風の始まる洞窟➄

著:ガディアン


 高いところは風が強い。

 遮るものがないのでいや応なしに叩きつけられる。

 前から横から後ろから、全身を遠慮なく風が叩く。とはいえ、これが自然の風ならもっと簡単だったろう。自由に吹く風もどこかに決まりのようなものがあり予兆がある。虫の知らせではなく風の知らせと言ったところか。いや、なに言ってるんだ私は。そんな上手くもないことを考えるより集中だ。一歩間違えば地面に激突するのだ。

 私は目を瞑り宙に浮いていた。

 土を盛り上げて作られたカザネの家の上、風車が乱立する子供たちの練習場のさらに上、なにもない上空で体をピタリと縛り付けたように宙に留まっていた。強風に煽られても不動、前髪が吹っ飛んでやしないかと心配だったが、それでもなお微動だにせず宙に立っていた。

 よし、だいぶ安定してきた……。

 そろそろ目を開けるか。

 ゆっくりと世界を見る。眼下、地面は遥か下、随分と小さくなったアイウェンディルが私を見上げて手を振っている。何か話しかけているんだろうが流石に距離があり過ぎて聞こえない。「がんばってー」とか、彼女のことなのでたぶん応援してくれているんだろうが、応援する君がこのっ……暴風で私を殴っ……ているのかと思うとっ!? 何とも言えない心境になる今のは危なかったいや本当に! 体が大きく傾いだが何とか踏みとどまれた。


 今、私は修行をしている。

 これは「綿吹き」と呼ばれるカザネの空中浮遊の妙技だ。あれから半年、まさか私に風の技が扱えるようになるとは……。

 半年前、神はこう仰った。『風を覚えろ』そうして式を騙せともお告げになられた。神様の御言葉に私と百人のカザネとで長い協議が何度も行われた。結果、カザネの使う風の技を身につけ、古代からの正式な儀式をしっかりとした手順で間違わぬよう進め、今度こそ世界に新たな風を吹かせよう、ということになったのだ。


 今日は修行の成果を見せる日、総決算だ。

 多くのカザネ達の協力があり、いま私は空に立っている。

 ……まぁ、ひと月ふた月は百人体制の潤沢な援助だったのだが、結局は私個人の研鑽の結果が物を言うわけで、半年経った今、村にいるカザネは数えるほどだ。アイウェンディルとガラドエル、太古の儀式を伝えるよう神から名指しで呼ばれた三百歳を超すケレボール。旅の許しを得るため修行を続ける子供たち。ほとんどのカザネはこの世界の非常時だというのに結局は旅路に明け暮れている。いや確かに、つまるところ私の頑張り次第なので仕方がないことだが……腑に落ちないのは言うまでもない。やはりどこまでも人の尺度で測れる種族ではない。


 さて、目を開けた状態での「綿吹き」も随分と安定した。

 この浮遊の技は通常、四百歳を超える円熟したカザネがようやく扱える技だそうで、そのような大技がなぜ私に扱えたのかは大いに謎だ。人とカザネで勝手が違うのか、風を紐状に編む「祈り縄」という初級の技が全く成功しないのに対して何故だか空を飛ぶのは比較的簡単に出来た(といっても二か月は要した)

 そして……これが……大詰めだ。

 「綿吹き」の状態で拳ほどの「玉風」を作る。以前に山でガラドエルがこの技を見せてくれたが、これがまた難しい。風を凝縮し玉の形にまとめた小さな竜巻。これは小さければ小さいほど質の高い技だ。風を丸め、鋭く、速く、しかし決して外には漏らさず、丸い空間の中で何度も何度も循環させる。一方向に回すだけではすぐに決壊し綺麗な球形は出来上がらない。単純な見た目の中で風をあらゆる角度で回し続け保ち続ける。今なら分かる。なぜこの技が子供に旅を許可するための印となるのか、これが出来れば敵なしだ、ほとんどの荒事は力を通して片付けられる。力の回し方、基礎にして神髄とも言うべき奥深いものなのだ。


 よし!まとまった!

 大きさはきっかり拳と相違ない!

