風の始まる洞窟➁

 我々は山を登っていた。


 舗装のされていない道は足にくる。幸い諸手の山はごろごろした岩が多く、まだ歩きやすいと言えた。歩ける場所が殆ど砂礫で出来た山にも行ったことがあるが、稜線を歩く時などは気を抜くと大事になりそうで神経を使うのだ。


 我々は……そうそう、我々なのだった。

 私ガディアンと、酒場で意気投合したカザネの若者? ガラドエルとの2人で諸手の山の頂きを目指す。誰かと連れ立って旅路を行くのは久しぶりだった。賊が出ると噂の峡谷の街道を行った時は行商隊にお邪魔させて頂いたりはしたが、基本は一人だ。人に合わせるのが苦手で、歩く速度、休憩する時間、いちいち気にしてしまう。今まで私と組んで旅をした誰にも思ったことだが、遅い、長い、とイライラさせられてしまうことが多かった。


 ところが今回はまるでそんなことにはならない。ガラドエルの歩く速さには驚かされる。まるで急いでいないように見えてグングン前に進んでいく。そして休憩などいらんと言うように疲れ知らずだ。麓から今まで5時間は歩き通し、平らな道を5時間程度なら私も何ということもないが、山道を5時間は流石に堪える。途中で岩壁をよじ登るような難所がいくつもあったというのにだ。

先に音を上げたのは私だった。


「ガラドエル、少し……待って、欲しい。そろそろ休憩せんかね? 悪いが、少し疲れてきた」

「少し」疲れてきた、というのが何とも情けない。並大抵の疲労感ではないのだが、私のちっぽけな矜恃が邪魔をする。

 言い終えてから膝に手をついて肩で息をした。……あれ、そう言えば返事がない。もしや離されてしまったか? 急いで追いかけねば! 私の自尊心のために、と顔を上げたらガラドエルと目が合った。ほんの少し見ない間に大きな杉の木を半分ほど登りかけている。なんて身軽さだ。

「ガディアン、すみません。貴方がとても丈夫なので少し試してしまいました」

 なるほどね。

「それで! 合否はどうだね!?」

木の上のガラドエルに聞こえるよう声を張り上げる。息も絶え絶え、あぁしんどい。

「驚きました! 貴方ほど元気な人はそういません。さあ休憩にしましょう。私も少し疲れました」

言うが早いか、ガラドエルはほとんど飛び降りるように木から降りてきた。あれもおそらく風を使った技なのだろう。


 私は年季の入った背嚢を降ろし、ようやくの休憩をとった。革の水筒から水を一口、あぁ……染み入る心地だ。上着の懐から行動食のクルミを取り出す。砂糖衣のクルミを無造作にとって口に放り込む、甘味が体中に広がるかのようだった。

 腰を下ろして水を飲み、ぽりぽりとクルミをやっているとようやく一息つけた気分になった。

 ガラドエルの様子を伺う。退屈にしていたりはしないだろうか。本当はもっと早く先に進みたいというのにこの軟弱な人間め、だとか思われてやしないだろうか。

 「心配しないでください。本当に私も休憩したいところだったんですよ。いつもならもっとゆっくりと旅をしていますから」

 気取られた。つくづくよく出来た人柄だ。


 カザネというのは皆こうなのだろうか。身軽で丈夫でひょうひょうとしていて、気配りの出来る旅人なのだろうか。カザネという種族に聞きたいことは多かったが、行軍のような登山にほとんどお喋りする機会がなかったのだ。酒場で一緒になって諸手の山に行くと決めた時もあまり互いの身の上話まではしていなかった。


「なあガラドエル」

「はい。なんですか?」

「カザネというのは皆こうなのか?」

「こう、と言いますと?」

「あれだ。皆そんなによく動いて、それから性格もいいのかと思ってな」

「性格は、どうでしょうね。さすがに個人差があると思いますが。旅はみんなよくしていますよ。村の中でずっと生活するような者は一人もいません。カザネという種族の性なんでしょうね。文化と言えるかも」

