騎士王国の青き剣

著:インパール


 騎士王国デイン。


 近隣諸国で最も武力を持つ国だ。人の多さ故の軍事力ではなく、粒ぞろいの騎士達によって構成される正騎士団。なんの異名も付け足されることのない『正騎士団』の響きがどれだけ重厚なのかは推して知るべし。


『手にある剣は証に有らず、騎士の剣は心と知れ』

 いくつもある正騎士制定の中でも特に私好みのものだ。

 騎士王国の騎士達と言えばご婦人方には馴染み深い存在だろう。騎士と麗人の恋物語は読み飽きたくらいに溢れている。最近の流行りといえばもっぱらこの二人だ。正騎士未満の騎士見習い、まだ成人もしていない若き騎士二人の名は、

 アッシュ・ボウ

 レナード・ベス・ルテラ・ルイーズ


 さて、まずはアッシュから語ろう。

 彼は騎士王国の西にある山の麓の村で生まれ、ごく一般的な村人として育ち、暮らしていた。環境こそなんの変哲もなかったが、彼は他と一線を画す要素があった。それは恵まれた体だ。

 背が高く、体は厚い、九歳にして大人たちに混じり力仕事をこなし、仕事ぶりは大人達より働くほどだった。頑丈で、病気のひとつも覚えがなく、大抵の怪我は一日寝れば治っていた。

 とはいえ、ただの村の少年がどうして騎士になったのか、彼は憧れて騎士になったわけではない。


 きっかけとなるあの出来事を話そう。

 とある日、彼は山の麓の森を歩いていた。

 畑の仕事を昼まで手伝い、その後は自由にしていい日だったので森に遊びに来ていた。背の高い木が光りを遮り、深い緑がいくつも折り重なり、体の沈むような重みを持った空気で満ちていた。ここは森の奥深く、子供の遊び場には似つかわしくない。森には野犬も出るし、森の奥で魔物を見たと、木こりが言っていたのをアッシュも覚えている。森の奥に行ってはいけないと、大人たちからはよく聞かされていた。森は恵みであると同時に魔の住む領域でもある。

 だが、アッシュには関係がなかった。森で迷った試しがない。野犬なんて何匹出ようが、一匹残らず尻を蹴り上げてやった。さすがに魔物は見たことがないが、同じことだと思っていた。


 すいすいと森を歩くアッシュは、力強い狼のようだった。彼は森が好きだ。村にいると満足に腹を膨らませることが出来ない。貧しいというほど貧村ではなかったが、豊かとも言えない村のごくふつうの家の子であるアッシュは、大抵の場合で空腹を感じていた。尋常でない大喰らいなのだ。

 ずんずんと森の奥へ進んでいく。森を歩くと自分が異物であると認識する。緑と茶が広がるこの中では、人間はあまりに目立つ。はやく体を洗いたかった。畑仕事の汗がまだ額に残っている。森の奥に綺麗な泉があるのだ。よく澄んだ泉はほとんど透明で、口に含むとなぜだかほんのり甘かった。

 泉で泳いで遊んで、林檎をたらふく食うのが今日の目的。帰りの道でなにか動物がいれば最高だ。ほとんどの獲物は石を眉間に当ててやれば仕留められる。村の誰かに売ってもいいし、夕飯が貧相なら母に調理してもらってもいい。

 泉で一通り遊んでから林檎の木の場所まで向かう途中で、アッシュは違和感を覚えた。何か嗅ぎ分けるように鼻をひくつかせる。木と土が作る緑一面の空気の中、鉄のような、赤い匂いが混じっている。血の匂いだ。


アッシュは足を止めて姿勢を低くした。藪木にほとんど体を隠しながら気配を探る。ついさっきまでここで何かあったようだ。小枝の折れた木、駆け出した足が地面の土を掘り返したらしい跡、木の皮が剥がれていたのも見つけた。どれも新しい痕跡ばかりだ。

おそらく狩人ではないとアッシュは予想する。

森に慣れた彼らにしては騒がしい跡が多すぎる。獣に襲われたのなら少しは分かるが、それでもたぶんここまで荒れないだろう。

きっと森に不慣れな人間のはずだ。アッシュは痕跡の主を頭で描きつつ跡を追う。足跡の多さ、4人か、5人……。大きさからして大人の男ばかり、……足跡の進行が乱れた場所がある。何かに襲われて、各人が距離をとって戦い始めた? アッシュが樹皮に見入る。木の皮の擦れ方、硬い物がぶつけられたように見える。鎧? 金属の鎧を着た人間、冒険者? 騎士か? こっちのデカい跡は何だろうか。襲いかかった方の、鎧ごと投げ飛ばしたやつは……こっちは人じゃない。足の形は熊に似ているが、ちょっと大きすぎるか。人と違って、動物はとてもしなやかだ。残す跡も人間ほどくっきりとはしていない。


