風の始まる洞窟

著:ガディアン


 旅は素晴らしい。

 根無し草と言われようと、旅路の前には何もかもが霞む。

 無類の旅好きの私だが、世界で一番有名な旅人とは誰だろうか。

 それは勿論ガディアンだと読者諸君が口を揃えて言ってくれる姿が目に浮かぶ。

 冗談はさて置き、おそらく世に知られた「風の旅人」の主人公だろう。

 あの有名な童話の元となった種族を知っているだろうか? 「風の旅人」の主人公は年を取らず、

 綺麗な緑の長い髪をひらひらさせながら旅をしていたが、あの人物に実はお手本があったのだ。


 「風はどこから吹いてくるの?」


 唐突に流れを切って悪いが、書き間違えたわけではないので安心して欲しい。

 無邪気な子供が聞いてきそうな質問だが、これの答えに窮するものはそういない。

 答えは大抵、「西の果ての洞窟から吹いてくる」と、そう答える。幼いころの私も親からそう教えられた。近所の子に「風って西の洞窟から吹くらしいよ」と教えてあげたら「知ってるよ。俺も母ちゃんから教えてもらった」と言っていた。誰でも知っている事実だ。だが、一歩踏み込んで考えてみて欲しい、子供の頃は「なぜ洞窟から風が吹くの?」とか。「その洞窟からしか風が吹かないの?」とか。「東の洞窟じゃダメなの?」とか。世界各地のなぜなぜ坊やの疑問には一つとして答えがあっただろうか? 子供をかわす嘘ではなく、なにゆえ西の洞窟から風が吹くのか真実を知る者はそう多くない。私は知っている。それをお聞かせしよう。

 

「風の旅人」「風の始まる洞窟」

 これらはどちらも同じ存在が強く関わっている。

 通称「カザネ」

 「風の音」と言う人もいるが、私としては「風の根」の方を推したいところだ。

 西の果てにある小さな村の少数民族であり、生まれながら旅人の気質を持つ風来坊たち。

 彼らの生き方や文化、考え方、生活様式は非常に興味深いので旅好きの貴方は是非とも一度、村に足を運んでみて欲しい。


 まずは何から語ろうか。

 とっきやすいように昔話でも挟もうか。

 あれは、そう。良く晴れて風の穏やかな日だった。いや、どうだったかな、天気は忘れた。

 私はその日、真昼間から酒場に居た。朝からずっと酒場に籠って水みたいに薄めた酒をなるだけちびちびとやりながら過ごしていた。次はどこの方面へ足を向けるか地図を見ながら旅の計画を練っていたのだ。

 北に行こうか、諸手の山へはまだ行ったことがなかった。あのおかしな形の山を一度は登ってみたかった。南もありだ。両断坂を超えたらそこはもう夏の陽気の常夏地帯。海水浴も悪くない。旅は道中も楽しいが、立つ前のこの時間も悩ましいほどに楽しい時間だ。頭を使うと腹が減る。朝から薄い酒ばかりで腹の虫が不満げだったのか、ぐうと鳴って抗議している。

 おおい、と店員を呼んだがどうにも耳の遠いご年配でなかなか気付く素振りがない。自分で行ったほうがはやいと思った私は地図を胸ポケットに入れて席を立った、勘定台へ向かうその途中、彼に出会ったのだ。


 彼は珍しい緑色の髪をしていた。街の若者がやるような色むらのある染髪ではなく、等しく均一な色味の緑だった。まるで深い森を思わせるような濃い緑だ。少し癖のある緑髪は肩口ほどまである。一見して女だろうと思ったが、いやいやよく見るとどうも男にも見えてくる。どこか浮世離れした姿で、中性的で判別が付かない。持ち物や衣服も妙だった。肩から下げられる小さな鞄に、修道服に似た簡素で白い服。変わった格好だ。旅人でないことはすぐ分かったが、なぜこの酒場にいるのか。街の者ならもっと賑やかで美味いものが出る店へ行けばいい。ここは流れ者に向けた場所だ。

 気になってつい声をかけた。こういう性分だから旅人なのかも知れないな。


「やあ、初めまして。つかぬことをお聞きするが貴方は街の者ですかな?」

「いいえ」

 緑の髪の人は穏やかな声でそう言った。

 何か書き物をしていたらしいが手を止め、顔を上げて私の方に向ける。髪もそうだが、空色の綺麗な目が印象的だった。

「私は旅人ですよ」

「旅人? それにしては荷物が少ない」

「あぁ、そうですね。よく驚かれますよ」

 にこりとしながら言われる。

 なんというか、掴みどころがないというのだろうか、ふわふわとした浮雲のような感覚。

「それで、なにかご用でしたか?」

「いやはや失敬、用という程のことはないんですがふと気になりましてな」

少ない手荷物、身軽な服装、ここが街はずれにある旅人に向けた酒場であること。

初対面の相手に向かってずけずけと当てっこ遊びとは、些か失礼だったかも知れない。だが、それよりも気になってしまったのだ。緑の髪の人は特に気にした様子もなくさらりと答えてくれた。

