粘性流体生物➁

著:ブレイメーン


 おはようございます、私の名前はブレイメーン

 粘魔を家に引き入れ一夜を明かした私は、翌朝、目が覚めると捕食されていた。

 綿広草のベッドの上、粘魔は楕円の水たまりのように広がって、私をほとんど飲み込んでいたのだ。


 重い、体にまとわりつく薄緑色の澄んだ粘液に沈んでいく。僅かに指が動くが、抵抗はそこまでしか許されなかった。沈む速度は決して早くない。なめくじが這うくらい遅々として飲まれていく。その遅さが、それだけ余計に恐怖心を煽った。ケリーと目が合う。たすけて!と叫ぼうとした口が薄緑の沼に沈んだ。せめて粘液を飲まないよう口を閉じる。ケリーは騒ぎ立てない。たぶん理解していないのだろう。機嫌良さそうに尻尾なんて振っちゃって……。君のご主人は死ぬかもしれないって言うのに……。

 そうこうしているうちに鼻先までとっぷり沈んでしまった。

 ……。いつまでも、息は続かない。

 でもだめだ、こんな、粘魔の粘液なんて体の中にいれたら……。余計に苦しくなって悲惨なことになる気がする。あぁ、たぶんいま顔が真っ赤になっている。空気が吸いたい、空気が、深呼吸したい。

 耐えきれなくって喉を開いてしまった。

 ゴボリ、どろどろの薄緑が私の喉をずるずると流れ込んで死に至らしめなかった。すー……と、空気が肺に満ちる。限界まで絞った胸がそのまま何度も上下する。吸って吐いて吸って吐いて……。粘魔の中で息が出来ている。

 えぇ? そうなの? 息できちゃうの?

 いや、まあ、そりゃあ良かったよ。良かったけども、何だろうか。ひとりでやきもき馬鹿らしい。

 頭の先まで完全に粘魔の体に浸かる。全身が冷やっこくて気持ちよかった。粘液は私の目にも直接触れているはずなのに、水の中で目を開けるよりよっぽど抵抗がなく自然な感覚で飲まれていた。酸で溶かされるって感じもしない。なんだろうかこの子は、この粘魔は、何が起きているんだろうか。


 しばらくして粘魔は私を吐き出した。

 飲み込まれる時より随分と早い速度だった。

 粘膜をゆるやかに破ってずるんと生れ落ちるような感じで、例えると生卵を下手糞に割る感じ、ちなみに終始無言だった。吐き出されたままの恰好でしばらく粘魔を観察していると、ぶるぶると体を震わせ始めた。もう何が起きても大抵驚かないぞ、という気概で静観するつもりだったけど、やっぱり驚いてしまった。


 粘魔は、私に化けたのだ。

 目があり、鼻があり、口がある。耳、髪……首筋から下がって、胸……って、ちょっと私より増量されて形も綺麗に整形されている……。足先まで出来上がった。薄緑色の私だ。私を飲み込んで写し取ったのだろうか。金型で作ったかのように私だった(いささか女性的な部分が改良はされているが)

 粘魔の薄緑色の肌になにか白い濁りがある、湖底から浮かび上がるように白い濁りが広がり、幕のように表面を覆っていく。集まっていくと分かる。肌の色だ。少し色白に過ぎるが、肌の色を再現しようとしている。正直、寒気がした。粘魔とは皆、こんな芸当が出来るのだろうか。こんな、こんなことが平然と行えてしまうのか? 


 わずかの間に、私の目の前に私が立っていた。

 女の私から見ても魅力的に映る白い肌、豊かな胸と形のいいお尻、ついでに言うなら顔も少し変わっていた。原型は私だというのは分かる。分かる、が……。誇張しすぎだろう! あんまりにもかわいい!

