騎士王国の青き剣➁
著:インパール
アッシュが騎士見習いとなってから四年の月日が流れていた。
冠熊の一件を聞いた騎士団の幹部連が是非にと少年を招いた形だった。
アッシュの家族は寂しさを覚えつつも息子の門出を祝った。騎士王国デインの正騎士団と言えば、この国で知らぬ者のない栄誉ある一団だ。正騎士団第三騎士隊隊長の持参した王の書印が押された推薦状を見て願い下げる民などいない。
アッシュ本人としても悪い話ではないと思った。生まれ育った村に愛着はあったが、死ぬまでこの村に居たとは思えない。騎士団に惹かれた理由はいくつかある。まず、腕試し。自分がどれほどなのかを知りたいと思った。冠熊はアッシュにとって衝撃的だった。その巨大な敵に立ち向かう騎士達も強く印象に残っている。とどめを指したのはアッシュだったが、あれは彼一人の功績ではない。不意を打って上手くいった結果だ。騎士団では満足いく食事が得られるのも魅力だった。貴族様ほど豪勢ではないが、とにかく量はあるから安心したまえ、と第三部隊の隊長は自慢げに言っていた。かくして少年は騎士を目指し、故郷の村を発ったのだった。
そうか、もう四年も経ったのか。
四年前より背が伸びて、声は太くなっていた。
今日は休日。休みの日には親に手紙を出す。それから少しの仕送り、正騎士団は見習いと言えど給金が出る。両親は必要ないと言っていたが、大した額を送っているわけじゃない。アッシュ自身も欲しいものは十分に買えていたし、騎士見習いとして必要な道具や装備は配給されるので、金はもっぱら屋台の食事や菓子を買うのに使われていた。
手紙を書き終えて住まいを出る。
見習い生と共同で使う家は正直言って騒がしいが、まあ楽しくもあった。朝起きて寝るまでほとんど同じように訓練を受け、同じ食事をして日々を共に生きる。仲間とは血の繋がらない兄弟だと教えられたが、確かにそれも頷ける。
アッシュは手紙を出したら市場に出て屋台を回る。見習い生の共同寮には寮母が居て朝食も用意してくれるのだが、屋台で出る串焼き肉の方が好きだった。馴染みの店主から串焼き肉を受け取り、さっそく頬張って街を歩く。
なにをしようか。やることは大抵決まっている。休みの日は自己鍛錬だ。動くのも億劫なほど疲れている時を除き、休暇の日は必ず剣に触れてきた。もはや右腕の延長と言えるくらい使いこなしている。訓練日では体力をとにかく使う、そんな日々をこなしていけばどんな青瓢箪でも屈強な騎士となれる内容だ。既にこの四年で訓練に耐えきれず寮を去った見習い騎士は大勢いる。だが、この過酷な環境でさえ、アッシュはそれが自分に足るとは思わなかった。正騎士団の騎士とはあくまで常人が見た強さだ、精鋭揃いの騎士連中の中で更に上を行ってこそ納得も出来るというものだ。アッシュは常々そう考えていた。
串焼き肉を早々に平らげ、寮に戻って訓練服に着替えてから城に登った。今日は訓練場を借りて剣を振ろう。ゆっくり時間を使って型の一つ一つを確認する時間にしようと思った。
行きがけにすれ違った騎士に「精が出るな、頑張れよ」と労われた。ちょうど冠熊の一件でアッシュが助太刀した中にいた騎士だ。あれから何かと面倒を見てくれて、なんだか兄が出来たようだとアッシュは思っていた。
訓練場には休みの日でもちらほらと人が居る。備品の点検、補充、大演習の打ち合わせ等、騎士全員が揃って休暇をとれる日というのはおそらく存在しないことだろう。休みでも訓練をする者は稀だ。見習い生であっても、休みは大概、休むことに従事している。
アッシュが剣を用意しながら横目で彼を伺う。アッシュより先に着いて打ち込み用の人形兵に鋭い剣を見舞っているのは、レナード・ベス・ルテラ・ルイーズだ。アッシュと同じく騎士見習いで年も同じ、だが、境遇はちょうど正反対だった。田舎育ちのアッシュと比べ、レナードは騎士王国に代々仕え、貴族位を持った騎士の名門の家柄。ルイーズ家の人間が正騎士団団長を務めたことは何度もある。王族の近衛兵や、特殊な任務が発せられる時、必ずルイーズの人間が矢面に立っている。
アッシュと違う点は外見にもある。
アッシュの鋭い目、短い髪に比べ、レナードは柔和な顔、さらりと流れる長い髪を後ろで束ねていた。アッシュが筋肉の塊であれば、レナードの体は細い糸を束ねた鞭のようにしなやかな強さが溢れていた。