 旅が文化、一族総出で旅に触れている……。やはり人の尺度では考えられないな。

「そうだ、あれを見せてくれよ。手で風を集めて……なに風だったかな?」

「玉風ですね」

 いいですよ。お安いご用です、と開いた右の手のひらを宙に掲げる。三つ数える暇もなくそれは出来あがった。言うなれば、手のひらの上で凝縮した玉の形をする竜巻か。白いぼやぼやした見た目の玉は一見すると美味しそうにも見える可愛らしい見た目なのだが、その実おそろしい威力を持っている。ガラドエルが手のひらの上に浮かせていた玉を適当な岩壁に投げつけた。投球というよりは風に乗せて運んだようなふわっとした軌道だ。玉は着弾したと同時に物凄く硬質な音を立てて岩壁を削り上げる。範囲にして大人五人分は巻き込めるか、人に当たったらと思うと……考えたくもないような惨い死体が出来上がることだろう。

「いやはや……恐ろしい威力だな」

「僕のはまだまだ未熟ですよ。300歳を超えたカザネなら家を吹き飛ばせるくらいの威力は出せますから」

「驚いて声も出せんよ」

「声、出てるじゃないですか」

 アハハ、と無邪気そうに笑う。彼が朗らかなやつで本当に良かった。

 あと300歳というのに驚きそびれた。


 カザネというのは本当に人間離れした連中だ。聞けば聞くほどに底が知れないと思わせられる。

「まあ実際に人間ではありませんからね。獣が走るのを見て、人間離れしているなと感想を持つことはないでしょう? なまじ外見が人に近いので目に付くだけだと思いますよ」

 この通り、驕ることもないところがまた凄みを感じさせる。

 カザネという一族はこの世に風を運ぶ役割を持った種族なのだそうだ。にわかには信じられなかったが、彼の大真面目な語り口と、実際に風を意のままに操る力を見れば信じられた。

 風はどこから吹いてくるの?

 子供の時はそんなことを思ったこともあったが、よもや特定の種族が吹かせていたとは思いもよらなかった。彼らカザネの故郷にある洞窟、そこから始まる風が世界を巡り、満たし、そして今日も回っているのだ。その洞窟には神を祭る祠があり、五年に一度の祭事を執り行うことで世界に風が吹くのを絶やさぬようにしているそうだ。私はまるで神話の一節を聞かされたような面持ちであった。


「そういえばガラドエルはいつから旅をしているのかね」

「十二歳ですね」

 じゅうに!?

 そんなことあり得るのか!? まだ子供ではないか!

「人と違ってカザネは成長するのが早いんですよ。十歳が成人で、八歳くらいに見た目は完全に大人になっています。さっき見せた玉風というのが使えるようになれば旅をする許可が出るんです。僕は十二歳の時に習得しましたので、そういう理由です」

「いや、しかしだな! 旅費はどうするんだ? 旅は何かと入用だろう。着の身着のままというわけにもいかんし、そんな子供では食事にありつくのもままならんのではないか?」

「それがですね。カザネは食事を必要としないんです。食事するカザネもいますが、大抵の者は排泄の手間が増えるのを嫌って食べたがりません。水と酒はそこそこ飲みますが、それでも人と比べるとずっと少ない。確かにお金が必要な時もありますが、そこはまあそれぞれ知恵をつけて何とかしていますよ。私の場合は風を使った大道芸をやったりしましたね」

「空いた口が塞がらんよ」

「せめて口を開けたまま言って下さいよ」

またアハハと笑う。ガラドエルは私のしょうもない冗談をけっこう笑ってくれる。

「親は心配しないのか? いくらなんでも十二歳で一人旅など」

「カザネの第一の欲求は旅をすることなんです。食べる欲求の代わりに放浪することが大好きなんですね。それに、子が十歳になったら親もほとんど旅を再開しますよ。家族への愛情がない、とまでは言いませんが人と比べると段違いに落ちるでしょうね。十歳以降は村に居る爺様や婆様が育てる役目を担うんですよ」

