第7話:美術と音楽、技術と家庭科のお話


 美術なんて嫌いだ。

 音楽なんて嫌いだ。

 技術も嫌いだ。

 家庭科も嫌いだ。


 私は何回、これらの言葉を言ってきただろう。

 多分、絵を誉められた回数や、歌を誉められた回数や、器用さを誉められた回数や、料理を誉められた回数よりは多いだろう。


「……ラビちゃんは、私の料理のこと誉めてくれるよね?」

「あいにく、わたくしには口が付いておりませんので……」


「喋れるのに?」

「……。ぇえと」


「絵でも、リコーダーでも、木工でも、お菓子でも……何でも良いから、誰か私を誉めなさいよ!」


 わたくしの所有者様……否、御主人様は、この小棚に収まったに申しつけました。中学一年生。そろそろ、蝶よ花よは卒業する年頃です。


「実技科目、嫌いですか?」


 わたくしは御主人様に聞きました。


「大嫌い。……さすがに宿題はほとんど出ないけど。時間割に実技があると気分が沈む」

「御主人様は珍しい方ですね。普通、勉強嫌いの人はこの手の教科が好きなものですが」


「どうせ私は絵が下手くそだし。音痴だし。釘曲がるし。ジャガイモの皮も剥けないし……。もうぃい。漫画読んで気分変える」


 どうせ読むなら、今度こそカクヨムにしてあげたらどうですか? と、わたくしは心の中でずっと呟いてあげます。


「でも御主人様。小学生の頃は、図画工作とか、リコーダーとか、けっこう楽しんでませんでしたか?」

「あの時は世間知らずのオチョコだったのよ。……」


 御主人様。それを言うならです。ちなみに、は“生娘きむすめ”という意味です。


「随分とへそを曲げているようですが……学校で何かあったんですか?」

「むぅう……」


 御主人様は鞄から、筒状に丸まった画用紙を取り出しました。

 御主人様は輪ゴムを解き、紙を広げ、わたくしに見せました。

 どうやら、それは美術の時間に描いた作品のようでした。原色に近い独特の色使いで、紙の下半分は茶色、上半分は水色に塗り潰され、右上に赤い丸が踊り、紙面中央には黄色の縦長な何かと、緑色の扁平な何かがありました。


「……どぅ?」

「無人販売所のバナナとメロンですか?」


「ウサギとカメよ!」

「ぇええ……」


 わたくしは素でドン引きました。


「物語の一コマをアクリル絵の具で描いてみようっていう課題で、……自分なりには、けっこう頑張ったんだけど……」

「わたくし、ウサギとバナナを見間違えたのは初めてです……」


 小3で遅すぎた天才ピカソと言われ、小4で画伯の地位を確固たるものとし、小5で音波兵器と呼ばれ、小6で口パクを覚えた御主人様は、中学校でも引き続きお付き合いすることになった美術と音楽に、そして、新たに出会った技術家庭科に対しても、色々と言いたいことがあるようです。


「……」


 でも結局、御主人様は何も言いませんでした。

 今日の御主人様は、けっこう重傷なようです。


「……御主人様的には、その絵、何点くらいの出来栄えなんですか?」

「……65点」


「微妙に高いですね」

「相対的な問題よ。私より下手な人だってたくさんいるし。多分……」


「まぁ、下を見て安心するのは感心しませんが、他人の評価を気にしすぎるのも考えものですよ」

「……そうよ! だいたい、自由に描け! とか、伸び伸び歌え! とか先生も言ってるんだから、私に思うようやれば良いのよ!! ……」


 御主人様は天井に叫びました。


「……心からそう思っているのなら、悩む必要などないのでは?」

「ぅう……」


 御主人様は黙ってしまいました。

 どうやら、図星だったようです。


「……自由とは、意外と難しいものです。絵に音楽。裁縫に木工。自由研究。自由工作。自由英作文。自由に意見を述べなさい等々……。教育現場には様々な“自由”が溢れかえっていますが、そのわりに、不自由を感じるジレンマが存在します」

「ほんとそれ。……結局、最後には成績が付くんだから、最初から自由なんて存在しないんだよ」


 御主人様は、すっかり拗ねたように言いました。


「今回の小話は“自由”をテーマにしてみましょう。──例えば、何かを『自由に書きなさい』と言われたとき、ここには、2つの自由と1つの不自由が存在します」

「……って言うと?」


「まず、何を書いても良いという自由。次に、それが周りからどう評価されるかは他人次第であるという不自由。最後に、それを気にするか否かは自分次第であるという自由です」