 認めてもらうにはこの小ささにまでまとめなければいけないのだ。

 次で、終わる。

 私は大きく息を吸う。

 結実の瞬間は近い。これから私は手のひらの上にある「玉風」を体から放し、手元の自分の風ではなく、アイウェンディルの吹かせる風の中で制御をし、十秒間の静止を行う。それで最終課題が完了する。今は村にいない皆の顔が目に浮かぶ、今は村にいないが本当に世話になった。辛いしごきを愛故に頂いた。今は村にいないが親身になって相談させて頂いた方もいる。特等の酒をご馳走してくれた気前のいい今は村に居ないカザネもいる。いつも私に微笑みかけ元気をくれた今は村にいな、いやアイウェンディルはずっと居てくれたのだった。

 ともかく!

 これが、最後だ!

 私は両手を突き出す。手の平から離れた「玉風が」ゆっくりと進んでいく。

 手先から放し、下に合図を送る。人生一長い十秒間が始まる。

 「だが、すでに! 随分と厳しい……!」

 ここ一番、アイウェンディルの大風が襲い掛かる。少しくらい手を抜いてくれてもよかろうに! 半年経って打ち解けたのが仇となったのだろうか! 甲斐甲斐しい彼女のことなので丸切りの善意というのが憎めない!

 「まだ! まだだ! こんなことでは挫けん! 今は村に居ないカザネたちのためにも負けはせん!」

 いや一体どういう奮起の仕方なのだと自分でも思うのだが、もうここまで来ると抑えきれぬのだ、精神の高ぶりが、体にかかる負荷が、どんどんと高まっている。筋肉が軋む、風の技は優雅に見えて体をよく使うのだ。

 「負けんぞ! 決めたのだ! 私は! この課題を見事突破し! 儀式を無事終えたその暁には!」

 誰にも聞こえることがない、だからこそ言えた。吠えるように叫ぶ。

 「アイウェンディルに愛の告白をする!!」

 みしり、と背骨がなった。体の負荷はこれ以上ないほどに感じている。だが、もうあと五秒ほどだ。

 アイウェンディル。美しき風の巫女よ。どうして私にそれほどまでに優しくしてくれるのか、そのせいで私は、分を弁えもせず君に恋をしてしまった。初めて会ったその日を忘れない。ついでに言うなら魅力的なその肢体も目に焼き付いている! あれから君は巫女の礼装も欠かさず着るようになった! ほとんど裸と言って差し支えのない体の表と裏に布を張り付けただけのその服装がまた蠱惑的なのだ! なんなのだ君は! どうしてそんなに笑顔が素敵なんだ! 最近は特に砕けて話してくれる様にいちいち胸が高鳴ってしまい落ち着かないのだ!

 「好きだ!!」

 ……。

 …………。

 十秒、完了だ。

 暴れ狂う風は止み、私はどうにか試練を突破した。

 じわじわとこみ上げる達成感、それから恥ずかしさに汗が噴き出す。

 落ち着け、落ち着け。何を私は馬鹿なことを、聞かれでもしたらどうするつもりだ。内に秘めた思いは決して叶わぬ。これは泡と変わらないような、儚いものなのだ。弾け、消える。アイウェンディルが私と結ばれるなど、ただの人が、神と繋がりを持つ巫女を思うなど、実現しようはずもない。

 第一だ、私も彼女も生来の旅人、いやだからそこ話が合うというこっ――。

「ガディアンさん!」

 何か質量のあるものが「ガディアンさん!」と親しげに私の名を読みながら突っ込んできた!なんだなんだなんだ!なまじの威力ではないぞ!意識が飛びかけた。

 「すごい! ガディアンさん! 成功ですよ! 全てやり遂げました! おめでとうございます!」

 やったー! と、黄色い声が空によく響く。アイウェンディルだった。感極まって飛びついてきてくれたのだ。いやしかし尋常でない速度、威力、体に感じる彼女の胸の弾力、こういうところが駄目なのだ、ますます私に意識をさせる。流石に今まで抱きつかれたことはなかった。なかったのでうろたえた。

 「いやぁ、あぁ、その、ありがとうウェンディ。うれしいよ、ああ」

 「良かった! ほんとに良かった! これならきっと成功しますよ! 十分に一端のカザネですとも!」

 「そ、そうだな! もう大丈夫だ。その、時に大丈夫だろうか? 私は随分と汗をかいたんだが、あの、君に抱きつかれているとだな、まあそのちょっと気を使ってしまうわけだな? うん」

 抱きつかれている、とようやくそこで認識したのか、思い出したように恥ずかしくなって急いで私から離れていった。くっ……名残惜しい。

 「あああの、あのあの、すみません。その、つい……。あたし嬉しくて……」

 伏し目がちに答える仕草のなんといじらしいことか!