 聞けば聞くほど人間とは文化が違う。旅が文化というのも大げさな話ではない。


「そろそろ行きますか?」

 ガラドエルが横目で登る道をちらと見て聞いてくる。私は頷いた。十分な休息となった。頂上までもう一息だ。荷物を担ぐ前に気になっていたことを聞く。話の途中から気にはなっていたのだが、ガラドエルの話が口を挟む余地のないほど興味深くて止めておいたのだ。彼はさっきから何度も両手を擦り合わせゴシゴシとやっている。手を洗っているかのようだ。

「ガラドエル、その手は? また風の技かね?」

「はい。祈り縄と言います。風を細く編んで縄のようにするんです。この先ちょっと急坂が多そうなので必要かなと」

 私もそろそろ必要かと思っていたところだ。

 ガラドエルなら風を使って飛んでいくくらいのことはしそうだが、意外と地に足ついたことをする。空は飛べないのかと聞いたら笑われた。意外だった。笑われるくらいのことなのだろうか、それほどのことはやってのけそうなのだが……。と思ったら、400歳を超えないとそんなこと無理だと、ほら!結局飛べるんじゃないか!


 休憩終わり、山登り再開後はここまでの強行軍を思えば随分と楽だった。

 道の険しさは増したがなにせ速度が違う。お喋りに華を咲かせる余裕があるくらいだ。

 さっき話したカザネが五年に一度行うお祭りのことを聞きたくて話題に出した。

 「あぁ、いいですよ。お話し致します」

 とは言っても、人族のお祭りと比べると退屈なものだとガラドエルは言う。

  露店は出ない。余興もない。五節の祝詞を読み上げれてそれでお終い。後は酒を飲むくらいらしい。

なんとも簡単なものだ。

「それで? いつ世界中に風を吹かせ始めるのかね?」

「祝詞の後ですよ。詠み終われば勝手に新しい風が生まれます」

「もっと厳かな想像をしていた……。もしくは豪華絢爛なものを」

「そう大層なものじゃありませんよ。私たちはけっこういい加減な生き物なんです。風を回す役目があるのは知っていますが、それも祝詞を読むカザネがいればそれで足りますし、5年に1度すら村に帰らない者も大勢います。私はいつも参加していますが、それでも父と20年くらい顔を合わせていません。今年は来るのかな……。20年も合わないと頭の中で顔がボヤけてくるんですよね」

 ですよね、と言われてもちょっとその感覚は分からない。私も旅暮らしだがちょこちょこと親の顔くらいは見に故郷へ帰る。まあ、孝行息子とは言えないだろうが。

「そう言えば、祭りはいつやるんだね?」

「三日後です」

「ここから近いのかね? 子供の頃に聞いた話では西の果ての洞窟というから、地の果てのような場所だと思っていたが」

「いえ、遠いですよ。まさしく地の果て。大陸の最西端にあります」

「……いや、待ってくれ。……間に合わんのではないか? ではないかというよりどう考えても間に合う距離ではないぞ。空でも飛んで行ければ分からんかも知れんが……」

「そのまさかです。飛んで行くんですよ」

 おいおい、確かガラドエルは飛べないのだろう。400歳のカザネなら飛べるとか何とか言っていたが……。それにだ、風の妙技を軽んじるんわけではないが、大陸の西の果てまであと3日というのはいくらなんでも距離があり過ぎる。これは何か種があるな。いったい何だろうかと短い間に考えを巡らせていた私に、ガラドエルが思わぬ誘いを口にした。

「村にいらっしゃいませんか? ガディアンが良ければですが」

 思ってもみなかった。部外者がカザネの故郷に踏み入ってもいいのか。

「いや、構わない……というより、嬉しいくらいだ。そんな貴重な体験をさせてもらえるなど、考えもしなかった」

隠しようもないほど私は嬉しそうだったのだろう。それを見てガラドエルも微笑む。しかしどこか遠慮がちな雰囲気だ。

「あの、村に入るのに何も問題はありませんが、あまりもてなしは期待されないほうがいいかも知れません。 今まで外から人が来たことは、私の知る限りではなかったと思います。邪険にはされないと思いますが、たぶん客人のお相手というのが私も含めて分からないと思うんです」