「よく観察していますね。いや、一目見れば分かるんでしょうか。まあともかく、私について知りたいと、そういうことですね?」

「ええ、まあ」

そこで彼はこれ見よがしな態度を取った。あまりに明け透けで笑いそうになった。

「是非ともお話しさせて頂きたいところなんですが、あいにく今日は喉の調子が悪いんです。よく冷えた麦の香るやつを一杯クイっとやれば調子もよくなって話せそうなんですが……どう思われます?」

いいとも。冗談の好きそうな彼に付き合ってやった。

「喉が!それはお可哀そうに! そういうことでしたら麦酒を一杯驕らせて頂きましょう。ついでにさっきそこで買ってきたこの薬もつけましょう。良薬口に苦しと言いますがこれはまさにそう! 苦虫を噛み潰した男が苦すぎて吐き出した苦虫だけを集め煎じたというこの薬、なんと偶然、喉によく効く霊薬と賜って買ったのですが、ここで会ったも何かの縁、貴方にご馳走する麦酒にこれを混ぜて差し上げましょう!」

 一息によくこれだけ出たものだと自分でも関心した。先方は目を丸くする。それから喉が痛いのを忘れてしまったのか大笑いしたのだった。

「楽しい人ですね。いやぁよく笑わせてもらいました。いいですよ。笑いの礼に麦酒はなしでお話ししましょう」

 冗談が思いのほか好評で気をよくした私は、結局麦酒をおごることにした。ただでいいとは言われたが、酒が入れば余計に詳しく話してくれそうだと思ったのだ。


 二人で麦酒をやりながら話を始める。

 緑の髪の人は、自分のことをカザネのガラドエルだと言った。

 カザネ?聞いたことのない言葉だ。

 出身のことだろうか。聞き返せば種族だと言う。ますます聞いたことがない。

「もしかすると別の言い方で伝わっているのかも知れませんね。別称では風の人とか、旅をする人とか言われますよ。私たちの一族は数が少ないので、あまり知られてもいないのでしょう」

 風の人、旅をする人…。まるで生まれついての渡り鳥のようじゃないか。ちょっと対抗心が出てきた。今までの旅路を目に見えるように換算する魔術でもあれば話は早いが、そうも行かないので話を振った。

「今までどこを旅されてきましたかな?」

 旅の経験値を知るにはどこに行ったのかを聞く。これが早い。

 巡ったところを私とガラドエルとで順番に挙げていった。なるほど主要都市には大抵足を運んでいる。とはいえまだまだ、行商人であれば珍しくもない話だ。……ほう、あの名山と名高い六龍山を登ったと。ならばこちらは型切り半島十三景が1つ、理王山を持ち出そう。だったら、と百流河川の源流を見たとガラドエルが言う。負けじと私も黄水晶の洞窟探検の話を持ち出した。土産話の合戦で私が負けたことなど一度もない。お見逸れしました! と私の見聞を認めてるくれる人ばかりだったのだ。

 だというのに、このガラドエルとかいう若者は……まるで話の種に底がないかのように私とやりやっているではないか! 正直言って並の驚きではない。そして私の持ち弾に底が見えてくる。そんなまさか、こんなことがあろうとは夢にも思わなかった。全弾を撃ち尽くした私は恐らく間の抜けた顔をしていただろう。ガラドエルはそんな私を見て笑う。だが嘲笑じみてはいなかった。ガラドエルは私の旅路を認めてくれていてのだ。


「ガディアンさん。驚きましたよ。まさか人の身でここまで旅慣れた方がいるなんて、私が今まで話した人族の中で一番の経験者でした。お見事!」

……良い若者だ。

私より一回りは若いだろうに年長者を立ててくれるとは。素直に負けを認めざるを得ない。

「いや、見事なのは君のほうだ。その若さでよくぞそこまで見て回れたものだ。天晴という他ない」

「いえ、私はそんなに若くありませんよ。今年で88歳です。カザネの中では若い方ですが」

はちじゅうはち!?

「お爺さんではないか! いや、お婆さんなのか!? すまんが君、年齢もそうだが性別はどちらだね?」

「男ですよ。カザネ以外には分かりにくいらしいですね」

「男……なのか、女と言われても信じられる……。いやそれよりは年だ、八十八!? 冗談だろう?」

「そんな変わった嘘はつきませんよ。長命種族に会うのは初めてですか?」

「いや、火の森の奥で魔術師と会ったことがあるが、二百歳だと言っていた。ああ、だが、彼は普通の人間だったか、ほとんど人を超えたような見た目をしていたが、長命というより術で延命しているだとかで、そんなのが普通の人間と呼べるかというと首を捻りたくなるが……」

「つまり長命種族に会うのは初めてなんですね」

 その通りだ。ちょっと話がそれてしまった。いかんいかん、動揺している。

 まさか長命種族に会う日が来ようとは……。


 しげしげとガラドエルを眺める。

 長命種族とは、物語によく登場する者たちという印象が強い。有名どころであればやはり竜種が挙げられるだろう。逸話に事欠かぬ彼らはいつの世も力の象徴だ。人よりも神に近いような存在がいま、私の前に居て麦酒をうまそうに飲んでいる……。


 





 

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