 ああもう、胸が潰されそうだ!

 ……ずっとこうして居たいと思った。


 空を飛べるカザネは数少ない。半年前に集まった者の中で「綿吹き」を扱えるカザネはアイウェンディルだけだ。今、空に、私と彼女だけが居る。よく晴れた日、青い空は突き抜けて澄んでいる。悪くない時分ではなかろうか。もういっそ、これだけ苦しむなら楽になってしまおうか。ぽつりと呟くように気持ちを零してしまおうか。

 私の妙な気配に気が付いたのだろうか。アイウェンディルはどこか居ずらそうな、落ち着かなない顔で私を見つめている。いや駄目だ、今ではない。いいや、口になどしないさ。分かり切っていることだ。好きな人を困らせたくないものな。

 「ウェンディ、今日までありがとう。君のおかげでここまで来れた。この高み、この景色を、君と見ることが出来た。私は満ち足りているよ、心から感謝している」

 深々と礼をする。精一杯、心を込めて。気持ちは伝えない。そうとも、一期一会だ。自分で言ったのだ。これほど長く過ごさせてもらった、それで十分ではないか。

 「あたしこそ、ありがとうございますガディアンさん。本当に本当に、おめでとうございます!」


 晴れやかな気持ちで空を降りていく。私も随分と慣れたものだ、天性の感があるアイウェンディルとは比べられないが、これからは空を飛んで旅をすることが出来る。徒歩でいくからこその旅情というのもあるが、私は別に便利さ反対主義者ではない。船も使うし馬車も使うのだ、わざわざ大河を泳いだりはしないし、だだっ広い街道を走って行くこともない。飛べるのならば空を使わせて頂く。

 地に降り立ち、ガラドエル、ケレボール、子供たちから祝福を浴びる。

 誇らしい気分だ。まさかガラドエルに出来ないことを私が披露する日が来ようとは。

 「ガディアン! 見ていましたよ!」

 応とも! 褒めてくれ褒めてくれ!

 「誰も見ていないと思って空で抱き合うなんていったい何を考えているんですかぁ? いやーアツイアツイ見てるこっちがアツくて溶けそう! もしかしてもう夏が来たのかな、なーんて? いや春でしたか、これは失敬失敬!」

 酒場に入り浸る下世話オジサンか! 顔のいいお前が言うと違和感が物凄い!

 子供たちまでアツイアツイと囃し立てる始末。そう、このところそうなのだ。からかわれている。露骨に二人きりにされたり、聞いてもいないのにアイウェンディルの好みの花を教えられる。それはもちろん作ったとも、花冠を作って渡すと大層喜んでくれていた。アイウェンディルをウェンディと呼びだしたのも仲人気取りのガラドエルの発案だ。何の気なしの提案に見えて目の奥で楽しんでいるのが分かった。結局根負けしてウェンディと呼ぶことにした。アイウェンディルが満更でもなく嬉しそうにしてくれるのがまた私の勘違いを加速させた。

 茶化されるのを真顔でいなし、ともかくまずは休憩したい。そう思っているとアイウェンディルに袖を引かれる。けっこうな力だな! ぐいぐい引っ張られ連れていかれる。

「お疲れでしょう。小川で汗を流しましょうよ」

 このように、意外と強引なのだ。ヒューだがピーだか口笛が聞こえてくる。やめろケレボール! 御年三百歳だろう!