レナードとは浅からぬ因縁がある。少なくともアッシュには常に意識せざる負えない相手だった。
月に一度ある見習い生の剣術大会、そこでアッシュはレナードに負かされた。剣が弾かれ宙を舞うその瞬間まで自分が油断しているとは思わなかった。準決勝までは圧倒的な勝利を収め、そして決勝戦でも同じように勝つと信じていた。手を抜いたつもりはなかったが、だが油断していたのだ。そう、あれは油断だと決めつけ、その代わり更なる自己鍛錬を己に課す。そうして二度目の剣術大会、アッシュはまたも敗れる。それから四年、剣では1度も勝てていない。レナードに勝てるのはごく単純な膂力の比べ合いくらいで、その他の成績ではいつも1歩先をいかれている。
そのレナードが横で剣を振っている。自然、力も入る。
一心不乱にアッシュが剣を振っていると、レナードがふいに話しかけてきた。
「相変わらずの剛剣だね」
さらり、と。褒めているような馬鹿にしているような、アッシュにはどちらにも聞こえる。ただの一度もレナードに勝ったことのない剣技では、遠回しに悪く言われているのかと勘繰りたくもなる。アッシュの返事はこうだった。
「レナード、俺と打ち合え」
剣先を眼前に向けて分かりやすく挑発する。
アッシュは何かにつけてレナードと戦いたがった。強くあることはアッシュの命題だ。負け続けることは許されない。レナードを見る度に自分の本能が騒ぎ立てる。彼の胸中を知ってか知らずか、レナードはぼんやりと考えこんだ後で承諾した。
「いいよ。今月は大会もないしね。……僕としても確認したかったところだ」
確認だと? この俺を技の試し台とでも思っているのか。
いつも余裕のあるその顔、今日こそ驚かせてやる。
二人が木剣に持ち替え、向き合う。
今まで何度打ち合っただろうか?
打ち合ってきた数だけ負けてきたということだ。
アッシュの目に炎が宿る。駆け出し、上段に構えた剣を振り下ろす。木剣と言えども当たれば死にそうな剣速だ。斬るというより叩き壊すような重い一撃をレナードは軽々といなした。大きな力の流れを横から突いて方向を逸らす。レナードにしてやられるのはいつもこれだ。アッシュとしても手を替え品を替え緩急を付けて切り込むのだが全て対処されてしまうのだ。力に任せるだけが剣ではない、とレナードによって剣で教えられた。だからそこ技術も磨いた。だが、まだ、届かない。三十合は打ち込んだだろうか、その全てを透かされた。ごく自然体で剣を構え続け、舞剣と称されるルイーズ家の剣術には、剛の剣は一太刀も入らない。気が付けばレナードはアッシュの懐に居て、それはもう試合終了の合図だ。今日は剣を首筋に当てられた。
「僕の勝ち、だね」
アッシュは勿論だが、レナードも肩で息をしている。
敗者は今日も奥歯を噛み締めて悔しさを色濃く滲ませる。これでも成長はしている。初めてレナードに負けた時、彼は息の一つも乱していなかった。懐に入られるまで随分長く打ち合えるようになった。だが、そんなものは勝ちではないのだ。
「くそッ! 強すぎるだろお前! ふざけてんのか! 畜生が!」
理不尽なくらいの言いようだ。ふざけていたら負かされていないだろう、などとは誰も言わない。レナードに負けた時のアッシュの悪態ぶりはもはや騎士団内の名物とまで言われている。
「いや、危なかったよ。押し切られるかと思ったよ」
ふっと息をを一つついて前髪をかき上げながらレナードが答えた。どう見てもまだ余裕のある感じだ。それがまたアッシュの対抗心をギラギラと燃え上がらせる。
「もう一回だ、レナード! 構えろ!」
「嫌だよ。君と連戦は死んでもごめんだ」
「ふざけるなよ! 逃げるのかよ、おまえ!」
断固として、拒否権などまるでないように詰め寄る。寄ってこられた方はどこ吹く風で受け流していたが、アッシュがあんまりしつこいのでついにはっきりと言い放った。
「逃げるだと? 僕に一度でも勝ってから言えよ」
剣先を喉元に向けられたような、刺すような言葉と迫力だった。物腰の柔らかいレナードにしては珍しく、怒りや苛立ちのような感情が見えている。注がれた油でアッシュは勢いよく焚きつけられた。
「上等だよ。立った今から初勝利を見せてやるよ。剣を持て、レナード!」