アッシュはここでふと考えた。

このまま追うか、引き返すか。追跡して分かったが、どうやらうちの村人達ではないらしい。だったら危険を侵すこともないか、熊の倍近い獣の足跡、これは流石に手に負えないだろう。野犬を追っ払うのとは訳が違う。

だが、強烈に惹かれてもいた。

鎧を着た連中は森で何をしていたのか。この森は狩りには向かない。貴族の遊びで狩りに来たなら辺鄙な村しか近くにないここより、自分の領地でやるはずだ。鎧を着ているというのも気になった。悪路が続く森の道で鎧を装備している。つまり戦いに備えてきているということ。

 進むか、戻るか、アッシュの選択は続行だった。好奇心が勝ってしまったのだ。もとより進むつもりだ、戻るという選択肢に悩むようでありながら、その実は危険度の確認をしただけだった。


 やるのか、やらないのか、こういった二択の場合、アッシュはほとんど「やる」方を選択してきた。彼の体格で体力的にやれないことは滅多にない。友達との喧嘩も、食堂でのパンの奪い合いも、いつもやってきたし、やり切ってきたことだ。

 子供特有の全能感に、いくらかの内実が伴えばどこまでも無鉄砲になる。アッシュは足跡を追っていく。


……居る。

音が聞こえてくる程に近い。

男達の張り上げる声と、獣の低い唸り声。それから金属が擦れ合う音、動く度に鎧はカチャカチャと音を立てる。踏まれ、折れる木立。

場所はすぐに特定出来た。

アッシュはスルスルと木に登り、俯瞰して状況を捉える。

動く物は六つ。鎧を着た五人、驚くことに彼らは正騎士団の面々だった。にぶい色の銀が木と草の中を駆け回っている。そして、相対する物は……アッシュは思わず声を挙げそうになる。生きている姿を見るのは初めてだ。

正騎士達が戦っているのは『冠熊かんむりぐま』だった。

 冠熊。熊によく似た魔物に分類される。一般的な熊と比べ体はひと回り大きく、力も極めて強い。体毛の色は黒か濃い茶の個体が多く、頭部にだけ白い毛が帯のようにぐるりと生えている。この白い毛を冠と指しているのが『冠熊』の名前の由来だ。食性は熊と大きく違い、花妖精の集めた蜜しか食べない。花妖精の蜜は栄養と共に魔力の補給にも使われる高級食材だが、この蜜しか口にしない冠熊は体内に魔力が溜まっていき、生体となるまで生きた冠熊は咆哮と共に魔力波を放つようになる。これが冠熊を魔物と認定する理由だった。

 闘位七星では三ツ星、訓練された兵士10人以上の危険度があるとされている。兵士10人? なんともたわいない話だと思うだろうか。冠熊を実際に目にしたならば、そんな思いも消し飛ぶだろう。体を鍛え、十分に装備を整えた兵士10人が死をとして尚、届かないのだ。もしこの本を読む読者諸君の中に力自慢がいたとしよう、その自慢の腕力で持って金属鎧を思い切り殴りつけてみて欲しい。どうなると思う? 手が痛むだけだ。そして、君よりも必ず力強く素早いものが守りを固め武器を手にし、統制をとりながら10人で向かってくるのだ。勝てようはずもないと断言する。もし冠熊が不意に街へ現れたしよう。となれば、一般人であれば百人は簡単に食い殺されるだろう(冠熊は花妖精の蜜しか食べないが)少し認識してくれたなら幸いだ。


冠熊がその太い腕を振るう。筋肉が詰まった木の幹のように太い腕が辺りにあるなにもかもを薙ぎ倒し、死を押し付ける。触れれば吹き飛ぶ暴力の塊を騎士の1人は受けとめていた。殴られた衝撃で足が地面にめり込まんほどだった、だがそれでも生きて攻撃を防いでいる。

 銀の鎧はところどころ血に汚れ、たがその顔はきっと初めから同じ表情をし続けているのだろう。引き結んだ一文字の口に、揺るがぬ闘志が目に宿っている。それは皆一様だ。5人中の1人は既に片膝をついて青い顔をしていたが、それでも目にだけは光があった。いかな窮地であっても自信があるのだろう。自分と、そして仲間に自負があるのだろう。

