風の始まる洞窟④
わたしの手伝いの甲斐もあってか、三日後の祭りには余裕を持って間に合わせることが出来た。
村に帰ってきたカザネはだいたい百人程か、もっと少ない集まりになるかと思っていた。いつもより気持ち多めの人数だそうな。カザネの総数が気になって質問したがさっぱり予想がつかないとのこと。世界中のカザネを集めても千人には満たないと思うとアイウェンディルは言うが、ガラドエルは少なくとも三千人は居るんじゃないですかね、と言う。その辺りの気にしなさはいかにもカザネらしくて面白かった。
この三日の間で百人がこの村に集まったが、皆、気さくな親しみやすいカザネばかりだった。酒好きも多く夜更けまで飲んで多くを語らった。
本日、ただ今より、世界に風を吹かせる神事が執り行われる。
儀式の時は夕暮れ、日が傾き空が赤く染まる頃、私とアイウェンディルとで準備したかがり火に囲まれ、厳かに……厳かには行われなかった。
一同は気ままな振舞いで雑談を続ける、酒を呷る者、寝転がっている者までいる。見物になるような大した代物ではないとガラドエルが言っていたが、確かにその通りだった。アイウェンディルはこの惨状を気にする風もなく澄ました顔だ。私の目にはひどい有様に映るが、祭りの時はいつもこうなのだろう。裸の風の巫女が今日ばかりは服を着ているのがいつもと違う神事らしさの精一杯か、二枚の薄布を体の前と後ろに張り付けただけの変わった服は巫女の礼装だそうで、大抵が暑がりの巫女には大変助かるのだとか。
緩み切った空気の中、儀式が始まる。かがり火を松明に分け、手に持って村の外れにある洞窟に向かう、中には小さな祠があり、そこの燭台に火を灯した後、五節の祝詞を読む。洞窟に入るのは祝詞を読む人間だけだ。通常一節と五節を巫女が読む。その他は適当なカザネが読むそうだ。今日は私が一節目を読む大役を仰せつかった。
古めかしい燭台に明かりを灯し、いざ、祝詞を。
一節 万物に御手が満つる頃から彼方 空は淵を開き彼の號が三度響く
二節 聖者不動 木も草も 死を運ぶ風とて隔てることはなく 滲むは慈悲
三節 蹲い乞う我ら敬虔なる風の御子なりて 頂きに逆巻く渦の一端を知る
四節 知るは風のみ 終わる頃にも違わず足るは風のみと知る
五節 故に 行方 在り方 寄る辺をここへ それが我が號 我らの法
朗々と読み上げた。
ただの一節とは言わない。神へ祈り捧ぐ聖なる言の葉だ。一度も声を震わせることなく読み上げたかったので何度も練習した。
「とてもお上手でしたよ」
「ありがとう。本当に良い経験をさせてもらった」
「そ、そんな、大げさですよ。さあ、外に出ましょう。今頃もう新しい風が吹いている頃ですよ。ガディアンさんが吹かせた風です。違いが分かるといいんですが……」
風の違いか……。はたして人の私に判別はつくだろうか。分かるかどうかはともかくとして楽しみではあった。これから先の五年、世界を駆け巡る風は一節分ほど私が吹かせているのだ。なんだか魔法使いになったみたいじゃないか。
洞窟の外に出て風を浴びる。
このそよ風が私の風、なるほど。中々いいんじゃないか? 心地よい風だと思う。
ふと思いついたのだが、これから先もし台風の被害があればそれは私の責任なのだろうか。強風で家の屋根を飛ばされた人が居たとして、さすがに私に文句を言いに来ることはないだろうが多少の責任はあったりするのか? などと馬鹿みたいな話を思いついてアイウェンディルに聞かせようとしたが……。
「……なぜ?」
何か、様子がおかしい。
「変わらない、変わっていない……?」
「アイウェンディル?」
「……村まで戻りましょう」
松明に照らされた彼女の横顔に焦燥感を覚えた。揺らめく明かりが顔に陰影をつけるせいだと思いたい。私が参加したことで何かが起きてしまったのだと、世界規模の歯車にズレを生じさせた等と、あまりに恐ろしい想像に背筋が震えた。
村へ向かい歩を進める。遠くからでも分かる。ざわざわと騒がしい。何に沸いているのか、穏やかな彼らが何をそんなに騒ぎ立てるのか、怖い。
「何があったんですか!?」
見えてきたカザネの輪から、いの一番に飛んできたのはガラドエルだった。いつもの余裕が感じられる顔ではない。胃が痛い。
「……分からない。あたしはいつも通りやった。ガディアンさんも上手に読んでいた。祝詞は一語も間違っていない。速度も適していた。きっといいのが生まれるって……そうだと思ったんだけど」
「……ガディアン、説明します。新しい風はまだ吹き始めません。予兆すらない。私が今まで生きてきて、風が生まれ変わらないなんてことは……祭りの失敗は一度もなかった。……これは、どうすれば……」
半ば予見した悪夢を改めて聞かされるのは堪える。私が、人なんぞが参加したから……。
世界に新しい風が吹かなくなれば、どうなるのだ……。
「こっ、これからどうなるんだ? 世界は、風が止まると……」
「……そうですね。風車は、意味をなさなくなるでしょうね。それから沢山の植物が絶えることになりそうです。種子を風に乗せて飛ばす種類、花粉も当然……。それから船も使えなくなって……」
……大問題だ。いったいどれほどの影響、人のみならず動物も植物も、私が手を入れたばかりにとてつもない変化を押しつけてしまった。どう責任をとればいい、私は、わたしは……。
居ても立っても居られず、思わず駆け出した。カザネ達の前に膝を着き、声を張り上げる。
「申し訳ない! 私のせいだ! 勝手をして、神聖な儀式に……。私が、貴方たちの厚意に甘えて、つけ上がってしまった。遠慮しておけば……。こんな、こんな取返しの付かないことを……」
頭を地に擦り付ける。どうすれば責任が取れる? 金や命で何とかなる事柄ではない。私は文字通り世界を変えてしまったのだ。出過ぎたことを、人の領分を弁えるべきだった。
石を投げられてもいいと思った。糾弾は当然、そう思っていたのだが、彼らは私をかばってくれる。貴方のせいではない。祝詞を読むのに反対した者はいない。今まで巫女を除けば誰しも真面目に読んでいなかった。誰が読んでも、どんなふうに読んでも恙無く進行した。言葉を間違えて読み上げたとしても風は正しく吹いた。だというのに……。
何故?