レナードは言葉も無くアッシュの目を鋭く見返すのみだった。睨み合い、数十秒が立つ、空気が張り詰めていくのがお互いにだけ分かった。糸をどんどん引き延ばしていく、どんどん、どんどん、もうそろそろプチンと切れる。そういう時に仲裁が入った。
「その辺にしとけ」
アッシュの肩に手を置いたのはさっき廊下ですれ違った騎士、アッシュの兄貴分のウーリだった。
「ウーリさん、止めないで下さいよ」
意識は今だ途切れず、顔を向けもせず、狂犬は今にも飛び出しそうな雰囲気のまま言い返すと、
頭をボカっと殴られた。
「っ!……いってぇ!」
「やめろって言ってんだろうが」
「何も殴ることないでしょーが!」
「お前が口で言って聞いてくれるくらいお利口さんなら俺も殴らずに済むんだがなぁ」
「つーか痛すぎんですよあんたの拳は! 加減とか知らないんすか!?」
「あー、そうか。おかわりが欲しいってことか? しょうがないな好きなだけ何発でも――」
「分かった! 分かりましたから! やめますってもう! ああもうくそっ! すんませんでしたっ!」
ならよろしい、とウーリは急ににこやかな顔をして訓練場から去っていった。ウーリの背中を見て、聞こえない程度の舌打ちをする。
「ったく……。馬鹿犬じゃねーんだから、言うことの聞かせ方が荒すぎんだよ」
頭を掻いて悪態をつく。ひとまず、レナードとの決闘はどこかへ飛んでいったらしい。レナード当人もいつの間にかどこかへ行っていた。
まあ、いい。構うものか、焦る気持ちはある。常にある。だからこそ、届かぬ故に追い求め研鑽を積む。だがいくら遠くとも必ず追いつく、必ず、追い越してみせる。だから今日も剣を振るのだ。アッシュが誰よりも自分を納得させるために。
気が向くままに剣を振り続け、気が付いたら日が傾き始めていた。
流石にそろそろ撤収しなければ明日に響く、服の袖で汗を拭うと、視界の端に見慣れた人物が立っていた。ウーリだ。
「よお、お前はほんとに頑張るね」
「まあ、勝ちたいんで」
「……なるほどね」
ウーリは何か考えたような素振りをしている。何にでもはっきりしているのがウーリという人物なので少し珍しかった。
「なんかあるんすか?」
「んー、おまえ今日さ、俺んとこで晩飯食わないか?」
いい燻製肉が手に入ったんだ、とウーリが耳打ちしてくる。市場で白パンとチーズを買って、それに乗せて食ったらもう最っ高! と若干芝居がかった演技だったが、アッシュはもう味を想像して乗る気満々だった。
「いいっすね! 行きます行きます!」
「おし、んじゃ寮帰って外泊許可とってこい。ちゃんと水浴びしてから来いな」
うっす、と砕けた返事をして一旦別れる。
騎士見習いを除けばアッシュが一番親しくしているのがウーリだった。田舎育ちで作法を知らないアッシュにも細かく言わない性格で、話の合う兄貴肌なところが仲良くなれた理由だろう。時々こうしてアッシュを食事に招き何でもないような馬鹿話をして過ごすことがあった。
アッシュは駆け足で寮への帰路を急ぐ。
もたつくとそれだけ晩飯が遅くなる。今すぐにも胃袋に物を詰め込みたいくらい空腹だったが、燻製肉のために我慢する。寮に帰って手早く水浴び、前に招かれた時に汗だくのままお邪魔したら出直してこいと追い返されたことを思い出す。今にして思えばこれも礼儀の勉強なのだと思い至る。
さて、準備は整った。
とは言っても体を洗って服を着替えたくらいのものだ。汗をかかないくらいの早さで小走りにウーリの家に向かう。
燻製肉の食事も楽しみだったが、ウーリと過ごす時間も楽しみだ。アッシュは一人っ子だったので、兄弟がどんなものか分からない。だが、もし兄がいればウーリのような感じだったのだろうか。
今日は何を話してくれるだろうか。ウーリはよく騎士の任務のことを話してくれた。
珍しい魔物の話、美しい秘境を探索した話、まだ遠い未来の話だが、いつかはアッシュが経験するであろう騎士の仕事振りに興味があった。
正騎士団に来て良かったと思う。
楽な道のりではないが充実している。
やるべき事、
越えるべき壁、
頼れる兄貴と、
腹いっぱいの飯。
弾む足取りでアッシュは駆けていく。
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