 なんだそんなことかと笑い飛ばす。

「気にしないでくれたまえ。カザネの生活をそのまま見られればそれで十分。金を払ってでも行ってみたいと思っていたところだ、まさかそちらが誘ってくれるとは」

「ガディアンは私の旅道楽の仲間ですからね。きっと村の皆ともすぐ仲良くなれますよ」


これは、長い付き合いになるかも知れないな。

 旅をしていると見聞は広がるが、友は減るばかりだ。なにせいつもフラフラとしているのだから仲良くしようがない。ガラドエルとも一時の旅仲間だろうが、そうだ、例えば半年後にあの街のあの酒場で会おうとか、そんな約束を交わせるかも知れない。離れたとしてもガラドエルも私も旅人だ。己が進むどこかの道で、ふと、こう思う。彼はいまどこを歩いているのかと、こんな関係も良いものだと思うのだ。

……おや、私が一人で感傷に浸っていたら、山の頭がついに見えてきた。さあ、いざテッペン。既に景色はすこぶる良い。目線が高いというだけでこんなにも心が感動する。自分で登ったからこそ、喜びもひとしおだ。


 風が強い。だが、澄んだ空気は気持ちが良かった。

 眼下に広がる景色に何とも言えぬ充実感がやってくる。

 頂上についてからというもの、ガラドエルは何かを探してあちこちきょろきょろとして回っていた。落とし物でもしたのだろうか。彼の荷物は肩掛けの鞄くらいで、今のところその鞄からなにかを出した試しはなかったと思うが、まあ聞いてみるか。

「ガラドエル、犬みたいにウロウロしてどうしたのかね」

「……えっと、この……あたり……だと、んー……ん……」

風が強くて聞こえていないようだ。しかし、こんな頂上に何があるというのだろうか。いやもちろん最高の景色がここにあるのだが、わざわざお山のテッペンまできて地面を見ずともいいだろうに。

「ガラドエル! どうかしたのか? 何か手伝えるかね?」

「あ! 見つけた!」

 少し興奮気味なガラドエルが珍しくて私も気になってきた。ガラドエルが探していたのは、なんだろうかあれは。銀色の、背の低い木のように見える。雑木林の中にほとんど埋もれていて分かりにくい。確かに物珍しいが、なんだかそれだけではない気がする。私が聞くより前に彼が説明を始めた。

「いやぁようやく見つけた。この辺にあるのは気配で分かっていたんですが、これだけ埋もれると中々に大変でしたね」

「これは何なのかね? 初めて見る……。木? でいいのだろうか」

「これはですね、銀竜門と言います。何千年も前に魔術師に教わ……。あっ」

「……。ガラドエル?」

「間がいいのか悪いのか……。まあ、仕方ありませんね。ごめんなさいガディアン。着いたら説明しますので、愚痴もその時に聞きますから」

ごめんなさい、と訳も分からず謝られ、私は手を引かれた。どういうことだろうか。彼の様子から察するにあまり時間の猶予がないようだが、今から何かす―ー。

 

 思考は吹き飛ばされた。

 轟く風が私を包む。いや、包むという表現はおかしかった。風が、風が私を引きずり回す。

 今まで生きてきた中で感じたことのない強い風が私の全身を打っていた。

 大竜巻の中に叩き落されたかのようだった。

 なにが起きた。

 いまどうなっている。

 目を、どうにか開ける。風が強すぎて涙が滲む、滲むそばから涙が散る。

 私は、飛んでいた。空を。

 ガラドエルが何かしたのだろう。だが、なんだ、なんだこれは!

 先ほどまでいた山がはるか後方にあった。諸手の山がちっぽけに見える。いったいどんな高さで飛んでいるのだ。それから、速い! 速すぎる! 耳元で風の子に大声で怒鳴られるような風の音。

 これか!

 これで飛んでいくということか! 

 風が私の体を突き抜ける。

 もはや比喩ではないような気がする。目を、耳を。

 いや、皮膚の隙間から風が暴力的にねじ込んでくる。

 身が裂けるかも知れないと思った。精神が無理やりに引っ張られるような気がした。


 正直に言うと、死を覚悟するほどの恐怖だった。

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