 潤んだ瞳、ほのかに色づく頬、形のいい唇が品よく笑っている。題するなら湖の妖精だ。

 確かに私の顔、体だが、微量ながらも全体的な修正が入り清らかなる乙女が出来上がっていた。

 「あの……、こんにちは」

 あんまりにも人型なので思わず喋りかけてみた。返答はない。目を細めて笑うだけで。あぁ、可愛らしい……。うっとりせずにはいられない。人が作れる美の領域ではない気がする。事実、魔物が人に化けているわけだが。それにしてもなぜ粘魔は私を形どったのだろうか。それに、粘魔は人の美醜について理解があるのだろうか。そうとしか思えない。寸分の狂いなく愛らしいのだ。一言も話さずとも、なんとも華がある。


 粘魔はそれから特に目立ったことはしなかった。

 時たま体が崩れて薄緑色の粘液に戻るが、数秒で私に戻った。そして薄っすらと微笑みを浮かべて私を見つめるのだった。……今日は街に出て粘魔のことを調べようと思っていたが、当面は中止にした。知らないことが多すぎる。この子を一人にして家を空けるのも何か不安だった。

 「ぷりあ」

 粘魔が鳴く。彼女?の髪を撫でながらぼおっとする。これからどうしようか。考えようとするのだが、考えられない。何が良い行動となるのかまるで予想がつかなかった。髪のさらさらとした手触りが心地よくて指が離れたがらない。これも粘魔が考えて作ったのだろうか。人の髪とまったく遜色がない。

 呆けていても時間は過ぎる。

 夕方になり夜になり、そろそろ寝ようかという頃になり困ったことになったのだ。

 仰向けに寝る私の上に粘魔が覆いかぶさっている。人型のままべったりと密着だ。

 目が合う。粘魔にとっての目ではないと思うが、よく出来た作り物の目は澄んだ湖のように私を覗き込む。

 「どうしたの?」

 きっと返事はないだろうが、聞いてみた。返事はない。

 「変な子だね。君は。粘魔はみんな君みたいなのかな。わたしは粘魔のことはよく知っているつもりだったけど、本で読んだことしか知らなかったみたい。驚いてばっかりだよ」

 粘魔の目が私の口をじっと見ている。ゆっくり顔を動かす、瞳と唇が触れるくらいの距離で見ている。観察している、のだと思う。

 瞳が離れる。そして粘魔は口をかぱりと開いた。異様なほど赤い舌が覗く。そうしてそのまま、その口と舌で私の顔に迫ってくるのだった。抵抗はできなかった。身じろぐくらいは出来たがその程度だった。顔中を舐め回される。人の舌ではあり得ない温度。冷ややかな赤い舌が顔を這いまわる。

 舐められる私は案外と冷静だった。

 朝の目覚めと同時に体を飲まれる経験をしたからか、焦るような恥ずかしい感情の中に妙に冷静な自分がいるのも感じていた。だが、まだまだ驚かされるのだ。

 赤い舌が、私の唇の中へ割って入る。思わず押しのけようと抵抗したが、冷たく赤い舌は微塵も抵抗を許可しなかった。ずるりとねじ込まれるのに対していくらかの盾にもならなかっただろう。

 甘い。味がある。青臭い果実のような味が、粘魔の舌には染みついていた。とりあえず臭くなくてよかった。しかしだ。あぁ、良くない。自分の体が熱くなっていくのが分かる。仮にも相手は魔物だというのに。 私の口の中にある舌が模倣を始めた。舌にわずかばかりの温かみが灯る。人と同じような体温を真似し始めているのだ。これは本格的に良くない、何だか頭が痺れてきた気がする。

 熱い、いつの間にか口の中を犯す舌は人のそれと変わらない熱を持って暴れ狂っていた。もう随分と満足に息を吸えていないような気がする。覆いかぶさってきている体にも体温があった。

 もう目の焦点が合わない。

 熱い、体が熱い。

 唾液か、汗か、混ざり合っていた。

 思考と、それから見て分かるように全てがぐちゃぐちゃで……。

 いつの間にか失神していたのだと思う。

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