 横目でアイウェンディルを窺うと耳まで真っ赤だった。からかわれるのが嫌なら私の世話焼きなどせずとも良いのに、おそらく責任を感じているのだろう。招き入れたのはガラドエルだが、最終的な判断を下したのは風の巫女であるアイウェンディルだ。儀式に異物を、それゆえに失敗した。だからこそ挽回するため私を気に掛ける。律儀な人だ。

 

 小川から桶に水を汲んで一杯、頭からぶっかける。

 生き返る心地だ。上の服だけ脱いで体を拭けばいいと思っていたが、アイウェンディルに誘われ結局は小川で水浴びをすることになった。ちなみにこれは余談だが、いや本題なのか、彼女は全裸で水浴びをする。私は目を奪われそうになりながら視界の端に姿を捉えるに留める。初対面が懐かしい……あの頃の彼女は初心だったな……。

 「そういえば、ガディアンさんはいつも下の服は脱ぎませんね。何故ですか?」

 「それはまぁ、そういうものなのだ」

 前にこうして水浴びをした時も同じようなことを聞かれたな。後でガラドエルに聞いて知ったが、カザネの男は陰茎の格納が可能なのだそうだ。さすがに見せてはくれなかった。つまり下半身のそれが女と変わらず、それ故かカザネ同士は異性との裸の付き合いというのが緩い傾向にある。人族に当てはめるほど彼らも純朴ではないのだが、ここの暮らしが長くなりアイウェンディルは私に対して同種族と行うような自然な交流を持つようになった。それは喜ばしいのだが、私は所詮、人なので……。

 大変なのだ。意中の女性が裸で水浴びしていればどこの朴念仁でも私のようになろう。だからこそ、私は下を脱がない。私は獣ではない。脱いだとして、確認されれば聞かれるだろう。「それはどうしてそうなっているんですか?」とな。となれば私はどう説明すればいい?

 「いやはや貴方様のお体が非常に魅力的でうんぬんかんぬん、つまりは交尾したいとうことなんですな!」って、そんなことは紳士の私からとても口には出来ないのだ。猛るだけが戦いではない。耐えるという戦いもある。

 「ガディアンさん、見てみて!」

 見てと言われれば、見よう。耐えない時もある。

 「ほら、綺麗じゃないですか?」

 アイウェンディルは、風を操り、宙に水を舞わせていた。なんと流麗か。


 玉の形をした水をふわふわさせていたかと思うと一か所に集め出す。いくつも集まりそれはやがて柱となり、先の方から枝分かれしていく。枝分かれと表現したのは的を得ていた。何本も分かれ細かく広がり、幾重にも折り重なりそうして枝に葉がついた。アイウェンディルは水で木を形作った。よく出来ている。木の金型に水を流し込めばこうなるだろう。枝の一本、葉の一枚まで質感が表現されている。高い空から落ちる日光を受け、薄い水の葉っぱがきらきらと輝く。美しい。

 「素晴らしい出来栄えだ。よくそこまで操れるな」

 私もやってみようとしたが水の柱を作るのがせいぜいなとこ、枝を伸ばすことさえ難しかった。

 「玉風とはまた違った制御の方法が必要です。あたしは巫女なので出来て当然なんですが」

 謙遜して頭をかくが、この木の造形美は確かなことだ。

 「このまま飾っておきたいな……」

 「出来ますよ」

 はいっと、アイウェンディルは簡単に何か手で印を切った。あまりに気軽になんでもこなすのだ。

 「こ、これでもう崩れないのか?」

 「はい。留めました。あたしの力からも外しましたので、もう自立していますよ」

 「開いた口が塞がらんよ」

 ほとんど口を動かさずに言った。そういえば前にこんなやり取りもあったか。

 私の目に映る彼女は、ほとんど精霊と言ってもよかった。力の扱いは勿論。人の理を超えた存在だ。人でないので当然だが、つまりは規格外だということだ。だからこそ諦めることが出来る。

 今日という日が続けばいい。

 明日、私の修行完了が伝わって三日以内にカザネが集う。

 そうなればもう、本当の本当に終わりなのだ。私のせいで引き留めてしまった。旅に出たいだろうに、ガラドエルもケレボールも、アイウェンディルも……。儀式は必ず成功させる。世界の危機を救い、変わらぬ日に戻るだけだ。風のご加護をもらった私は存分に得をしたではないか。感謝の念しかないはずだ。

 だが、それでも、今日が終わらないでいて欲しかった。

 今を感じろ、少しでも長く、いずれ来る別れに備え、噛みしめる。

 時よ止まれ、そう願った。

 

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