粘性流体生物③

著:ブレイメーン


 日差しの眩しさで目が覚めた。

 心なしか黄色く見えるような太陽は天高く、たぶんお昼をすっかり回っている。

 体が重い、昨日あれからどうなったのかあまり覚えていないが、はだけた衣服と荒れた寝具は物言わぬ証拠のようだった。

 わたし、もしかして魔物と一夜を明かしてしまったのだろうか。まともな初夜もまだだというのに、まさかそんな人間以外で? 思わず下半身に手をやった。判定は……分からなかった。なにせ経験がないもので、そもそも体中が粘液に塗れていて余計に判断がつかなかった。体を改めるうちに寝起きの頭も晴れてきた。問題の粘魔はどこへいったのかと思い至る、ぐるっと見回しても家の中にはいない。ケリーが私の起きたのに気付いて尻尾を振っている。


 夢だったのだろうか。

 そんなわけはないと思うけど……。

 体を拭いて着替えていると、唐突に玄関の戸が開いた。

 粘魔? 反射的にそう思うと同時にとてつもない違和感がやってくる。

 戸を開けた私は、そう、私が開けているのだ。私にとてもよく似た私より何倍も可愛らしい私だ。潤んだ瞳と品よく笑う口元、髪型も私と同じなのにさらさらと流れる髪質の良さのせいで印象がまるで違う。ついでに私と違う点を挙げるなら、この私は裸だというところだ。白い肌の私が隠しもせずに堂々としていてこっちが恥ずかしくなってくる。

「ちょっと、その、なにか着てくれないかな……」

「あー、そうか。そのほうが自然なのかな」

 ……喋った。返答が、まさかあるとは。いま間違いなく粘魔が喋っていた。私の声音を少し低くしたような声だった。

「あんまり着たくないな。真似したほうがいいかなって思ったからさっき布を巻いてみたんだけど、やっぱり落ち着かない心がしてさ、でも、確かにみんな何か着ているよね。これだと目立つのかな、ヘンかな?」

 すっごいスラスラ話す! ちょっともう何が何だか……。

「昨日はね、あなたの喉を見てたんだよ。あたしたちは声を出す形をしていないから、人はどうなのかなって思って真似してみたんだ。ちゃんと話せてる?」

「……うん、話せてる、話せてるけど」

「けど? やっぱりヘンなところある?」

「いや、ないけど、なさ過ぎてヘンっていうか、ちょっと待って……聞きたいこと多すぎ……」

「そうなの? ぽこぽこ聞いてよ」

 何だかちょいちょい言葉が変だな。あとは発音だとか、言葉を覚えたてだからだろうか。まあ置いておいて、粘魔のことを聞いていく。

 

 粘魔に名前はない。

 雌雄同体の生き物で子を産むということはない。

 種の繁栄は分裂によって行われる。太古の時代、かつては十匹にも満たなかった原初の粘魔がそれぞれ分裂、親から分裂した子(同一体なので親子ではないが便宜上と親子とする)がまた分裂……という仕組みで世界中に散らばったらしい。分裂した瞬間に子が親の記憶や知識を引き継ぐかどうか、親の粘魔によって決められるそうだ。ちなみに私の目の前にいる粘魔は知識だけを受け継いで分裂したらしい。この子の親が分裂した理由は大型の猪を捕食した際、体内で猪を消化中に別の獲物を見つけそちらを食べたくなったので分裂したんだとか。猪を消化中の胃(人間が胃を切り離せば死ぬと思うけど……)だけを分裂、別の獲物を目掛け走る親、生まれてすぐ何故だか分からないが体内に食べ物が入っている子どもの粘魔、という構図だった。

 記憶はないが知識は引き継がせてくれたおかげですぐに状況は理解した。親子の別れに悲しむということはなかった。粘魔は同種の社会性など皆無の種族だ。身を守るために分裂し、子を囮にして逃げることさえあるのだとか。


 この粘魔は特に大きな問題もなく何百年か生きてきたそうだ。

 とある時は沼の底で死んだ魚を食べて過ごしたり、またある時は絶えず霧が出る森の奥で苔を食べたりして暮らしてきた。知識を引き継いで分裂できる粘魔は少ない。自分の体を分けるわけなので親の体力は一時的に落ちる。記憶は知識は与えれば与えるほど疲れるのだそうだ。よほどの好物を見つけ慌てて体を分けたのだろう、その時に誤って大量の知識も継がせてしまったのだと思う、と私の姿をした粘魔が語る。

「あぁ、そうだ。話の途中なんだけど、お願いしてもいい?」

 わくわくして話を聞き入る私に、粘魔は首を傾げながら言う。人間の仕草を模倣だろうけど、動作があまりに大げさで体が思いきり傾いでいる。腰が人間ではあり得ない角度まで曲がっている。

「あたしに名前をつけて欲しいんだ」

「名前? 意外だね」

「憧れだったんだ。人間みたいにさ、呼ばれてみたくてさ」

名前か……。うーん、と私は唸ってみる。じゃあ、

「じゃ、プーニャ」

 まるきり語感で決めた名前だ。ぷにゃぷにゃしてるからプーニャ。

「ふーん? プーニャ? 分かった」

 もうちょっと喜んでくれるかと思ったけどかなり素っ気なかった。人の見た目をしているのでついつい人間っぽいやりとりを想像してしまう。

 