 繰り返される熾烈な戦闘を前にして、アッシュは一人、樹の上で体を震わせる。大きすぎる冠熊の体、吠え声に飲まれ、巨木を折る容易さに恐怖を覚えた。しかし、押されながらも立ち向かう騎士を見ていると、なにか胸に湧くものがある。

 そう、悔しいと思ったのだ。十歳に満たないアッシュ少年だが、生まれてこのかた喧嘩は負けなし、きっと大人と組み合ってもいい勝負が出来ると思っていた。いや、もっと極端な話、この世で一番自分が強いんじゃないかと、それくらいのことを考えていた。

 木の上で震える理性の自分が、必死に負けまいとしているのを知っている。戦えと叫ぶ本能を押さえつけようと必死になっている。命のかかる状況でも尚、アッシュは自分の決め事に従っていた。


「やる」のか「やらない」のか。

その問いをしたということは「やる」ということだ。


これは二択ではない、ハナから戦わないという選択肢はない。いつもそうだった。何を前にしてもこの問いかけが自分を奮い立て必ず食らいつく勇気をくれる。やってやろうという気合いに満ちてくる。

「やる」

そう決めた時には震えが消えた。足の震えが収まった瞬間、手近の太い枝をへし折って飛び降りる。冠熊はちょうど真下、その脳天を渾身の力で叩く。

 石と石をぶつけるような音が、大音量が鳴った。聞くだけで顔をしかめたくなる嫌な音だ。一撃与えた後で地に降り立ち、アッシュは叫ぶ、我が尊厳を賭け、ただの1度も退くことはない。誰に約束した覚えもない、ただ自分だけへ誓い、叫んだ。

「来やがれ!!」

 突如として上から降ってきた少年に騎士達も冠熊も呆気に取られた。騎士たちはポカンとした顔だったが、ボカンと一発殴られた冠熊は頭がぼうっとしているようだった。

「な……。なんだ君は、いや、すぐ逃げろ!」

 奇妙な間が空いてからようやく騎士の一人が声をかける。冠熊の方も敵が増えたらしいことに気づいたか、腹に響くうなり声を上げ突進してきた。冠熊の爪がアッシュの顔を捉えようとする。着地も考えぬ横っ飛び、体を捻って、顔を振って、すんでのところで直撃だけは避けることが出来た。そう、直撃だけは。目の下を掠めた爪の軌跡は易々と肉を切り裂いていた。目が潰れなかったのは運が向いたとしか思えない幸運だ。

 反射的に顔を押さえて蹲るアッシュ。今までに経験のない痛みだった。喧嘩で殴られた頬はこんなに酷く痛まない。文字通り引き裂かれた痛みが本能に訴えかけてくる。今すぐにも逃げ出したい。

 でも逃げない。

 やる。

 やってやる。またそれを心が再認識した瞬間、顔を押さえる手は武器の木の枝を手に取り、丸まった腰に針金が入ったように一本の芯が通る、体を屈め、ばねが弾けるように爆発的に駆け出す。片方が真っ赤に染まった視界で標的を見る。冠熊は爪を振るった後でたたらを踏んで転んでいた。アッシュの一撃が利いたのか? どこか様子がおかしい。

 ならば今、畳み掛ける。

 アッシュは槍を持つように枝の尖った方を先端にして掲げ、至近距離で冠熊の顔目掛け投げ込んだ。木の杭が冠熊の顔、右目に深々と刺さっている。

 痛みに轟く絶叫、森中の動物が走って逃げだしそうな恐ろしい声。アッシュも気圧されはしたが、だが、退かなかった。もう片方の手に持っていた武器を構える。それは正真正銘の武器、騎士が持っていた剣を拝借したのだ。剣など構えたことはない、振り方はこれで合っているのか、いや構わない。持ちやすくて鋭い枝だと思えばそれで充分、振り回す。


 鬼が宿ったかのようにひたすらにがむしゃらに死に物狂いで叩きつける。冠熊の返り血が顔にかかる。反撃を剣で押しのけて、防ぎ切れない爪が剣の隙間から腕を裂いた。のたうつ冠熊と、それを上から叩く少年、いったい何を見せられているのか、助太刀すらも忘れ騎士達はただ見ているしかなかった。

 やがて、冠熊は動かなくなった。

 その上に立ち、肩で息をする少年が、ひしゃげた剣を掲げ、吠える。


 「俺の、勝ちだ!!」

 ただ一人、少年の勝鬨が森の木々を揺らす。


 これがアッシュ・ボウの始まり方だった。

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