そこまで曖昧さが許されていた儀式の作法も今回ばかりはきっかりと守られていた。きっと今日の祝詞は稀に見る真剣さで読まれたことだろう。では何故、私が思うに理由はただ一つ。
「やはり、私だ。よそ者が割って入ったから……。混じり気のない儀式に、異物を混入させてしまった……」
顔が上げられない。彼らが何と言って庇おうとも明々白々、原因はどう考えても私にある。
故意でなくとも過失はある。過ぎた失敗はあまりに大きすぎる。
ほとんど半狂乱になりなって私は謝り続けた。
これからの対策について叫ぶような会議がそこかしこで始まっている。
事態の大きさに感情が動き、ほとんど喧嘩のような打ち合わせ。
土に額をつけるままの私を立たせようとする者。
混乱がいや応なしに広がる。加速する。
空気を変えたのは、一陣の風だった。
それから、喧噪の中で不思議と響く、柔らかな声。
「静かに、我らの神をお呼びします」
おそらく、アイウェンディルが風に声を乗せて一同に語りかけたのだ。
異変はすぐに表れた。カザネでなくとも風向きの変化が分かった。あらゆる物が一か所に吸い寄せられるように、アイウェンディルを中心に風が集まっている。アイウェンディルの体が仄かに光を帯び始めた。蛍ほどの光が、全てを巻き込む風に焚かれるのか光度を増していく、光が増す、輝きが増し続ける。
まるで夜の中、地に落ちた太陽のように、辛うじて光の中に人影が見えるほど輝き、唐突に弾けた。質量を持ったかのように光の粒が辺りにばら撒かれ、皆が腰を抜かす中でアイウェンディルだけが立っていた。
分かる。あれは巫女ではない。彼女の体を借りて、神が顕現しているのだ。
『……出てきたのは久々だ。まずいことになったな。前に外の者が読んだ時は上手くいったんだがな』
声はアイウェンディルの声だが、何十人分かのアイウェンディルが一斉に話すかのように声が重なっている。
『たぶんあの時は、一節目じゃなかったから、だろうな。あぁ……そうだ、そうだ。思い出した。一節目は交わした子だけと決めたんだったか、さて、どうするかね。風回しはこの世の機構だ、今更すげ替えるのは手間だ』
神の声は続く。
『式を返すしかないか。結びはアイウェンディルとガディアン。一年分の風はワタシが吹かそう。その間にガディアンよ、風を覚えろ。隙間の時間に式の登録を騙すだけでいい。一年以内に身につけ、古式に従いカザネと振舞え。古式は古株に聞け、この中ならケレボールか。では、励め』
ふっと、神々しい気配が消えた。あまりにも急だった。体から神が抜け落ちたアイウェンディルは目を虚ろにしたまま倒れこむ、近くにいた私が辛うじて受け止めた。瞳が中空を彷徨っているが、もう普通の彼女に戻ったことだろう。
それよりも、神の言葉はどういう意味だったのか。
腕の中のアイウェンディルは正気を取り戻し、こめかみを痛そうに押さえながら言う。
「と、とんでもないことになりましたね、ガディアンさん……。えと、まずは玉風の練習でもしてみますか?」
いや……。
その……。
手に負えない。
とっくのとうに私の力が及ぶ展開ではなかったと思う。
なるようにしかならん。どうにでもなれ。
だが、全力を出して何でもやってやる。
自暴自棄なような、
前向きなような、
自分でも整理がつかずに、訳が分からなくなってきている。
「これからどうなるんだろうなぁ……」
どこか他人事のように、ぼんやり呟くので精いっぱいだった。
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