 名付けも済んだところでプーニャがまた話し始める。

 プーニャは旅が好きな粘魔だった。人間以外の生き物にも旅という考え方があるのかは知らないが、プーニャは旅という言葉を使って話す。

 旅はいい、聳える高い山も、小ぢんまりとした小山もいい。死骸が浮かぶ毒沼も好きだが、清水が落ちる滝も好きだった。色んなところに行き、色んなものを見た。中でも見ていて飽きないのは人の作る街並みだった。よく見て回るために街中の井戸に住み着いたこともある。洗濯場も兼ねていたそこは人の行き来が激しく、耳をそばだてているうちに人の言葉も覚えていた。話す言葉が分かるようになると人間の会話は面白い。そしていつの間にか人間が好きになったそうだ。


 人との触れ合いを求めて井戸から這い上がった日はよく覚えている。声の調子は些かも変わらずプーニャは続ける。

 騒がしくも明るかった洗濯場に小さな悲鳴が上がった。驚きすぎて思わず息を飲んだ小さな悲鳴、それを皮切りに連鎖的に騒がしくなった、明るさは消え混乱が巻き起こる。プーニャもほとんど予想はしていたそうだ。人間は魔物に友好的ではない。粘魔を見た人がどんな顔をするのか想像は出来ていたが、それでもその顔を見てみたかったのだ。蜘蛛の子を散らすように井戸から離れる人々、井戸の淵に体を預け、プーニャはぐるり街と人を眺める。今までは目立たないよう夜に見て回っていたが、日の光の下で見るその光景は格別のものだった。煉瓦を積んで作られた赤茶けた家々、顔を強張らせる人々。緊迫した空気の中、プーニャだけがほのぼのとしていた。

 街に住んでみたい、もしここで暮らせたらどれだけ楽しいだろうか。そんな夢想をしていたら何か鋭いものを飛んできた。槍だ、投槍。銀に光る穂先が一直線に向かってきた。プーニャはそれを難なくかわす。薄緑色の水飴がぐるりと弧を描き、槍はあえなく石畳に転がった。別に避けなくともよかったが反射的に体が動いた。槍の一本や二本なんてなんの脅威でもないのだ。粘魔への有効打は一般的なものだと「切る」動きだ。しかしそれも一太刀で切断するほどの技量がいる。魔術師の扱う炎や氷など極端な温度変化が最もよく効くが、魔術師は衛兵や傭兵と比べてその辺を歩いているわけではない。


 はっきり言ってその街にプーニャの敵はいなかった。

 衛兵が集まりよってたかって突いてくる。命にまで危険が及ばない攻撃だ。だがよけ続けるのも面倒で、槍に刺されるのも楽ではない。一応は体に異物が入るのだ。少し鬱陶しく感じ、プーニャは衛兵を一人突き殺した。槍を真似て体を尖らせてみたら意外とうまくいった。衛兵の直線的な攻撃と違い、プーニャの槍は柔軟だ、伸び、縮み、穂先の形さえ自由に変えながら衛兵の体を抵抗なく貫く。

 三人殺したところで空気が変わったことに気づいた。やんややんやと息まいていた衛兵の顔が青ざめている。勝てない相手だというのが分かったのだろう。包囲網が緩んでいるすきを見つけプーニャは走り出す。今のような二本脚ではなく、球が弾むような放物線をいくつも描き街を飛び出した。粘魔は基本的に動きの遅い魔物だと言われているが、それは体の使い方を知らない若い粘魔の話だそうで、知識を引き継いで生まれた粘魔はそこらの兵士程度では捉えられない速度を出して移動できる。

「それからどうなったの?」

 体を前のめりにして聞く。話の続きをせがむのはいつ以来の興奮だろうか

「それから、ここにいるよ」

 指で床を「ここ」と指しながらプーニャは答えた。かなり人らしい身振りだったが、指先がぷるんと震えたので笑ってしまう。おしい。

「人の真似って難しいな」

「でも、良く出来てると思うよ。ぷるぷるしてない時は人にしか見えない」

「ほんと!? うれしいなあ」

 嬉しそうな時はもっと嬉しそうな顔をしたほうが人っぽいよ、と教えてあげる。声ばかり弾んでいて顔が真顔だから少し不気味だった。粘魔には顔というものがないので表情の再現は特に難しいらしい。

「ずっと君みたいな人間を探してた」

表情がうまく作れないから真顔なんだろうけど、真面目な顔でそんなことを言われるとどきまきしてしまう。プーニャは自分を怖がらない人を探していた。井戸から這い上がって混乱を招いたことで一つ学んだのだ。それからあちこちを渡り歩き人里離れた湖のほとりに一人で住む私を見つけた。私も初めは怖がっていたが、自分でも驚くほど順応している。元々が人嫌いなので理解の外に居る魔物の方が気が合うのかも知れない。


「一緒に旅に出よう」

 唐突にぽろり、何気ない意味不明な提案。

 え、なんで、と口を突いて出そうだったが、いや、それも案外悪くないだろうか?

 こんな機会でもなければ、ただ何となく生きていただろう。食べるための金を得るために雑貨を作って、街に売りにいく。それなりに売れる私の作品は欠かさず満腹を与えてくれたりはしないが、それでも飢えはそれほど知らずに生きてこれた。何か大きな買い物がしたい時は少し面倒だが仕事を探したりもした。読み書きが出来たので郵便の仕事をよくやっていた。稼いだらまた湖のほとりへ帰る。動物について書かれた本を読み、傍らのケリーを撫でる。人嫌いの私はたぶん結婚もしないのでずっとこの調子だろう。この平和をいつまでも続けると思っていた。

 旅、旅に出る! この私が。

「いいかも」

 ぽつり心の声は漏れ出ていた。いいの? と内心では焦る自分もいたが、何だか本能はすでに全てを決めてしまったかのように、荷物を背負い街道を行く私を思い浮かべていたのだった。


 今では魔獣使いの異名を取るこの私にも、こんなに初心な頃があったのだ。

 それでは今日はこの辺で、書きたいことは山ほどあるが、何から書いていいやら……。

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