時間を作ること。霞は目立たないようにしながら様々なものを見、付喪神がいたならば折り目正しく挨拶をすること。そして正蔵は挨拶が済んだところを見計らい退店する。それを繰り返しつつ店通りの端まで来てしまうと、道路を渡り今度は来た方面へと進んだ。
日柄が仏滅だろうと関係ない観光地は人があまりに多く、正蔵は観光客にぶつかられながらもゆっくり歩いてくれている。時には舌打ちが聞こえてきたり、物珍しさからか霞の枝を持っていこうとする幼子たちがいたが正蔵は動じなかった。手持ちにしていた鞄を抱えるように持ち直し、トラブルから霞を守ると同時に、それを利用してよく見える位置へと移動させてくれたのだ。
霞は正蔵の心遣いに感謝し、一層よく目に焼き付けるべく周囲を見渡す。こちら側の道には小物や雑貨の店、食べ歩きのまんじゅうやソフトクリームなどが売られている。そこで、斜め向かい辺りにある店の籠に女性向けの小物が載せられているのが見えた。新婦が、幼子達が、大事そうに持っていたような小物たち。
「正蔵さん、正蔵さん。そこの小物の写真を撮ってください。その櫛や鏡などです。」
「ん?もしもし。え、手鏡が欲しい?どういうやつ…とにかく可愛くてセンスのいいもの?困ったな、こんなおじさんにはわからないというのに。わかった、わかった。朱の入ったやつな。ちょっと見てみるから、楽しみにしていなさい。」
これも事前に打ち合わせたものだった。人の多いところで写真を撮りたいもの、じっくり見たいものがあったら電話がかかってきたふりをして店員を呼び、時間稼ぎをしながらじっくり見聞するというものだ。
イヤホンに手を当て、突然土産のリクエストを聞いて慌てた風を出す。すると、若い店員がやってきた。
「お客様、いらっしゃいませ。何かお探しでしょうか。」
「ああ、すみませんね。なに、突然既知のものから電話がかかってきて朱色の入った可愛らしい手鏡と櫛が土産に欲しいというもので・・・。悪いのだが、ここの写真を撮ってどれが良いか聞いてもいいかい。」
「ああ、それなら構いませんよ、どうぞ。」
「ありがとう。すこし相談して決めてみます。助かったよ。」
「いえ、とんでもございません。何かあればお申し付けください。」
そうして店員は去り、正蔵は見事手鏡と櫛を写真に収めてくれた。ついでに隣の手毬も共に。そして宣言通り朱色と黄色を主として紫を差し色に施した櫛と手鏡、それから藍を基調とした手毬を買い求めて店を出る。その際
「ありがとうね、おかげで知り合いもどれがいいかしら、なんて随分悩んでいたが気に入りの色を見つけることができたようだよ。」
「ああ、それは何よりです。またのご利用お待ちしております。」
というような時間稼ぎをしてもらっている間にカウンターの中にある神棚に向かい挨拶を述べる。急遽入った店だったが、ここの神様は穏やかな気性だったようだ。特に気にされることは無かった。
それからまた歩き、ふと歩を止める。今回の外出で最も用心せねばならないポイントに差し掛かったのだ。霞は頭を垂れ、挨拶を進上する。ここの通りはより昔ながらの家屋が立ち並び風情のある小路だ。しかし古物商が一件、美術商が一件、そして突き当りに神社が一社。付喪神も神も多いこの小路が今回の一番の難関だった。
少しの間、正蔵にはどちらに行こうかな、といった素振りをしてもらい時間を作ってもらう。その間で霞は付喪神たちと一柱に挨拶を済ませ、すぐに退出すると取り決めていた。さもなくば機嫌を損ねてしまいかねない。
「畏み申し上げます。私十科の社の杜、霞といふ者にござります。恐れ多くも神々の御前参ります事お許しくださいませ。」
「おや、神ではないのね」「人でもないよ」「どういうものなんだろう」「まあか弱い気配だこと」「本当だ小さいんだね」「簡単に手折れそうだね」「なんでここに来たの?」「えっ神じゃないの?」「混じった匂いがする」「人の子の頭よりより下の位置に下げ持ちをされても平気だなんて凄いわね、私は無理」「まあ可愛い子!」
今までとは比べ物にならないほど沢山の声が聞こえてくる。しかしその中に肝心の社の神の声がまだ聞こえない。そういえば、ざわざわとした付喪神たちの気配は数多く輪郭もはっきり感じるのに、最奥に一つだけぼんやりとした大きな気配がある。あれが社の一柱だろうか?
「恐れ多くもこのような半端者の分際をわきまえず、御社の御前罷り超すことお許しくださいませ。大変にお疲れの御様子のところ誠にお邪魔申し上げました。これにて失礼いたします。」
一柱からはじっとり見つめられている気はするのだが、何も話しかけてくる気配がないのでそのまま挨拶を追加して失敬することにした霞は口上を述べ、正蔵もゆっくり歩きだした。正中は踏まず、いつもより深めに頭を下げる徹底ぶりだ。
無事に通り過ぎ、ほっと一息ついた時、社から吐息のようにか細い声が届く。
「…………ありがとう。」
鳥居の陰から一柱と一人がじっと正蔵の後姿を見つめていた。
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