「まぁ、……確かに」


「一般に人々が悩むのは、この真ん中にある不自由──周りからどう評価されるか──です。特に学校生活においては、この要素が重みを持ちます。友人の評価。先生の評価。親の評価。そして、意外と重要な自己評価など、学校には色々な評価があります」

「ぅん」


「どうして、他人の評価は自分の自由にはならないのか。答えは単純です。他人が自分をどう評価するのかは、他人の自由だからです。そして、ここにカラクリがあります」

「からくり……?」


「他人──特に友人や親──の場合、どんな評価を下そうが他人の自由である、という以前に、そもそも、評価を下すか否かでさえ、他人の自由なんですよ」

「……どういうこと?」


「つまり、適当な評価をしても、そもそも見向きもしなくても、彼らには何のデメリットもないということです。他人の評価を気にしがちな人は、一般に、物事を深刻に考えがちです。みんな自分を見ている。みんな自分の汚点に気付いていて、或いは自分を嫌っていて、攻撃してくる。……そんなわけありません。だって、いちいち目に入った人全員に、適切な評価を下すなんて大変じゃないですか? そんな大変なことを、いったい誰がするのでしょうか?」

「先生とかは、やるんじゃない? 一応、そういうのが仕事なんだし」


「それは建前の話です。先生だって所詮は人間ですから、適当なところで手を抜いたり、妥協します。それに、先生の場合、言うほど自由な評価はできません」

「そうなの?」


「はい。先生には、評価をする上で考慮に入れなければならないルールが存在します。絶対評価か相対評価か。加点方式か減点方式か。学校ないし学年が決めた評価のルールによって、先生の裁量は変わります。さらに、上司や保護者、そして生徒から、えこひいきがないか、不正がないか等々、有象無象の圧力や指摘にも堪えなければなりません」

「評価する側もいろいろ大変なんだね……」


「その結果として学校では、テキトウな他人と、不自由な他人による、二重・三重の評価社会が出来上がるんです。そうやって聞くと、評価について必要以上に神経質になることに、馬鹿馬鹿しさを感じてきませんか?」

「まぁ……確かに。少しは気が楽になったかも。……」


 御主人様は首肯しつつも、ぅーん……。と唸りました。


「……でもさ、ちょっとくらい誉められたいっていう自由は、どうやって叶えたら良いのかな」

誉められたいのか……と言うことを、決めてみたらどうですか? 評価する人を選ぶのも、評価される側の自由だったりします。やり過ぎは禁物ですが」


 御主人様は、少し考え込みました。


「……ラビちゃん」

「はい」


「ラビちゃん的に見てもさ、私の絵……ダメダメだった?」

「ぁあ、さっきのウサギとカメですか? ……そうですね。ちょっと難しかったですね」


「じゃあ、やっぱりダメダメなんだよ」

「そうですか? わたくしの評価が全てではありませんよ」


「ぅん。それは、分かってる。……けどさ」


 御主人様は、わたくしを持ち上げました。


「……前にさ、数学の話だったっけ。確かラビちゃん、世界には謙虚でいた方が良いみたいなこと言ってたよね?」

「数学者さんの話ですね」


「だからさ。あんまりイジケたり、独りよがりになってもつまんないし。……かと言って、誰も彼もから誉められたいって訳でもないし、……適当な落としどころとして、ラビちゃんに誉めてもらえたら合格って感じで、どうかな?」

「わたくしで、宜しいんですか?」


「ぅん。……だって、このウサギもラビちゃんがモデルだし」

「そうなんですか。……」


 御主人様の目には、わたくしはあんな風(……バナナ?)に見えているのでしょうか?


「たまにはね、ちゃんと頑張るから。長い目で、応援よろしく」

「はい。身近なところに目標を作る。良いことだと思いますよ」


 自由の翼は時に重苦しく、肩が凝る代物です。

 そして、思っているよりも不自由な代物です。


 そんな時は、一度地面に降りて、羽を休めてみましょう。


 そして、新たな気持ちで翼を広げ、大空を見据えたとき。

 あなたは、きっと気が付くはずです。


 あなたを大空に誘うのは、風を切る翼ではなく、足で踏み切る地面の方であるということに。



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